No.6 ヒロイック・テイル



(…ここに来るの、久し振り。懐かしい。昔よく姉様とここで魔法の練習をした)


 ホグワイツ城の外部に建てられた、普段コロッセオと呼ばれる王国兵士用の訓練場に辿り着くと、ユラウリ・カエサルは思わず郷愁の念を抱く。

 天井は吹き抜けになっていて、白雲の幾つか浮かぶ晴天が覗いている。

 煉瓦色の地面はやや砂っぽいが、足を滑らせる心配はなさそうだ。

 広大な空間をゆっくりと見回せば、彼女の兄であるガイザス・シーザー・カエサル、義姉のベネット、甥のレクサス、姪のイルシャラウィ、他にも緊張した面持ちの公認魔術師や王国兵などが遠巻きに見えた。



「あ、あの。本当に俺のこと覚えてないんですか?」

「…覚えてないとは言ってない。ただ確認する必要があると思っただけ」

「そ、そうですか」



 そして距離は離れているが、ユラウリのちょうど正面に立つ一人の青年が彼女にか細い声を投げかけた。

 不安そうな顔つきで、青年は癖のない黒髪を右手で掻いている。

 

 今からユラウリはその青年と魔法を使った模擬戦闘を行うことになっていた。


 表向きの理由は、実際に手合せを行うことでその青年が、かの有名な“英雄”ムト・ジャンヌダルク本人であるかどうかを確かめるため。

 しかしそれはあくまで表向きの理由であって、ユラウリにとっては真の理由ではない。


(…彼が本物のムト・ジャンヌダルクかどうかなんて一目でわかる)


 そう、彼女はすでに目の前の青年が本物であることには気づいていた。

 柔和な顔つきに、独特の話し方と気配。

 不自然なほどに感じられない魔力は、卓越した魔力制御能力の証明。

 かつて世界を救い、不運な勘違いから直接衝突したこともある、今では英雄と呼ばれるようになった青年をユラウリは一度たりとも忘れたことはなく、また真偽に迷うこともない。


(…でも幸運。兄様が暴漢に襲われたっていうから見舞いに来たけど、まさかムトと手合せできる機会を得られるなんて。本当に幸運。相手は私が知る限り最強の魔法使い。相手にとって不足なし)


 屈伸などをしてユラウリは身体の調子を確かめていく。

 彼女は九賢人と呼ばれる、世界でも最高峰の実力を持つ魔法使いの一人だ。

 だがそれでも、彼女は挑戦者として自身の集中を高めていった。


 今から三年前、その日ことは今でも鮮明に思い出せる。


 本来ならば自らが世界を救う立場にいたにも関わらず、実際に英雄として希望を世界に示したのは、孤独に一人戦う青年だった。

 そんな後悔の記憶にユラウリは唇を噛む。

 あれから三年が経った。

 自分はどれほど気高き魔法使いに近づけたのか。


「本当に、やるんですか?」

「…《魔力纏繞》。お願いする。私は知りたいから。今自分がどこにいるのか」


 求めていた物を知る機会を得られた彼女は、静かに無属性魔法を身に纏う。

 救世の三番目。

 そう呼ばれることを嫌うユラウリは、彼女の知る限り唯一救世主として呼ばれるべき存在に、自らの全身全霊をぶつけるべく地面を蹴る。



「わかりました。……ジャンヌ、力を示せ」



 ――そして合図もなく、戦いの火ぶたは切って落とされる。

 変絶する気配。色を増す黄金の瞳が二つ。

 眼前の青年が爆発的な魔力を纏うのを確認した瞬間、ユラウリは眩い光を放った。

 

「…《光影ライトダス》」


 ユラウリの意思のままに屈折させられた光は、幾多の幻影を創り出す。

 いとも簡単に詠唱されたその光属性魔法の階級は轟級。

 十では収まらない数のユラウリが一斉に青年に飛びかかり、逃げ場はどこにも見えない。


「拙い」

「…さすが」


 だが繰り出されるユラウリたちの鮮烈な攻撃を、青年は眉一つ動かさず全て回避してみせる。

 身体的にはユラウリはそれほど優れていないが、それはあくまで魔力を纏っていない状態のことでしかない。

 魔力纏繞を発動させたユラウリの戦闘能力は常人を遥かに凌駕していて、並大抵の相手なら拳だけで倒し伏すことができた。

 それでも、青年はその上を行く。

 驚異的な速度で襲い掛かってくるユラウリの形をした光を、全て丁寧に屠っていった。

 研ぎ澄まされた魔力。精密で無駄の一切ない動き。

 それは残像すら残さない速さでユラウリを追い詰める。


「…《光線ライライン》」

「《イグニスロード》」


 凝集された光の噴流が、目を焼くような強烈な勢いと共に放たれる。

 対する青年は短い詠唱に灰色の火焔を呼び出し、真正面からそれを受け止めた。

 炸裂する閃光。

 耳を劈く衝突音。

 本来ならば攻撃の用途として使われることない光属性魔法を手繰るユラウリは、威力不足に眉を顰める。


(…やっぱり強い)


