終話 再燃



 夜風に前髪を揺らされながら、ルナは周囲の状況を冷静に見極める。

 ほんの一瞬の襲撃だけで、ドワーフ兵たちの先行部隊の数は半分程に減らされてしまった。

 元々精鋭だけを集めた少人数だったとしても、かなりの深手だといえるだろう。

 兵を纏める立場にあり、なおかつドワーフ兵の中でも最も腕の立つソリュブルでさえ一蹴され、すでに利き手を失っている状態だ。

 敵はたった一人かつ、当初からの標的である枢機卿カーディナル

 その実力は未知数だが、ホグワイツ大陸の中でも軍部に力を入れている帝国ゼクターやファイレダルに匹敵する国力を持つとされるエルフの幹部級の人間だ。容易く屠れる相手だとは思えなかった。


(サード、と言いましたか。枢機卿は幻帝ヨハンより特別な呼称を与えられると言っていましたが、序列関係がわかりませんね。単純に枢機卿の中でも上から三番目の実力者というのなら面倒そうです)


 特殊な呼称といえば“九賢人”が名高いが、九賢人の呼び名自体は実力や権力順ではなく、世界魔術師機構に所属した順序を表している。

 実際九賢人の中でも魔術師の実力として最強とされる人物は、現在一ではなく五の数字を冠しているというのは有名な話だ。

 そういった事情もあり、ルナは相手の正確な力を計り切れないでいる。

 

(ある程度は戦ってみないとわからないですかね。枢機卿の中でも上位陣は五帝級と聞いていますが、この人がそうではないことを祈りましょう)


 今から三年前、強欲な拐奪者として活動している間に世界各地の実力者の名はある程度聞いていたが、エルフの枢機卿に関しては謎が多い。

 ルナが組織から勝手な敵対を禁止されていた人物で、記憶に残っているのは五帝と九賢人は当然として、神聖国ポーリの宮廷騎士レイチェル・ドビュッシー、ファイレダルの軍部大将オズワルド・バーナード、白の死神オルレアン、そして枢機卿だった。

 彼女は懐かしい思い出に、ふと自分以外の組織の生き残りは今どうしているのか気になったが、その事を考える暇はなさそうだった。



「イクわよぉ! メスブタちゃん! ミンチにしてあげるわぁ!」

「……《アイアンガトリング》」



 地属性中級魔法を発動させ、鉄の小弾を大量に打ち込む。

 しかしサードはその銃弾の雨を避けようともせず、高らかに哄笑を上げるだけ。


「ああん! マッサージにもならないわぁ! 《鋼神の鉄壁ディオニュソス・メタリカ》!」


 銀色の鋼が服の内側から這うように蠢き、サードの全身を覆っていく。

 その眼球以外全ての肌を隠した鋼を、魔法の銃撃は一切通り抜けることができない。


「血の魔法ですか。厄介ですね。《アイアンパニッシュ》」

「うふん。これが生まれながらの才能の差なのよ。メスブタちゃん」


 今度は鉄の剣を創り出し四方から刃を向けるが、それはサードの鎌の形をした腕にいとも簡単に斬り裂かれてしまう。

 

「なるほど」

「なあに、これぇ? もしかしてメスブタちゃんは紙屑を創り出す魔法が使えるのかしらぁん?」


 邪悪に嗤うサードは一気に距離を詰め、大鎌を奮う。

 その速度は十分に超人的で、ルナは全てを回避することは不可能と判断し、手に持った細身の剣で対応することにする。

 火花を走らせぶつかる刃と刃。

 その様子にサードは少しだけ驚愕し、片眉を上げる。


「へぇ? 家畜にしてはずいぶんと立派な剣持ってるじゃない。このアタシの攻撃に耐えられるなんて」

「ありがとうございます。貴女もその格好でよくそこまで動けますね。感心します」

「……本当にムカつくアマだなてめぇ」


 ルナは正直な気持ちで賞賛したつもりだったが、それがサードは気に食わなかったのか攻撃の猛威は増すばかりだ。

 彼女が使用している武器は“無形のメタモルフォーゼ”という、ひょんなことから手に入れた至上の七振りの一つだった。


(それにしても思ったより硬いですねこの人。メタモルフォーゼでやっと互角ですか)


