No.2 グッドモーニング・アンド・バッドトレーニング



 目に痛いくらいの橙色を巻き散らかす朝日が昇っていく景色を、俺は大きな欠伸をしながら眺めていた。

 結局昨晩は宿もとらず、こうしてだだっ広い公園のベンチで一夜を明かした。

 季節は余裕で冬。常識的に考えれば、この時期の夜間に外で過ごすという行為は正気じゃない。

 だが俺に関して言えばその辺りは無問題だ。

 普段は自分が人間じゃないような気がしてしまうのであまり使っていないが、俺は魔法を操ることで、いざとなれば寒さも暑さも完全に無視することができる。

 さらにどこでも寝ることが特技でもあるので、こうして気分次第で野宿することも覚悟さえ決めれば余裕なのだ。


 ちなみに安全面もちゃんと考えてある。


 俺のかつての生まれ故郷に比べればここはお世辞にも治安がいいとは言えない。

 監視カメラもないし、街灯の数だって全然足りてないが、それはこの街が特別田舎というわけでもない。

 むしろここホグワイツ王国の首都ゼウスは、大陸一発展しているとまで言われている街だ。

 しかしそれでも強盗、暴漢、さらには“魔物”なんていう危険な輩がそこら中にうようよしている。いや、さすがに魔物はこんな街中には現れないか。一応警備兵や公認魔術師オフィシャル・ウィザードもいることだし。

 そしてそんな危険と常に隣り合わせの世界で、なぜ糞ビビりヘタレチキン野郎であるこの俺が余裕をぶっこいてられるかといえば、理由はたった一つだ。

 

 俺の中に宿るもう一つの人格、“ジャンヌ”。彼女のおかげである。


 こちらの世界に俺が転生する際、神を自称する尋常ではなく胡散臭い奴によって俺は最強の魔法使いに

 その最強の魔法使いという曖昧な存在を俺はジャンヌと呼び、三年前から結構仲良くやらせてもらっている。

 俺が意識を失っている間や、俺の身に危険が迫る時にジャンヌは俺と身体の所有権を交代するのがいつものことだ。

 若干融通が利かないところもあるが、俺の別人格にも関わらず欲情の対象になるくらいには可愛い奴だ。

 互いの心、考えていることを完全にシンクロさせることもやろうと思えばできるが、それは俺の卑屈で卑猥な思考をジャンヌに垂れ流すことになってしまうのでそれはしていない。


「なあ、ジャンヌ。どこか行きたいところとかあるか? そろそろこの街からも出ようと思うんだけど」


【ムトの望む場所に、望むまま向かえばいい。ムトの望む場所こそが私の望む場所だ】


「まったく俺に似て、自己主張のない奴だなぁ。……それにしても俺の望む場所ねぇ。街も国も飛び越えて、別の大陸とか行ってみようかな」


【転移魔法を使うか?】


「いや、いい。せっかくだしのんびりと道中楽しみながら行くよ。心ときめく出会いもあるかもしれないし」


【わかった。もし私を欲したときは、遠慮なく呼びつけてくれ。その望みを全て叶えてみせよう】


「本当ジャンヌは俺に甘いな。俺の理性がいつまでもつか最近本気で心配になってきたよ」


 暇潰しがてらジャンヌに話かけてみれば、いつも通りの超過保護な返答が戻ってくる。

 人格を疑われること間違いなしのいかがわしい頼み事をしても、ノータイムで了承してきそうで末恐ろしい。

 こうして会話をするときに実際に声を出さないといけないという弊害を考えても、心の中で思考を読み取れないよう遮断するのは正解だった。

 

「《火を》」


 なんとなく温もりが恋しくなった俺は、魔法で火を生み出す。

 本来魔法というものは、正確な知識、綻びのない論理、十分な魔力、の三つが必要らしい。

 しかし俺は知識も論理もないが、こうして魔法を使うことができる。

 自らの想像した物や事象をそのまま具現化する力、それこそが俺でいう魔法だ。

 

