No.19 パンドラズ・ボックス



「ガラララァァアアアッッ!!!」

「…うるさい」

「ガラ――」


 咆哮と共に牙を向ける磊落な四つの蹄を持った一本角の怪物。

 しかし凄まじい熱量を秘めた閃光が煌めくと、怪物の分厚い胸に穴隙があく。

 断末魔さえなく魔物は倒れ伏し、たしかに絶命したことを確認すると、光を放った白い影がその骸を飛び越えていく。


(…けっこう面倒くさいことになった。こういうのは私の担当じゃないのに。火力に特化してる二番目ねえさまとか索敵ができる七番目ポンコツにやらせるべき。一回戻ろうかな)


 狂乱の喚声とまた何かが破壊される崩壊音にうんざりしながら白い影――ユラウリはまた一つ魔法を唱える。

 彼女はファイレダルの首都アテナにある国立魔導研究所の敷地内で、小さく舌打ちをする。

 そこは今や阿鼻叫喚の坩堝と果てていて、平時の静穏さは見る影もない。


 空を飛ぶ鳥頭をした悪鬼の魔物。

 剛腕を振り回し、手当たり次第に暴力を奮う猿の魔物。

 規則的な動きで並列を組み、的確に獲物を狙う蟻の魔物の群れ。


 およそ街中、特に研究施設内にいるはずのない凶悪な魔物たちが、視界のいたるところで暴れまわっている。

 ユラウリは片っ端から対峙する害敵を焼き払っていくが、その数は異様なまでに多く、猛威は増していくばかりだ。


(…いったいどこからこの魔物たちは現れている? 明らかにおかしい。こんな場所でこれほどの魔物が一度に大量発生するなんて)


 ファイレダル国家軍部の者たちもユラウリと同じように魔物の殲滅に当たっているが、戦況は五分といったところ。

 このまま見境なく戦い続けていても非効率的。

 そう判断した彼女は、方針を変更することにする。


「…そこの。今から私は元凶を探す。だからその間しばらく私は戦いから抜けることになる。耐えられる?」

「問題ありません。私も丁度そちらの方をお願いしようと思っていたところでした」


 近くで猿の怪物を拳だけで爆散させていた老紳士――ファイレダル国家軍部大将のオズワルドに声をかけると、普段と全く変わらない落ち着いた言葉が返ってくる。

 

「…ならよろしく」

「こちらこそよろしくお願い致します」


 返答に満足したユラウリは会話を打ち切り、オズワルドから離れていく。

 あらゆる角度から火炎放射や、巨礫の遠投が襲い掛かってきたが、彼女は一切それらに関与せず通り抜けていった。


(…魔物は研究所に近づけば近づくほど数が増えている。なら出現地点は研究所の内部?)


 必要最低限の反撃に抑えつつ、ユラウリは魔物たちの猛撃を掻い潜り続ける。

 独特の外観をした施設にやがて辿り着くと、彼女は迷わずのその中へ侵入していく。


「…《光足ライニング》」


 轟級に位置する高速移動魔法を使い一気にエントランスを駆け抜け、ユラウリは研究所の内部を目につくところからひたすらに捜索する。

 やはり魔物との遭遇率が上がり、通路が狭いこともあって研究所内を探し回る作業は骨が折れた。

 だが彼女は九賢人としてプライドからそれでも淡々と捜索を続け、やがてその努力は実ることになる。



「…見つけた」



 ユラウリが最後に辿り着いたのは、ある一つの部屋。


 ダミアン・ドストエフスキー研究室。


 表札に書かれたその文字を一瞥することもなく、彼女はそのすでに開け放たれている扉の内側へ足を踏み入れる。

 そこで彼女の目に真っ先に映ったのは、真っ黒に窪んだ空間の歪穴。

 奇妙な怪音を唸らせながら、その闇の穿孔から魔物の顔が這い出てくる。


「…《光線ライライン》」


 黒穴から乗り出した魔物のトカゲ頭にユラウリはすぐさま光の熱射を打ち込み、その頭蓋に空隙をつくりだす。

 大袈裟な音を立てて倒れる魔物の骸を見て、彼女は確信した。


(…この変な穴から魔物たちが出てきている。ここと別の空間を繋げている? 誰がどうやってこんなことを。そもそもなぜ?)


