No.11 エゴイスティック・ポイズン



【ムト、判断を仰ぎたい。申し訳ないが目を覚ましてくれ】


「……むう?」


 霧に包まれた頭の中に響く、アルトの音色。

 心地良い揺れを感じながら瞼を開ければ、窓から月下の広陵が見渡せる。

 鼻を擦り、目元を掻けばぼやけた意識が少しはマシになった。

 

 どうやらいつの間にか眠りこけていたらしい。


 若干こりが残る身体を伸ばす。

 俺の向こう側の席では、イルシャラウィが体育座りの体勢で寝息を立てている。

 魔法特急はまだ夜の中を走り続けていて、ファイレダルの首都アテナには到着していないようだ。


【ムト、聞こえているか?】


「あ、うん。聞こえてる聞こえてる。どうしたの? ジャンヌ?」


 霞んだ思考がクリアになってきたところでやっと、俺の居眠りを中断させたジャンヌの二度目の催促に応える。

 普段はこちらから声をかけないと反応を見せない彼女にしては、今回のようなことは非常に珍しい。

 特に寝ている間に話しかけてくるなんて初めてかもしれないな。


【小さな魔力を持った点が複数、敵意を持ってこちらへ迫って来ている】


 暢気に構えていた俺の穏やかな気持ちが吹き飛ぶ。


「は? え、そ、それって敵襲ってこと? 人間? 魔物?」


【おそらくは魔物だ。ムトの睡眠を妨げることは避けたかったが、貴公の許可なく撃退していいものか判断がつかなかった。私を許して欲しい】


 三年前のジャンヌだったなら、俺に危害があると判断した瞬間、なんの躊躇いもなく勝手に身体を動かし、問答無用の殺戮を行っていただろう。

 そう考えると、俺だけでなく彼女もずいぶんと成長したように思える。

 ただの概念から、確固たる自己へ。

 なんとも感慨深いものだ。


「いや、許すもなにもそれは別に構わないけどさ……魔物か。これはまたどういう状況なんだ?」


【感謝する、我が宿主よ】


 ジャンヌが俺に声をかけたのは、どうもこの魔法特急が魔物に狙われていることが理由らしい。

 俺は辺りの気配を探ってみるが、当然ジャンヌのように何かを察知することはできない。

 敵意を持った魔物が迫って来ている。

 もちろんジャンヌの言葉に疑いはなく、俺はゆっくりと腰を上げ、いつでも闘えるよう準備を整えた。


「うーん、魔物ねぇ。敵意があるってのが気になるな」


【それでどうする、ムト。貴公の一言さえあれば、私たちに害なす可能性のあるものを数秒と経たずに全て灰に帰させてみせるが?】 

 

「ま、まあ、待ってよ、ジャンヌ。そもそも俺たちの出番があるのかもわからないんだし」


 この魔法特急は製造元こそ、今では大陸一の商業国家となったアミラシルになるが、運営と管轄は世界魔術師機構となっている。

 つまりは公認魔術師オフィシャル・ウィザードも俺たちと同じようにどこかに乗車しているはずで、もし魔物との遭遇があればその対処は彼らの仕事のはず。

 本来ならば魔物が出没するルートは通らないのだが、今回はジャンヌがいうように敵意を持った相手のため衝突を避けられなかったのだろう。

 

