集う待ち人たち



「……ムト。あんたがその人を氷漬けにして、この教会をめちゃくちゃにしたのかい?」

「え? あ、まあ、そういう事になるかな。こんな風になるとは思わなかったけど、緊急事態だったから俺も必死でさ」


 俺はジャンヌに赤い髪の男を殺さずに無効化しろと追加の注文をつけ、それが達成された後は氷の彫像を眺めてひとまず休憩をしていた。

 自分達はなぜ襲われたのか。

 この男は誰なのか。

 疑問はいくらでもあり、考えるべき事は山程あった。


 そのまましばらく無益にしていると、廊下の方からやけに慌ただしい足音が聞こえ伝わってき、俺が先ほど作った氷壁の通り道を抜けてなんとクレハが姿を現したのだった。

 まさに僥倖。

 この時点で俺の思考はもう殆ど機能していなく、ちょうど凍らせた男のトップモデル並みの造形に対し無駄に嫉妬し始めていたところだったので非常に良いタイミングでの遭遇だといえる。


「それでさぁ、ちょっと聞きたいんだけど。この人誰だか知らない? なんか会うなりいきなり暴れ出してきて、とりあえず凍らした後、顎を軽く殴って気絶させたんだけど」

「いきなり暴れ出したのかい? あんたの顔を見るなり?」

「あ、そ、そうなんだよ。なんかアルマーヌって人が言うには、ここの教会の最高責任者らしいんだけど」


 よほど急いでここまで来たのだろう。

 クレハの額には玉の汗が浮かび、それなりに過ごし易い気温だというのに濃赤のシャツは少し濡れている。

 視線を少し背後に伸ばせば、氷壁の穴からチラチラと部屋の中を覗き込むコノリの姿も見えるし。

 しかしなぜ部屋の中に入って来ないのだろうか。

 クレハにお預けでも貰っているのかな? 

 確かにあの餓鬼は少しうっとおしいから会話に参加しないならしないで構わないのだが、何か違和感を感じる。


 あの眼は。あの俺を盗み見る眼には。


 ……恐怖が映ってないか?


「……その人は知ってるよ。このデメテル治療教会の最高責任者の、ゲートアート・コバーン教師。それがその人の名だよ」

「あ、そうなんだ。本当にここで一番偉い人だったんだな」

「それで、私も聞きたい事があるんだけど。いいかい?」

「ん? あ、ああ構わないよ」


 クレハも様子が普段と違う。

 基本的に彼女は落ち着いた性格だが、現在目の前に立つクレハは落ち着いているというよりは緊張状態にあるといった方が正確そうだ。

 一々言葉を慎重に選んでる節があるし、俺の一挙一動にもどうやら注意をしているらしい。

 一体どうしたというんだろう。まるでわけがわからない。


 だがここで一つの考えが俺の脳裏に浮かぶ。


 まさか。そんなはずはないと思うが。

 いや。しかし、それで全ての説明がつく。



「この教会には病人が沢山いたはずなのに、どの階にも誰一人として姿を見られなかったんだけど、理由は知ってるかい?」

「は、はひっ!? い、いやぁ! し、知らないなぁっ! 俺が来た時には最初から、病人らしき人は誰もいなかったよっ!?」

「……そうかい」



 突如俺の脳裏を横切った考え。

 それは、もしかするとクレハは俺にプロポーズをしようとしているのではないか、というものだ。

 確かに俺の推測はあまりにも突拍子がない。

 だがこれでクレハがやたら緊張している理由も分かるし、コノリが怯えて遠くから見守ってるのも、姉が振られるかもしれない場面に立ち会っている事からだろう。

 だが心配は要らないよコノリ坊や。

 君の姉さんの心も体も俺がしっかり受け止めてやろう。


「ムト、私はあんたに命を助けられた事には本当に感謝してるよ」

「えっ!? い、いいんすよっ、別にそんなのっ!!!」


 突然改まる麗しい紅髪の美女。

 久し振りに俺の灰色の脳味噌が活躍したせいで、無駄に俺まで緊張してきてしまったよ。

 恐らくさっきから返答が完全に挙動不審になってしまっている。

 声は百パーセント裏返っているだろうし、口調も安定していない気がする。


「でもそれが、私の命の恩人が、母さんを、この街を傷つけるなら、私は剣を持つよ」

「いやいや命の恩人だなんてっ! あっ! あれは、おっ、男として当然の事をしただけだから!!!」


 ヒュー! カッコイイっ!

