No.3 ワンダー・マッシュルーム
「はいよ、冬キノコとゼリーフィッシュのシチューお待ちどうさま」
「あ、どうも、ありがとうございます」
見知らぬオッサンに絡まれたあと、眠気覚ましに広大な街の中を一人ぶらぶら散歩をしていた俺は、ふとお腹が空いたような気がしてきたのでとある料理店に足を運んでいた。
店の名前はワンダーマッシュルーム。名の通りキノコをメインにする食事処で、この街では一番のお気に入りの店だ。
なんといっても従業員がいい。
今も俺に品を運んで来てくれた女店員のむちむちのタイトスカートからは無限の
残念ながらそんな二人とまともに話したことはないし、名前すら知らないが。
そしてたっぷりと恒例の観賞会を楽しみ終わると、俺は黄緑色に濁ったシチューをスプーンで掬い口に運ぶ。
鼻を突き抜けるのはミントと柑橘系の中間に近い香り。
ブヨブヨと柔らかいくせに全然噛み切れない不思議な食感の魚肉をなんとか飲み込めば、苦みと酸味だけで構成された味が口一杯に広がる。
さりげなく紛れ込んでいる小さなキノコは和紙みたいな舌触りで、やけに甘ったるい後味を俺に残す。
うん。美味い。相変わらず最高の味だ。
この街ゼウスに来てから数週間が経つが、やはりこの店の料理に勝るものは中々ない。
これほどの品を出てくるにも関わらずやけに客が少ないのも、隠れた名店という雰囲気を醸し出していてむしろ好印象だった。
「ねぇ、あんた、最近顔をよく見るけど、ここらの出身じゃないよね?」
しかしここで突然、偉大なる銀河を内包した尻をもつ女店員が、信じられないことに俺とのお喋りをご所望してきた。
これはもしかしたら噂のモテキとやらがついにやってきたのかもしれない。
手汗がじわりと滲む中、俺はごく自然な調子で言葉を返す。
「あ、ああ、そ、そそそうだよ。俺は旅人というかなんというか、けっこう遠くから来たみたいな」
「やっぱり。ねぇねぇ、どっから来たの? 黒い髪だし、ゼクターとか?」
「い、いい、いや、違うよ。たしかに帝国にも行ったことあるけど、そことは別のところが出身」
「ふーん、そうなんだ」
次どもったらこの唇を縫い付けてやる。
そんな戒めを自己暗示しながら、途端に渇き始めた喉をコップの水で潤していく。
「というかごめんね? いきなり話かけちゃって。もしかして、迷惑だった?」
「まさか! まったくもって問題ナッスィングだよ! むしろ俺の太刀魚をいつでもフィッシングしてもらっても構わないくらいだから!」
「え、えーと、ちょっと言ってる意味わかんないけど、とりま迷惑じゃないってこと?」
「イエス」
「そ、そう。ならよろしくね、あたしはタツキ。タツキ・フォスター。あんたは?」
「俺はムト。ムト・ジャンヌダルク」
俺の悪い癖である急激なテンション上昇が発動してしまったが、心優しい美人店員タツキはまったく気にする素振りをみせない。
彼女もホグワイツ王国の出身なのだろう。ホグワイツ人らしい濃い金髪に淡い灰色の瞳をしている。
少女然とした顔つきながらもどこか色っぽい。
目鼻ははっきりとした造りになっていて、活発そうな話し口調も相まっていっそう魅力的だ。
そんなタツキと知り合いになれた俺はなんと幸運なのか。
というか互いの名も教え合うなんて、もうこれは半分付き合っていると言っても過言ではない。
今すぐ子づくりを前提に肉体関係を結びたい。
「ムト・ジャンヌダルク? 凄い! あの“英雄”と同じ名前じゃない!」
「ふふふ……もし、その英雄ムト・ジャンヌダルクが俺だと言ったら、どうするかな?」
「あははっ! それ超面白い。あんた意外に面白い冗談も言えたんだね。もっと暗い人だと思ってた」
「……は、はは、ま、まあね。俺ってこう見えてユーモアセンスの塊だから」
つらい。何の迷いもなく冗談だと断定されるのとてもつらい。
だがそれはいつものことなので、俺はわりとすぐに立ち直る。
でもなぜこんなに信じて貰えないのだろうか。
俺はそんなにオーラ的なアレがないのか。そもそもこの世界で英雄ムト・ジャンヌダルクはどんな奴に設定されてるんだ。
「だっけどムト・ジャンヌダルクかぁー。あたしも一回くらい実際にあってみたいなぁー」
「……ちなみにタツキさんは、その英雄についてどんな話を聞いてるの?」
「別にタツキでいいよ。……英雄ってムト・ジャンヌダルクについて? うーん、そうね。たしか身長は三メートルくらいあって、鎧みたいな筋肉を全身につけていて、そばに半径五メートルくらい近づくと覇気にやられて気絶するとか?」
誰だよそいつ。超怖い。
噂話に尾ひれがつきまくっているせいで、俺は知らない間にどう考えても血肉を主食にする
これからは安易に英雄ムト・ジャンヌダルクを名乗らない方がいいかもしれない。信じて貰えたとしてもドン引きされそうだ。
「あー……もうそのムト・ジャンヌダルクのことはいいや。それで、えと、タツキはこの街でなんかお勧めの場所とか知らない? なんか観光名所みたいなところ」
「観光名所? んー、そうね。最近で言えば、“紅の王女”とか有名かな」
「あかのおうじょ?」
これ以上架空の英雄像について教えてもらっても不毛なので話題を変えると、案外興味深そうな返答が戻ってきた。
俺の聴覚が捉えたのは、女というたった一つの単語。
これは詳しく訊く必要がありそうだ。