【いや、おそらくは、私たちが対処に向かわなければこの敵意を阻止することはできない】


「え? なんで? だって近づいてくる魔力反応は小さいんだよね?」


【ああ、小さい。たしかに小さいが、その複数の点の一つ一つは、私たちを除けば最も大きい魔力を包容している」


「あの、ジャンヌさん? それは小さいって言わないんじゃ……」


 まさかの事実発覚に、俺はがっくりと肩を落とす。

 俺の最も信頼する最強の魔法使いは、こういうところで少しずれていることを失念していた。

 小さい魔力反応、それはあくまで無限の魔力を持つ者を基準としたもの。

 やっぱり俺、というかジャンヌがやるしかないようだ。

 諦めの視線を窓の外に向ければ、俺の肉眼にもやっと明らかな異常が映るようになっていた。


「……おいおい、なんですかあれ? なんか飛んでない?」


【翼が生えている。それで飛んでいるのだろう。しかし私たちは翼がなくとも飛べる。ゆえに私たちの方が上だ】 


「そんなところで張り合うつもりはないんだけどさ……」


 目視された異質な影の数は九つほど。

 四枚の翼を器用にはためかせながら、凄まじい速度で接近しつつある。

 正直言って空を飛べる魔物は希少だ。俺もほとんど知らないし、例の黒竜以外に見た覚えがない。

 醜い天狗みたいな顔をした、毛の一本生えていない気色悪い怪物が群れをなして一直線に向かってくる。

 その景色に著しく気分を害した俺は思考を放棄して、全てを彼女に任せることにした。


「なんというかまあ、超怖キモイ。……ジャンヌ、あの有害指定生物を一匹残らず駆逐してくれ。もちろんイルシャラウィの安全を最優先に考えながら」


 化け物退治は俺の役目じゃない。

 空中浮遊も俺は不得意だし、戦闘も苦手な俺はもう一度仮眠をとらせてもらうとしよう。

 俺は静かに瞳を閉じ、次に開く役目を彼女に託す。



「叶えよう」



 そして俺に心からの安堵を与えたのは、自分の意志とは関係なく紡がれた言葉だった。




――――――




「なんであんな化け物がこんなところに……!?」


 ホグワイツ王国とファイレダルの国境を超えた辺りで、仲間の公認魔術師から魔物発見の報告を受けた男は自らの瞳に映る光景をどうしても信じられなかった。

 二対四枚の赤翼。

 鈍く輝く鉄色の鉤爪。

 嘲笑を滲ませる凶悪な相貌。

 

 “鬼魔ガーゴイル”。


 賢人ワイズマン級に属するその怪物が確認できる範囲だけで九体。

 対して現在魔法運搬機器マジックビークルに控えている公認魔術師の数は四人。

 実力でも数でも負けている。

 唐突に襲ってきた、あまりに大きな脅威に男は歯ぎしりすることしかできない。


(くっ……どうする!? 九賢人を呼ぶか? いや、無理だ。間に合うわけがない。しかしなぜこんなところにあれほどの上位魔物が? くそ! 今はそんなことを考えている場合ではないか! どうにかしてこの状況を切り抜けなければ!)


 男は魔法特急の運転を担当している者に方向転換を指示する。

 だがそれでも迫りくる異形の影は大きくなるばかりで、一向に距離を離せそうにない。


(狙われているな。いったんここを降りて、時間稼ぎをするか? ……いや、それはあまり良い方法じゃないな。おそらく俺に九体全てが集中することなどないだろう。分散させても意味がない) 


 静かに無属性魔法を唱えると、男は仲間の三人にも戦闘準備をするよう促す。

 もはや戦いは避けられない。

 ならば世界守護を命とする公認魔術師としては、その身果てるまで戦い抜くしか道は残されていなかった。


「全員、外に出ろ!」


 己を奮い立たせるため、男は雄叫びを上げる。

 それに呼応をする仲間たちを見て男は満足すると、先陣を切るように窓から魔法特急の屋根上に跳ぶ。


 時刻は深夜。この非常事態にどれほどの人間が気づいているのかはわからない。


 願わくば乗客は最後まで何も知らないままで。

 男は二つの月が輝く夜空で、邪悪な笑みを浮かべる怪物を睨みつける。


「キャキャキャキャ!」


 なにがおかしいのか、暗闇に高らかな笑い声を上げる鬼魔ガーゴイル。

 その様子に侮辱の色を感じた男は、震える手に魔力を集中させ、自らの持つ最大威力の魔法を発動させようとした。 



「キャキャキャ――」



 ――パァン。

 その時、正体不明の破裂音と共に、ブツリと不自然にガーゴイルの内一匹の鳴き声が途切れる。

 次いで宙に撒き散らされる真っ赤な漿液。 

 気づけば頭部を失っている一匹のガーゴイルは、常時動かしていた翼を羽ばたかせるのを止め、不規則な軌道で地に落ちていく。


(一体、なにが?)