 魔物の大量発生の原因。

 それをついに突き止めたユラウリだが、いくつもの疑問はまだ解消されない。

 誰が。

 どうやって。

 なぜ。

 しかしそこで思考を一旦止め、彼女は問題の解決を最優先とした。

 

(…まあそれは後で考える。まずはこの穴をどうにかしないと)


 目の前の歪な穴が魔法で創り出されたものならば、魔法で消し去ることもできるはず。

 そう考えたユラウリは小さな手を掲げ、魔物の玄関の役割を担う黒点へと魔力を放出しようとした。



「おやおや、これは困りますねぇ。人の部屋に勝手に入り込むなんて。最近の女性は礼儀がなってない人が多いんですかねぇ」



 ふいに響く、不快な声色。

 ユラウリが静かに振り返れば、そこには見たことのない男がいた。

 痩せぎすの身体は背だけが高く、贅肉はおろか筋肉すらほとんどついていない。

 眼鏡をかけた顔は神経質そうで、立ちながら小刻みに貧乏ゆすりをしている。

 茶髪の髪はボサボサで、汚れのない白衣と不釣り合いだった。


「…誰?」

「誰とはこれまた失礼ですねぇ。私の部屋に無断で立ち入ってその態度。だから嫌いなんですよ。中途半端に才覚を持った思い上がりは。私は貴方のことを知っていますよ、“救世の三番目”……ユぅラぁウぅリぃカぁエぇサぁルぅ」

「…私の部屋? なるほど。誰が、はわかった」


 右親指を噛み、憎悪を剥き出しにする男に対し、ユラウリはいまだ平静を保っている。

 狂気に揺れる黒澱の瞳を見れば、彼女にはその男が倒すべき悪だと容易にわかった。


「…でもその格好、お前はこの研究所の、つまりはファイレダルに属する者のはず。なのになぜこんなことを? クーデター?」

「ふふっ! ふふはははっ! クぅデぇタぁ~!? これは傑作だっ! あまり私を笑わせないでくださいよ! このユーキカイネ様の真なる理解者であるこの私が、ファイレダル、ユーキカイネ様の国に反旗を翻すわけがないでしょう!?」

「…ファイレダルのためにやったとでも言うつもり? 言っていることとやっていることの辻褄が合ってない」

「仕方ありませんねぇ。かなに、説明してあげましょう」


 再び這いずり出ようとする魔物の頭をまたもや砕きながら、ユラウリは男の一挙手一投足に集中する。

 智帝ユーキカイネの真なる理解者。

 眼前に立つ男はただの狂人にしか見えなかったが、その言葉が引っかかっていた。

 もし今回の件に智帝本人が関わっているならば、事態は非常に厄介なことになるからだ。


「これは革命なのです。貴方たち賢人ではなく、ユーキカイネ様が世界の覇権を握るための革命なのですよ」

「…革命?」

「ユーキカイネ様は本来一国の王では収まり切らない器を持ったお方です。ゆえにユーキカイネ様には大義名分が一つさえあれば、瞬く間に世界を支配できる。もう一度、が起きれば、ユーキカイネ様こそが真の英雄だと証明できる」

「…理解不能」


 男は熱弁をふるうが、ユラウリには彼の話す内容がほとんど理解できない。

 この騒動からどう世界大戦を再び引き起こそうとしているのかも、まるでわからなかった。

 だがそこから続く男の言葉に、彼女は目を見開くことになる。



「ファイレダルの首都アテナで魔物が大量発生。それに巻き込まれた、ホグワイツ王国の王女が死亡。ホグワイツの王は怒り狂い、ファイレダルに抗議をする。しかし王女の死亡はあくまで事故。ファイレダルに非はない。それでもホグワイツの王の怒りは収まらない。私怨に基づく戦争の始まり。大義名分を得たファイレダル。……そして始まる智帝ユーキカイネの時代っ! ふははっ! 完璧なシナリオだっ!」