 俺はこの力のことを“想像魔法クリエイト”と呼んでいる。


 基本的に魔物とか戦う際には俺は恐慌状態になって集中できないため、こういう平常時に使うのがもっぱらだ。

 ちなみにジャンヌはこの想像魔法ではなく、ちゃんと知識と論理をもってこちらの世界では一般的な魔法を行使している。

 覚えている限りだと魔法とういうものは、下位から基礎魔法、下級魔法、中級魔法、上級魔法、轟級魔法、絶級魔法の六つの階級がある。

 だけど一般人は基礎魔法しか使えず、凡人ならば数十年の鍛錬を経てやっと一種類分の下級魔法に届く程度らしい。

 たしか種別としては火、地、風、水の四つの基本属性と、俺の知ってる限りでは無、光の二つの特殊属性があったはず。

 といってもジャンヌの魔法に関する知識と論理への造詣は尋常ではなく、魔力にいたっては俺も含め無限なのでその威力はまず間違いなく一般的ではないと思うが。


「《水を》」


 なんとなく精神的に喉が渇いたので、今度は水を創造クリエイトする。

 この世界では魔力をエネルギーなどの代わりすることができて、喉の渇きも腹の飢えも全て魔力で代替することが可能だ。

 生命活動に必要なものを魔力で補おうとすると非常にコストパフォーマンスが悪いらしく、普通の人ならば緊急時以外はそんなことはしないらしいが、魔力を無制限に身に宿す俺には関係ない。

 

 魔法で創った火で暖を取りながら、俺は魔法で創った水を口の中に流し込む。

 陽はたしかに上昇を続けていて、そちらの方をぼんやり眺めていると、少しだけ穏やかな気持ちになる。

 この空の向こう側にも真っ暗な無酸素空間が広がっているのだろうか。

 いつか試しに行ってみよう。今はちょっと怖いのでやめておくけど。



  

「おーおー! 朝が早いな! 青年! 感心感心!」


 すると後頭部にいきなり声がかかり、俺は驚きに小さく飛び上がってしまう。

 つい今この時まで俺一人しかいなかった公園に、別の利用者がやってきたようだ。

 声質から男だとわかっていたので、別に嬉しくもなんともない。

 そろそろ移動するか。


「こんな朝早くから散歩か? いやぁ! いいことだぞ、青年! 早起きは! 最近の若者はどうも夜更かしをする気があっていかん。私の娘も完全に昼夜逆転の生活でな、君のように規則正しい生活をして欲しい限りだよ」

「ど、どうも。おはようございます。はは、そうですね。早起きは俺もいいことだと思いますよ」

「そうだろう!? 気持ちいいよなぁ! 朝は!」


 この国の生まれに多い金髪で灰色の瞳の組み合わせをした筋肉質な男が、朗らかな笑みを浮かべながら俺に近づいてくる。

 服装はこの季節にしては薄着で、乳白色の上下服は見た目こそよくある物だが、新品なのかやけに綺麗で傷みがない。

 そんな男に適当に話を合わせながら、俺はベンチから腰を上げ場所を移す気配をこれみよがしにアピールする。

 経験則から俺ははっきりと予感していた。

 この男、面倒な絡みをしてくるタイプだ。

 ただでさえ内向的で、人を苦手としている俺には荷が重い。早くこの男から離れなくては。


「それじゃあ、俺はそろそろ――」

「まあまあ待てよ! 青年! 今、君、魔法を使ってただろう? しかも二つの属性を同時に!」

「うげぇっ!?」


 逃走失敗。

 がっしりとした手で肩を掴まれ、俺は無理矢理また座らせられてしまう。

 さらに男はあろうことか俺の隣り座ってきて、ダンディな口髭が届きそうなくらいの距離まで顔を接近させてくる。

 最悪だ。どうして俺にはこうまともじゃない奴ばかり寄ってくるのだろう。

 俺は諦観の中、また変な輩に絡まれてしまったことを自覚した。


「見たところ、青年がさっきまで使っていたのは下級魔法だろう? それくらいの年齢で二つの属性の下級魔法を使えるなんて凄いじゃないか!」

「あ、ありがとうございます。でも別に大したことじゃないですよ」

「大したことないだって!? 私は一応中級魔法まで使うことができるが、たった火属性魔法の一種類だけだ。おそらく君の倍以上は生きているにも関わらずな。はははっ! 我ながら恥ずかしいことだよ!」

「そ、そうなんですか……」


 声がでかい。距離が近い。

 ヘタレな俺は直接文句を言えないが、確実にストレスが蓄積している。

 魔法に関して褒められても全然嬉しくはないし、褒められるくらいならお勧めの風俗店の一つや二つ教えてくれた方がよっぽど有意義だ。


「そこで、だ。青年、この私と少し手合せをしないか? この爽やな朝に、健康的な汗を流そうじゃないか!」

「え? す、すいません、少しおっしゃっている意味がわからないんですけど」

「私はこう見えても魔法に結構関心があってね。君のような才能ある若者と手合せできれば、それは価値ある経験になると思うんだよ」

「いや、でも、さすがにそれはちょっと……」

  

