No.10 マッド・ドッグ



 熱気のこもった店から出て、冷えた夜の空気で頭を冷やす。

 だが心の内に溜め込まれた暗雲はまるで取り除かれる気配がなく、ここに来る前のあの高揚感がどこに行ってしまったのかさっぱり見当もつかない。

 

「いやぁ、食べた! 食べた! 美味しかったね!」


 隣りでは満足とばかりにクアトロが大きく出っ張った腹太鼓を叩いてる。

 表情は晴れやかな笑みいっぱいで、上機嫌に口笛を吹き出してしまう始末だ。


「……」

「……」


 一方そんな彼女を挟むようにして立つ兄貴分たちは、見るのも哀れなほど憔悴しきっていて、顔を虚ろに俯いている。

 呼吸のたびに溜め息を吐き、全身から不幸オーラを放っていることはほぼ間違いないだろう。


「でもなんだかんだでうちの圧勝だったね! ふははっ! ムトくんもジャックくんも精進しないと駄目だよ!?」


 見るも無残な敗北者ルーザーである俺たちへ、勝者ウィナーであるクアトロは嬉しそうにくつくつと笑う。

 そう、俺、ではなく、俺たち、が敗北を喫したのだ。

 宿で我らが大天使クアトロと添い寝をする権利をかけた世紀の大決戦。その顛末はあまりにもお粗末なものだった。

 

