No.11 ホーリー・ライト・ハンド



「……行ったね」

「……おう、行ったな」


 悲劇の大食い対決を終え、すでに宿に戻って来ている。

 ベッド以外無駄な装飾品のない部屋には今、俺とジャックの二人だけだ。

 クアトロはデザートを食べるの忘れていたなどと言う意味不明な供述を残し、再びどこかにふらりと消えていった。

 宿に戻る前までは風呂に入ってすぐ寝るとか言っていたくせに、急に気が変わったようだ。

 夜に一人で可愛い妹を外出させるのは心苦しかったが、今の俺たちにはやるべきことがあるので彼女を追うことはできなかった。


「準備はいいかムト? 失敗は許されねぇぞ?」

「こっちの台詞だジャック。お前こそヘマするなよ」


 クアトロが姿を消したことによって、俺たちはいよいよ計画の遂行に取り掛かろうとしていた。

 床の上で胡坐をかくジャックはニヒルな笑みを浮かべていて、やたらと自信に満ち溢れている。

 二つあるベッドはクアトロと俺のものになっているので、そこが彼の今夜の寝床となる。力なき童貞に人権はない。


「なら、改めて作戦を説明するぞ。ケツの穴かっぽじってよく聞けよ」


 そしてジャックは変態特有の独特な言い回しで、今夜のミッションを説明し始める。

 改めてなどと言っているが、当然その話す内容は全て今初めて聞くものだった。


「まずは先にムト、お前が男湯に潜入する。そんでもって先に入浴してる客をなんとかして全員追い出せ」

「いや追い出せってそんな無茶な」


 いきなり無理難題を押し付けてくるので、俺は抗議の声を上げる。

 魔法などを使い力づくで人を追い出す事は良心的にできないし、話術などを駆使してどうにかするのも無論できない。


「ちっ、使えねぇ童貞だな。仕方ねぇ。なら合図するだけでいい。お前以外の客が全員上がったら、どうにかしておれにそれを知らせろ」

「それは構わないけど、後から入ってくる客はどうする?」

「そっちはおれがなんとかする。おれがなんとかしてお前が入って以降には客が入らないようにするさ」

「なるほど。ならそっちは任せた」


 やけにナントカというフレーズが目立ち、一抹の不安を煽らないこともないが、それは意図的に気にしないことにする。

 長風呂は得意な方だ。他の客が消えるのを待つことくらいさすがの俺でも容易にこなせるだろう。


「その後はおれもお前と合流し、今度はお前がなんとかして他の客が完全に入ってこれないよう細工をする」

「そうだな。物理的に侵入を封じる手立てなら幾つか思いつく」


 宿の風呂場をプライベート空間にしてしまえばこちらのものだ。

 清掃中の看板と扉を施錠するためのつっかえ棒でも創造(クリエイト)してしまえばいい。

 完璧だ。どこにも綻びは見当たらない。


「あとはおれがこの身をかけて、全ての音をお前に届けてやる」

「ジャック……」


 どん、とジャックは自分の薄っぺらな胸板を叩く。

 こいつがこれほど頼もしく思えた事がかつてあっただろうか。いや、ない。


「壁一枚向こう側から届く、臨場感あふれる生ボイス……衣擦れの音、シャワーが肌をうつ音、呼吸音、ありとあらゆる音がおれたちを包み込んでくれるはずだ」

「す、すごい。目を瞑ればほとんど混浴じゃないか」

「その通りだムト。……今から、おれたちは混浴を行うと言っても過言ではない」

「なんと……っ!」


 ジャックは力強く頷く。

 混浴。なんという素敵な響きを含んだマジックワードだろうか。

 しかしよくよく考えてみればおかしな話だ。

 元々男女で別れて風呂に入ることが間違っているといっていいだろう。

 この世にはたしかに意識すべき性差というものがある。

 たとえばスポーツ。

 男女の身体の構造上、区別して行った方が平等性を保てる物の筆頭であろう。

