No.10 ドラゴニック・マスコット



 湿っぽい風が潮の匂いを運んでいて、肌が少しだけべたつく。

 後ろを振り返ってみれば、眩い月光を反射する海面が一望できる。

 オリュンポス島。

 世界魔術師機構の本部がある小島に転移してきた俺は、頭上を飛んでいく蝙蝠に目を奪われていた。


「ここがオリュンポス島か……オレは来るの初めてだ。上手く言葉にできないけど、なんというか、凄いな」


 ヒバリがおっかなびっくりしながら、辺りに忙しなく視線を移している。

 俺もここに来るのはずいぶんと久し振りだ。

 見た感じだと、前に来たときよりだいぶ綺麗になっている。

 俺の知るオリュンポス島は大地も荒れ果てていて、世界魔術師機構本部がある大きな塔、たしか今の名前はウィザーズタワー、とかなんとかは崩壊していた。

 だがその白塔は修繕か、新しく造り直したのかは知らないが、とにかく立派に聳え立っている。


「行きましょう、ムト」

「あ、ああ」


 レウミカに急かされ、俺たちは塔に向かって歩き出す。

 周囲には熱帯っぽい植物が青々と生えていて、気温もやたらと暖かい。

 

「君はこの島に来たことがあるのよね? あの時以外も」

「うん。何度かね。まだレウミカが九賢人になる前に」

「そ、そう」


 隣りを歩くレウミカが、少しだけ固い口調で話しかけてくる。

 彼女の言うあの時とは、当然三年前のことだ。

 闇の三王の復活を企む者たちによって、この島、つまり世界魔術師機構の本部は一度襲撃されたことがあった。

 あの頃はまだ世界魔術師機構という名称ではなかったけれど。


「その、君はこの三年間、ずっと何をしていたの?」

「え? そ、そうだな。特に何もしてないけど……」

「そ、そう」


 断続的な会話が、若干の居心地の悪さを生み出す。

 ちなみに普段こういう時に役立つ蒼髪のメイドはというと、非常に落ち込んだ表情で静かにしている。

 何かショックな出来事があったのだろう。

 落胆の理由にだいたい予想はついたが、俺が慰めてもどうせ蹴り飛ばされるだけなのはわかっていた。


「レウミカはどうしてた? この三年間」

「ずっと魔法使いとして鍛錬を積んできたわ」

「そ、そうだよね」


 塔までの道がやたらと遠く感じる。

 なんだかんだでレウミカとこうやってちゃんと話すのは約三年振りだ。

 これまでどうやって会話をしていたのか、どんな関係性だったのかも忘れ始めていた。

 隣りを歩くレウミカの横顔を盗み見ても、その感情を窺い知ることはできない。


「ねえ、君は覚えているかしら。私と君が初めて会った時のこと」

「も、もちろん。覚えてるよ」


 ふいにレウミカの声の調子が変化をみせる。

 凛としていて、それでなおかつどこか暖かい声だ。

 後ろをついてくるヒバリはまだ興奮が冷めないらしく、地面に転がる何の変哲もない石ころを拾っては嬉しそうにしている。


「私も、よく覚えている。初めて君に会った時、こんなに胡散臭くて気味の悪い人間がこの世にいるものかと驚いたわ」

「は、はは……冗談、だよね?」

「……ふふっ」

「ちょ!? 否定して!?」


 口に手をあてながら、レウミカは上品に笑う。

 だいぶ失礼なことを言われた気がするが、その笑顔を見られるのなら安い物だと思った。

 それに実際のところ、あの頃の俺はたしかに胡散臭く、気味の悪い人間だったから。

 そして結局冗談かどうかを明確にすることなく、彼女は言葉を続ける。


「時々、考えてみるの。もしあの日、君に出会わなかったら。もしあの日、道端で倒れ喘いでいる君を村へと連れ帰らなかったら」

「……後悔してる?」

「いいえ。むしろ感謝してるわ」


 何に感謝しているのか。

 言語力の低い俺にはわからない。

 俺もセピア色の回想に思いを馳せてみる。

 もしあの日、レウミカに出会わなかったら。

 俺は今頃どこで何をしていただろう。

 とりあえずこうやって、彼女の隣りを歩くことはなかったはずだ。



「君は私のことを変えてくれたのよ。気づいてる?」



 透き通ったエメラルドグリーンの瞳が、俺に優しく問い掛ける。

 俺は色々な人に支えられて、今ここにいる。

 そのことは誰よりも知っていたが、俺自身も誰かの支えになれていたのだろうか。

 

「いえ、きっと気づいていないのよね。君はたぶんそういう人」

「えーと、褒めてくれてる?」

「まさか、貶してるの」

「ひ、酷い」

「ふふっ、冗談よ」


 俺が問い掛けに言葉を返す前に、レウミカは自分で答えを出してしまう。

 突き放しているようで、手を伸ばせばすぐに届きそうな距離感の会話。

 肩を揺らして笑うたびに、微かに跳ねる張りのある胸部。

 少しづつ、俺は思い出し始める。

 そうだ。

 この銀髪巨乳美少女はこういう人だった。

 無意識的に男心を弄ぶような、魔性の魅力を持っている。

 俺も含め、きっと何人もの無垢な男がこうして心を奪われているのだ。

 今すぐ汗だくで子作りしたい。


「ここが入り口か? ムト?」

「そうよ。ここから入るの」


 背中越しに聞こえたヒバリの声に、俺の桃色に沸騰していた頭が温度を下げる。

 俺の代わりに答えたレウミカは、やたらと満ち足りたような顔をして先を行く。

 気づけば巨塔の真下まで辿り着いていたらしい。

 