「うちが一位で、ムトくんが二位! そんでもってジャックくんが最下位! だけどジャックくん、ごめんね? ご馳走になっちゃって」

「は、はは、いいってことよ……」


 ワンコヌードルなるわんこ蕎麦の大食い対決。

 その結果は一位がクアトロの二十杯。二位が俺の十杯。そして最下位がジャックの七杯だった。

 まさかのクアトロのぶっちぎり優勝という、一番誰も得しないパターンだ。信じられない。揃いも揃って間抜けとしか言いようがない。

 ちなみに最下位のジャックには当然俺の分の代金も奢って貰っている。どうせ使う先のないお金だ。申し訳ない気持ちは一切ない。


「……というかジャック、なんでお前が最下位なの? ふざけてるの? 怒るよ?」

「う、うるせぇよっ!? おれだって好きで最下位じゃなねぇっつの! お前の妨害に集中力を持ってかれて全然食べれなかったんだよ!」

「こらこら、二人とも喧嘩しちゃだめだよー?」


 何が腹立たしいかと言えば、真剣な勝負事に関わらず姑息な妨害で俺の足を引っ張ったあげく、その俺以下の成績を叩き出したこのジャックチャランポランタンとかいう奴だ。

 大食い対決だと言っているのにふざけた魔法を使うなんて非紳士的行為をしておきながら、なけなしの勝利すら得られない。存在自体が害悪だ。これだから童貞は困る。 


「だけど実際クーちゃんの二十杯ってヤバくね? たぶんおれ普通に食っても負けた気がする」

「えっへん! うちは食べるのだけは自信あるからね!」


 たしかにクアトロの実力は申し分ないものだった。

 あの大盛りのかけ蕎麦を結局スタートから一度もペースを乱さずに食べ続けたのだから。もし制限時間がなかったら、無限に食べ続けるのではないかと疑ったくらいだ。

 しかしその事を差し引いても、外道としか思えないジャックの妨害行為がなければ俺は勝てたのだ。

 それゆえに後悔と喪失感が募る。あと少しで、ほんの少しの運があれば、俺は至福の立場を手に入れることができたのに。


「でもやっぱり皆と一緒に食べるご飯は美味しいよねー。不思議とひとりで食べるより美味しく感じるもん」

「……まあでも、クーちゃんが喜んでくれたなら、この無意味な抗争にも意味あったかな」

「そうかぁ? おれはそもそも大食い対決なんてもんに乗っからなければって思うが」

「それお前が言う?」


 本当にこの見た目だけ非童貞野郎はクソだな。

 今ここに確信した。中身が童貞だろうと非童貞だろうと、外見がいい加減な奴は頭の中もいい加減なのだ。内面は外に出る。つまりはやはり顔と乳が全てだ。


「はぁ~、でも沢山食べたから眠くなってきちゃった。宿に戻ったら、お風呂入ってすぐ寝ちゃお」

「「風呂?」」

「うん。そうだよ。あの宿お風呂あるって言ってたよね? エルフでもあるところとないところがあるから、嬉しい。しばらく入ってなかったし」


 だがここでこれまでの憂鬱を全て吹き飛ばすかのような素敵なワードを俺の鼓膜が捉える。

 今度は頭のオカシイ変態が仕掛けた幻聴ではない。正真正銘、本物の言葉だ。


「うぅー! ベッドで寝るのも久し振りだし、今日は本当ぐっすり眠れそうだなぁー! ま、いつもうちはぐっすり寝てるけど」


 この世界の人間は現代日本人のように毎日風呂に入るような習慣は持ち合わせていない。

 魔力に対応した体質のためか、体臭が気になるということもなく頻繁に入る必要性がなかったのだ。

 加えて俺も基本的には前世で不潔な生活を送っていたので、風呂に滅多に入れないことには抵抗がなかった。

 しかし、だからといって入浴という文化が嫌いなわけではない。

 むしろ、大好きだ。こちらの世界にもこの素晴らしき伝統が根付いていることに男根の底から感謝を捧げたい。


「あ、でも二人とも、女風呂覗いたりしたら駄目だからねー! わかってるー?」

「ふふっ、当然じゃないかクーちゃん。そんな非紳士的な行為を俺たちがするわけがないよ」

「へへっ、その通りだぜクーちゃん。おれたちを何だと思ってるんだ? そこまで愚かな行為に手を染めるほど落ちぶれちゃいないさ」

「本当かなぁ? なんか急に顔色良くなって怪しいんですけど?」


 クアトロが慎ましい局部を両手で隠すような動作をしつつ、こちらを訝しむような目で見てくるが、誓って今言った言葉は本意である。

 彼女は血は繋がっていないが俺の妹だ。俺がそう思っているからそうなのだ。さすがに妹の入浴を覗くほど倫理的に狂ってはいない。

 もちろん好き嫌いのない俺は、妹モノも全然イケるくちだが、これとそれとは話が別だ。二次元と三次元を混同するほど追い詰められてはいない。


「ジャック、やっとお前の力を正当に活用する時が来たな」

「代わりに人払いは頼むぜ? 方法は任せる」


 そう。俺たちがやろうとしているのは、他の女性客に対する盗聴だけ。犯罪的な行為は何もするつもりはない。

 誰にも迷惑はかけないのが紳士のルールだ。

 俺が清掃中の看板でも創造クリエイトして、ジャックが自慢の音魔法で入浴中の女性客の音、声全てを拾う。

 それだけで俺たちは満足できる。なんとも省エネルギーな発奮行為。

 エコロニーと名づけよう。


「なーんか怪しいなぁ? 二人とも絶対変なこと企んでるでしょ?」

「そ、そそそそんなことないって」

「だ、だだだだぜ? だぜだぜ?」

「ジャックくんなんて動揺し過ぎて言語機能崩壊しているじゃん」


 だが大抵のことは大雑把に気にしないクアトロが、今回はやけに突っかかってくる。

 これが乙女の勘という奴だろうか。厄介なものだ。

 何も悪いことはしないというのに。俗にいう冤罪だ。

 ただちょっと盗聴するだけ。本当にただそれだけなのに。


「うーん、だけどどっちかっていうと、怖いのはムトくんなんだよね」

「えぇっ!? な、なんで俺っ?」

「だってムトくんってなんかやろうと思えば何でもできちゃう感じするもん。超危険人物だよ!」

「そんなことないってクーちゃん。俺、超安全だよ。こんな安全な奴見たことないレベル」


 予想外にも、なぜかクアトロは俺の方を要注意人物として警戒しているようだ。

 これはとんでもない誤解だ。俺はそこまで危険思想を持ち合わせていない。

 俺の銃器なんてセーフティがかかり過ぎてもう錆びついてしまっているくらいなのに、なぜここまで暴発に怯えられているのだろうか。


「おいおい、ムトちゃん頼むぜ? 変な気を起こすなよ?」

「だからそれお前が言う? あとムトちゃん呼びやめろ」


 すかさず鳥の巣頭の童貞が調子に乗る。実行犯の分際でどの口が喋るのか。本当にこいつはコロコロと立場を変える奴だ。

 浮気性の童貞。本当に救いようがないと思う。

 



