No.22 イルシャラウィ・カエサル



「ムト、どうするの? やっぱりヴォルフを……」

「当然救う。あいつはまだ生きてる。命があるなら、あいつを救うのに奇跡なんて必要ない。魔法だけで十分だ」

「……そうだよね。うん。ムトならできる。私もそう、信じてる」


 救う。

 ムトは力強くそう言った。

 いつものどこかおどおどとしていて頼りない声ではなく、はっきりとした意志を乗せた覚悟の言葉。

 普段より大きく見えるその背中の後ろで、私も自分の言葉を形にする。


「ムウゥゥゥウウトトォォォッッッッ!???!!?」

「心配するな、ヴォルフ。今助けてやるからな」


 リュックサックを下ろし、中から取り出すのは使い古されたスケッチブックと筆。

 暴力を奮うだけ怪物になってしまったヴォルフに、ムトは優しい声で語りかけている。

 その声には諦観も絶望もなく、私すらも安心させてくれる。


「《全ての異常よ去れ》」

「ガアアアアッッッ!!!!!」

「くそっ! だめか!」


 人が魔物になってしまう。

 そんな怖ろしいこと、これまで私は見たことも聞いたこともほとんどなかった。

 世界最強の魔法使い。

 私の叔母であるユラウリ・カエサルや、その姉のメイリス・カエサルよりも上にいるといわれる魔法使いのムトでさえも、今のヴォルフを救い出すのは簡単なことじゃないみたい。

 

「……だからって諦めてたまるかってんだよ」


 でもムトは諦めたりしない。

 私の英雄ヒーローは、この程度のことじゃくじけたりしない。

 だから私も応えなくちゃ。

 私にできることなんて限られているけど、私にしかできないことだってあるはず。


 私は記録する。

 孤独に戦う英雄を、私が皆に伝える役割を担う。


 筆を握り、私は今自分の目に映っている光景を白地に描き込んでいく。

 集中は加速していき、もう耳には何も入らなくなっていく。

 見えるもの全てを写すために、私の全てを注ぎ込んでいく。


 私が初めて筆を持ったのは、いつのことだろう。


 呪文の詠唱か、ムトの呟く言葉すら聞き取れなくなり始めた頃、私はなぜ自分が絵を描くようになったのかを考え始めていた。

 私にはユラウリ叔母さん、メイリス伯母さんのような魔法の才能はない。

 お父様や母様、レクサス兄様のように、誰かを惹きつける人間的な魅力もない。

 私には何もない。

 私だけが一人ぼっちだった。 

 そう、思っていた。


 でも絵の世界では、私の傍にはいつも色んな人がいた。


 空想の世界の私は自由自在に魔法を使えて、明るい笑顔をいつだって浮かべている。

 描けば描くほど、私の世界は綺麗に色づいていった。

 そっか。

 思い出した。

 だから私は絵を描いていたんだ。

 

 私は、英雄になりたかったんだ。

 

 


「……九秒、八秒、七秒」


 ムトが何かをカウントする声がふと聞こえる。

 その声には確信が満ちていて、不安も、怖れも感じられない。

 