 決まったな。完全に決まった。

 もうベタ惚れかこれ? うん? ベタ惚れですよね?

 さあ、いつでもいいぞ! もうクレハの言葉が半分くらいしか聞き取れないくらいに俺は興奮しているんだ! 落とすなら今だぞ!


「私はあんたが凄い魔法使いだってのは知ってる。あんたにとっては人の命を救う事も簡単なんだろうね……そして命を奪う事も」

「す、凄くなんかないって! 俺はちょっとばかし魔法が得意な、ただの通りすがりの一般人さっ!?」


 まあ結局通りすがってないけど。

 それにそういえば結局このゲートアートとかいう少し不良っぽい男に襲われた理由がわからないな。クレハの元彼か? いや、それはどうでもいいか。

 今はクレハの一世一代の告白に集中してあげないと。


「じゃあ最後に一つだけ言わせてもらえるかい?」

「おおっ!? い、いいぞ!? 構わんぞっ!?!?」


 ごくり。

 遂に来る。

 股間が熱くなってきた。



「あんたにこの街は渡さない」



 瞬時踏み込む、クレハの右足。

 彼女の右手には小ぶりのナイフ。

 

 俺に近づいてくる美麗な顔は憤怒に染まり、その黒い瞳には揺るぎない覚悟が見て取れた。

 あまりに唐突過ぎるクレハの行動に、俺の思考は完全に停止する。

 首筋に真っ直ぐ迫る鋭利な刃。

 死の接近をゆっくりと眺めながら、俺の頭には一つの疑問が浮かび、それはやがて言葉となり口から漏れる。



「あれ? プロポーズは?」





――――――




「この街の人間は余所者を片っ端から襲う習慣でもあるわけ?」


 僕の手元から伸びる黒い剣先は、クレハの喉の数センチ手前で辛うじて止まっている。


 ムトが無力化した後適当な部屋に寝かして置いたという二人の女を探しに行き、その女を二人まとめて連れてこの大部屋に戻ってみれば、今度は見知った顔が二つ分増えていた。


 もう二度と見ないつもりだった二つ顔。


 片方は部屋の外に弱腰で立ちながら、血の気の引いた顔で中を恐る恐る覗いていて、もう片方は鬼気迫る表情で丁度ムトに襲い掛かるところだった。

 あぁ、面倒臭い。

 正直ムトの実力からいえば、ほって置いても絶対大丈夫なんだけど、あいつが一切動こうとしないせいでうっかり手を出してしまった。


「ケイト! あんたもそうなのかい!?」

「何がそうなのかは知らないけどさっ!」


 僕の一閃を間近に受け、身動きの取れなくなったクレハの横腹を痛烈に蹴り飛ばす。

 脛に肉を強打する感覚が伝わると同時に、紅い長髪の女は大きな音を立てて転がっていった。


「ねぇ、縄出して、縄。枯れ木出せるなら縄も出せるでしょ」

「え? あ、わっ、わかった」


 気絶したままの黒い鎧の女と萌葱色のローブを着た女の横で縮こまっているコノリとかいう餓鬼を一応横目で捉えながら、ムトがあっさりと創り出した縄を受け取る。


「ムト。とりあえず女二人とこの男、ついでにクレハとコノリを縄で縛るよ。一々襲い掛かられちゃ面倒だから」

「し、縛るの? 俺、亀甲縛りしか出来ないけど……」

「何でもいいよ」

「というか何でクレハは俺を襲おうとしたんだ?」


 クレハは肋骨でも折れたのか、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。

 もう指一本動かすのさえキツそうだ。

 まあ当たり前か。

 一般人を遥かに超える魔力総量を持つ僕の、魔力纏繞状態の蹴りをもろに食らったんだし、痛いだけじゃ済まないだろうね。


「……コバーン教師は、この街で唯一の公認魔術師オフィシャル・ウィザードなんだよ。その人があんた達の顔を見るなり攻撃したって事は、あんた達がこの街に害をなす存在だってことの証明なのさ!」

「へぇ。どうりで強かったわけだ。てか命の恩人に対して害をなす存在とか、意外に結構いい性格してたんだねアンタ」

「ぐっ! 私は、街を守るためなら、どんな犠牲も厭わないよ!!」

「ふーん。僕も義理とか気にするタイプじゃないし別にいいんだけどさ」


 部屋の隅でコノリを縛りながら、ムトは何やら複雑そうな表情で僕とクレハの会話を聞いている。

 そうか、公認魔術師。

 この男が僕の正体を知っていたなら、襲撃を受けた理由もはっきりするね。それにどうやら兄さんを、カイルを知っているのはどうやら確からしいし。

 でも、そうだとするとおかしな点が幾つかある。

 それに、この男は犯罪者と言っていた。

 僕はわかる。


 じゃあムトは?

