No.21 ジャック・オル・ランタン



 おれは英雄に憧れていた。

 英雄そのものにはなれなくとも、英雄に限りなく近い存在になりたかった。

 英雄を目指した理由はたった一つ。

 モテるためだ。


「よっしゃあ……今日のおれは絶好調だぜぇ……どんな非童貞にも負ける気がシネェ……っ!」


 目の前で、おれと同じように魔力纏繞まりょくてんじょうを発動させ、戦闘体勢に入ったムトを睨みつける。

 さすが英雄と言われるだけはある。馬鹿みたいな魔力量だ。

 だが練度でいえばそこまで大したことはない。

 どう見たって脳筋タイプ。

 まあ所詮非童貞のヤリチン野郎だからな。

 英雄だかなんだか知らないが、一週間オナ禁中のおれの相手じゃない。


「おい! 聞けよジャック! 俺は今こんなところでお前とくだらない理由で争ってる場合じゃないんだ! 今、エルフの大軍がアルセイントに押しかけてきてる! 俺はそれを止めなくちゃいけない!」

「ああん? くだらない理由だと?」


 エルフの枢機卿率いる軍がアルセイントに接近しつつある。

 そんなこと当然知っている。

 おれは一応、世界平和を謳う非国家組織、世界魔術師機構の幹部の一人だ。

 元々このボーバート大陸に強制里帰りをさせられたのも、そのエルフの件を解決するためだった。

 

 だが、気に入らねぇ。


 まず、このただでさえあっちこっちでチヤホヤされてるこいつがまた出しゃばってモテようとしてるのが気に入らない。

 さらにまるでおれがこいつを邪魔しているみたいに言うのも気に入らない。

 そして何より、おれに嘘を吐いたことを、一切悪いと思ってないことがメチャクチャ気に入らなかった。


「……へっ、そうかよ。名前と貞操だけじゃない。最初から、全部、嘘だったんだな。最高のマブダチだと思ってたのは、本当におれの方だけだったってわけか」

「たしかに違う名前を名乗ったことは謝るよ。本当にごめん。だけどさっきから何度も言ってるように、俺は童貞だし、ジャックとも友達だと思ってる。信じてくれ。頼む」

「なあ、それ以上、もう喋んないでくんねぇか? 耳が精子臭くなるからよ」

「ジャック、お前……っ!」


 ここに来てこいつは、まだなお嘘を貫き通そうとする。

 英雄なのに、童貞。

 そんな言葉は、風俗行ったけどお喋りしてただけです、と言っているようなものだ。

 おれはこの三年間、英雄ムト・ジャンヌダルクについての噂は死ぬほど聞いてきた。

 もちろん、おれが英雄に元々は憧れていたこともあって、積極的に話を聞いて回ったってこともある。

 そもそも九賢人になったのだって、モテるためというのが一番だったが、もう一つは英雄に直接会った人たちから話を聞くためだ。


「ドワーフとエルフの衝突が心配だっていうなら、その心配は要らねぇ。おれは“福音の七番目”ジャック・オル・ランタンだ。お前に二度と童貞の振りができないよう反省させた後は、おれがドワーフとエルフの衝突を止める。お前みたいな腰振り中毒野郎の出番はねぇよ」

「え? マジで? お前って九賢人だったの?」

「おい。なにがおかしい」

「九賢人ってあれだろ? 世界中で超有名な最高峰の魔法使いだろ? それなのに、お前まだ童貞なの?」

「ああああああァァァァァッッッ!!!!! お前は絶対百パーセント必ず全力で完膚無きまでにブチ転がす!!!!!」


 ついに我慢の限界が来た。

 こいつは言ってはならない台詞をやはり口にしてしまった。


“九賢人なのに、まだ童貞なの?”


