No.23 エンディング・オブ・グレイトジャーニー



 吾輩はホモである。ノンケではない。

 一瞬そんな世迷言が脳裏をよぎり、俺は全力でいかがわしい妄想に思考を切り替える。

 ここまで俺が精神的衰弱状態に陥ってしまった全ての原因は、ヴォルフとかいう狼系銀髪ヤンキーにある。

 なぜ俺が自分より頭一つ分背の高い男をお姫様だっこしなくてはならないのか。

 夢中で怪物となってしまったヴォルフを救い出したはいいが、その後無意識にこの大男を抱きかかえている自分に気づき、俺はここ数年で一番の戦慄を覚えた。

 勝利の代償はあまりにも大きい。

 女子高生の使う歯ブラシの気持ちになりきることで、俺はなんとか正気を保つ。


「……ムト大兄貴。本当にすいませんでした。俺は舎弟失格です。ムト大兄貴に無理についてきたあげく、足を引っ張るというこの体たらく。ムト大兄貴が望むなら、いつでも切腹してみせますよ」

「いや切腹とかされても困るから。そもそも、そんなことされたら俺がヴォルフを救った意味ないじゃん」

「はっ! そうでした。俺はなんて大馬鹿野郎なんだ。ムト大兄貴に救って頂いたこの命を、自ら捨てちまおうとするなんて。情けねぇ。俺は自分が情けねぇ。もう切腹するしかねぇ」

「だから待て待て。それ自己嫌悪のループに入ってるから。俺の十八番を取らないで」


 そしてヴォルフはヴォルフでこれまた面倒なことになっていた。

 普段すぐに卑屈になる俺は、他人から見るとこんな感じなのだろうか。

 もしそうなのだとしたら、だいぶ反省した方がいいかもしれない。


「……それにしてもいないね、あの人」

「そうだなぁ。魔力の残滓はここで途切れてるらしいんだけどね」


 イルシャラウィが若干警戒しながら辺りを注視するが、探している人物も、懸念すべき魔物なども見当たらない。

 俺たちはすでに洞窟を出て、小滝から少し離れたところにまで戻ってきている。

 知らない間に姿を消していたガブリエラの魔力を追ってきたというのが、ここにまで来た理由なのだが、なぜか問題の女を見つけることはできていなかった。

 ジャンヌに頼んで魔力探知をして貰ったのだが、彼女曰く、ガブリエラの魔力の痕跡はこの辺りで途絶えてしまっているらしい。

 考えられる原因は三つほどある。

 一つめはジャンヌからも逃れられるほどの魔力隠蔽能力がある場合。

 二つめはジャンヌの探知範囲外に逃げた場合

 三つめはすでにガブリエラは生きていない場合。


 正直言って、どれが正解かはわからない。


 一つめと二つめはジャンヌの力から言ってまずないと思うし、もしこの二つの理由のどちらかだったらむしろ追わない方が身のためだ。

 そうなると三つめが一番可能性が高いということになるが、これまた不可解だった。

 まずガブリエラの死体が見つからないこと、そして誰に殺されたのかまるで想像がつかないということが謎だ。

 

 うん。やっぱりよくわからない。


 俺は考えるのを止め、ついでに歩くのも止めた。

 実際ヴォルフも無事だったことだったし、これ以上ガブリエラについての思索、捜索は必要ない気がする。

 へっ、もうあいつは過去の女ってわけさ。

 段々と一時的なショックが収まってきた感覚に安堵しつつ、俺は旅の終わりを告げるべく振り返る。


「ガブリエラの捜索はもうここらでやめにしよう」

「いいの?」

「ヴォルフも、別にいいでしょ?」

「……ムト大兄貴がいいというのなら」


 イルシャラウィに異論はなさそうだったが、相変わらずヴォルフはうなだれたまま。

 耳と尻尾があったなら、両方とも直角下向きになってそうだ。

 それほどガブリエラに不覚を取ったことが悔しいのだろうか。

 まあだからといって心配は別にしていない。

 ヴォルフも男だ。一発ヌけばすぐに元気になるに違いない。


「じゃあ、決まり。もうここに用はない。帰ろう、ホグワイツ王国に。イルもいいよね?」

「うん。私の描きたいものはもう描けたから」

「あ、そうなんだ。なに描いたの? 俺にも見せてよ」

「それは……恥ずかしいから嫌」

「え」


 憂いの拝殿の絵は結局描けなかったはずなのに、なぜかイルシャラウィがやけに晴々としているので理由を問いてみれば、彼女は頬を赤らめて目を逸らしてしまった。

 恥ずかしいから嫌。

 言葉の意味を冷静に考えてみる。

 これまでの彼女のことを考慮してみれば、恥ずかしい絵を描いたという意味ではないことは明らか。

 つまりは恥ずかしい人物には自分の絵を見せたくないという意味。

 これはまずい。

 誤解を解かないと。


「違うんだ、イル。俺は別にソッチ系じゃない。いや、本当にソウイウ気は微塵も持ってないし、異性の方が好きというか、むしろ異性にしか興味を持たない存在の究極系に近いというか、とにかくアチラ側にいる方々とは正反対なのは間違いないということでありまして」

