No.18 メランコリー・サンクチュアリ



 木々の合間を縫い流水の音が聞こえてくる方へ向かえば、予想通り滝がそこにはあった。

 滝といってもそこまで大規模なものではない。

 どちらかといえば岩清水の巨大版のような感じだ。

 その滝の周囲に目を配り、俺は目当てのものを探す。


「ムト、あそこ」

「……おお! やっぱりあった!」


 イルシャラウィが俺の肩を叩き、ある一地点を指さす。

 細長く白い指先にあったのは、人が一人入れる程度の大きさしかなさそうな洞穴。

 地図にもう一度目を落とし、場所の再確認を行う。


 間違いない。

 あそこが憂いの拝殿の入り口だ。


 ユーキカイネの地図に描かれた、詳細な絵を見る限り、ここが旅の執着地点だということに疑いはなさそうだった。

 イルシャラウィとヴォルフに目配せをして、俺はさっそくその洞窟に近づいていく。


「ここですか。ムト大兄貴たちが探してたっていう憂いの拝殿の入り口とやらは」

「そうだと思う。あの女王様が嘘でもついていない限りね」

「小さい穴。あと、暗くて中が見通せない」


 落水のせせらぎを横に聴きながら、洞穴を念のため調べてみる。

 さっきから見ていた通り、穴のサイズは本当に人間一人でギリギリという感じだ。

 中を覗き込んでも真っ暗でなにも見えない。

 かすかに冷たい風を内部から感じるが、煤けたような匂いも混じっているので、やはり内部の想像はつかなかった。


「早く入ろう、ムト」

「う、うん。そうだね。い、行くか」


 ここまで来たというのにヘタレ始めた俺は、急かすようなイルシャラウィに曖昧な頷きをみせる。

 正直言って、まったくもってこの洞穴の中に入りたくない。

 不気味だし、危ない匂いがプンプンするし、今すぐ暖かいオフトゥンにくるまりたい気分だ。

 しかしさすがに今更ここで退くわけにもいかないので、俺は自分の股間を一発叩いて気合を入れ、暗闇に満ちた洞窟内に一歩踏み出す。


「灯りはどうします? 俺が火でもつけましょうか?」

「いや、大丈夫。俺に任せて。《光を》」


 魔法で眩しく発光する球体を創り出し、自分の少し前に浮遊させる。

 そしてついに洞窟に入り込んだ俺は、頬が濡れた空気に撫でられ、非常に不快な感触を早速味わった。

 内壁は鍾乳洞のようになっていて、ポタポタという雫の落ちる音も耳に入る。


「ここからどのくらいで憂いの拝殿につくの?」

「えーと、ちょっと待って……いやごめん、地図には書いてないや。この地図に書いてあるのは、入り口までの道のりだけで、穴に入った後のことはなにも書いてない」

「そうなんだ」


 ローションでも塗ってあるみたいにヌルヌルする地面に足を滑らせないよう気をつけながら、ひたすらに奥へ進んでいく。

 奥へ行けば行くほど、洞窟内の気温は下がっていっているようで、肌寒さも歩けば歩くほど増している。

 そういえばここまで結構歩いてきているけど、イルシャラウィは疲れたりしていないのだろうか。


「ねぇ、イルは大丈夫? あんまり休憩とか取ってこなかったけど、体力的にまだ余裕はある?」

「うん。問題ない。休憩なんて要らないから、早く憂いの拝殿を見たい」

「そ、そっか。ならいいんだけど」


 試しに疲労があるかどうか尋ねてみたが、イルシャラウィはいまだにやる気に満ち溢れていた。

 こちらの世界の人間は基本的にタフな人だが、彼女のような少女でも体力がそれなりにあるようだ。

 それとも、ランナーズハイとは言わないが、憂いの拝殿に早く行きた過ぎて、自分の疲労状態も把握できないほどに興奮しているのだろうか。

 まあ別にそうだとしても、俺は回復魔法を使えるので特に支障はないのだけど。


「ムト大兄貴。段々道幅が広くなってきましたね」

「あー、たしかに言われてみればそうかも」


 誰一人足を止めようとしないまま歩き続けていると、ヴォルフがふと思いついたような声を漏らす。

 仄かな白光に照らされる洞窟内の景色に変化はいまだないが、道の狭隘さはゆっくりと薄まっていっている気がしないでもない。

 寒気は残っていて暑いとは微塵も思わないのに、額には汗がじわりと浮かんでくる。

 そろそろ何か変化があってもいい頃だ。

 俺は自然と歩く足を速める。


「……お? なんか、風が?」


 すると明らかに身に吹きつける風の雰囲気が変わる。

 目を凝らせば、奥の方の暗闇に違和感を覚えることができた。

 俺は発光球体をもう一つ増やし、道の奥へ飛ばす。


「あ、光が」

「とりあえずはこの糞狭い通路からは抜け出せそうだね、イル」

「着いたんすか? ムト大兄貴」


 飛ばした光球が照らす範囲に、これまでと同じ壁が消える。

 憂いの拝殿に辿り着いたかどうかはまだ未確定だが、この閉所恐怖症を発症しそうな場所からはお別れできそうだ。

 背中をイルシャラウィの小さな手が掴むのがわかる。

 それが期待なのか不安なのか振り返って確かめてみようと思ったが、その星の如く輝く灰瞳を見れば前者であることは火を見るよりも明らかだった。




「……ここは?」


 これまで風が運んできていた湿気た匂いの源に、そして俺たちはやっと到達する。

 両手を横に伸ばしても壁には触れられず、天井がどこにあるかも今の光度では見れなくなった。

 

