No.7 ウォー・デイ・ウォー



 薄白い朝日が目に染みる。

 使える魔力に際限のないおかげで体力的疲労や、睡眠不足からくる倦怠感などはない。

 それでもやはり精神的な疲れというものは溜まってしまい、そのせいで俺は夜が明けたというのにどこかぼんやりとした感覚が拭えなかった。


「おはよう、ムト。昨日はずいぶんと遅くまで飲んでいたようだけれど、盛り上がったのかしら」

「……ああ、ラーか。おはよう。まあ、それなりにね。そっちはなにしてたの?」

「色々よ」


 宿屋の一階にある簡素な食堂で軽い朝食をとっていると、気品溢れる銀毛の猫がゆったりとした足取りで俺の席までやってくる。

 そして慣れた様子で近くの店員を呼びつけると、相も変わらず魅惑的な声でホットミルクを頼んでいた。


「それでジャックはどうしたのかしら?」

「うーん、まだ寝てるんじゃないかな。でもたぶんそろそろ……あ、噂をすればなんとやら」


 俺が朝食をだいたい食べ終わり、食後のコーヒータイムに移行しようとしている辺りで、こちらに向かってよろよろとした足取りで近づいてくる人影が見えた。

 そいつはくしゃくしゃの茶髪を梳かすこともせず、小学生でも着ないような短パンを履き、上半身裸というこの季節では中々挑戦的なファッションをしている。

 虚ろな目つきで時々、不審な嗚咽を繰り返しながらも、やっとのことでそいつは俺たちと同じテーブルに座ったのだった。


「……おぇ。おはよう、ムト、ラー。ご機嫌な朝だな」

「おはよう、ジャック。貴方はどう見てもご機嫌に見えないのだけれど、大丈夫?」

「うっぷ。大丈夫か大丈夫じゃないかでいえば大丈夫じゃないな。というか完全に二日酔いだ。頭がガンガンする。ムトは平気なのか?」

「俺はまあ、二日酔いとかはないね。なんか頭がぼけっとはしてるけど」

「そっか。さすがは我が親友と言ったところか」

「あら。いつの間にか貴方たち親友になったのね」


 驚いたようなラーの声にあえて反応することもなく、俺は熱いコーヒーを喉に流し込む。

 昨晩は、俺としては珍しいことに大声を上げて口論をしてしまった。

 しかしその後は、なぜかすっかりその口論の相手であるジャックと意気投合してしまい、それこそほんの数時間前まで酒場で飲み明かしていたのだ。

 何の話で盛り上がっていたかというと、だいたいは女性関連の話だった。さらに限定的にいえば下ネタだ。

 互いに経験のない童貞のせいか、恥も醜聞もなく互いの考えをさらけ出すことができた。ここまでオープンに会話を楽しんだのはかなり久し振りな気がする。

 たしかに俺とジャックは流派が違うというか、細かい趣味趣向は一致しないところもあったが、根っこは一緒だった。要するに俺たちは二人とも異常なまでに女性人気がなく、そのくせ女性に対しては非常に積極的な興味を持っているということだ。


「その変な服、いつの間に手に入れたんだよ。というか俺の外套は?」

「んあ? ……あ、ほんとだ。おれいつからこんな短パン履いてんだ? まったく記憶がない」

「おいまじかよ。まあ、俺もずっと一緒にいたはずだけど、よく覚えてないな」


 アルコールに対する耐性は常人以上にあるはずだったのに、なぜか昨晩の記憶がやけに曖昧だった。

 どれくらいの飲み屋を梯子したのか。そもそもいくらほど金を払ったのかも思い出せない。

 俺はお金には困っていないのでそこは別に問題ないが、きっと全額俺が払ったのだけはたしかだ。なぜならもう一人の変態は一文無しなのだから。


「それにしても、朝から結構沢山の人が起きてるんだね」

「まあな。おれたちドワーフ人は朝に強いんだ。……うっぷ」

「ジャックを見てる限り、あんまりそうは見えないけど……ってあれ? ジャックってドワーフ人だったの?」

「言ってなかったっけか? ウェのウェイ。その通り、おれは生粋のドワーフ人だよ。そういうムトこそ、どこの出身なんだ? パッとみ、大大陸の方っぽいけど。黒髪はこっちの大陸にはほとんどいないからな」