 男がいびつに嗤う。

 たしかに叫ばれた自らの生まれた国の名。

 危害を加えると堂々と宣告されたのはよく知る存在。

 理解を始めたユラウリの中に、暗い怒りが煮え滾り出す。


「…それをお前は智帝ユーキカイネに命じられたの?」

「愚かっ! 私とユーキカイネ様は心が繋がっているのです。あのお方が戦うための理由を待っていることを、真なる理解者である私には直接言葉を交わさずともわかるんですよねぇ。私は黒子でいい。ユーキカイネ様が英雄へと駆けあがるための舞台をつくりだすだけでいい」

「…思い違いだとは考えない?」

「ふふっ! 愚かもそこまでくると憐れですねぇ? ユーキカイネ様は何でも知っているのです。私がこれまであの方のために努力を続けていたことも、ユーキカイネ様は知っているはず。それにも関わらず、私を止める者が差し向けられることはなかったんですよ。つまり、それは私の行いが正しいことの証明っ!」


 饒舌な男の言葉を聞きながら、ユラウリは男の言葉に一理あることを素直に認める。

 千里眼とまで呼ばれる女王が、自国の研究者一人の狂気に気づけないわけがない。

 独断専行と思ったが、やはり智帝も何かしらを企んでいるのか。


「…まあ、でもそんなのどうでもいい。どっちみち、そのくだらない革命とやらはここで終わるし、知らないかもしれないけど私の姪はもうここにはいない」

「いいえ、私たちの革命はここから始まるんですよねぇ! イルシャラウィ・カエサルがこの国を出てるのは知っています。しかし私にも有能な協力者がいましてねぇ。彼女がホグワイツの王女の亡き骸をここまで運ぶことになっています」