 集中力を途切れさせないまま、ユラウリは光の中に飛び込みその一見非力そうに見える腕で殴りつける。

 しかしそれは彼女の予想通り空振りに終わり、反対に鋭い蹴りをわき腹に貰ってしまった。


「…くっ!」

「私たちは強い。それこそが私たちがムト・ジャンヌダルクであることの証明だ」


 静かに口にされる言葉に少し引っかかる物を感じるユラウリだったが、疑問を抱く暇はない。

 

(…たった一撃もらっただけで、意識が飛びそう。勝つイメージが全くわかない)


 追撃を怖れたユラウリは光属性轟級魔法を発動させ、一旦距離を取る。

 あえて青年はそれ見逃し、再び静観に徹するようだ。

 その圧倒的なまでの余裕に、彼女は若干の苛立ちを覚えた。


「…《天復ソラス》」

「私は力を示す。それこそが彼の望みであり、私の存在証明だ」

 

 道理のわからない言動。

 それはユラウリには届かない。

 仄かに輝く光で自らの傷の痛みを癒すと、彼女は表情を露骨に不機嫌にさせた。


(…でもやっぱりムカつく。自分の弱さが腹立たしい。あの余裕に満ちた表情を少しくらいは歪ませたい)


 ユラウリは一度息を整えると、灰色の瞳に鋭さを乗せる。

 その冷たい相貌と抑揚のない話し方のせいで気づかれないことが多いが、彼女は激情家だった。

 負けず嫌いで、短気な面も強く、感情が顔に出ることも多い。

 ゆえに自らを認識さえしていないかのようにも見える青年に、なんとか彼女は一泡吹かせようと躍起になる。



「…私だって示せる力くらいある。その黄金の瞳を眩ませてみせる。《光の閃槍エル・カンパニュラ》」



 コロッセオ全てを照らし上げる、純白の閃光。

 キィンという高音の旋律を響き渡らせながら、淀みのない光が一振りの槍をかたどる。

 ユラウリはその光槍を大きく掲げると、それでもなお瞬き一つしないままの青年に向けて思い切り投げつけた。

 