 本物の英雄。色のついた、熱を帯びた英雄。


 私の絵はいつだって冷たいままだった。

 紅で塗り潰した私の願望に、温もりは少しも宿らなかった。

 憂いの拝殿。

 伝説に登場するその場所の景色を描きたかったのも、全ては自分のため。

 その景色を描けば、そこに立つ自分を描けば、英雄になれる、熱を手に入れられる。

 私の筆を持った手は、いつだって、自分のためだけに動かされてきた。


「……六秒、五秒、四秒」


 でも、今は違う。

 私は描く。

 私は記録する。

 彼の姿を。

 私のためじゃなくて、彼のために、彼のことを知らない世界のために。


「……三秒、二秒、一秒」


 彼は前に言っていた。

 絵に暖かみを宿そうとするのではなく、暖かいものを絵にするんだと。

 簡単なことだった。

 英雄は望んでなるものじゃない、望まれてなるもの。

 私はただ描けばいい。

 この目に映る、英雄の姿を、そのまま描けばいい。



「……ゼロ秒。待たせたな、ヴォルフ。今からお前を救い出す」



 パリィ、そんな音がしたと思えば、これまで私たちをずっと守っていた見えない壁が砕け散っていた。

 壊されたわけじゃないと思う。

 きっと邪魔だったから、取っ払ったんだ。

 もう距離をつくる必要がなくなったから、壁なんて消してしまったんだと思う。


「少しだけ痛いかもしれないけど、我慢してくれよ?」

「ヴオオオオオオッッッッッッッ!!!!!」


 空洞の壁から輝く蒼白い光が、役目を終え宙を舞う、クリアな破片に反射して幻想的に耀く。

 彼の、英雄の、ムトの手に黄金の光が集まり、その光が炎のように揺らめき出す。

 そして私は描いていく。

 その見えるもの全て、余さず描き続ける。



「《ヴォルフを返せ》」



 ムトが地面を蹴り、翼が生えているかのような優雅さで、浮上していく。

 固く握り締められた拳は、自分の名前を忘れた怪物の頬を真っ直ぐと撃ち抜く。

 

 ――迸る閃光。


 私は光に満ち溢れる世界で、伝説が上書きされる瞬間をたしかに見ていた。



「……あれ? ここは? ムト大兄貴? 俺は一体……?」

「ふぅ……まったく心配かけちゃって。お帰り、ヴォルフ」



 光が収まり、ゆっくりと地面に舞い降りる英雄。

 その英雄の腕には、彼よりも大きな男が抱きかかえられている。

 絵の終着点で、私は一瞬だけ筆を持った手を止める。


「……ちょっとくらい嘘、描いても、いいかな。これは絵だし、全部そのままじゃなくても」


 蒼白に黄金混じる情景も、穏やかに微笑む英雄の表情も、変えないまま。

 私はその腕に抱えられているものだけ描き変える。


 この筆が最後に描くのは、金色の髪をして、灰色の瞳をした、年若き少女。



 英雄に憧れ、英雄を夢見て、英雄に心奪われた、とある少女の姿だった。




――――――




 ダイダロスの森海。

 年を通して木々が青々と生い茂る大森林地帯の小さな滝が流れる付近。

 そこで茶髪で化粧のやや濃い女が、盛大に舌打ちをしていた。


(いやいや反則やろ……まさかウチのつくった魔法薬を完全に無効化するとは思わなかったわ。ただ強いだけやないってことなん?)


 女の名はガブリエラ・ユーゴ。

 彼女は自らの計画が失敗したことを確認したあと、転移魔法を使い洞窟の外に脱出していた。

 

(今からアテナに戻るか? いや、それは危険やな。ムト・ジャンヌダルクにもしウチを追うつもりがあるなら、まず真っ先にアテナに行くはず。あー、予想以上の遥か上や。なかなか思い通りにはいかないもんやな。まあ、それがオモロイんやけど)


 ガブリエラは足早に場所を移動しながら、次に自分がどう動くべきかを考える。

 この世界で最も敵に回してはいけない相手を、彼女は敵に回した。

 危機的な自覚を持ち、彼女は思考を巡らしていく。


(でもほんまどうしよ。ホグワイツ大陸にはもう居場所ないかもなぁ。いっそボーバート大陸でも行くか? たしかあっちは紛争中やったよな? 革命軍とやらに潜り込めれば、なんとかなるか?)