「なーにをデレデレしてるんですか。この色ボケご主人」

「痛いっ!? いきなり何するんだよマイマイ!?」

「ふんだっ!」


 塔の入り口で立ち止まっていると、マイマイが俺のわき腹にチョップを入れ追い越していく。

 そのまま行ってしまったマイマイが、何にあれほどご立腹していたのかはわからない。


「英雄も、色々大変なんだな」

「……なんだよその顔、ヒバリ」


 そんな俺に生温かい眼差しを送るヘタレ童貞小僧に少し腹が立ったので、とりあえずわき腹をつねっておいた。

 年上をからかうとどうなるかという、人生の厳しさを教えるのも俺の役目だと思ったのだ。


「きゃっ!? やめろよ変態!」

「ふはは。これが大人の力だ」

「……どこが大人なんだよ。むしろ子供だろ」


 男同士のちょっとしたスキンシップで変態呼ばわりとは、大袈裟な子だ。

 しかしヒバリのわき腹の触り心地は思ったより柔らかく、若干興奮しないこともなかった。

 またそのうち触ろうと思った。




――――――




 長い階段を登っていると途中でレウミカが、待合室のような場所があるので用のない者はそこで待っていてはどうかと提案してきた。

 普通の公認魔術師オフィシャル・ウィザードが横を通り過ぎるたびに恐縮していたヒバリはそれに頷き、俺は一応マイマイも彼につかせることにした。

 そして俺とレウミカはそのまま塔の最上階まで辿り着き、静謐な雰囲気漂う廊下を歩いている。


「他の九賢人はいないの?」

「いえ、たぶん下の階にある書斎に行けば、メイリスさんには会えると思う。あの人は緊急の事態がない限りはいつもあそこに引きこもっているから。あとの人達はそうね……どこにいるのかわからないわ」


 メイリスといえばあのユラウリの実の姉、業火の二番目メイリス・カエサルのことだ。

 書斎に引きこもっているとは言っても、遊び呆けているわけではないだろう。

 見るからにワーカーホリックな顔をしている彼女のことだ、延々と事務仕事をこなしているのが容易に想像つく。

 べつに積極的に会いたい人物でもない。

 たしかに容姿は端麗なのだが、色々とあの人とは良い思い出がなかった。


「ここが会長室よ」


 やがて一つの扉の前につくと、レウミカが数回ノックする。

 返事はなかったが、彼女は特に躊躇う素振りもなく扉を開いた。



「失礼します。九賢人が一人、レウミカ・リンカーン。報告に戻りました」

「……レウミカか」



 圧し掛かるような、重苦しい声が部屋に響く。

 次の瞬間、真紅の瞳が俺を貫き、俺は思わず喉を鳴らす。

 ガロゴラール・ハンニバル。

 現世界魔術師機構会長の鋭すぎる眼光に、根が軟弱な俺は胃に穴をあけてしまいそうだった。


「隣りは、ムト・ジャンヌダルクか。こうして顔を見合わせるのは久方ぶりだな」

「ど、どうもお久しぶりです。ガロゴラールさん」


 手入れのなされた気配のないボサボサの黒髪。

 顔中に刻まれた深い皺は、屈強な身体に合わせて凄まじい迫力を生んでいる。

 俺の苦手な種類の男なのは間違いない。

 しかし悪い人ではないと知っているので、俺はなんとかぎこちない笑顔を返す。


「レウミカ、彼をここに連れてきたということは、帝国ゼクターを襲撃したのが別人だという確証を掴んできたという認識で構わないか?」

「いえ、確固たる証拠はありません。しかし本人の言い分と、彼に付き添う従者から暴帝オシリウレスを拉致した人物が別人だと判断しました」

「そうか。確固たる証拠はない、か」


 淡々とした低い声のトーンが、俺の身を震わせる。

 おもむろに向けられた紅い視線に、嫌な予感がした。



「……《魔力纏繞/空間集中ゾーンプレス》」



 ――突如何十倍にも膨れ上がった重力が、俺を床に叩きつけようとする。

 反射的に意識が切り替わり、黄金色の魔力が俺を包み込んだのがわかった。


「ムト・ジャンヌダルクに危害を加えることは、私が許さない。《無と綻べコンコルディア》」


 本来実体を持たないはずの魔力にヒビが入る。

 俺の身体を押し潰そうとしていた超重量の圧迫感は、たった一瞬のうちに粉砕されてしまう。

 刹那の攻防の後に残ったのは、息苦しい静寂だけ。



「……どうやら本物のようだ。もし君が力なき偽物だったのなら、今ので殺せていた。そしてもし君が力と悪意ある偽物ならば、今ので私は殺されていた。私の魔法をたやすく無効化し、なおかつ私のことを敵意を向けるべき対象とすら思わない者を、私は本物のムト・ジャンヌダルク以外に知らない」