 僕のだとでも思ったのか?

 そうだとすれば、男の握っていた情報がチグハグ過ぎる。



「まあそれも全部聞けばわかるか」

「……何だい?」



 最悪の場合、死んでもらう可能性もある。

 だが、その時、ムトはどう動くか。


 それにしても相変わらずこいつは何者なのか、さっぱりわからない。

 公認魔術師すら手も足も出ない人外の魔法使い。

 記憶喪失だと言い張り、本当の理由も教えてくれないまま僕の目的の手伝いをしてくれる男。

 どう転ぶか。あとは野となれ山となれかな。時間もないし。



「ムト。そいつらを縛り終わったらそこの男の氷を溶かしてくれない? まだ生きてるでしょ?」

「え? べつにいいけど?」

「あとアンタ光属性の魔法も使えたよね。それ使って意識を回復させて」

「いいのか? また暴れるかもしれないのに?」

「意識が回復する最低限の治癒でいい。それでもまだ抵抗するなら僕が責任をとって殺す」


 ムトが何か言いたそうな顔をする。

 しかし結局言葉は発せられなかった。

 僕はクレハの強い視線を無視して、これから起こるであろう様々な展開に思考を巡らす。



「さぁ、僕達を襲った理由をデメテル治療教会の最高責任者ご本人様に聞こうじゃないか」



 カイル兄さん、貴方は今何処にいるの。


 でも待っててね。あと少しだ。



 僕はもうここまで来たよ。





――――――



「さぁーて、これで準備は完了だね」


 幾つもの氷片が散らばり、真新しい焦げ跡の残る傷んだ部屋の真ん中に、一人の男が俺らによって座らされている。

 その紅い雑髪の男は全身に凍傷らしきものを負っていて可成に痛々しく、気を失っているためかすぐにでも後ろに倒れ込んでしまいそうだ。

 部屋の壁際を横目に入れれば両手と両足をきつく縛られた三人の女と、身体中を綺麗な亀甲縛りで結ばれた一人の少年。

 女の内二人は気絶していて、もう一人は意識はあるが怪我をしているのか苦辛の表情を浮かべている。

 しかし残る少年、というかコノリはなぜかどこか恥ずかしそうな様子で気持ちが悪い。


「じゃあムトよろしく」

「あ、あぁ」


 どっからどう見ても、これ俺達テロリストかなんかじゃね?

 俺は顔を赤らめながらも怯えた視線を送ってくるコノリに、若干の心苦しさを覚える。

 だがこちらの言い分としては、よりショックを受けているのはこちらの方だと思うんだ。

 いくら俺が人に嫌われるのに慣れているとは言っても、つい数時間前まで(あくまで俺目線だが)仲良くしていた相手に、いきなり殺意剥き出しのナイフを突き付けられたのは心的ダメージが大きい。

