ヘタレかつサカンな彼が実は、今から三年前に世界を救った英雄だとこうなる
谷川人鳥
Epilogue 1
No.1 ヒーローズ・エピローグ
ありふれた喧騒に包まれる街は、今日も二つの月に照らされていた。
石畳には昨日降った雨水がまだ少し残っていて、角の生えた犬がその横でうずくまっている。
雲一つない夜空の下で一人歩く俺が、そんな見慣れた景色の中に溶け込めているのかどうかはわからない。
「うー……寒い寒い」
寂しげな独り言を零してみても、暖かな言葉をかけてくれるような人は誰もいない。
夜も更け込み、人通りの少なくなった街路を行く俺に寄り添ってくれるような人は誰もいなかった。
こういう日はいつも思い出す。
かつて俺がこの世界に来る前のことを。
「それにしても相変わらずイケメンだなぁ……俺は」
馬鹿みたいな独り言を呟いてみると、冷ややかな視線を近くを通りかかった人から向けられる。
それでも少し濁った水溜まりに映る俺の顔は、前に俺が生きていた世界を基準とするならば、絶世の美男子といえるものだ。
しかしそれは、あくまでも前いた世界を基準としたならばに過ぎない。
すぐ傍で麻の布きれ一つを身にくるみ道に寝そべるホームレスを覗いてみれば、そこでは今にもディカプリオしそうな顔の男が鼻糞をほじっている。
そう、この世界では俺の見た目は端役もいいところ。他人から見れば、ものの見事なモブAだろう。
だが自らの顔に関してこれ以上ネガティブな思考を垂れ流すのは止めておくことにする。前世に比べればこの平凡顔でも大出世なのだから。
「バイオレットチキンはいかがですかー! 今なら二つで900ペニーになります!」
薄暗い街路を歩き続けていると、ふと毒々しい紫色の骨付き肉を掲げる売り子が目に入った。
こんなに肌寒い夜にも関わらず、膝を露わにしたミニスカートを穿いて懸命に俺を誘惑している。
考えてみればもし前にいた世界だったら今は、クリスマスとかいう下らない祭事が行われる頃だ。
通り過ぎる時にたっぷりと売り子の白く眩しい太腿を網膜に焼きつけながら、俺は遠い記憶を懐かしむ。
はあ、俺の毛深いトナカイさんはいつになったら活躍の場を与えられるのだろうか。
俺は両ポケットに手を突っ込み、指先の凍えを緩和させると同時に持ち金を確認する。
金属のひんやりとした感触の数を数えてみれば、まだしばらく魔法で黄金か何かを創造し経済的余裕を生み出す必要はなさそうだ。
生涯名誉ニートとなった俺のその日暮らし。
三年前に世界を救った後、定住もせず自由気ままに旅するこの生活を俺はわりかし気に入っていたが、一つだけ心の奥で燻る思いがある。
彼女、欲しい。
つまりは恋人募集中。
こうして別の世界に渡ってきて二度目の人生を歩み始め、英雄などと巷で呼ばれるようになってからも彼女いない歴=年齢のままで、もちろん経験も無し。
そのことだけが、俺に満たされない空白をつくったままにしていたのだ。
酒場にでも行って、この報われない気持ちを忘れてしまおう。
悪癖であるマイナス思考がいよいよ本領発揮をしてきたところで、俺は酒に逃げることにする。
この身体は無駄に酒に強く、実際はほとんど酔うことなどできないのだが、そのことは今は気にしない。
毒物なども無効化できるし、事実むしろ誇るべき身体的特徴なのだろう。
そしてしばらく歩き続けていればすぐに酒場の看板が目に入り、俺はそそくさと店内に足を踏み入れる。
「へい! らっしゃい! 寒そうだな、兄ちゃん! そっちに座りな!」
たてつけの悪い扉を開くと、独特の熱気が俺を包む。
意外にも繁盛しているようで、店内はほとんど満席でかなりむさ苦しい。
あちらこちらから下品な哄笑が聞こえてきて、臆病者の気がある俺は若干怯えてしまう。
それでもスキンヘッドの店主らしき男に促されるままにカウンターの端っこに座ると、アルコール度数の強い酒を適当に頼んだ。
ちなみにここで度数の強い酒を頼んだのは、もちろんこの身体の丈夫さを生かした酒に強い俺カッケェアピールのためである。
「へい! ヌピリタスお待ち! ぶっ倒れてゲロ吐くんじゃねぇぞ、兄ちゃん! 便所はあっちだ!」
「オヒョッ! あ、ああありがとうございます!」
いかつい店主の顔が突然目の前に突き出され、俺は思いっ切り挙動不審を見せつけてしまうが、なんとか注文した酒を受け取ることに成功する。
これだから酒場は嫌なんだ。店員から客までどいつもこいつもオラつきが過ぎる。
入店数分で早くも後悔に苛まれ始めた俺は、一気に酒瓶を半分空けると隅っこで身を縮こまらせた。
ここにいる誰も、俺が三年前にこの世界を救った救った英雄だと気づいていない。