 おれは凄まじい努力の結果、九賢人という名誉ある地位を手に入れた。

 女はイケメンと権力者に弱い。その言葉を信じてだ。

 それなのに、それにも関わらず、おれはまだ童貞だった。

 そして英雄はそれを嘲笑う。

 赤子どうていの振りをした悪魔ひどうていは、自分のこれまでの嘘設定を忘れたかのように、おれのことを馬鹿にしやがった。

 

 許さない。

 これは許されることではない。


 こいつの男根を切り取り、ゲイバーに高値で売り飛ばすまでは許すことができない。


「その生臭い口を黙らせてやる! 《ウイングルストルム》!」

「ま、待て待て、そう怒るなって! 《壁を》」


 風属性上級魔法を詠唱し、爆発的な嵐を引き起こすが、ムトの糞野郎には傷一つつかない。

 何か目に見えない壁のようなものが障害となり、あいつの身を守っているらしい。

 非童貞らしいムカつく魔法だぜ。いったいナニ属性の魔法だよ。


「なあジャック! どうすれば俺が童貞だって信じてくれるんだ!」

「うるせぇ! うるせぇうるせぇうるせぇ! お前は全童貞の敵だ! おれが全童貞の代表として、お前はぶっ飛ばす!」


 もうこれ以上あいつの声を聞いていたら、劣等感で死んでしまいそうだ。

 なんでおれはまだ童貞なんだ。

 おれが努力した。誰よりも努力したのに。

 筋トレだって週に一回はしてるし、受け身男はモテないという情報から、とにかくタイプの女の子にはひたすら押しまくるようにしている。

 顔はこれ以上どうしようもないのでスルーとして、金と名声は九賢人になることで手に入れている。

 なのに、おれはまだ童貞だ。

 なぜだ。

 いったいおれの何が悪い。

 おれとムトと、何が違う。



『好きです! おれと付き合ってください! お願いします!』

『キーモッ。なにこのチャラ男キモ過ぎ。付き合いたいとかマジウケる。とりあえずゲロキモいから胎児からやり直すのオススメなんですけど。だいたいエデンは英雄以外お断りだし』



 九賢人になった時、おれは同じ九賢人の一人に一目惚れをした。

 女性は押しに弱いという世の教え通り、おれは迷わず告白をした。

 しかし結果は惨敗。

 もうそれはどうしよもないレベルでコテンパンにフラれた。

 これほど女子受けに特化したおれがここまで全力でフラれるなんて、その理由は一つしかない。

 それは告白した相手が“英雄ムト”の女だったからだ。

 しかも聞けば、彼女以外にもあいつは大量の女を囲っているらしい。

 メイドなる性奴隷を持っているというのも裏では有名な話だった。羨まし過ぎて身体が震える。


「クッソ! こんなことなら何も知らなければよかった! 憧れなければよかった! もう聞こえない! もうおれは何も知りたくねぇ! 《風光音プルマ》!」


 そうだ。いつだってそうだった。

 おれには風がある。光がある。

 自然だけが友達だった。

 こいつらだけがおれを受け入れてくれた。

 風はおれのためだけに音を運び、いつだってガチ興奮する音を届けてくれた。

 光はおれの望み通り文字を運び、いつだって絶賛羞恥プレイ中の奴らをおれから送るコメントによってもっと辱めた。

 

