全能の前に立つ者
「安心してムト・ジャンヌダルクの下にくだれ」
「キーモッ。ムカつくからアンタ殺していい?」
感情の揺れ動きを一切見せない黄金の瞳。
それを見たエデンは一瞬で理解する。
目の前の青年が、自らをまるで脅威として認識していないことを。
初撃を完璧に防がれたという事実も相まって、その反応はエデンを苛立たせた。
元来短気な彼女は、眼前の青年が何者であろうとも、亡き者にすることを確定事項とする。
「その要望を受け入れることはできない。なぜなら私に敗北は許されないからだ」
「は? アンタの返事なんて聞いてないんだけど? エデンが殺したいから殺す。ただそれだけなんですけどぉ?」
灰色の大地を踏み込み、エデンは黒髪の青年の頭上へと飛び上がる。
カチリと聞こえるのは、舌のピアスを噛み鳴らす音。
殺意の魔力を、一切の躊躇なく解き放った。
「《
ほとんど幅のない至近距離で発現されたのは、火属性の絶級魔法。
澱みのない真紅が、炎の爆発を引き起こす。
全てを燃やし尽くすために。
自らの存在を認めない、全てを否定するために。
「危険だ。貴公は少し離れていろ」
「え? あ、ありがとう」
しかし、エデンの炎は地面に焦げ跡を残すことしか叶わない。
自らの魔法が目論見を果たせなかったことに気づいたエデンは、小さな舌打ちを乱発する。
振り返ってやや距離が離れた地点を見てみれば、そこには銀毛の猫を抱えた黒髪の青年。
戦闘中にも関わらず、その青年の視線はエデンではなく人間の言葉を話す猫に向けられていた。
「キィィィィモォォォッッッッ!!! エデンのこと無視して猫とイチャついてるとかふざけてるんですかぁぁっっっ!!!?!?」
優雅な動作で猫を地面に置く青年。
その所作からは、まるで緊張は感じられない。
エデンの苛立ちがさらに増す。
自らが敵対すると明言した相手に、このような反応をされるのは彼女の人生で初めてのことだった。
「余裕ぶっこいたまま死ねよクソゴミキモカスムシがぁぁっっっ! 《
感情のままにエデンは絶級魔法を連発する。
この時、もうすでに彼女の頭の中にクレスティーナやネルトのことはなくなっている。
エデンの思考を埋めるのはただ一つ。
目の前の青年を完膚なきまでに叩き潰す。
唯一それだけだった。
「……《
迫りくる氷と金の轟波。
圧倒的な質量をもって破壊の大波が、たった一人に向け押し寄せる。
しかし、それに対し黒髪の青年はゆっくりと手を一度払いのけるのみ。
静かな声で一つ魔法を唱えるだけ。
それ以上は必要なかった。
「がっ……!」
瞬間、エデンは思わず目をつぶる。
彼女を襲ったのは、息をすることさえ困難になる横薙ぎの強風。
立ってるだけで精一杯になるほどの暴風が気づけば吹き荒れていた。
「抵抗するのをやめろ。貴公では私に傷一つ付けられはしない」
「キモキモキモキモォォォッッッ!!!」
落ち着いた声が聞こえるのは背後。
絶叫しながらエデンは、振り向き様に拳を奮う。
だがやはりそれは空振りに終わってしまう。
風はすでに止んでいて、顕現させたはずの最上位の魔法はもう跡形もない。
「ムカつくムカつくムカつく……! エデンがこんなにムカついたの超久し振りなんだけど……! キーモッ……マジキモイ。絶対殺す」
沸々とエデンの殺意が際限なく燃え上がっていく。
いとも簡単に無効化された自分の魔法。
それも彼女の苛立ちを募らせる原因の一つだったが、一番の理由はそれではない。
理由はさっきの一瞬。
黒髪の青年が見せた予想以上の魔法に押し負け、自分の魔法が打ち負かされたその瞬間。
その瞬間、たしかにエデンは無防備だった。
致命的な油断、機会。
その決定的な隙に青年は付け込まず、あろうことか己を諭す言葉をかけた。