 地属性魔法の攻撃はまるで効果をなさず、否応なくメタモルフォーゼを使った剣戟を強いられているが、ルナはあまり接近戦が得意な方ではなかった。

 事実、サードの一気呵成といわんばかりの猛攻に押され気味で、掠り傷は時間が経てば経つほど増えていく。


「アハッ! アハハッ! どうしたの!? 最初の威勢の良さはどっこいっちゃったのよぉ! 防戦一方じゃない!」

「いえ、ご心配なく。ちゃんと今貴女を殺す方法を考えているので、しばしお待ちください」

「いいわねぇっ! そうこなくっちゃ! 最後までブタらしくそうやってブヒブヒ言ってちょうだぁい!?」


 ルナは思考する。

 サードの全身は異常なまでに強固な鋼鉄で覆われていて、文字通り鉄壁だ。

 彼女の得意とする魔法は地属性という物理攻撃が主体のもの。相性は最悪といっていい。

 体術的な観点でいえば、僅かに自らが劣っている。

 持久戦に持ち込まれれば必死。

 追い詰められているといっても過言ではなかった。

 

(でもここで躓くわけにはいかない。私はまだ死ねない。私には行きたい場所がある。私のことを見て欲しい人がいる)


 しかしルナは微塵も諦めていない。

 彼女には野望があった。

 狂気的と言っていいほどの執念を持って、手に入れたい席があった。

 今から三年前に奪われた場所を、彼女は取り戻したかったのだ。


(英雄ムト・ジャンヌダルク……あの人の隣りにいるためには、矮小な犯罪組織のメンバーなんかでは不足している。英雄の隣りに居ていいのは、英雄の隣りにいる価値がある人間だけ)


 ドワーフという国でルナが地道に名声と信頼を得ようとしていたのは、全てムトのためだった。

 ボーバート大陸で名を馳せる慈愛の魔女。

 その座をたしかな物にすれば、再び英雄の隣りに立つ権利を得られる。

 本来は彼女にとってドワーフもホビットもエルフも、全てはどうでもいいものだ。

 ドワーフ人が何人息絶えようが関係なかったし、ホビット人がいくら家畜同然に虐げられても興味はない。

 ただ、弱い方についただけ。

 弱者にとっての希望になることで、手早く名声と信頼を手に入れようとしたに過ぎなかった。


(今回の戦いも、ムトさんが来れば一瞬で決着はついたはず。あの人がその気になれば、エルフという国だって瞬きの内に滅ぼせる。……なのに、ムトさんは来なかった。その選択にはきっと意味がある)


 ルナは思わず笑みを浮かべてしまう。

 常人とは逸脱した価値観を持つ彼女の心を奪った青年は、いつだって彼女の予想を裏切ってきた。

 世界からは英雄と呼ばれる青年。

 だが彼女はその英雄の深淵には、全く別種の念が渦巻いていると信じている。

 英雄、そんな言葉より相応しい言葉がある。


 ――狂人。


 ルナはムト・ジャンヌダルクをこの世界で最も狂気を秘める人だと思い、そしてそんな彼のことを狂おしいほど愛していたのだ。


「なぁに笑っているのアンタ? 気持ち悪いわねぇ?」

「すいません。貴方に気味悪がられるなんて余程ですね。以後気をつけます」


 小刻みにステップを踏み、体勢を整えるが、勝手に上がってしまう口角は中々戻せない。

 それでも息を一つ大きく吸い込むと、ルナは脈打つ鼓動に正解を見つけた。


「《物質創造マター・クリエイト》」

「ふんっ! そんなお粗末なもので何ができるってわけぇっ!?」


 地属性下級魔法で創り出したのは、小ぶりなナイフを一つ。

 サードの一撃をまたメタモルフォーゼで受け止めると、ルナは反対の手でそのナイフを持ち、思い切り刃を引き抜く。

 しかしその切っ先は余裕の笑みを浮かべるサードではなく、白の絹肌を露出させている自らの手首に。


「――あ゛ぁっ!? アンタ気でも狂ったの!?」

「いいえ。いつも通り私は至って正気です」


 勢いよく吹き出す血飛沫はサードの顔面に直撃し動きが止まる。

 その隙を見逃さなかったルナは大きく跳躍し、距離を取る。

 彼女は接近戦が苦手だったのだ。


「このクソアマっ! こんな小細工でアタシに勝てるとでも思ってるわけぇっ!?」

「《メタモルフォーゼ》。《アイアンパニッシュ》」


 流血が自らの身体を濡らす感覚に、ルナは段々と興奮を覚えてくる。

 この痛みが、この鉄の匂いが、自らを彼女が知る最も狂気を持った男に近づけてくれる気がしたからだ。

 