「ぜひ詳しく」
「なんでもイルシャラウィ姫が週末になると、ほら、あっちの、城下街近くのスカイボルト広場に現れて、一人で風景画を描くらしいのよ。そんでもってその絵を描くときに紅色しか使わないから“紅の王女”。使う色は紅色だけなんだけど、その絵が凄い上手なんだってさ」
「へ、へぇ、そうなんだ。……ちなみにイルシャラウィ姫って?」
「あんたちょっとそれ本気で言ってるの? いくら旅人だからって無知すぎるでしょ。イルシャラウィ・カエサル。ここホグワイツ王国の国王であるガイザス・シーザー・カエサルの一人娘で、次期国王レクサス・カエサル王子の妹よ」
「なるほど。だから王女なのか」
俺は案外顔が広く、各国の王の中にも結構顔見知りがいるが、この国の王には一度も会ったことがなかった。
それにしてもガイザス・カエサルか。
どこかで聞いたことのある名前のような気がしたが、いまいちよく思い出せない。
一応一国の王らしいし、きっと風の噂かなんかで耳にしたのだろう。
「でも仮にもお姫様なのに、そんな風に街にぷらぷら出歩いていいの?」
「もちろん警備つきよ。それに、ガイザス王もたまに勝手に街へ抜け出してるって噂をよく聞くし、別にいいんじゃない? 遺伝よ遺伝。城の中でじっとしてられず、やたら外に出たがるのがカエサル一族の血なのよ」
「国王もそんな自由やってるのか。なんか凄いな」
「まあね。他国の王、特に”五帝”とかと比べれば、うちの国王はちょっとばかしフレンドリーが過ぎるかも」
タツキのいう五帝というのは、数ある国家の主の中でも、特に個人的武勇に優れた五人のやばい王様のことだ。
たしか
俺はこの中のうち、暴帝、麗帝、狂帝には会ったことがある。
たぶん二度と会う事はないと思うし、そうしたい。
俺は冷め始めてきたシチューをまた何口か食べる。
この苦みと酸味と甘みの奇跡的なコラボレーション。本当に癖になる味だ。魔力で空腹を満たせるといっても、やはりこうやって実際に美味なる食事をとった方が精神衛生上いいな。
「それに考えみれば、国王の二人の妹は二人とも家を出て“九賢人”になっちゃってるくらいだし、今思うとあり得ないくらい自由な王家よね」
「ああ! 思い出した! カエサルってあの九賢人にいる二人姉妹か!」
「お、さすがのあんたでもカエサル姉妹のことは知ってるんだ」
するとタツキの言葉が頭に引っ掛かり、ピンと脳味噌の隅っこに刺激が走る。
やっと思い出した。
どっかで聞いたことのある名前だと思ったら、どうやら知り合いに王家の一門が紛れ込んでいたらしい。
九賢人。それは世界魔術師機構の中でも、会長職と同等レベルに偉い九人の魔法使いのことだ。
その内の何人かは、俺が英雄ムト・ジャンヌダルクその人だと知っている。
なんか俺、凄いな。
これほどのコネがあるのに、なぜ俺には彼女の一人もできないのか。
今度世界魔術師機構に合コンセッティングしてもらおうかな
「だけどこういう自由な感じが国民にも伝わってるのかもね。実際あたしも、この国けっこう気に入ってるし。ホグワイツ人に生まれてよかったと思ってる」
「そっか。俺もこの国はいいところだと思うよ。いい意味で開放的な感じが」
「でしょ? あんたみたいな大陸中をまわる旅人に言われると、いっそう嬉しいわね」
「それにしてもイルシャラウィ姫か。一度会っておきたいな」
「うん。会ってみるといいよ。そしたら今度私にも会った感想聞かして。私はまだイルシャラウィ姫のこと直接見たことないから」
「そうなの? ……じゃ、じゃあ、一緒に見に行ったりしてみたりしてみる?」
「いや、それはいい」
「ですよね」
尋常ではない勇気を振り絞ってさりげなくデートのお誘いをしてみたが、一瞬で切り捨てられる。
ええ。別に大丈夫ですよ。全然平気ですよ。はい。
俺は涙腺の震えを、半固体の魚を口の中で転がしまくることで止めようとする。
「私はここでの仕事があるから。こんな感じで繁盛してないけど、一応週末は稼ぎ時だから休めないの。ごめんね。せっかくのお誘い」
「だ、だだだ大丈夫! 気にしてないからららら!」
「あはは! あんたってやっぱり面白いね」
タツキがからからと笑うので、俺はなんとなく救われた気持ちになる。
やっぱり美人は得だな。
顔良し、性格良しとか、こんな相手にお誘いの言葉をかけるとは、俺も中々大物になったものだ。
自らの成長を実感した俺は、今日の会話だけで一週間はオカズに困らないと思った。
「あ、お客さんだ。それじゃあね、ムト」
「え、あ、うん。じゃあね」
そして寂れた店内に新たな客が入ってくると、タツキは顔を上げてあっさりと走り去って行く。
魅惑の世間話タイムはもう終わりか。残念だな。
絶妙な円弧を描くタツキの臀部を注視しながら、残りのシチューを一気に掻き込む。
「イルシャラウィ・カエサル、ね……」
全くもって意味のない、ただのかっこつけで意味深な呟きをしてみるが、当然だれも反応してくれない。
別にそれが恥ずかしかったわけでもないけど、食事の代金を用意すると俺は席を立ち、若干早歩きで店を出る。
その際嬉しいことに、タツキが手を振って見送ってくれていた。
近いうちにまた来ようと思った。
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