 逃走先を次々と脳内にリストアップしながら、最も現実的で生存確率の高いところはどこかを見積もる。

 数少ない転移系魔法の使い手であることは、たしかにガブリエラのアドバンテージだ。

 しかし、もう一度ムト・ジャンヌダルクに出くわせば命はない。

 そんな確信が彼女にはあり、その危惧が彼女を焦らせていた。



「ってあ?」



 その時、ガブリエラのすぐ目の前の空間が歪み、生じた隙間から鋭いナニカが飛び出してくる。

 思考を刹那に切り替え、彼女は必死で身を避ける。



「外しましたか。相変わらず危機察知能力には長けていますね、ユーゴ中将」



 枝木と落ち葉の上を転がりながら、ガブリエラはその抑揚の極端に欠けた話し方に驚愕を覚える。

 体勢を整え、前方に目を向ければ見える一人の老紳士。

 

 オズワルド・バーナード。


 ファイレダルという国において、智帝ユーキカイネの次に権力を持つ男が、この場にいるはずのない男が彼女の前に立ちはだかっていたのだ。


「なんでアンタがこんなとこにおるん? そもそもどうやって来たんや? ファイレダルで転移系の魔法が使えるのは、ユーキカイネを除けばウチだけのはずなんやけどな」

「そうなのですか?」

「クソ狸ジジイが。腹立つ顔しとるわ」


 表情は一切変えずに、僅かに頭を傾けるオズワルド。

 ガブリエラはその仕草が無性に腹正しかった。


「それでウチになんの用や? ずいぶんとご機嫌な挨拶やったけど?」

「回収です。現在私には、二つのものを回収せよとの命が下っていて、その内の一つが貴方の遺体となっています」

「あのクソアマ……こうなることも知ってたゆうんか? ホンマ殺したくなるなぁ……!」

「ユーゴ中将、私としても貴方にここで別れを告げるのは本当に心苦しいのですが、残念です」

「どの口が言ってんねん。そう言うなら少しは残念そうな顔しろや」


 魔力纏繞。

 無属性魔法を唱え、ガブリエラはいよいよ戦闘態勢に入る。

 逃亡は不可。 

 生き残るためには、戦い、そして勝つしか道はない。

 彼女は剣を抜き、一気にオズワルドの懐に侵入しその刃を向ける。


「《物質分解マター・アナライズ》」

「ちっ!」


 だが剣の刃はオズワルドに触れた瞬間、粉々に崩れ去ってしまう。

 初撃を防がれたガブリエラは、一度身を退こうと足裏に力を入れる。


「しまったっ!?」

「本当に、残念です」


 力を入れたはずの足はむなしく空ぶる。

 視線を下に落とせば、そこに広がっていたはずぬかるんだ足場が、ガブリエラの足下だけ綺麗に消失している。


 ――ザシュ。


 次いで感じる、暖かい漿液が胸の辺りを浸す感覚。

 呼吸が詰まり、全身から力だけ抜けていく。

 視界から色が薄まり、口の中も生臭い液体で満たされた。



「絶対に許さへんぞ、オズワルドぉ……!」

「許しなんて求めませんよ……ガブリエラ」



 オズワルドの手刀は、一撃目とは違い、正確に心臓を貫いた。

 汚れ一つなかった彼の服が紅く染まっていくたびに、ガブリエラの身体が重くなっていき、やがてその加重も止まる。

 ほんの少しの間、目を閉じ、祈るように何かの言葉を短く紡ぐ。

 目を再び開くと、彼は冷めていくのみとなった肉塊を地面に横たえた。


「あとは……」


 そして憎悪の表情で固まった女の服を漁り、真っ赤な液体で満たされた一つの小瓶を取り出す。

 小瓶はまだ半分以上中身を残したままで、それを二度、三度軽く振ると、満足そうにオズワルドは自らの胸元にしまう。


「……これで二つ、ですね」


 一度は地面に寝かせたガブリエラの骸を肩に担ぐと、オズワルドは静かに耳を澄ませる。

 彼に聞こえてきたのは、騒がしくも、どこか楽し気な男女の声。

 声の種類は三人分で、その内二人分の声には聞き覚えがあった。



「あの子の知らない唯一の男ですか……願わくば、知らないままで」



 しかしオズワルドがその声々の方向に身体を向けることは結局なく、彼はそのまま空間を歪ませて、生じた隙間の向こう側へ姿を消していったのだった。



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