「ああ、俺の出身かぁ……」


 あらためて自分の出身を聞かれて、俺はなんと答えるものか頭を悩ませる。

 できればジャックにはあまり嘘をつきたくないが、むしろ正直に答えた方が嘘扱いされてしまいそうなのが困ったところだ。

 それでも考えてみれば、すでにムト・ニャンニャンという偽名を使ってしまっているので、今更かもしれない。

 しかしさらによく考えてみると、俺はいつまで偽名を使えばいいのだろう。 

 ゴードンと別れた時点で、すでに俺は革命軍から抜けたも同然だ。もう偽名を使う必要がないようにも思える。

 おそらく次にレミから呼ばれる時は、ムト・ジャンヌダルクとして会いに行かなくてはいけないことはまず間違いない。

 ここは一度、いつもの設定を使ってみることにしよう。


「……実は俺、三年より前の記憶がないんだ。そのせいで、自分の故郷はおろか、両親の顔すら覚えてない」

「な、ななななんだって!? それほんとなのかよ!? ……すまねぇ、ムト。まさか、お前にそんな過去があったなんて。嫌なこと聞いちまって申し訳ない」

「え? い、いや、それはべつにいいけど。……信じてくれるの?」

「ああ、もちろんだぜ。なんたって、ムトの言葉だからな」


 うわぁ。朝から心が痛い。

 まさか俺の記憶喪失設定を信用してもらえるとは思わなかった。俺の記憶がたしかなら、ここまで一言、二言で信頼してくれたのはジャックが初めてだ。

 実際、俺はこの世界に三年より前では存在していないので、そこまで完全な嘘というわけでもないが、あまりに全面的に信じられてしまうと、少し胸が痛んだ。

 すぐ傍でラーが金色の瞳を細めているのがとてもいやらしい。なんていやらしい猫なんだ。いやらし過ぎる。


「お、お、おう。そっか。信じてくれてありがとう。そういうわけで、俺は自分の出身は知らないんだ」

「なるほどなぁ。でも黒髪なんて、あっちの大陸でもあんまりいないだろ? たぶん帝国とかの血が流れてるんじゃないか?」

「ジャックはホグワイツ大陸にも行ったことあるの?」

「行ったことあるもなにも、おれは普段向こうに住んでるからな。転移魔法でこっちに飛ばされたって言ったろ? ああ、そうか。そういえばどこから飛ばされたかは言ってなかったか」

「へー、そうなんだ」


 言われてみれば最初会ったときに、行き遅れ魔女だのゾンビ親馬鹿だの宣わっていたような気がしないでもない。

 あれはホグワイツ大陸の知り合いのことだったのか。

 だが知人に魔女とゾンビがいる奴なんてそうそういない。俺だって魔女はいても、ゾンビには会ったことがない。ゾンビのようなよくわからない存在には会ったことはあるが、アレはもうこの世界から消えたはずだった。


「ジャックって普段なにしてるの? やっぱり無職?」

「ば! 馬鹿! ば! ば! 違げぇよ馬鹿! お前は本当におれを舐めてるよな。言っとくがおれはこう見えてもけっこうその筋じゃ有名人なんだぜ?」

「ほーん」

「ちょま!? 全然信じてないだろその顔!?」


 自称その筋では有名人らしいが、まったく俺はジャックの言葉を信じられない。

 だいたいその筋ってなんだ。無職の中では名が知れてるってことだろうか。


「栗色の髪に翡翠の瞳……ドワーフ人……ジャック……?」

「どうしたの、ラー?」

「……いえ、なんでもないわ。それより、そろそ出発しない?」

「うぇ、もう行くのか? おれ、まだ二日酔い治ってないんだけど」

「そうだね。そろそろ行こっか」

「おれの体調と発言は無視かよオオイ!?」


 これだけ声が出せれば大丈夫だろう。俺たちは町を出て、いよいよアルセイントに向かうべく身支度を整える。

 ラーが口数を減らし、意味深にジャックを見つめているのが少し気になったが、対して上裸の変態は何も気にしていないようなので、俺も意識を切り替える。

 革命軍総指揮官であるヴィツェル・アロンソを殺害した何者かが、きっとこの先で何か歓迎の準備をしているはずだ。

 もちろんおそらくそれがあまり俺としては嬉しくない歓迎だとはわかっている。

 

「……面倒なことにならないといいけどなぁ」


 そして俺は若干怯えに引き始めた腰をなんとか押しやり、ドワーフの首都アルセイントに向かうべく宿屋を後にしたのだった。




――――――




 薄黒い煙が身に染みる。

 テラスからは晴れ渡った青空の下に広がる街が一望でき、遥か遠方では山脈が連なっている。

 この日、一本目の煙草を肺いっぱいに吸い込みながら、剃り込みの入った金髪を掻く男は気分良さそうに煙を澄んだ空気に吐く。

 男の屈強な肉体からは長年に渡る鍛錬の成果が窺え、鋭利な刃物ような眼光からは苛烈な性格を容易に悟ることができた。

 彼の名はキンブレイ・オズ・ファーガソン。

 しかし彼の本名がこの国で呼ばれることは今やほとんどなくなった。

 今はただ、こう呼ばれる。


 “ファースト”。

 

 それは名ではなく称号に近いものだったが、彼の知る限り、それ以外の名で呼ぶのはいまや彼の妻以外にはいなかった。



「また煙草なん? 身体壊すで、“ファースト”?」



 ふいに隣りから投げかけられる独特の嫌味を含んだ声に、キンブレイは顔を少し傾けて視線を向ける。

 見えたのは何が面白いのか薄笑いを浮かべた、一重瞼と蒼目をした長い金髪の男だった。

 そのあまりにエルフらしい、エルフらし過ぎる外見に彼はいつも思う。

 この男は本当にエルフ人なのだろうかと。エルフの皮を被った死神か何かなのではないかと。

 

「……相変わらず気配を消すのだけは上手いな、“シックス”」

「まあ、それだけが僕の特技やからね。君は僕と違って得意なことがいっぱいあってほんま羨ましいわ」


 キンブレイはその皮肉っぽい男のことをシックスと呼ぶ。

 それは彼だけでなく、この国にいる誰もが同じように使う男への呼称だった。


「それで何の用だ。俺はお前の顔を見ていると気分が悪くなる。できれば今すぐここから消え失せて欲しいんだが」

「ぶふっ! ぶふふふっ! 相も変わらず僕に厳しいなぁファーストは!」

「べつにお前にだけ厳しいわけじゃない。俺は基本的に人型の生き物が嫌いなんだ」

「それもそれで変わっとる。ちなみに僕は人型の生き物大好きやで」

「お前の趣味趣向は聞いてない」

「ぶふふふっ! やっぱりファーストはおもろいなぁ!」


 何が琴線に触れたのかシックスは腹を抱えて笑い続ける。

 その様子を見てキンブレイはだいぶ不愉快になったが、特にそれを口にすることはない。

 それはこれまでもこのようなことが何度もあり、彼がその度に不快感を露わにしても何の効果もないことはとうに知っていたからだ。


「もう一度訊くぞ。それで何の用なんだ」

「ただ噂話をしに来ただけや」

「興味ないな。煙草が不味くなる。早く消えろ」

「ぶふっ! まあまあ、そう言わずに聞いてや、僕の噂話」


 案の定、キンブレイが何を言ってもシックスは立ち去ろうとはしない。

 彼が人嫌いであることは周知の事実であり、最近では彼の妻以外ではこのように業務以外で話しかけてくる者はほとんどいなくなったのだが、この比較的経歴の若いエルフ人は数少ない例外だった。


「アイランドって男を知ってるやろ? ……どうもあいつが殺られたらしいで」

「……」


 アイランド。

 その名前はキンブレイも聞いたことがあった。

 このエルフという国において、唯一彼より上の立場に座る存在、幻帝ヨハン・イビ・グアルディオラが暗殺部隊として雇ったという他国出身の人間で構成された少人数グループ。そのグループのリーダーを務めていた男の名がアイランドだった。


「……誰にやられた? 革命軍か?」

「一応、そういうことになっとるな。どうもホビットの方の紛争地帯でひと悶着あって、そこで殺されたみたいや」

「つまり、紛争に敗北したということか?」

「そや。ヨハン様もお怒りみたいやで」

「だろうな」


 潔癖の王である幻帝は敗北を認めない。

 王直属の暗殺部隊まで投入してなお、革命軍に敗北を喫したとなると、何かしらの動きがあることだろう。

 そのキンブレイの予想は見事に正しく、彼が確認するまでもなくシックスがその正しさを証明するのだった。


「なんでも“セカンド”と“フィフス”がそこの紛争地帯に送り込まれたらしいで。こりゃ、もしかしたら本気でホビットを潰す気かもしれへんな」

枢機卿カーディナルを二人もか」

「さらにこっちも噂やけど、“サード”もドワーフに向かってるって聞いたで」

「……耳がいいな。気味の悪い奴だ」

「ぶふふっ! それ酷ない!?」


 枢機卿カーディナル

 それは幻帝を頂点にするエルフ軍の中でも、特別な権利を持った六人のことを指す。

 エルフという国にも法があり、軍部関係者であろうと貴族であろうとそのルールからは逸脱できない。

 しかし、例外的にその法に縛られないほどの越権を許された存在がこの国にはいた。

 それはまず幻帝ヨハンであり、それ以外にも六人。そしてその六人こそがまさに枢機卿と呼ばれる異端の力を持った者たちのことだった。

 その六人の枢機卿たちは常に幻帝ヨハンによって、特殊な呼ばれ方をする。

 ファーストとキンブレイが呼ばれるのも全て、幻帝ヨハンが彼のことそう呼ぶからというのが唯一の理由だった。



「……戦争、か」

「僕らの出番も、近いうちに来ると思わへん?」



 シックスの問い掛けにキンブレイは答えない。

 煙草の火は気づかぬうちに消えていて、彼はもう一本火をつける。

 身体を穢される感覚だけが、今の彼を癒していた。

 

 灰色の煙は、静かに空を昇り、穏やかな風に乗って消えていく。


 ふと隣りを見てみれば、そこにはもうシックスの姿はなかった。




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