 おいおい勘弁してくれ。

 何が悲しくて知らないオッサンと朝からチュンチュン一緒に汗を流さなくてはならないのか。

 俺が全力で嫌がる素振りを見せているのに、こちらを見つめる灰色の瞳からはまるで熱意が冷める気配がない。


「なあ! 頼むよ! 青年! この私、ガイザスの一生のお願いだ!」

「わ、わかりました。少しだけなら……」

「本当かい!? はははっ! 嬉しいなっ! 早起きした甲斐があったぞっ!」


 こんなところで一生のお願いを使うとは愚かな男だ。

 もちろん俺はこの男をまともに相手するつもりは微塵もない。

 これ以上抵抗を示しても無駄に思えたので、一旦男の話を聞き入れて、さっさとその手合せとやらを終わらせてしまった方がいいと思ったのだ。


「はははっ! なぜか私がいつも魔法の練習をすると周りに止められてな、実践的な練習の相手をしてくれる者も誰もおらんのだ」


 時刻はいまだ早く、公園には俺たち二人以外にまだ誰もやってきていない。

 手合せできるのがそんなに嬉しいのか、男は年甲斐もなくはしゃいだ声を上げ、準備体操のようなことをしている。

 もしかしたら普段は家族からちょっと距離を置かれている家に居場所のない中年男性なのかもしれない。

 そう考えると少しだけ男が可哀想に思え、ちょっとだけ自分とシンパシーを感じないこともなかった。


「よーし、これで妹たちに魔法を扱うのが上達したところを見せられそうだ! 実戦に勝る練習はないからな! それで、どうだ青年!? 私はいつでも始められるぞ!」

「あ、俺も準備はできてます」


 公園の中央へ移動し、俺は男と真っ直ぐに向き合う。

 体格的に見れば、俺とこの陽気なオッサンとの間には隔絶しがたい差があるように思える。

 しかし、それはあくまで見た目だけを考えた場合の差だ。

 

 肉体の内部に宿る魔力。


 その魔力をいかに使いこなすかによって、その差はいかようにも変わる。

 まあ、俺はその魔力なんて全然使いこなせていないけど。


「なら前置きは別にいらんな!? いくぞ、青年! ……《魔力纏繞まりょくてんじょう》!」


 俺の思考を遮るように叫ばれた、近所迷惑を顧みない男の雄叫び。

 途端に薄白い湯気のようなものがオッサンから湧き上がり、その腹立たしいほどに締まった肉体を包み込んだ。

 今オッサンが発動させたのは、無属性魔法と呼ばれる種類のもので、魔力を身体に纏い身体能力を上げる作用をもつ。

 剣呑な視線に当てられ思わず失禁しそうになるが、俺はなんとか耐えた。


「さあ青年! 遠慮はいらない! 君も魔法を使って、全力で私に打ち込んできなさい! その全てを受け止めてみせようじゃないか!」


 男は真剣な目つきながらも、実に楽しそうだ。

 本当に俺との手合せを喜んでくれているらしい。


 ほんの少しだけ申し訳なくなるな。


 なぜなら、この手合せはで終わってしまうだろうから。



「……《魔力纏繞》。ジャンヌ、あの男の意識を刈り取ってくれ。なるべくダメージは与えないように頼む」

「なにっ!? な、なんだこの魔力量は――」



 俺の意識が霞んでいく。

 すると、視界が突如ぶれ、気づけばやる気満々だった男の目前へ。

 振り抜かれる手にはもう俺の感覚はなく、その剛拳を目で追える者は誰もいない。

 

「叶えよう」

「――かっ」


 俺の拳は顎を正確に撃ち抜き、男の頭蓋がぐらんと揺れる。

 口からは唾液が飛び散り、オッサンはそのまま白目を剥いて地面に倒れ込んだ。

 すっと意識が明瞭になり、身体の所有権が俺に戻ってくる。

 

【これで構わないか、ムト】


「おっけー、おっけー、上出来上出来。さすが俺のジャンヌだ」


 完全にワンパンKOされたオッサンを上から覗き込み、俺は満足気に一人頷く、

 一応手合せはしたし、実力をわざと隠したわけでもないし、嘘だって言ってない。

 ただ勝手にこの人が俺の力を勘違いしただけだ。


「まあ悪い人ではなさそうだったな……《毛布》。凍死でもされたら困るし、これで許してくれ」


 気絶して伸びている男に魔法で創った毛布を一応かけてやる。

 これがオッサンではなくいやらしそうな美魔女だったら別、というかそもそも殴ったりしないが、このオッサンにはこの程度で十分なはずだ。


 もしかしたら記憶が少しばかり飛んでるかもな。


 辺りを見渡し、誰もいないことを確認すると、そして俺はその場をそそくさと立ち去る。

 結局この男が何者だったのかなんてまるで気にならないし、心底どうでもいい。

 たぶんあと数時間もすれば、俺もこの朝の出来事を綺麗さっぱり忘れていることだろう。

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