「そこに壁があろうと、おれの声が届いてるんなら関係ねぇ」


 風と光を一つに統合させ、生まれるのは派生属性や合成属性と呼ばれる代物の一つ。

 音属性。

 世界広しといえども、おれ並みにこの魔法を使いこなせる奴はいないはずだ。

 このおれを、賢人の座まで上り詰めらせたこの力で、英雄に一発かましてやるぜ。


「《なあ、聞こえてるかよ。ムト・ジャンヌダルク?》」

「なんだよ、ジャック。そんなの聞こえてるに決まって――」


 ――瞬間、眩い光が炸裂する。

 見えない壁の内側、そしてその中にいるムトの鼓膜の内側で、おれの届けた音が風と光に再変換されたのだ。

 身体の内部で弾けた風と光の衝撃波。さすがの英雄でもちっとは応えるだろう。



「……痛ってぇ。なんだ今の?」

「は? 嘘でしょマジで?」



 しかしおれの予想とは裏腹に、ムトのチンカス野郎は眩暈がするような仕草をするだけで、そこまでダメージを食らった様子がない。

 さすがはあの五帝の中で、女は全員パコったと噂されるほどの絶倫野郎だ。とんでもないタフさってことかよ。


「とっさに回復魔法自分にかけちゃったけど、今の本当になに?」

「……ははっ、笑えてくるぜ。これが童貞と非童貞の差ってわけか」


 おれは嫌々だが、覚悟を決めることにする。

 世界魔術師機構には今から三年前、英雄ムト・ジャンヌダルクから親愛の証として渡された物があった。

 それは“英雄の宝玉ジャンヌクォーツ”と呼ばれる、世界に九つしかない魔力増幅装置だ。

 ポケットにしまい込んでいた翠色の宝石が飾られた指輪を取り出し、おれは手に嵌める。

 本当は使いたくなかったが、仕方がない。

 ここでおれが負けることは、全世界の童貞の敗北を意味する。

 勝つ為の手段を選んでいる場合じゃないってわけよ。


「……《英雄の宝玉》。さあ、一緒に誇りを失ったあの下げチン野郎を一発ぶっ飛ばそうぜ」


 おれの身を纏う魔力に、翡翠の色が宿る。

 悔しいが、凄まじい力だ。

 元々はあいつの力だってことに腹が立つが、少しでも勝率を上げるためだと自分を納得させる。



「おれの疲れた右手に懺悔しな。《音の酩酊エブリエタス》」



 風が砂埃を巻き上げる音。

 月光の下で吐き出される吐息の音。

 この世界に存在するありとあらゆる音をかき集め、一つの力として顕現させる。

 綺麗な緑色の光が、暴風のように渦巻き、一人の罪深き非童貞に襲い掛かった――、




「……わかったよ、ジャック。本当は嫌だったけど、こうするしかないんだな。俺たちがわかり合うためには、もうこれしか方法がない」




 ――だが、なんとなく、どっかで薄々わかっていた通りの結果しか、おれの前には現れちゃくれない。

 緑光が収まり消えたその場所に、凛とした表情で立つ一人の青年。

 きっと、あれこそが、英雄って奴なんだ。

 

「……くそ。やっぱ駄目なのかよ。童貞は、非童貞には、勝てねぇのか……」


 癖のない黒髪を風に靡かせるムトは、少しだけ哀しそうな顔でおれのことを見やっている。

 出せるカードは全て切った。それでもあいつは無傷のままだ。

 完全なる敗北。

 女一人悦ばせられないおれに、英雄を跪かせることなど、チャンチャラ無理な話だったというわけだ。

 

「ジャック」

「や、やめろ、こっちに来るな……!」


 憐れむような瞳のまま、ムトはゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 怖い。

 まるで狼に睨まれた羊の気分だ。どうしようもなく怖い。


「こうするしか、もう、ないんだな」

「な、なんだよ! こっちに来るなって言ってんだろ!」


 魔力の使い過ぎで、地面に片膝をつくおれの方へ、ムトはどんどんと距離をつめてくる。

 どこか無感情なその明るい茶色と黄金のオッドアイが、俺はとにかく怖い。

 いったいナニをするつもりなんだ。



「これを見るんだ、ジャック」

「ひ、ひぃっ!? お、お前ナニを考えてやがるっ!?」



 おれの目の前まで来て立ち止まったムトは、おもむろにズボンとパンツを脱いだ。

 見間違えでも、言い間違えでもない。

 奴はおれの眼前に、萎んで元気のなさそうな小さな英雄をコンニチワさせたのだ。

  