「どうしたの急に? ソッチとかアチラとか、よく意味が分からないけど?」

「つまりはイル、君は勘違いをしているということなんだ。俺はほんと、全然女の子大好きだし、もちろんイルが許可してくれるならば、今すぐここで全裸になって求愛のダンスをイルのために踊れるくらいのパッションは持ち合わせているわけで……」

「そ、そんな許可出さないっ!」


 イルシャラウィの顔はいつぞやの発熱騒動の時にも負けず劣らず紅潮し、瞳だって若干潤み始め、珍しく大声すら上げてしまっている。

 完全に逆効果だ。

 喋れば喋るほど事態を悪化させている気がする。


「た、頼むよイル! 俺を信じてくれ!」

「……よくわからないけど、わかった。とりあえず私の絵を見たいってことなんだよね?」

「え? あ、うん、まあ、結論的にはそういうことになるのかな?」

「じゃあ、見せてもいいよ。でも、今はだめ。ムトに見せるのは、もっと上手に、綺麗になった後がいい」

「そ、そうなの? 俺は今の時点で十分上手だと思うけど」

「ううん。今の私じゃ駄目。もっと綺麗にならないと」


 足の爪先をモジモジとさせるイルシャラウィを見て、俺はひとまずほっと胸を撫で下ろす。

 相変わらず彼女は目を合わせてくれないが、どうやら俺の疑いは晴れたらしい。

 俺の真摯な思いがきっと伝わったのだ。

 さすがプロフェッショナルということか、描けた絵にまだ納得がいかないということで観賞会はお預けになってしまったが、それは大して気にならない。

 いつかは見せてくれると言っていることだ。彼女の胸の膨らみが増す頃にまた会いに来る理由ができたと思えばいい。


「それじゃあ、転移魔法を使うから、二人とも俺からあまり離れないように」

「待ってください、ムト大兄貴」

「うお!? なんだよ、ヴォルフ。どうしたの?」


 そしてやっと一区切りついたと思ったら、今度はヴォルフが横から声をかけてくる。

 やっと吹っ切れたのか鬱屈とした顔色はだいぶマシになっているのに、やたら威圧的な雰囲気を醸し出していて、普段の怖さに磨きがかかっている。


「俺は、ここに残ります。ムト大兄貴」

「は? ここって、ここ? このダイダロスの森海に?」

「そうっす。俺は今回の旅で思い知りました。俺はまだまだ未熟だと。俺はまだムト大兄貴の舎弟としては、能力が足りなすぎるってことを、痛いくらいに思い知ったんです」

「未熟って、べつに俺の舎弟として成熟されてもそれはそれで困るんだけど」


 そんな目をギラつかせたヴォルフが何を言い出すかと思えば、これまた理解の範疇外にある台詞だった。

 年中腹をすかせた魔物が闊歩しているような森で、一人残る。正気の沙汰とは思えない。

 別にヴォルフを心配してるとかではないが、あまりに危険で無意味な行動だ。

 まったくもってヴォルフを気にかけているとかではないけれど、こいつを置いていくのは気が進まない。


「あのさ、ヴォルフ。その大兄貴とか、舎弟とか、そういうことじゃなくてさ、普通に俺の友人としていてくれればいいんだよ。旅が終わったら友達一人減りましたじゃ、バッドとはいかなくてもビターエンドだろ? 俺はハッピーエンドが好きなんだ」