(ああぁ……感じる。これが奉仕の悦び……私の血が流れる度に、私はあの人に近づいていく。どんどん私はあの人に狂っていく)


 ルナは宙に創り出した六本の鉄の剣を、真っ直ぐにサードへ向かって撃ち込む。

 一切の迷いなく、いまだ微笑みを抑えきれないままに。


「だぁかぁらぁっ! それは効かないって言ってるでしょう!? 学習しないメスブタだなぁオイっ!?」


 対するサードはこれまでと同じように、回避しようともせずその剣を迎え撃つ。

 鎌の形をした腕を振るい、襲い掛かる剣を一つ、二つ、三つと切り裂いていく。

 だが四つ、五つと撃ち落としたところで、彼はある違和感を覚える。

 大いなる自信、それが気づかぬ間に肥大化した驕りに変化していることに、そこで初めて彼は気づいたのだ。



「《メタモルフォーゼ》」



 魔女が嗤う。

 その狂気的な笑みを、サードは青い瞳で目の当たりにする。

 唯一鋼に覆われていない剥き出しの眼に、月明かりに照らされ形を変える刃が映し出される。


「しまっ――」


 ――眼球から後頭部を貫く一本の槍。

 その槍はつい寸前まで、鉄剣の形をしていたものだ。

 しかしその剣は、サードの目前で細長い槍へと変形し、正確に彼の頭蓋を突き貫いたのだった。


 無形のメタモルフォーゼ。


 それは決まった形を持たず、所有者の意志次第でどんな形にも、どんな姿にもなり得る伝説の武器。

 地属性魔法に混じって牙を研いでいたメタモルフォーゼは、その獰猛な正体を必死の一撃として露わにしたのだ。



「……幸運でしたね。どうやら枢機卿の中でも当たりだったようです。《メタモルフォーゼ》」



 断末魔も上げることなく絶命したサードの下まで歩み寄ったルナは、メタモルフォーゼを指輪の形にして回収する。

 思い出したように辺りを見渡すと、唖然とした表情で固まっている生き残りのドワーフ兵たちの姿が見えた。


「倒した、のか?」

「はい。これで任務完了ですね」


 片腕を失い、あぶら汗を額に浮かべるソリュブルは、自分の足下で息絶えているサードをじっと見つめている。

 一方ルナは、ふと背後にどこか覚えのある気配を感じ、そちらの方へ意識を向けていた。



「ウェイウェイウェイ。やっべぇこれ。どう考えても間に合ってねぇ。ガロゴラールにぶち転がされそう」

「ひぃっ!? うっわなにこれ!? 悲惨な死体だらけじゃんここ!? おぇ。あ、やばい。吐きそう」



 空間が一瞬歪んだかと思えば、ルナの視線の先にはムトと彼女の知らない男の顔があった。

 まるで機を見計らったようなタイミングに、彼女は胸をときめかせる。


(私がサードを倒した瞬間にムトさんがやってきた……やっぱりそうだ。あの人は、私を試していたんだ。私一人で枢機卿を殺せるかどうか。いや、厳密にいえば違う。自分の存在価値を証明できるようにムトさんに頼んだのは私の方。この人は、私の願いを叶えてくれただけ)


 血の流し過ぎで少し眩暈がする中、ルナはふらつく足取りでムトの方へ近寄っていく。


「ムトさん、どうもお疲れ様です」

「あ、ルナも来てたん……ってちょっ!? その手首の傷どうしたの!? まさかエルフに!?」

「いえ、これは自分でやりました」

「なんだ、自分でか。なら安心……って全然安心できない! 《治れ》!」

「……ありがとうございます」


 仄かな暖かみを持つ光がルナの手首を包み込んだかと思えば、傷は跡形もなくなくなっていた。

 そっとその傷があった箇所を指で触れてみる。


(熱い)