「よく見ろ、ジャック」

「ば! 馬鹿! ば! ば! 頭どうかしてんじゃねぇのかお前!? つか真顔マジ怖ぇよ! その粗末なモン早くしまえって!」

「いいから、見るんだ、ジャック」


 圧倒的勝者の風格で、ムトはおれにソレを見ろと促す。

 生唾を飲み込み、敗者に選択肢はないとばかりに、おれは吐き気を抑えながらも、視線を前方へ向けた。



「なん……だと? なんで、お前が、非童貞のはずのお前が、それをまだ持っていやがる?」



 しかし、おれの瞳に映ったのは、そこに決して合ってはいけないはずのものだった。

 ムトの人差し指と親指でさきっちょが摘ままれ、フニャンと裏側を見せつける形になっている伝家の宝刀。

 黄金の月光に照らし出されるソレには、くっきりとアレが残っていた。


 ――童貞線ウラスジ


 ポコチンの裏側で包皮とキトさんの間を繋ぐ一本の筋のことだ。

 非童貞、特に腰振りまくりのヤリチン野郎には決してないとされる、童貞特有の身体的特徴。

 なぜ、それがセフレ二桁、英雄の肩書でヤリたい放題しているはずのムトにある?

 おれは全く理解の及ばない状況に、呼吸の仕方を忘れてしまう。


「だ、騙されねぇぞ! いくら童貞線があっても、非童貞でもソレが残ってる奴がいるって話を聞く! お前はそうやって、これまでも何人もの女を騙してきたんだろ!」

「見ろ、俺の目を。見るんだジャック、俺の瞳を」

「……あ」


 少しだけ切なそうな表情で、童貞線を見せびらかすムトの顔を覗き込む。


 ――おれの視線と合致したのは、紛れもない童貞の瞳だった。


 どこまでも純粋で、哀愁に満ちて、涙を誘うような嘆きが含まれた瞳。

 こんな目をして、なおかつ童貞線を持ってる奴が、非童貞なわけがない。

 

「まさか、お前、本当に……?」

「ああ、やっとわかってくれたか。そうだよ、ジャック。俺は、童貞だ」


 おれは間違っていた。

 音が運んでくる情報に踊らされ、その真偽を確かめることなく、とんでもない間違いを侵してしまったのだ。

 英雄ムト・ジャンヌダルクは、おれの唯一無二の親友は、本当に童貞だった。

 湧き上がってくる熱い感情に、嗚咽を我慢することはできない。


「ぐ、ぐずっ……ずま゛ね゛ぇ! お゛れ゛っ! お゛前を゛信じでや゛れ゛な゛がった゛……っ!」

「いいんだよ。わかってくれればそれで。とりあえずパンツ、もう履いていいかな? 少しばかり手間のかかる息子が風邪を引きそうでね」


 おれが涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら頷けば、ムトは優しい表情でその新品同然のブツをしまい込んだ。

 とんでもない大馬鹿野郎だおれは。世界中の童貞に笑われちまう。


「ほら、行こうぜジャック、エルフとドワーフの戦いを止めにさ。俺たち童貞にできることは、とにかく人聞きの良いことをすることだけだろ?」

「……ああ、そうだな。いっちょモテるために、どでかいアピールしに行くか」


 差し出されたムトの手を取り、おれは立ち上がる。

 おれはとんだ甘ちゃんだった。

 闇の三王一人でぶっ飛ばして、大陸を救った英雄ですらまだ童貞なのに、おれが童貞卒業できるわけがない。

 こっからだ。こっからおれの、スーパーモテキタイムはやってくるんだ。



「へへっ、やっぱりおれたちって最高だな」

「……ふふっ、だからなにがだよ」



 そしておれたちは互いの貞操と友情を分かち合い、同じ方向に目を向ける。

 おれの憧れていた英雄は、やっぱりおれが思っていたような存在ではなかった。


 でもおれが思っていた以上に、おれに力を、希望を与えてくれる存在だったのさ。




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