因縁をつけられないように控えめに周囲を見渡してみるが、俺という存在を認識している人は今のところ見当たらなかった。
世界魔術師機構なる世界規模の警察のような組織がこちらの世界にはあり、そこのお偉いさんたちの粋な計らいによって、世界を救った英雄の顔は一般の人々には伝えられていない。
つまりは、俺が“英雄”であると極一部の人間以外は誰も知らないわけで、某ヤァリティンビーバーが送るようなVIPライフには縁もゆかりもないということだ。
綺麗なお姉さんにちやほやされたり、出るとこ出た女子大学生にサインを求められたり、ありとあらゆる女性の嬌声を集める生活には、ありがたいことに全くなっていないのだ。
モテてぇ。
至極シンプルで純粋な欲望で頭を埋め尽くしながら、俺は残りの酒をどっと煽る。
しかし相変わらず全く酔えない。
これは呪いか祝福か。
世界を救った英雄の後日談にしてはあまりに寂し過ぎる現状に、ただ俺は酒臭い息を宙に漂わせるだけ。
「ねぇ、隣り、いいかしら?」
「……え?」
するとふいに、微塵も酔ってないくせにカウンターに突っ伏す俺へと、どこからか甘美な声がかかる。
運命的なソレを感じ声の方向を見てみれば、なぜか隣りの席にフェロモン的なアレが溢れ出る麗女が座っていた。
豊満な胸元を見せつけるように露出の多い濃紺のドレスに、枝毛の一つもないシルクのような黒髪。
薄紅の唇はかなり吸い付きがよさそうで、型を取って幾つか保管しておきたい気持ちにさせられる。
「貴方、一人?」
「ピィ!? は、はい! そそそうです!」
この糞コミュ障が。変な鳴き声上げてんじゃねぇぞ。
案の定裏返った自分の声に苛立ちながら、俺は爽やかな笑顔で失態を誤魔化す。
「ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。私はエツィカ。貴方は?」
「お、俺はムト。ムト・ジャンヌダルク、です。別に警戒なんてしてないですよ、ちょちょっと緊張してるだけで」
「へぇ? 貴方あの“英雄”と同じ名前なのね。かっこいいわ」
「うへへ。それほどでも」
貴方かっこいいわ、だなんて。困るな。最近の女性は積極的で困る。
それにしても人生、本当に何が起きるかわからない。
聡明な俺はすでに確信していた。
間違いない、これはいわゆる逆ナンというやつだ。
このまま二人で深夜まで酒を酌み交わしながら話し込み、最後は蕩けた視線で見つめ合ったままゴートゥーザベッド。
それ以外考えられない。
ついに俺にも春が来たのだ。
気づかれないように魔法で薄いゴムを創造して、俺はそれをポケットにしまい込んだ。
「大丈夫? 顔、真っ赤だけど? 酔ってるの?」
「だ、だ大丈夫ですよ! 真っ赤になってるのはトナカイだけなんで!」
「そ、そう? ならいいけど」
俺の初めての人であるエツィカさんは妖しげな苦笑を見せる。
もうこの人の仕草全てが俺を発情させようとしているかに思えてしまう。
「それにしても……ずいぶん素敵なネックレスをしているのね。彼女からの贈り物かしら?」
「ネックレス? ああ、これのことですか。別にそんなんじゃありませんよ。知り合いに貰ったんです」
気づけばエツィカさんはカクテルグラスを片手に、俺の首元を食い入るように眺めていた。
突然俺の首筋をむしゃぶりつきたい衝動に駆られたのかと思ったが、どうも違うらしい。
彼女の視線の先にあったのは、俺が三年ほど前にとある女帝から譲り受けたネックレス。
夜のように暗い黒の宝石があしらわれていて、質屋にでも売り飛ばせば結構な値段がしそうな代物だ。
もちろん俺はお金に困っていないし、送り主である知り合いの女帝は少しばかりステロイドなお方なので実際に売却したりはしないが。
「……ねぇ、ちょっと夜風にあたらない? それにここは少し騒がしいわ」
「うんん!? そ、外ですか!? べ、べべべ別に構いませんが」
するとここでとうとう女豹が本性を現した。
やれやれ、ついに俺の肉棒も餌にされてしまうのか。
無駄に胸板の分厚いマスターにエツィカさんの分もまとめて酒代を払うと、俺は下半身の隆起を悟られないよう気をつけながら店を出る。
これはもう決まりだろ。完全にきた。夢にまでみた魔法使いからの卒業式が今日この日なんだ。
俺と一緒に店から出たエツィカさんは、代金に関する謝辞と共に頭を下げる。
その際に自己主張を強める胸元に精神をかき乱されたが、なんとか気にする必要はないと言葉を返しておく。
「私、いいところを知ってるんだけど……どう? もう少し私と時間を過ごしてくれない?」
「イイところ、ですか?」
「そう、とってもイイところよ。一緒に行きましょう?」