 だが風呂は違う。風呂に入ってやることなど男女で変わりはしない。

 男に身体を見られて恥ずかしがる女性がいるかもしれないが、そんなことはこちらも同じだ。

 例外的に俺は喜ぶだけだが、そういった例外は女性サイドにもいるはず。羞恥を感じる男だって女性と同程度いると思われる。

 なら分ける必要はないではないか。恥ずかしいのもきっと最初だけだ。じきにそれが当然といった感覚になる


「……先に言っておくが、風呂場でやましいことはすんなよ?」

「馬鹿にするな。俺だって最低限の思慮分別はつくさ」


 ジャックが見当外れの忠言をしてくるが、本当に見当外れだ。

 俺は盛りのついた猿ではない。きちんと知性を持ったヒトで、時と場所を選ぶことくらいできる。

 鼓膜を通じて得た情報は海馬に永久保存して、必要とされたタイミングで適切に引き出し有効活用するつもりだ。


「なら行くか。時間が持ったいねぇ」

「だな。俺たちの力を見せてやろう」


 そして俺たちは共に立ち上がり、確かな意志を煌めかせる視線を一度交錯させる。

 クアトロとの添い寝をかけた戦いには二人して敗北を喫してしまったが、あれは俺たちの自滅といっていい。

 今回は競争ではなく、共闘。

 この穢れなき肉体をまる裸にして、俺たちは今度こそ勝利を手に入れてみせるのだ。





 脱衣所に辿り着くと、まず先に入っている客が何人いるのかを確認する。

 綺麗に畳まれた見知らぬ衣服が一つ分。

 どうやら先客はたった一人のようだ。

 理想をいえば最初からゼロが望ましかったが、さすがにそれは高望みというものだろう。

 一人だけなら上々だ。


「お、お邪魔しまーす……」


 さっさと服を脱ぎ去り、ありのままの姿を晒して俺は早速浴場へと足を踏み入れる。

 内装は中々に立派なもので、豪華絢爛とまでは行かないが現代日本基準でも中流ホテルぐらいの雰囲気は持ち合わせていた。

 

「(なあ、ジャンヌ。ジャンヌってお風呂入ったことある?)」


【それは熱湯の感覚に触れたことがあるかどうかという問いだろうか? もしそうならばないといえる】


「(まあ、そりゃそうだよね)」


 小声でジャンヌに話しかけてみる。

 全裸の状態で彼女と会話すると非常に愉快な気分になるので、俺が普段無意味な世間話を彼女とするときはもっぱら全裸だった。


「(なら、あとで入ってみなよ。気持ちいいよ?)」


【そうか。宿主がそう言うのならば、貴公の好意に甘えるとしよう】


 ここでいう入ってみなよ、とは単純にしばらくの間ジャンヌに俺の身体の所有権を受け渡すという意味だ。

 ジャンヌの意識が乗り移った俺の裸体が湯船に浸かっている状態を想像するだけで、若干欲情してしまう。

 この世界にデジタルカメラがあれば、ジャンヌに自撮り録画をお願いするのに。残念だ。


「(……あれが、先客か)」


【あの程度の存在、貴公が気にする必要はあるまい。貴公が望むなら取り除いてみせるが、どうする?】


「(い、いや。大丈夫大丈夫。そのうち勝手にいなくなるから)」


 俺がしっかりと先に湯船に浸かり目を閉じて気分よさそうにしている男を視認すると、何やらジャンヌが物騒なことを言うので慌てて彼女を抑える。

 取り除くってなんだ。怖すぎるだろう。

 たかだか風呂を貸し切るためだけに、人工的に神隠しを行うのはまずい。

 当初の予定通り、自らいなくなるのを待てばいいだけだ。


「(……それよりジャンヌ、たとえばだけどさ、俺の右手だけジャンヌの意志で動かせたりってする?)」


【おそらく可能だろう】


 とりあえず身体でも洗おうかとシャワーを手に取ったところで、俺はある素敵なアイデアを思いつく。

 もし右手だけジャンヌの意識を宿らせることができたら、身体を他の人に洗って貰ってるような気分になれるのではないか?