 しかし、何かがおかしい。


 通路を抜け、洞窟の空間が広がっている感覚はあるのにも関わらず、俺は闇を照らすために新たな光を創造できずにいた。

 俺の本能が訴えていたのだ。

 ここを、光で照らしてはいけないと。


「ムト、何かいる」

「《魔力纏繞》。ムト大兄貴、俺はいつでもいけるっすよ」


 何かが引き摺られる混濁した音。

 まだ光を放っていないため、闇には一つも欠けた箇所がないが、何かが蠢いているのは確定的に明らか。

 嫌だな。

 光つけるの嫌だな。

 でもつけなくちゃ駄目だよね。

 だけど嫌だな。

 光をつけないまま、とても引き返したい気分だ。


「ムト、光、お願い」

「お、おおおおおーけー。ままま任せろ。今、照らし上げてあげるよよよよ」


 及び腰になっている俺の逃げ場を、イルシャラウィが問答無用で潰してくる。

 なんとも容赦のない子だ。

 諦観に包まれた俺は、半分ほど目を瞑りながら光を唱える。


「《光を》」


 さっきまでとは違い、人間大の発光球体を創造。

 眩しい白を撒き散らし、光は高く高く昇っていく。

 光が高度を上げるたび、俺たちの目の前に広がる空間の姿が明らかになっていく。



「……ミチャァ……」


 

 大きいドーム状の空洞。

 その中で蠢動していたのは、ピンク色で艶のある奇妙なモノたち。

 身体のどこかに典雅と刻まれてそうな卑猥な生物が何十匹と、眼前の空間を埋め尽くしている。

 ああ、なぜだろう。

 すっかり忘れていた。

 ユーキカイネの言葉が、俺の頭の中でゆっくりとリフレインされていく。



『憂いの拝殿は今はデスアースワームの巣になっている。場所はヘパイストス平原。でも入り口はもうそこにはない。ダイダロスの森海には別の入り口がある』



 なぜ聞き逃していたのだろう。

 デスアースワームの巣。

 その魔物の名を俺は知っていた。

 すぐそこでブヨブヨと表皮を艶光りされる生き物の名を、俺は知っていたのに。


「こんなの、嘘。ムト、もしかして憂いの拝殿は……?」

「デスアースワーム。全てを破壊し、食らい尽くす、狡猾かつ凶悪な魔物。ムト大兄貴、この数のデスアースワームがいるってことは……」


 場所はヘパイストス平原と言っていたし、ここが憂いの拝殿である可能性はないはずだ。

 しかし、この光景が先も続くのだとしたら、きっとそこに伝説の風景はもう残っていない。

 巨大ミミズに全てを破壊され、蒼白に輝く奇跡の跡は塗り潰されている。



「この先にある憂いの拝殿は、もう私の望む姿じゃないのかな、ムト?」



 哀しみが俺の背中に伝わる。

 俺が照らした先に、イルシャラウィが夢見た光景はなかった。

 もっと早くにこの可能性に気づくべきだった。なぜ今の今まで聞き逃していたのか。


 いや、どっちみち意味はない。


 俺がイルシャラウィにこうなる可能性を提示したところで、彼女は自分の目で見届けるまで決して諦めなかっただろう。

 なら、せめて、仮初の幻をだけでも。


「ジャンヌ、憂いの拝殿を見せてやってくれ――」


 後ろに控える二人の置いて、俺は勢いよく前に飛び出す。

 ついさっきまで俺を支配していた恐怖も置いてけぼりにして、俺は彼女の夢を想像クリエイトする。



「――叶えよう」



 俺の意識を半分引き摺ったまま、異なる意識が澄み渡る波動を顕現させる。


 奔流する眩い蒼白光。

 

 幻想的な蒼が、先ほど出現させた発光球体すら飲み込み、さらに拡大していく。

 視界に溢れていたグロテスクな存在を抹消し、かつての英雄の道を穢すモノたちを浄化させていく。

 俺がイルシャラウィから聞き、覚えている限りの伝説を再現するように、蒼白の世界を創り上げていく。


 長い旅の果てに、俺はせめてもの想いを乗せて、彼女に夢を見せる。



「……とても綺麗。ありがとう、ムト」



 憂いを帯びた感謝の言葉に呼応するように、は世界を蒼白で満たしていった。

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