――――――




 エルフの南部に位置する街ブスケツ。

 月光と一柱の焔に照らされる夜に、一人の男が裏路地に潜み、静かに闇を見つめていた。


「……わかってんな、お前ら。今日、俺たちはやっと奴に追いついた。俺たちのリーダーに喧嘩を売りやがった大馬鹿者だ」


 その全身を黒のローブで覆い隠した男は、路地の奥に続いている常闇へと呟くような慎重さで声を発する。

 唇をほとんど動かさないその闇に生きる者独特の発声方法は、微かな風音にさえ妨げられてしまうように思えたが、それで彼は自らが鍛え上げた部下達に指令を出すのには十分だと知っていた。



「俺には見えてる。奴の足跡がな。アルセイントで見つけたムト・ジャンヌダルクの存在の痕跡。そしてあの街からエルフの国境を越えていった足跡はひとまとまりの三種類だけ。間違いなく奴はここにいる。時間はかかっちまったが、やっと追いついたんだ」



 男には生まれつき特殊な能力があった。

 それは異常なまでの洞察眼。無属性魔法を視力に適用する能力だけが、彼は他者より格別に秀でていたのだ。

 ほんの些細な形動、動態、痕跡を見逃さないその力により、彼はこれまで何度も窮地を脱出し、その度に力を蓄え、今や歴戦の強者へと進化していた。


「これまでの痕跡を辿った結果から、奴がエルフと組んでいるのは明らかだ。容赦は要らねぇ。問答無用で叩き潰せ」


 ブスケツの街に至るまでに男は、追い続けていた相手に関する痕跡を至るところで見たが、それはあまりにも異質なものだった。

 それが国外の出身者にしては隠密的な足取りがまったくないのにも関わらず、どこかでいざこざが起きたといったような噂が微塵も耳に入ってこないのだ。

 

 相手はエルフ側。


 国外の出身でかつ、それほど平穏にエルフの国を進んでいくためには、それなり大きなエルフ側の権力者と繋がっていなくてはならない。

 生まれつきエルフを憎み続けた彼にとってそれは何よりも許しがたいことであり、情けをかけるつもりは全くなかった。 


「わかってるな? これ以上は深追いできねぇ。ここで潰すぞ」


 男は立場上、このまま相手を追い続けると自分たちが厄介な事になると冷静に自覚していた。

 すでに敵の本拠地に片足どころか、両足を突っ込んでいる状態だ。

 それゆえに、比較的ドワーフ国境から近い場所であるブスケツで目的の人物に追いつけたのは幸運だったと考えていた。


「だがこれだけは肝に銘じておけ。敵は強い。油断はするな」


 そして最後にと、男は部下達を戒める。 

 相手は彼の尊敬する人物を少なくとも消息不明にする程度までは追い込んだ人物。

 さらに詳細はわからないが、エルフの権力者一人ともう一人何者かを仲間にしているとみられる。

 本人の実力も話を聞く限りでは相当水準が高いようだ。真正面から戦おうとすればまず勝てないだろう。

 ゆえに彼は万全を期して相手を討ち取る暗い決心をする。

 睡眠時、入浴時、排泄時、なんでもいい。敵が最大に油断を晒した際に乗じて必死を与える。



「……行くぞ。俺たちの革命を邪魔はさせやしねぇ」



 二つの月光と一柱の焔から隠れるように、男――革命軍北部遊撃部隊指揮官フィーゴは姿を闇に隠す。

 革命軍の狂犬は己の信じる革命を遂行するために、明確な殺意を秘め三人分の足跡を辿っていく。



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