 これは革命だ。素晴らしい。

 むしろなんて俺は愚かだったのだろう。なぜこんな簡単なことにこれまで気づかなかった。

 下半身のある一部分を使った、とある色欲の洗浄作業をさせるのはさすがに罪悪感が大きすぎるが、普通に身体を洗うくらいなら問題ない気がする。


「(じゃあ、その、試しに右手使って、俺の身体を洗ってみてくれる?)」


【……叶えよう】


 ここには石鹸などは置いていないようなので、身体に関しては水洗いになる。

 ヌメリを自前で用意しようと思えばできるが、それを自分の身体に塗りたくる気分にはならない。というか逆に身体が汚れそうだ。


【では、早速……】


 そして俺の望むままに、俺の制御下から抜け出した右手が身体を触れる。

 濡れた肌と肌がしっとりと触れ合う。

 どちらとも俺の肌だが、不思議とそんな気はしなかった。


「(お、おぉ……っ! こ、これは予想以上に……くるっ!)」


【すまない、ムト。私に至らないところがあれば何でも言って欲しい。必ずその全てを改善してみせよう】


「(いや、大丈夫だよジャンヌ。今のところ何一つ至らないところなんてないよ。むしろ俺が至りそうだ)」


【そうなのか? やけに貴公の魂が震えているが、これは私が未熟だからだろう?】


「(違う、違うよ、ジャンヌ。未熟だからこそ良いんだ。ほら、たまに左手を使う時だってそうでしょ?)」


【すまない、ムト。貴公が何を言っているのか理解できない。しかし貴公が私を気遣ってくれることだけは伝わる。心より感謝する。ありがとう。貴公はいつも優しい】


「(うぅん……っ! はぁ…はぁ……お礼を言うのはこっちの方さ……)」


 俺の右手がたどたどしい手つきで、胸の辺りを擦り上げてくれる。

 ペタペタ、と忙しなく動く手からは必死で俺を喜ばせようとする、健気なジャンヌの感情がありありと感じられた。


【うむ、どうだろう、ムト? 私は貴公を満足させられているのか?】


「(ふひゅー…ふひゅー……いいよ。全然いいよ。上手だよ、ジャンヌ)」


【本当か? そうならば私も嬉しい。私は貴公の望みを叶えるためだけに存在しているのだから】


 シュコシュコ、と一生懸命に今度は俺のわき腹辺りが手で擦すられる。

 なんだかジャンヌとのやり取りだけを抜き出すと、ずいぶんといかがわしい行為をしている気分になる。

 というより実際させているような気がしないでもない。

 

【しかし、右手だけを動かすというのも奇妙なものだ。今、本当の意味で私は貴公と肉体を共有しているような感覚がする】


「(ちょ、さすがにその台詞は狙いすぎ……って待った! ストップ! ストップしてジャンヌ!)」


【どうかしたのか? 我が宿主よ?】


 だがここでついにジャンヌが禁断の花園、すなわち下半身に手を移動させようとしたところで、俺は慌ててその性なる右手を左手で抑え込む。

 これ以上はまだ駄目だ。俺の心の準備ができていない。

 正直そろそろ限界が来ている。というよりすでに半分ほど獣が頭を上げている。


「(もういい! ありがとうジャンヌ! 助かった! だから俺の右手を返してくれ!)」


【わかった。貴公の役に立てたのなら私は構わない】


 右手がだらんと弛緩し、俺の意志で支配できるようになったのを確認すると、俺はシャワーを止め、大慌てて湯船に入る。

 危ないところだった。

 あと少しで俺は、風呂場に男二人しかいないのにいきり立つ知性なき野獣になるところだった。

 想像以上にジャンヌの垢すりサービスは刺激的だった。金がとれるレベルだ。

 あの調子で全身くまなく洗われたら、身体がまず間違いなく使用していないはずのボディソープ塗れになってしまう。


「ふぅ……」


 湯船の温もりも合わさって、俺は安堵の息を吐く。

 先客の男とは横隣りになっているので、中途半端に緊張した引っ込み思案のカメさんは見えないはずだ。

 そしてしばらく心が落ち着くのを待つ。


「……」


 やがて心に平穏が戻り、桃色のカメさんもすっかりリラックスしたが、先客の男はまだ風呂からでる気配がない。

 これは案外長期戦になるかもしれない。

 俺は手元を片手で隠し、蚊の鳴くような小声でもう一度ジャンヌを呼ぶ。


「(ジャンヌ、隣りにいる男の人が風呂を出るまで身体を譲るよ。あの人が浴場から出たら教えて)」


【……了解した】


「(それじゃあ、初めてのお風呂楽しんでね)」


【貴公の心遣いに感謝する】


 ちょうどいタイミングなので、ここで俺はジャンヌに身体を譲ることにする。

 今度は右手だけではなく、五感も含めてすべてだ。

 先ほどちょっとしたプレイを楽しませてくれたお礼ということだ。


 でもいつか、ジャンヌと一緒に、二人でお風呂に入ってみたいな。


 そんな妄想に踊りながら、俺は静かに深く潜っていった。



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