侮られている。
誰よりもプライドの高いエデンには、その事実が何よりも許せなかったのだ。
「言っただろう。貴公では私を殺せない。なぜなら私は最強だからだ。そして私と貴公の間に敵対関係は存在しない。抵抗は無意味だ」
「黙れ黙れ黙れ……! キモイから喋んな。エデンに命令するな。黙って殺されてろ」
血が滲むほどに自分の唇を強く噛み締め、エデンは狂気の形相で青年を睨みつける。
変わらない表情。変わらない口調。変わらない余裕。
冷たい黄金の眼差しを向ける青年の全てが、エデンにとって忌むべき対象だった。
「……《
エデンは、殺意の衝動を光属性の絶級魔法へと昇華させる。
瞬く間に広がる白光。
暴力的な光は視界全てを白に染め、穢れた魔力が空間を支配していく。
見えるのはもはや光だけ。
光の園で、感覚の自由を得るのはたった一人。
「死ね」
一歩踏み出せば、すぐ目の前に黒い外套を羽織った背中が現れる。
この世界でエデンが望めば、望んだ場所へ行ける。
白光の中でエデンが望めば、望んだものを見ることができる。
煌輝の支配者となった彼女は、激情を刃に変える――、
「《
――ピキリ、と、しかし刃にヒビが入る。
次いで白で埋め尽くされた世界に、黒線が刻まれていく。
刹那の間に黒線はその数を増していき、すぐに白い部分の方が少なくなる。
暗転する世界。
光の、エデンの世界は塗り替えられてしまう。
一瞬で黒套を纏った背中も闇に飲み込まれ、そしてエデンは全てを見失なった。
「無意味だ」
「あああああああああぁぁぁっっっっ!!! 」
ポン、と青年がおもむろにエデンの肩に手を置くが、彼女は喉を潰すような叫び声を上げてその手を払いのける。
戻った視界にまず最初に映ったのは、平静さを揺るがさない黒髪の青年。
怒りで思考が真っ白になり、エデンはいよいよ我を失う。
「キモイキモイキモイキモォォォイイイイッッッ! なにエデンの肩に馴れ馴れしく手とか置いちゃってんのぉぉっっっ!?!?! キモスギィィィッッッッ!!!!!」
ほとんど発狂状態のエデンは魔力を爆発させるが、やはりそれは誰も傷つけられない。
強烈な自尊心が現実を否定しようとしても、肩に残った温もりがそれを許さない。
ムト・ジャンヌダルク。
青年が口にした名を思い出し、エデンはその名を自分に刻みつける。
「……ムト・ジャンヌダルク。エデンはアンタの存在を認めない」
「エデン。ムト・ジャンヌダルクは貴公の前に立つ。そう、言った」
瓦礫の山の下で赤く尖った髪の男が気絶していて、銀毛の猫が遠くから成り行きを見守る中、自らより強き者を知らない少女は闘いを続ける。
――――――
「んあ? あれ? ここどこだ?」
「あら? やっと目を覚ましたのね」
口の中には土っぽい味。
全身は冷え切っていて凍えそう。
ゼルドは混乱する。
なぜか気づいたら瞳を閉じていて、目を開ければそこには人間の言葉を喋る猫がいたからだ。
「……って痛てぇっ!? なんだこれっ!? 全身がメチャ痛てぇっ!?」
「起きた傍から騒がしい人ね」
思い出したように感じる痛みに、ゼルドは身体をのけぞらせる。
するとその拍子に彼は、ゴロゴロと瓦礫の山を下り落ちていった。
「ちくしょう……マジ痛てぇ。んだよ、これ? 何がどうなってんだ? ……ん? あ、あれはムトの兄貴っ!?」
軋む全身に苦悶を浮かべながら辺りを見回すと、少し離れた先に見慣れた顔を見つける。
黒い髪に黄金の瞳。
ゼルドが兄貴と仰ぐ、ムト・ジャンヌダルクという青年の姿がそこにはあった。
「ええ、彼は九賢人の一人、エデン・クロムウェルと戦闘中よ。もっとも、あれを戦闘と呼んでいいのか、わからないけどね」
「おお! 思い出してきたぜ! そうだ! あの茶髪女に俺はぶっ飛ばされて気絶したんだっ!」