 満ちる静寂。

 額をつたう冷や汗を拭うこともせず、男は硬直を続けていて、それは残りの八匹のガーゴイルも同じだった。



「《ルシオラ》」



 パァン、とまたもや響き渡る何かが弾ける音。

 男はそれで正気を取り戻したように、夜空に目を凝らす。

 するとまた一匹、頭部を消失させたガーゴイルが地面に吸い寄せられていく。

 

 なにかが起きている。

 異質な、なにかが。

  

 心臓の音が早まるのを自覚しながら、男はやっと明らかな異変の正体を見つけ出す。


「《ルシオラ》」

「キャ――」


 再び繰り返される破裂音からは、連続と重なりを聞き取れる。

 赤く澱んだ血が、音に反応するように噴出していく。

 まるでそれは真紅のクラッカー。

 役目を終えたのか、一匹残らず頭部を爆散させたガーゴイルはその全てが地に伏せた。


 夜天に残るのは、たった一人。


 いつからそこにいたのか。

 白と黒のコントラストが目を惹く外套を身にまとい、肩にかかる程度の黒髪を風に揺らし、月の光に負けない黄金の輝きを瞳に宿らせる一人の青年。

 その青年と偶然視線を合致させ、男は決意したように言葉を絞り出す。


「き、君はいったい――」


 ――しかしその瞬間、青年の姿が音もなく掻き消える。

 月明かりに照らされるのは、刹那の内に命を絶たれた賢人級の怪物の亡き骸だけ。

 その光景も、魔法特急の屋根に乗っている男からは、すぐに遠のいていく、


(俺は、夢でも見ていたのか……?)


 横に並ぶ仲間たちの方を見ても、放心したような状態で男と様子はそう変わらない。

 あたかも賢人級の魔物の襲来からの数分間が全て幻覚だったかのよう。

 立ち尽くす男が夜風に混じった、形ある冷たさに気づくのは、それからしばらく経ったあとだった。




――――――




「これは予想外ですねぇ。困りますねぇ。こういうのは本当に困りますねぇ」

「へぇ。オモロイやん。ウチでも見たことない魔法やった」


 天候が崩れだし、月が雲に隠され始めた夜。

 夥しい量の血を爛れ流し、悪臭を放つだけとなったガーゴイルの死骸を眺める二人の男女の姿がある。


「何者ですかねぇあれは。せっかくこの私が時間を掛けて用意したというのに勝手なことをしてくれましたねぇ。これは許せませんねぇ」

「頭を魔法で一発。……うーん? 風属性の魔法やろか? 空気を圧縮させ、一気にパァン、みたいな?」


 とうに魔法特急は遠くに走り去ったあとで、今この場に人影は彼ら以外には見当たらない。

 二人のうち眼鏡をかけた痩せぎすの男の方は、右親指の爪を噛みながら、ひっきりなしに貧乏ゆすりをしている。

 一方背の低い、化粧の派手な女の方は興味深そうにガーゴイルの骸を観察していて、顔には喜色が微かに浮かぶ。


「ああ! せっかく私たちの王が! 世界の覇者となる時代の幕開けとなるとおもったんですけどねぇ!」

「うるっさいわ、根暗メガネ。声がでかい」 

「……貴女こそさっきから何をしているんです? 今どういう状況かわかってるんですかねぇ?」

「見ればわかるわ。馬鹿にすんな。ただ失敗した。それだけやろ?」

「それだけって貴方ねぇ!?」

「あーあー、うるさい。うるさい。本当めんどくさいわお前」


 男が顔を真っ赤にして怒鳴るが、女はそれを軽く受け流す。

 彼女の関心はもはやここにはない。

 記憶に残る黄金の瞳に思いを馳せ、嗜虐的な笑みを見せるだけだ。


「それにしても強かったなぁ、アイツ。のウチでも勝てる気しないし。だけどあそこまで強いと……結構限られてくるんちゃう?」


 女が空を見上げると、黒い空に白い薄片が混じり始めているのがわかった。 

 季節が冬になると、彼女の生まれた国ではよく見られるものだ。

  


「ああ、またやり直しですねぇ。私たちの王……ユーキカイネ様をこの世界の覇者にするための計画は」

「ドンマイ。ドンマイ。国境で事件を起こすってのは、中々いいアイデアだったとウチは思うで」



 身体に積もり始めた氷の結晶を肩から落とすと、女は魔法を一つ唱え、頭部のないガーゴイルの死骸を全て消し炭に変える。

 

 月光の隠れた闇夜に輝くのは、鷹を模したファイレダルの紋章が二つ。



 魔法特急の後を追うように、白染めの地面に残る彼らの足跡も同じ方角へ続いていく。



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