 光すら越えた、空間を焼き貫く一閃。


 尋常ではない魔力を練り込まれたその光は、絶級魔法と呼ばれる階位に存在するもの。

 その身に正面からまともに受け止めれば、どんな生命体でも塵一つ残さず消滅してしまうだろうと思われるほどの威力。

 せめて全力を引き出す。

 そのユラウリが願い繰り出した、絶対の一撃だった。



「遅いな」



 しかし、光すら追いつけない速度を誇る光の槍を、青年はさも当然かのように躱してみせる。

 表情は変わらず、焦りもない。

 ユラウリは驚愕に顔を歪ませ、さらに自らの魔力を解放させようとするが、そこであることに気づいてしまう。


「…あ。まずい。周りの人達のこと忘れてた」

「なに?」


 ポツリと零されたユラウリの言葉に、耳ざとく反応した青年の無表情がここで初めて変化する。

 刹那の間の中で、二人は目的を果たせなかった絶級の閃光の行き先をぼんやりと眺める。


 青年に避けられた絶尽の破壊力を持った光は、勢いを萎ませることなく、いまだ突き進む。


 煌めく矛先にいたのは、銀色の髪をした一人の公認魔術師オフィシャル・ウィザード

 二人の戦いの見物人として遠くに立つ男の名はヴォルフ・ブレイド。

 だがそんな彼は、自らに迫る暴虐の光に気づいていないのか、何の反応も示していない。

 彼の蒼い瞳はたしかに光に当てられていたが、その意識はついてきていないようだった。


「――助けないと」


 その時、凛とした声が忽然と紡がれる。

 ユラウリは唖然としたまま、次の行動を開始できていない。

 一方青年の瞳も黄金に輝いたまま止まっていて、身体は立ち尽くしたままだ。

 しかし彼の唇はたしかに動いていて、その動きはまた繰り返される。



「あの人を、助けないと」



 瞳の色が変わる。

 強い両瞳の黄金は収まり、普段のオッドアイでもなく、二つの瞳をありふれた明るい茶色に染め上げた青年は、今度こそ動き始める。


 軽く足で地面を叩けば、その身体はいとも簡単に空間を超越した。


 一度完全に回避した光の槍を追い越し、その向かう先に先回りする。


「ああ、よかった。なんとか間に合ったかな」


 そして青年はほんの少しだけ安堵した表情を見せると、溢れんばかりの光の衝撃を無防備な背中で受け止めたのだった。




―――――― 




 次元が違う。

 ヴォルフは予期せず始まった九賢人と自らをムト・ジャンヌダルクと名乗る青年の闘いを観戦しながら、驚愕に身を震わせていた。

 息を吐くように顕現させられていく、超高位の魔法の数々。

 さらにそれを自然な顔で受け流し、むしろ圧倒してみせる黒髪の青年。

 初めて目の当たりにする九賢人の実力もそうだが、なによりすぐそこでそんな超越者を手玉に取る青年はあまりにも常識外れ過ぎた。


(敵わねぇ……なんだよ、これ。偽物とか本物とか、そんなレベルじゃねぇぞ。こんな奴に俺は喧嘩を売ったあげく、油断さえなければ勝てるとか思ってたのかよ。……馬鹿野郎は俺の方だ。自分が恥ずかしいぜ)


 ほとんど目に追いきれない、理解すら困難な攻防。

 己とは生きている世界が違う者同士の闘いに、ヴォルフはもう逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 彼は自分が弱いとは思わない。むしろ強者に属する側だと、そう認識していた。

 

 だが幻想は音を立てて、脆くも崩れ去っていく。


 上には上がいる。

 そんな当たり前の現実を目にしたヴォルフは、悔しさを通り越し茫然自失の状態に陥っていた。


(……あ? なんだ? あれは?)


 これまでとはまた一段と雰囲気の違う魔法が発動させられそうになっていることに、ヴォルフはふと気づく。

 逆巻く光は神聖な槍をかたどり、聴覚を刺激する高音が知らずのうちに空気を震わせている。

 その光の槍が絶級魔法と呼ばれる物だと彼は知らなかったが、命を奪うだけでは物足りないであろうと、光槍の危険さを予想することはできた。



「は?」



 しかし次の瞬間、彼は信じられない現実を見せつけられる。

 救世の三番目と呼ばれる魔法使いから投げ放たれた光の槍を完璧に回避した青年。

 それでもなお突き進む無慈悲な一閃。

 眩しい切っ先が次に狙うのは一体どこか。


(あ、俺、死ぬ――)


 やけに愚鈍な思考が、当然の推定を下す。

 回避は不能。

 直撃は致命を意味する。

 突如訪れた命の終わりに、ヴォルフは立ち尽くすことしかできない。



「ああ、よかった。なんとか間に合ったかな」



 凄まじい質量が炸裂する音の前に、ヴォルフはどこまでも優しい声を聞く。

 あまりの光明に反射的に閉じられた目を開ければ、慈しみに満ちた明るい茶色の視線が見える。

 

(は? なんで俺はまだ生きてんだ? てかこいつは?)


 ゆっくりと働きを取り戻していく頭が現状を正確に認識し、理解を自覚したヴォルフは声にならない声を上げた。



「なっ!? まさか、お前、この俺を庇ったってのか!? おい!? しかもその格好! 大丈夫なのかよ!?!?」

「え? うわ! 俺の服が消えてなくなってる!? やばい! せっかく一つ罪が消えそうなのに、また違う増えちゃうよ! 公然わいせつ罪!? それともわいせつ物陳列罪!? チンだけに!?」



 すぐ目の前で、自らを守るように立つ黒髪の青年の服は全て焼き消えていて、その肉体が無事とは思えない。

 それにも関わらず、これまで散々非礼を働いた自分をその身を呈して守り、謝罪も、礼も何一つ求めず、皮肉の一つも口にしない。

 ヴォルフにはわからなかった。

 自分がなぜ生きているのか、なぜ守られたのか。


「……な、なんで俺なんかを守った?」

「なんでって……もしかして俺が守らなくても、全然余裕だった!? うわ! 恥ずかしい! でも、まあ、よかった。君が無事で。……無事、だよね?」


 無事でよかった。

 そう語る青年の瞳には、敵意も、侮蔑の色も、何もない。

 あるのは心からの安堵と、自らを心配する怯えを含んだ色だけ。



(英雄。これがの英雄なのか……!)



 感動の涙を流すヴォルフに、青年は困ったように慌てはためきだす。

 その遥か後ろで魔力を収めた少女が近づいてくると、今度は露わになった股間部を隠したり、隠さなかったりしながら、さらに焦燥を深めていく。


 それでも吹き抜けの天井から注ぐ陽の光に照らされる青年は、間違いなく英雄譚の中に生きる存在だと誰でも理解することができた。



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