 俺は他人の命を救ったとしても、その救った人間から信頼される事は無いっていうのかよ。


「意識が戻る最低限の回復でいいんだっけ?」

「うん。出来る範囲で構わないから」


 嫌な気分を引きずりつつ俺は何処か暗鬱とした眼でコノリとクレハを一瞥してから、まだ辛うじて生きながらえている男の肩に手を伸ばした。



「そっか。それじゃあ、えーと、《意識が戻る最低限の回復をしろ》」



 かなり適当に呪文を唱える。

 正直言って俺は、このやさぐれた印象を受ける赤い髪の男に相当苛立っていた。

 俺が巨乳美女であるクレハに殺したくなる程嫌悪された原因が、こいつにあるのは火を見るよりも明らか。

 殆ど痛みは引かなくていい。意識を戻してやるだけ感謝しろ。

 そんな気持ちで俺は魔法を使ったんだ。


「ぐああああああっっっっ!!!!!」

「ヒェッ!?」


 すると男は途端に、凄まじい苦悶の声をあげながら瞳孔をかっぴらいた。

 俺は突然の絶叫に驚きのあまり、軽く腰を抜かして後ろに座り込んでしまう。


「やっとお目覚めかな? 公認魔術師オフィシャル・ウィザードのゲートアート・コバーン教師?」

「……糞が。俺はまだ生きてんのかよ」

「なに? 死にたかったの?」

「チッ。人質も用意済みってか。用意周到な事だな」


 覚醒した赤い髪の男、ゲートアートは息も絶え絶えに、脂汗を垂らしながらも俺とケイトを睥睨する。


「うーん、人質とはちょっと違うけど。まあそれはどうでもいいや。それでさ、アンタにわざわざお目覚めになってもらったのは、少し質問をしたいからなんだよね」

「質問ねぇ」


 心底嫌そうな顔色を見せるゲートアート。

 それに俺を見る黒い瞳には、どこか敵意とは別の感情も隠れているようだ。

 他人の顔色を伺うスペシャリストである俺がそう思うのだ。

 この男が怒りや反感とは、また別の観点から俺を視ているのは間違いないだろう。


「じゃあまず一番聞きたい事から。アンタはカイル・ライプニッツに会ってるの? 彼についての情報を知りたいんだけど?」

「カイルは確かに一週間前にこの教会に来て俺に会っている」

「それじゃあ彼が今どこに――」

「だが」


 ケイトの言葉を遮り、ゲートアートは鋭く彼女の紅い瞳を睨みつける。

 圧倒的不利な立場に置かれている者とは思えない強い眼つきで。


「カイルの居場所は死んでも教えねぇ。そうあいつと約束したからな」

「へぇ。一応どんな約束をしたのか教えてくれる?」


 空気がピリピリと張り詰めていくのがわかる。

 ちょっとトイレ行きたくなってきた。

 無論そんな事を言い出せる空気ではないし、そんな度胸もない。



「一週間前、あいつはある病状を抱えてこの教会にやって来た。だがその病状を俺達は治してやれなかった。だからその代わりに願いを一つ叶える約束をしたんだ」

「ふーん」

「あいつは実はある組織に命を狙われているらしくてな、その組織の名は“強欲な拐奪者スナッチ・スナッチ”。お前もよく知ってんだろ?」

「なんだってっ!?」

「それマジかよ!?」


 突如声をあげたのは、これまで大人しかったクレハとコノリの姉弟。

 一体何が彼等の奇声を誘ったのか俺にはわからない。

 俺に出来るのは、それでも表情はおろか姿勢すら微動だにさせないケイトを、横からおずおずと見守る事だけだ。


「そしてあいつの願いはただ一つ、“生きたい”それだけだった」

「!」


 ここでケイトの顔に変化が生じる。

 それを無視してゲートアートは言葉を続けた。


「だから俺はあいつの小さな願いをブチ壊そうとする糞ったれ共を、ここで待ち伏せしてたってわけだ。お前らが強欲な拐奪者スナッチ・スナッチなんだろ? 悪いがお前らには死んでもカイルの居場所は教えねぇ。さっさと消え失せな」


 ゲートアートはそう言い切った。

 迷う事なく、微塵も躊躇いを見せずに。

 この状況で、この表情で、俺達に拒絶の言葉を言い放ったゲートアートは、実際少しだけカッコよかった。

 だけど俺は思うんだ。


 なんかこれ勘違いっぽくね?