「…それは大変。そしてお前は幸運。その協力者とやらが相手をするのは、私なんかよりよっぽど容赦がない人」


 イルシャラウィ・カエサル。

 自らの姪が狙われていることがはっきりしたが、そのことに関して彼女は全く心配していなかった。

 絵を描くのが得意な少女の傍につくのは、誰よりも気高く強き男。

 世界すらたった一人で救った男に、少女一人を守れないはずがない。


「まあいいでしょう。それでは私は、信頼のおける協力者が貴方の姪の亡き骸を持って帰ってくるまで騒動を保つ必要があるので、そろそろ貴方にはご退席いただきましょう」

「…お前の生首持って、詳しい話は飼い主に訊く」


 ユラウリはこれ以上話すことはないと判断し、魔力をぶつける対象を目の前の男に移す。

 すでに相手の魔力は把握している。負ける要素はない。

 その事実を知ってか知らずか、向かい立つ男もいまだ冷笑を浮かべたままで余裕は消していない。

 力量差を計れない愚か者。

 自らの勝利を確信しているユラウリは、男をそう評する。


「私の協力者は実に腕のいい魔法薬の研究者でもありましてね、その彼女からある貰いものをしているんですよ。おっと、いけない、元研究者でしたねぇ」

「…いきなり何の話」

「魔力増強薬。貴方はおそらく私に負けるはずがないと思っているでしょうが、つまりはそれは間違いということです」


 すると脈絡のない話を突然口にした男は、服の内側から赤黒い液体の入った瓶を取り出し、一気にそれを飲み込む。

 完全に虚をつかれ、反応はできない。

 その瞬間、これまでユラウリが目の前の男から感じていた魔力の波長に爆発的な変化が生じた。


「今回はあの天才が最高傑作と言い切っていた代物です……これがあれば私だって貴方のような九賢人にぃぃいいいィィっっッッ!?!?!」

「…油断した。これはまずいかも」 


 急激な変化は大地すら震えさせる。

 荒ぶる魔力の脈動は収まらず、男を中心に凄まじいうねりを引き起こす。

 ユラウリの余裕はすでに消えていて、彼女は自らの瞳に映る光景にただ目を見張ることしかできない。



「あああアアアアアううううイイイイぎぎぎぎギギギギぃいぃいぃいっッッ!?!??!!?!?!?」



 ゴキュ、ゴキュ、と男の身体が不自然に変形し、全身が痙攣をみせている。

 目は真っ赤に充血し、首は九十度横に傾く。

 背中から艶黒の骨が幾つも飛び出し、その骨それぞれに真紅の筋肉繊維が絡まり昆虫の腕のようなものを形成する。

 額と喉仏に眼球が新たに生まれ、そのどれもが何回も瞬きを繰り返す。

 口から伸びる舌は三又に割れ、皮膚は漆黒の殻皮に覆われた。


 ――それは異形。


 原型を失い、圧倒的な魔力を持つただの怪物と成り果てた男に、もはや自意識は残っていない。


(…この魔力、どこかで感じたことがあるような……いや、今はそれどころじゃない。さっきまでは余裕だったけど、今のコイツから感じる魔力の量は私より上)


 複数の眼球はキョロキョロ視線を様々な場所へ忙しなく動かしている。

 そして変形を終えた、寸前まで男だったナニカの眼球がふと一点に定まる。


「ユゥキィ」

「…っ!?」


 ――瞬間、圧倒的な力がユラウリを襲い、彼女の小柄な身体が簡単に吹き飛ばされる。

 まるで見切ることができなかった不意の一撃は、単に腕を薙ぎ払っただけ。

 そのことに気づいた彼女は、いよいよ戦慄する。


(…ちょっとシャレにならない。ここまで勝てる気しないのは、ここ最近で二回目)


 数日前の模擬戦闘を思い出しながら、ユラウリは先の一撃を防ぐときに折られた右腕を光属性魔法で治癒させる。

 勝機はほとんどない。

 冷静に目の前の怪物と、九賢人である自分との力量差を計算した彼女は悩む。


(…転移魔法で逃げたら、その間にこの街が本気で終わるかも。だからといって時間稼ぎをしてもほとんど意味がない。どうしよう)


「カァイネェ」


 再び腕を薙ぐ異形。

 今度はかろうじて回避に成功したユラウリだが、攻勢に出る余裕はやはりない。

 退くか、挑むか。

 そう彼女が悩み続けていると――



「ボクは何でも知ってる。この世界のことなら何でも。だけどやっぱりに関係する事柄は、知ることができない」



 ――地面から鉄の鎖が突き出し、再三腕を薙ごうとした異形の身体を縛った。

 ユラウリは視線を背後に移す。

 すると彼女の灰色の瞳に映ったのは、“五帝”、そう呼ばれる、賢人と並び世界の頂点に立つ者の一人だった。



「…智帝ユーキカイネ・ニコラエヴィチ・トルストイ。やっと会えた」

「ユラウリ・カエサル。キミにお願いがある。他の九賢人を増援として呼んできて欲しい。それまではボクが彼の相手をする」



 床に付くほど長い栗色の毛を靡かせ、色違いの瞳を輝かす孤高の女王。

 凛然と経つ彼女の顔には、ある感情が浮かんでいる。

 その感情を目の当たりにしたユラウリは少し不愉快に思ったが、世界秩序を掲げる組織の者として要求を断ることはできなかった。


「…わかった。すぐに戻る。それまで持ちこたえて。ただ、もしこの怪物を倒し終わったら教えてもらう――」


 異形が奇怪な金切り声を上げる。

 その中で、この世界の全てを知ると言われる女王だけが、この危機的状況に似合わない感情を表に出していた。


「――なぜ今その顔に、笑みが浮かんでいるのか」


 ユラウリはそこまで言うと、転移魔法を発動させ姿を消す。

 そして残されたのは、咲き誇るような、どこまでも純粋な笑顔のみ。




「ボクが知りたいことはただ一つ。ボクが知らないことだけ」



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