「……ムト大兄貴はやっぱすげぇっす。でも、それじゃあ、俺が嫌なんです。これはムト大兄貴のためというよりは、自分自身のケジメのためなんすよ」


 この銀髪ヤンキーは想像以上に石頭だ。

 普段は俺を散々兄貴だなんだとヨイショしていたくせに、こういう場面ではまるで俺の言葉に聞く耳を持たない。

 仕方ない。引き留めるのは無理そうだ。

 寂しいとか少しも思わないし、ヴォルフの決めたようにさせてやろう。

 そもそも俺は一度会ったことのある奴の魔力なら基本的に辿れるからな、ここで別れても会おうと思えばいつでも会える。


「わかったよ、ヴォルフ。そこまで言うなら、俺はからはもう何も言わない。ただ、本当にヤバいと思ったら、俺を呼べよ? 必ず駆けつけるからさ」

「ムト大兄貴……っ!」

「うわっ! 馬鹿! くっつくなよっ! せっかくイルの誤解を解いたばっかなのに!」


 まだ魔物化した後遺症が残っているのか、突然ヴォルフはその無駄に逞しい身体で俺に抱き付いてくる。

 そのせいか俺の目にもゴミが入り、森に長く居たせいか花粉症の症状も出てきた。


「短い間でしたが、本当にお世話になりましたっ! 必ず! 必ず立派な舎弟になって戻ってきます! 少しの間、待っていてくださいっ!」

「り、立派な舎弟ってなんだよ。あと、俺は待つつもりもないからな」


 やっと俺から離れたヴォルフは、涙と鼻水で二枚目フェイスをぐちゃぐちゃにしながら嬉しそうに笑う。

 悲しいんだが楽しいんだか、よくわからない奴だ。


「そうっすねっ! 今の言葉は訂正します! 待っていてとは言いません、必ず、追いつきますっ!」

「……二人とも、ハンカチいる?」

「な、なななななに言ってるんだイル。ハンカチが必要なのはヴォルフの方だけだろ?」


 旅の疲れが俺にも溜まっていたのか、視界に霞みがかかり出す

 これでもう、本当に終わりなんだな。

 下唇を噛むのに必死で、もうまともに言葉を喋れなくなった俺は転移魔法の準備を始める。


「そ、それじゃあな、ヴォルフ。俺たちはもう行くよ。本当に行っちゃうからなっ!」

「ありがとうございましたっ! しばらくの間、お元気でっ! ムト大兄貴っ! イルシャラウィ姫も!」

「うん。ばいばい、ヴォルフ」


 深い緑の木々の隙間から、仄かに暖かい光が差し込む。

 ちょっぴり冷たい風に、俺の黒髪が揺らされるのがわかる。


 ホグワイツ王国へ、転移させてくれ。


 内なる魂に呼び掛け、俺は空は快晴なのに自分の頬が濡れていることを不思議に思う。

 べつにいやらしい意味とかではないけど、旅の終わりはやけにほろ苦かった。



「叶えよう」





――――――



 

 夥しい量の本が雑然と置かれた広闊な書斎。

 本棚の上にも書物が重ねられ、頂上はほとんど天井に届いている。

 その薄橙色の灯りに照らされる中にいるのは、二人の女だけ。


 一人はこの部屋の主である、智帝ユーキカイネ。

 

 一冊の本を手に抱え、金と銀の両目は二つとも文字の羅列に注がれている。


 そしてもう一人は救世の三番目と呼ばれる偉大な魔法使い、ユラウリ・カエサル。


 不満を前面に押し出した表情で、ユーキカイネのことを睨みつけている。

 苛立ちはすぐに許容範囲を越え、非難の言葉として彼女の口を飛び出していく。


「…智帝ユーキカイネ、なぜあの怪物の誕生を見過ごした?」

「見過ごしたわけじゃない。ただボクは知らなかった」

「…貴方でも見通せなかったと言いたいの?」

「ボクはそう言ってる」

「…本気?」

「ボクは何でも知ってる。この世界のことなら何でも。だけど、この世界以外のことはわからない」


 ユーキカイネの真意をユラウリは測り切れない。

 虚ろに彷徨う女王の瞳が今なにを見ているのか、彼女にもわからなかった。


「…なら、話題を変える。イルのこと。なぜ貴方はイルの手紙に返事をした?」

「イルシャラウィ・カエサルの手紙に返事をしない理由がボクにはなかったから」

「…それは正確じゃない、智帝ユーキカイネ。貴方は無意味な行動はとらない。イルの手紙に返事をする理由がなければ、貴方はそうしない」

「……」


 本は静かに閉じられ、ユーキカイネの瞳がユラウリにここで初めて向けられる。

 その色違いの視線を真っ向から受け止め、なおもユラウリは苛烈に睨み続ける。


「…手紙は餌。兄様の性格を考えれば、イルを簡単に国外に出すことはない。もしそれが実現するとしたら、私や姉様以上に信頼のおける何者かが付き人としてついた場合のみ。私はそんな条件にあてはまる人物一人しか知らない」