 感じたのはたしかな熱で、その熱はゆっくりと全身に伝播していく。

 唸るような熱は媚惑的に心地良く、そして彼女をどこまでも酔わせていくのだった。



  

――――――




 俺がジャックと共にソリュブルの下へ転移すると、意外にもすでに暗殺作戦は終了していた。

 なぜ敵の指揮官がこんな野営地の外にいるのかはよくわからなかったが、結果よければ全てよしということなのだろう。

 しかし最も予想外だったのはルナがこの場にいることで、しかもソリュブルから話を聞く限り、ほとんど彼女一人の力で敵の指揮官は倒したらしい。

 どうも今回俺の出番はなさそうだ。

 むしろお前何しに来たのって思われていることは間違いない。



「どうも初めました、おれはジャック・オル・ランタンと言います。お嬢さん、この福音の七番目とも呼ばれるおれとどうかお付き合いして頂けませんか?」 

「お付き合い。それは男女の関係ということでしょうか」

「イエス! その通りだぜ!」

「お断りします」

「うわぁっ決断がメチャクチャ早いっ!?」



 俺が説明しなくても、ジャックは持ち前のコミュ力を生かして自己紹介を行ってくれているようだ。

 それにしてもあれだけ積極的で、しかも九賢人とかいう地位もフルに活用してあのざまとは、本当に情けない。

 試しに消極的な俺と足して二で割るとちょうどいいモテ男が誕生するかもしれない。

 いや、ないな。童貞と童貞をいくら足し合わせても童貞にしかならないか。


「それでソリュブルさん、これからどうするんですか? なんかやることがまだあれば手伝いますけど」

「そうだな。とりあえずはこの枢機卿の死体をどこかに隠そうと思う。エルフの奴らに死体を見せびらかすよりは、行方不明にした方が混乱、そして退却を望めるだろう」

「了解です。それくらいなら俺にもできそうです。あと俺、転移魔法も使えるんで、帰る時は言ってください」

「わかった。恩に着る。ムト・ジャンヌダルク」


 俺が最初ここに転移してきた時、ソリュブルは明らかに警戒した様子だったが、彼の消失していた右腕を治癒させるとその警戒心もだいぶ薄まった。

 後からノコノコやってきてなんだこいつはと思われているはずなので、俺はせっせと雑用をこなしていく作戦に出ている。


「《灰と化せ》」


 敵軍の指揮官と、今回の襲撃作戦で犠牲となってしまったドワーフ兵たちをまとめて灰に変える。

 灰は夜の風に吹き上げられ、月だけを灯りとする暗い空へと消えていった。

 その灰の軌跡を追うように、俺も空を見上げてみる。

 俺は何もしていないが、とりあえずドワーフとエルフの衝突はこれで避けられた。

 そういえばラーはどこにいるのだろう――、



「え?」



 ――その時、俺の瞳に眩い光が差し込み、思わず間抜けな声を漏らしてしまう。

 遥か空を見仰ぐ俺を照らす、橙色の輝き。

 見慣れた月光とは違う、しかし見覚えのある光に、俺は言葉を失ってしまう。 


「おい、なんだアレは?」

「は? マジかよ。いやちょウェイ。こいつは聞いてねぇぞ?」

「三年振りですね。あの炎を見るのは」


 夜雲を突き抜ける、天を穿つ、極大の焔。

 真っ赤な炎は柱の形をしていて、禍々しい光を闇に灯している。


 ――ディアボロの篝火。


 平穏に安眠する世界を、その火焔は焚きつけるように照らす。

 今から三年前、闇の三王を復活させ、カガリビトと呼ばれる異形の怪物を世界中に顕現させた、悪夢の焔がすぐそこで再燃している。



「……オルレアン、君なのか?」



 そして俺は今から三年前に、その混沌の象徴として輝いた炎の中で、一人泣いていた天使を思い出しながらも、ただ立ち尽くすことしかできなかった。





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