薄らと戻ってくる記憶。
前触れなく姿を現し、自らを思い切り殴打した癖っ毛の少女。
だがその相手とムトが闘っていると知って、ゼルドは内心ニヤついた。
自分を一撃で戦闘不能にした実力者、しかも九賢人であるその少女を、ムトならば軽く捻ってくれると期待していたからだ。
ムトの勝利は実質自分の勝利。
不思議な思考回路をもつゼルドは、本気でそう思っている。
「だけどなんか変だな? たしか天気は微妙な晴れだったよな? なんで今はこんな曇り空になってんだ?」
「あら? もしかして気づいていないの?」
「は? 気づいてないって何に?」
ここでゼルドは奇妙なことに気づく。
気絶する前と天気がまるで違うのだ。
それ以外にもやたら空腹感を覚えていたり、彼には理由のわからない違和感があった。
しかし幸いにも、その違和感の正体はお喋り銀毛の猫がすぐに教えてくれる。
「貴方が気を失ってから、だいたいまる一日経っているわ。その間ずっとあの人はエデン・クロムウェルと戦闘を続けているのよ」
「はぁっ!? マジかよ! それ超ヤバくね!?!? ムトの兄貴がそんなに苦戦してんのかっ!?」
驚愕の事実にゼルドは愕然とする。
想像以上に経っていた時間にもだが、最も大きな驚きは、それほど時間をかけてもムトが倒しきれない相手がいるとは思わなかったことだった。
だがゼルドが戦闘を繰り広げているはずの方向へ視線を送ると、またもや彼の想像は裏切られる。
「……ってあれ? なんで二人とも無傷なんだ? しかも、なんだよあのヘロヘロパンチ。あれ、本当闘ってんのか?」
見えるのは、到底規格外の魔術師同士の戦闘には見えないほど拙いもの。
虫が止まりそうなほど遅い拳を栗毛の少女が繰り出し、それをムトが当然のように避ける。
それだけではなく、もはやムトが交わそうとせずとも勢いのない拳は空振りをする。
どう見ても、ムトには余裕があるが、栗毛の少女には限界がきていた。
「そろそろ終わりそうね。エデン・クロムウェルはとっくのとうに魔力切れ。指で少しつつくだけで気を失うんじゃないかしら。まあ、それも当然。彼女はこの一日ずっとあの人に攻撃を避けられ続けたのだからね」
「はぁっ!? マジかよ!? なんで兄貴は反撃しなかったんだ?」
「知らないわよ」
焦点も合わず、もう立っていることすら奇跡に思える少女の動きが、ついに宙で停止する。
口は半開きだが、呼吸をしているようには思えない。
流された汗は身体中を濡らしているが、身には傷一つない。
「エデン、貴公と私は敵ではない」
「………キ……モ……」
すると動きを止めた小さな身体が、とうとう重力に逆らえなくなる。
グラリと倒れる少女。
それをしっかりと受け止めるのは、呼吸一つ乱れない青年。
ゼルドはその光景を見ながら、一人呟いた。
「マジパネェ……反撃無しでも九賢人に勝てんのかよ。マジ味方でよかった」
「そうね、やはり彼しかいないみたい……あの子を救えるのは」
思わず隣りの猫をゼルドは撫でようとするが、それは見事に回避される。
風が凪ぎ、青年の瞳の光が消える。
そして少女――エデンの闘いは静かに終わりを告げた。
「……よし、なんか色々アレだったけど、これでとにかく回収完了っと。さて、それでは早速、クレスマの方に向かいますか」
途端に雰囲気を豹変させるムトに、ゼルドは心の中で思う。
カッケェ、と。
彼は結局なぜムトとエデンが闘っていたのかわからなかったが、それを気にすることはなかった。
ただ暢気に自分が一番弟子で、エデンは三番弟子なので自分の方が先輩だな、などと考えているだけだった。
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