「キミは怒っている。ボクはその怒っている理由を半分だけ知ってる」

「…智帝ユーキカイネ、私のイルと、ムトに何をした?」


 ユラウリから漏れる魔力に色が付き始める。

 激憤を現す、白い光。

 返答次第では、自らの書斎が血の海になるであろうことも、ユーキカイネは知っていた。


「なにもしてない。ただボクは二人に憂いの拝殿の場所を教えただけ。かつて憂いの拝殿と呼ばれていた場所への道順を示しただけ」

「…もしこの先、イルやムトに何かあって、そこに貴方の影を見つけたら……絶対に許さない」

「ボクは知ってる。今言ったキミの言葉に嘘がないと、知ってる」


 二人の女は互いに視線を外さない。

 永遠とも思える緊迫した時間。

 終わりがやってくるのは、突然だった。



「ユーキカイネ様、オズワルドです。頼まれた物をお持ち致しました」



 部屋の入り口扉付近から聞こえる、凛然とした声。

 

 ユラウリはそこで踵を返し、別れの言葉すらなく立ち去っていく。


 入れ替わりにやってきたのは背の高い老紳士、ファイレダル国家軍部大将のオズワルド・バーナード。

 そのオズワルドにさえ一瞥もくれず、ユラウリは扉の外へ姿を消した。


「……回収品を見せて、オズワルド」

「こちらになります」


 そしてオズワルドが目の前までやってくると、ユーキカイネは姿勢を少しだけ正す。

 先ほどまで興味の欠けた瞳には、今や好奇の輝きが宿っている。


「まず一つ目の、造反者ガブリエラ・ユーゴの遺体です」

「これは要らない」


 何もなかった空間が歪み、切れ込みから一人の女が出現する。

 しかしユーキカイネは瞬時にそれを灰に変え、その灰すらも渦巻く風によって跡形もなく掃滅させた。


「……こちらが二つ目の、血の小瓶です」

「これが、彼の血」


 次に切れ間から取り出されたのは、真っ赤な液体が揺れる小瓶。

 それを大事そうにユーキカイネは受け取ると、表情を恍惚とさせる。


「ボクの知らない血。ボクの知らない世界がここにある」

「ユーキカイネ様、実は気になるものがありまして、もう一つ回収品がございます」

「もう一つ?」

「ガブリエラ・ユーゴを見つける前に、偶然拾ったものです。一振りの剣ながらも、私の持つもの以上の魔力を感じたもので」

「これは……」


 オズワルドはさらに空間の歪みから物を手に取る。

 最後に彼が見せたのは、柄から刃まで純白で統一された剣。

 その白剣を手渡されたユーキカイネの瞳は見開かれ、彼女は言葉を失う。


「それでは、私はこれで」


 時を静止させたユーキカイネに一度深く礼の形をとると、オズワルドは生じた歪みを消失させ背を向ける。

 そしてオズワルドがそのまま部屋を退出した後、長い硬直を経て彼女の瞳が瞬きを取り戻す。


「……これほどの魔力を込められた剣を森に捨てた? 何のために? 拾われることを想定した? 彼は全て知っていた? この血も、剣も、ボクとの出会いも、全て彼が望んだこと?」


 孤独な疑問は繰り返されるが、答えを返す者は誰もいない。

 ユーキカイネの息遣いが荒くなり、なにかに急かされるように彼女は小瓶の血を雫一つ分指に取り、それをおそるおそる舐める。


「……あんっ!」


 その瞬間、ユーキカイネの身体が大きく脈打ち、反動で抱えていた本が床に落ちる。

 味わうように唾を飲み込み、彼女は自分の左手を服の内側へ這い寄せていく。


「はぁっ……はぁっ……ボクに血を渡し、ボクに剣を握るよう促す……はぁっ……はぁっ……これがボクの知らない味、ボクの知らない匂い、ボクの知らない感触……」


 クチュ、クチュと粘性の高い液体が泡立つ音。

 剣の白い刃に真っ赤な舌を這わせると、ユーキカイネは軽く痙攣し剣を取りこぼす。

 喘ぐような吐息を漏らしながら、彼女は何かに導かれるように空いた右手を虚空に伸ばしていく。



「もっと知りたい。ボクの知らない世界を、もっとボクは知りたい。ボクが知りたいのは、もうキミのことだけ」



 ユーキカイネ・ニコラエヴィチ・トルストイ。

 ファイレダルの智帝と呼ばれ、この世界のことを全てを知るといわれる女王が何を見つめ、何に想い焦がれているのか、それを知るのは彼女以外に誰一人としていなかった



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