 先ほどとまったく変わらない調子で、ガロゴラールはやがて静寂を破る。

 相変わらずぶっ飛んだ人だ。

 最近手荒い挨拶をされることがずいぶんと多い気がする。


「今のはどういうおつもりですか。ガロゴラール会長」

「言葉の通りだ。彼が本物かどうかを確認させてもらった。くだんの偽物は彼本人と非常に酷似した顔をしていると聞いている」

「私の言葉だけでは信じるに値しないと?」

「そうだ。君は彼に対してやや盲目的な信頼を持っている。判断を誤っても不思議ではない」

「なっ!?」


 自分の進言が軽んじられたことに怒りをみせたレウミカだが、ガロゴラールの華麗な切り返しに黙らされてしまう。

 言い返せないせいか顔はどうしようもなく赤面していて、思わずドントマインドと声をかけたくなるくらいだ。


「すまない、ムト。非礼は詫びよう。私も立場上、たやすく他人を信じるわけにはいかなくてな」

「い、いえ。べつに構いませんよ。そちらの事情もわかりますから」


 彼が簡単に相手の言葉を信じることできない理由も、俺はすでに知っていた。

 実はこの組織の前会長が元々九賢人の一人だったガロゴラールも含め、組織全員に対し裏切り行為を働いたという出来事が今から三年前にあったのだ。

 そんな背景もあって、容易く他者を信用することができなくなっているのだろう。

 無論、彼本人の性格も大いに理由になってはいると思うが。


「それで君は何用でここへ? 君のことだ。自分の無実を口で語りに来ただけではないのだろう?」

「あ、はい。実はピルロレベッカに会いたくて」

「ピルロレベッカ……黒の王ドラコか」


 ガロゴラールはしばしの間口を噤む。

 まさか断られることはないと思っていたが、楽観視し過ぎていた可能性がある。

 相手は闇の三王。

 そんな高校の頃の同級生感覚では会えないのかもしれない。


「……いいだろう。彼女の下へ私が案内しよう」

「え? いいんですか?」

「当然だ。彼女を倒し、彼女を封印したのも全て君だ。彼女の所有権は君にある」


 重々しい動きで、ガロゴラールは椅子から腰を上げる。

 彼女の所有権が俺にあるなどと言われて、少しエロチックな気分になった。


「レウミカ、そういえばクロウリーはどうした? 今回の件は二人で担当するはずではなかったのか?」

「彼女は何でも気になることがあると言って、帝国に残ると」

「そうか。思ったより事態は面倒そうだ。援軍が必要かもしれないな。誰か要るか?」

「可能ならば七番目ランタンを」

「わかった。伝えておこう」


 そして事務的なやり取りを交わすと、レウミカは部屋から出ていこうとする。

 だが扉に手をかけたところで彼女は顔をこちらへ向け、その際に俺と目が合う。

 

「それじゃあ、またね、ムト」


 小さく手を振り、向日葵のようにはにかんだと思ったら、レウミカの姿は扉の外に消えた。

 ここから先しばらくは暑苦しい男と二人きりか。

 俺はだいぶテンションが下がった。


「私たちも行くとしよう」

「あ、はい」


 


 ガロゴラールは俺を連れ、最上階から一階を越え、地下まで降りていく。

 この塔に地下階があることに俺はまったく気づかなかった。

 意外にも空気が澱んでいるということはなく、きちんと照明も用意されていて気が重くなることもない。


「この階は全て彼女のために創ったものだ」

「全部? け、けっこう贅沢してるんですね」

「そうだな。常に監視係も最低二人はついている」

「え? そんな厳重にしているんですか?」

「……ああ」


 極端に表情の変化が少ないガロゴラールが、今なにを考えているのかは察することはできない。

 ピルロレベッカには封印魔法をかけてあるため人間にはまったく手出しできなくなっているはずなのに、なぜこれほどの厳重体勢になっているのか。


「ここだ」


 しかし小さな木製の扉にガロゴラールが手をかけ、その内側を俺に見せてくれた瞬間、全ての謎は解けた。



「きゃー! レベッカちゃん! こっちはどう!? この猫耳絶対似合うと思うんだけど!?」

「もー! 超可愛いレベッカちゃん! ね! ね! 今度はこっち着てみて!」

「やめろぉ! やめるのじゃ! もういい加減にするのじゃニンゲン! 妾にこれ以上かまうなぁ!」



 そこに広がっていたのは、きゃぴきゃぴした女性公認魔術師たちが、漆黒の翼を生やした可憐な幼女を囲い愛でる光景。

 本来は黒鱗の巨竜であるピルロレベッカ・ナーガイン・シヴァが、超ハイテンションな女たちに玩具にされる図。


 かつて世界を支配し、恐怖の象徴として君臨した闇の三王の一柱が、そこでは完全にマスコット扱いされていたのだった。




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