もう言葉だけでイキそうな俺はなんとかコクコクと首を縦に振り、メインストリートを外れ裏路地へと進んでいくエツィカさんの後を追う。
頬を撫でるのはいつもより心地良く感じる夜風。
思わず唄い出してしまいそうだが、そんなヘマはしない。こういうのはムードが大事なんだ。さすがの俺でもそれくらい心得ている。
「着いたわ。ここよ」
「え? ここって……」
しかしエツィカさんが俺を案内した場所は情緒もムーディの欠片もないただの行き止まり。
おいおい、こいつは驚いた。
まさか俺の初めてはブルー缶なのか。こいつはとびきりホットで凍える夜になりそうだぜ。
「ようこそ、黒髪の兄さん。ちょっと俺たちとイイこと、しようぜぇ?」
だがその時、聞き覚えのない声が俺の背後から聞こえ、浮かれた気持ちが一気に急降下する。
寒気が背筋を駆け抜け、俺は自分の迂闊さに舌打ちをしたくなってしまう。
嫌々ながらもダミ声のした方に顔を振り返させれば、そこには案の定ガラの悪い嗜虐的な笑みを浮かべた男たちが並んでいた。
「え、えーと、エツィカさん?」
「この間抜けな餓鬼は上物のネックレスを持ってるわ。それには傷をつけないようにしなさい」
「なァ! エツィカ! こいつ男だよな!? スゲェ可愛い顔してるけどよ!」
「ええ、ただの馬鹿な男よ。ネックレス以外は要らないから、他の部分は好きにしていいわ」
「ヒャッホウッ! ちょうど最近溜まってたんだよなァ! 上の口と下の口に二発ずつだァ! ヤベェ興奮してきたァ!」
縋るようにエツィカさんを見つめてもやはりガン無視され、彼女は俺の後ろにいる幾つか歯の足りない男に声を投げかけるだけ。
残念ながらこれは認めなければならない。
非常に実に是非とも認めたくないが認めざるをえない。
本当に本当に心の底から目を背けたい事実だが、認めるしかない。
俺は、騙されたのだ。
ハニートラップに引っかかるのはもうこれで今月だけで五回目になる。
怪しげな宗教に勧誘されたり、やけに高額な壺を買わせられたり、今みたいに屈強な輩に囲まれることをなぜ俺はいつまで経っても回避できないのだろうか。
「おい、先に言っておくが、無駄なことはしない方が身のためだぜ? こう見えて俺たちの中には多少魔法が使える奴がいる」
「……っ!」
男の内の一人が一歩前に出て、そのあまりの迫力に完全に俺は気圧される。
なんだよこの状況、超怖いよ。
すでに怯え過ぎで言語機能を失っている俺は、あっという間に硬直状態に陥った。
「んじゃま、早速お遊戯の時間と行きましょうか。なーに、心配は要らないさ。ちーとばかし声が出せない程度に痛めつけるだけだ。“
「なァ! もうヤッていい!? もうヤッていいだろ!? もう俺我慢できねぇよっ!」
男たちはさらにこちらの方へ踏み出る。
恐怖にすくんだ俺はまだ動けない。
ああ、これはもうタダじゃすまないな。
俺自身は割と平和主義だが、もうこれはどうしようもなさそうだ。
「あああっ! 俺もう我慢できないィィィいいいいいッッッ!!!」
そしてついに男たちの内一人が、気色悪い絶叫を上げながら俺に飛びかかってくる。
「認めない」
「がいぎぽんぅ゛ぅ゛っっっ!?!?」
しかしその瞬間、俺の足が痛烈に襲い掛かってきた男の股間を蹴り抜き、間髪入れずに拳を奮い地面に叩き落す。
「あ! てめぇ一体何をぐぶぅおがっ!?」
慌てる残りの男たち全員にも無慈悲な打撃を瞬く間に加えていき、一秒にも満たない内に裏路地で意識を持ち立つのはたった二人に。
「……え?」
刹那の間に一変した状況をいまだ理解できていないのか、唯一残されたエツィカさんは少し呆けている。
そんなエツィカさんが正気を取り戻すより早く、俺の手は宙に掲げられ、絶対零度の波動を闇に煌めかせる。
――次いで解き放たれたのは蒼白の氷。
甚大な魔力を練り込まれた絶氷は、エツィカさんだけでなく、地面に転がる男たち、壁、裏路地全体を凍り付かせていく。
「ムトに危害を及ぼそうとする者は例外なく、この私が認めない」
そう自分の唇が言葉を紡ぐのをどこか遠くに感じながら、少しだけ物思いにふけてみる。
吐く息は白く、氷の彫刻展に囲まれた俺の瞳は今、何色をしているのだろうか。
【お疲れ、ジャンヌ。いつもありがとう】
「礼の必要はない、ムト。私は貴公のためだけに存在しているのだから」
最強の魔法使い。
そんな別人格が俺の中に存在するのにもとっくのとうに慣れてしまったが、相変わらず加減のできない彼女には困りものだ。
世界を救った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます