騒ぐ阿呆と喋る猫
もはや誰もいなくなったオリュンポス島で一人、地面に項垂れている男がいた。
廃墟と化した塔前で、その男は虚ろな目で独り言を繰り返し続けている。
「ヤベェ……今回はマジでヤベェ……死んだろこれ絶対。悪魔に伝言ゲーム? ……絶対伝えたら最後、オマエ、モウ、ヨウズミ、とかい言われてぶっ殺だろこれ絶対」
冷気を含んだ風に吹かれても微動だにしない尖った紅髪も、今は気のせいか萎びてみえる。
灰色の土を指でなぞって文字を書く。
走馬燈を見る余裕さえないかも知れない。
そんなことを思いながら彼――ゼルド・クリングホッファーは地面にひたすら過去の思い出を書き連ねていった。
「俺の人生ってマジなんなんだろうな……悪の組織とかマジカッケェパネェとか思ってたけど、意外に地味な仕事ばっかりだったし。今思い出しても九賢人にビビッてた記憶しかねぇっつの。しかも国際魔術連盟が実は俺たち側とか、先に言っとけよタコ」
誰も見ていないという理由から、ここぞとばかりに愚痴をこぼす。
自分を置いて行ってしまった同僚たちには普段、直接言えないことは割合沢山あったからだ。
「かぁーっ! あっけねぇ! あっけねぇなぁー! 俺の人生! カルシファ師長は俺のことなんて本っ当どうでもいいんだろうな。かぁーっ! つれぇわーっ! モブな人生つれぇわー!」
投げやりになったゼルドは、とうとう大の字で地面に寝転がる。
さしてよくない天気模様が、彼の視界一杯に広がった。
寒さに身体が震える。
季節にすら腹が立つゼルドだが、その苛立ちをぶつける相手ももういない。
(だいたい悪魔とか、言葉通じんのか? まあ、でも、悪魔ってのが俺の想像よりもいいやつの可能性もあるしな。すんげぇエロい女悪魔だったらいいんだけどなぁマジ)
鼻くそをほじりながら、怯えることにすら飽きはじめたゼルドは適当な妄想をする。
そのうち瞳も閉じて、今にも眠りそうな勢いだった。
(それに案外ルナたちよりも、俺の方が楽な仕事って可能性もあるし。まあたぶんヤベェんだろうけど、なるようになるか)
深く考えることを止め、下手糞な口笛で唇を遊ばせる。
臆病なくせに能天気なゼルドらしい、時間の潰し方だ。
「……ん? なんだこの感じ……ヤベェ、超ヤベェ感じがすんぞ……?」
しかし音程の崩れた口笛は、すぐに途絶えることになる。
危機察知に優れたゼルドは身体を起き上がらせ、辺りを確認した。
するとその瞬間明滅する光。
「おい、何だ? ついに悪魔がやってきたってのか?」
突然のことに、慌てて光の方へ眼を凝らすゼルド。
彼から少し離れた場所に、ついさっきまでは確かになかった人影が一つ分増えていた。
「……お、今回はちゃんとこれたのか? なんか、たしかに島っぽい感じだけど……」
人影の情報が脳に伝わった瞬間、ゼルドの身体が硬直する。
自然と歯が震え、ガチガチと音を鳴らす。
全てが破壊され尽くした島に、どこからともなく姿を現した、その人影の正体を彼はすでに知っていた。
「マ、マジかよ……?」
中性的で、幼さがやや見える顔。
少し濡れていて、癖の一切ない黒髪。
周囲をキョロキョロと見回す明るい茶色の瞳。
黒套を身に纏うその青年の名を、ゼルドは知っていたのだ。
「悪魔よりヤベェ奴きたぁぁぁっっっっ!?!?!?」
――――――
「……お、今回はちゃんとこれたのか? なんか、たしかに島っぽい感じだけど……」
寒いのは寒いのだが、気温がさっきまでよりは上がった気がする。
情緒溢れる雪景色も見えなくなり、空を見上げても灰黒な厚雲がびっしりと広がっているだけ。
クレスティーナさんやレウミカ、マイマイと他の賢人とかいう人たちだってもういない。
「とりあえず転移できたのは間違いないな。あとはここが本当にオリュンポス島とかいう場所なのかってことだけど」
状況確認に周囲を見渡してみるが、殺風景というか、すでにことを終えた感が凄いしてくる。
奥の方を見てみると、何やら建物が倒壊した跡があるし、さっきから俺以外に人がいる気配がまったくしない。
「あ、これがそうなのか」
すると足下にキラリと光る物を見つける。
腰を屈め拾ってみると、それが黄金の破片だということがわかった。
これでまず、今回こそは目的地に転移することができたらしいな。
金片を指で適当にパチンパチンと弄びつつ、仕方がないので島散策を始めることにする。
「にしても、不気味な場所だなここも」
光の届かない森、キラキラと水面光る海辺、綺麗な雪化粧に染まったどこかの野原。
色んな場所を短い間にポンポンと移動してきた俺だが、もしかしたら今いる場所が一番苦手かもしれない。
自然の、あるがままの孤独ではなく、最初は何かがあったのに、それが全て壊れてしまって生まれたような寂莫を感じる。
「なんか血の匂いもするな」
誰もいない荒廃した島を歩いていくが、聞こえるのは自分自身の足音だけ。
たまに風が積み重なった瓦礫を崩すのがわかるくらいだ。
しばらくの間、賑やかな時間を過ごしていたせいか、少し妙な気持ちにならないこともない。
「……ん? あれは何だ?」
だがそうやって歩いていると、ふと前方に何か不審なものが見える。
地面の上に四角い何かが落ちている?
その四角の隣りには斧のような物が置かれているようだ。
いや、違う。
あれは人だ。
誰かが倒れているのか?
「レイドルフさん……じゃない。というかそもそもあれ、倒れてるわけじゃない?」
だがやけに狭くなった歩幅でゆっくりと謎の物体Xに近づいていくと、段々とその正体がわかり始めてくる。
やはりそれは間違いなく人。
でもただの人じゃない。
なぜか俺に向かって、土下座の体勢を取っている知らない男だった。
「あ、あの~? 大丈夫ですか?」
「ヒィッ!? マ、マジ命だけは勘弁してくださいっすっ!!!」
ジャパニーズ土下座の体勢をキープしたまま、その謎の人物Xは怯えた様子で俺に命乞いをしてくる。
……え? なんなのこの人?
というかこの世界にも土下座の文化があったなんて。
「いや、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。え、えーと、誰かと人違いしてるんじゃないですか?」
「は? マジすか? そちらさんは、ムト・ジャンヌダルクさんじゃないんすか?」
「ん? いや、俺はムト・ジャンヌダルクだけど……もしかして俺とどこかで会ったことあるんですか?」
「うわぁぁぁっっっっ!?!? や、やっぱりそうじゃないっすかぁぁっっっ!? マジオナシャスッ! 命だけはマジオナシャスッ!!!」
紅い髪の男は発狂したように、オナシャスを繰り返す。
オナシャスとは何だろう。
俺の得意としているスポーツのニュースタイルだろうか。
というかこいつ、全然俺の質問に答える気ないな。
「ま、まあ、少し落ち着いてくださいよ。俺は貴方の命を奪ったりしませんから」
「……マジすか?」
「うん。マジマジ」
「…………」
ミスターオナシャスがじっと俺の方を見つめてくる。
どうやら俺のことを相当警戒しているようだ。
もしかしたらジャンヌ状態のときの俺に会ったことがあるのかもな。
そして見るからにチャラんぽらんな男は、突然満面の笑みを見せると、なんと驚くべきことに俺に肩を組んできた。
「いや~! 流っ石すよ! ムトの兄貴! 俺は絶対、兄貴はメチャいい人だと思ってたんす。いや~! やっぱりなぁ~! マジ感激! 俺、兄貴の舎弟になれてマジ感激っすよ!」
「え!? は? 待て待て待て!? 兄貴? 舎弟? ちょっと急すぎて何がなんだかよくわからないんだけど!?」
「ん~、こうやって近くで見ると案外兄貴可愛い顔してるっすね。年上にモテそうっす」
変わり身早過ぎだろ。
やばい奴に絡まれた。
なんだこいつ?
相変わらず全然俺の方の質問には答えないし。
しかもこいつ、俺の勘が正しければ……確実にホモ!
俺の経験上、やたら馴れ馴れしく男にボディタッチをする奴は、全員ホモだ。
最悪だ。
ホモに懐かれた。
女一筋で人生二週目まできているのに、まさか最初の貞操の危機が男絡みだなんて。
「それで、兄貴はここに一体何しに来たんすか?」
「え? あ、え、えーと、島が今どうなっているのかの確認と、ちょっと人探しと、あと知り合いの知り合いがここに来るらしいから、その人との合流かな?」
「知り合いの知り合い、やっぱりそうなんすね? 類は友を呼ぶ、やっぱりそうなんすね!?」
なぜかホモシャスは嬉しそうにガッツポーズをしている。
そうなんすね、をひたすら繰り返しながら喜びを噛み締めている。
ふぅ。これだからホモは困るぜ。
俺とは対極に位置する存在ゆえに、その思考回路が全く理解できない。
「実は俺もその、ムトの兄貴の知り合いの知り合いとやらをここで待っているところだったんすよ。つまり俺と兄貴はナカーマ! もはや運命共同体と言っても過言ではないわけっす! いやマジヤベェ展開っすね!?」
「えぇ!? そうなの? 君もあの人たちの知り合い? じゃあ、ここでレイドルフさん見なかった?」
「レイドルフさん? ああ! 雪銀の一番目のことっすねっ! 確かにレイドルフ・リンカーンはここに来てましたよ! でもレイドルフ・リンカーンもホグワイツ王国に向かったっす!」
「あ、そうなんだ」
一体どういう関係で、何者なのか知らないが、どうやらこのホモシャスもクレスティーナさんたちの仲間らしい。
偶然かどうかわからないが、レウミカパパことレイドルフさんもすでに、マイマイたちが向かったホグワイツ王国というところに旅立っているとのことだ。
ということは、つまりここで残ったやるべきことはエデンちゃんとやらを待つことだけ。
「じゃあ、しばらくは君と一緒にここで待機って感じなのかな?」
「そういうことになるっすね! いや~! 心強いな~! 兄貴がいるならマジ悪魔だろうが死神だろうがどんとこいっすねっ!」
「はは……そうだね」
やべぇこいつテンション高い。
しかも俺が苦手なタイプのアップテンションだ。
この男は俗にいうウェイという属種の人間だろう。
口癖もマジ、ヤベェ、などと俺の知ってるウェイの特徴を抑えている。
「それにしても暗くなってきたっすね。夜とかに来る場合もあり得るんすか? 寝てたら、俺たち応対できないっすけど、それってマジヤバくないすか?」
「うーん、まあそうだけど、さすがに問答無用で襲い掛かってくることはしないんじゃないかな」
「なるほど。それもそっすね。兄貴に隙とか無さそうっすもんね。ヤベェ、マジパナイっす」
輝いた瞳を、ホモシャスは真っ直ぐに俺へと注いでくる。
なぜこの男の俺に対する好感度は、これほど高いのだろうか。
しかし、ヨイショされるのも満更でもないので、余計な質問をすることはしないようにする。
ウェイ特有のコミュ力の高さのおかげで俺も普通に喋れているし、意外にちょうどいい人材かもしれない。
当たり前だがかなりのイケメンだし。
「ねぇ、そこのお二人さん。私もお仲間にいれてくれないかしら?」
すると突如、ホモシャスに汚染され始めていた俺を、現実に引き戻す甘美な声がどこからか聞こえた。
俺のセンサーがビビンッと反応。
ターゲットはすぐそこにいる。
見なくてもわかるさ。
メスが俺の近くにいるということはな。
「うっわ……マジ? ムトの兄貴、今喋ったのって……アレっすよね?」
「そうだね。たぶん、あれで間違いないと思うけど」
しかし、俺のセンサーが反応を示した先を見ても、そこには俺の欲望を叶えてくれそうな女性の姿は見つからない。
俺とホモシャス、二人のモテない男の視線の先にいたのは、なんと黄金の瞳を煌めかせる銀毛の猫だった。
「……駄目?」
「許可っ!」
「え!? いいんすか、ムトの兄貴!? あの猫ガチで怪しいっすよっ!?!?」
俺は正体不明の喋る猫を、仲間に加えることを即座に許す。
なぜなら声がエロいから。
この瞬間、俺のストライクゾーンはついに人智を超越したのだ。
でもこの喋る猫、どっかで見覚えが……まあ、別にどうでもいいか。この世界の猫にも穴があるのかどうか。大事なのはそれだけだろう。
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