 いつの間にか普段の眠そうな表情に戻っているケイトをチラ見すれば、やはりやや呆れた雰囲気を感じる。

 もちろん彼女が犯罪組織の一員で、俺はその片棒を知らない間に担がされていた可能性もある。

 しかし、俺には、どうもそうは思えないのだ。

 むしろケイトも追われている側のような気さえする。その犯罪組織とやらに。



「……一応言っとくけど。僕達はアンタの思っているようなもんじゃないよ。僕達にカイルを殺すつもりはない」

「おいおい? そんな嘘が通用すると思ってんのか? あいつを他に追ってる奴なんていないはずなんだがなぁ!?」


 ゲートアートは嘲るように笑う。

 その態度にケイトは更に何かを言おうとするが――ブツンとそれは途中で止まる。

 不思議な事にその瞬間、なぜかこれまで不敵だったゲートアートの表情も混乱に染まった。


「幸か不幸か、証明する必要はなさそうだね。コバーン教師、アンタお待ちかねのお客様がやっと来たみたいだよ」


 直後、鼓膜を貫く猛烈な爆発音。

 部屋が衝撃で大きく揺れ、コノリが無様に転がるのが反射的に目に入る。



「ハッロー! エブリワンッッ!!! カイル・ライプニッツ君はいますかぁ〜!?!?!?」



 下の階から轟く、明朗快活な声。

 でも俺の高い感受性が、その声からあるものを感じ取る。


 それは、邪悪。



「十秒以内に返事がなかったらこの教会、全ッ壊ッさせちゃうぜっ!? まあ十秒以内に返事があっても中にいる奴は全員バッラバラだけどなっ!!!!」



 目に見えぬ悪意が、空間に響き渡る。

 ゲートアートは、信じられないという顔つきで俺とケイトを見やる。

 それはそうと俺はこの教会が大嫌いだ。


「じゃあ、お前らは一体……?」

「べつに怪しい者でもないよ。どこにでもいる普通の存在」


 ケイトは疲れているのか重い溜め息を吐きながら、背中の鞘から黒い刀を抜き取る。

 黒い外套が少し揺れ、彼女の紅い瞳が冷たい光を帯びた。



「ただの妹とその用心棒。カイル・ライプニッツの妹ケイト・ライプニッツと、そのボディーガードのムト・ジャンヌダルク。どうぞよろしく、ゲートアート・コバーン教師?」



 そう言い捨てるケイトのアイコンタクトを受け取った俺は、この先の展開を朧げながらも理解する。

 要するに第二ラウンド開始という事だろう。


 それにしてもさっきからゲートアートやクレハの驚愕に満ちた瞳がうっとおしい。

 後で絶対お詫びを頂くからな。乳首ぐらいで勘弁してやるから。



 それでもやっぱりこの教会が大嫌いなのは変わらないだろうけど。





――――――



「こんなもんでいいすか? キミマロさん?」

「ああ」


 十分だ、そう男は続ける。

 サンライズシティの北端、街の生活圏からはかなり距離のある閑静な一地点。

 そこにデメテル治療教会はあった。


 今はその教会の正門前に、ある六人の男女がいる。

 各々の衣装は全てが旅に適した物で、彼等が長い旅を経てきた事が一見するだけでよくわかった。


 六人の内最前の男は濃い蒼色に白いストライプが入ったロングシャツを胸ではだけさせていて、細身ながらも引き締まった筋肉を露出させている。

 その茶髪の男のすぐ後ろには背が高く濡れるような黒髪をポニーテールに纏めた男が控え立ち、そちらは全身黒尽くめの異様な服装だった。


「師長? ここにカイルがいるんですかぁ?」

「……最後の奴の目撃情報はサンライズシティの教会に向かったという所だ。それ以後は姿を見られていない」

「確かこの教会には公認魔術師オフィシャル・ウィザードがいるんだよな!? サイッコーに楽しみだぜっ!」

「えぇ? ガモウじゃ勝てないんじゃないですかぁ? 勝てる可能性があるのは師長とバックボーンさんだけだと思うんですけどぉ?」

「うっるせえよぉっ!? せっかくテンション上がってるところにそういう事言うの止めろよなっ!?!?」

「ほぇ? ガモウの方がうるさいと思うんですけどぉ?」


 大きく欠損した教会の扉、その間近に立つ二人の男の会話に一人の女が加わる。

 どこか真剣味の欠ける話し方をするその女の髪は深い紫一色で、どうやらホビット人の特徴である長い犬歯を覗かせる茶髪の男との相性は幾分か悪いようだ。


「おいマリンてめぇ! 喧嘩売ってんのかっ!?」

「えぇ? 売ってませんよぉ?」

「二人ともいい加減に――」



 ――瞬く間、満ちる殺気。

 朽葉色の髪の男とクレスマ人特有の濃い本紫の柔髪を持つ女の幼稚な応酬。それを止めようとしたキミマロと呼ばれる男の手に握られた一振りの大剣。

 既に半壊気味ではあるがいまだ粛清さを保っている巨大な建築物の前で、六人の男女が一瞬で戦闘態勢を整えていた。


「……師長。今の魔力は例の魔術師ですかい?」

「わからないな」

「ほぇぇ、凄い魔力の高まりでしたねぇ」

「今のはやべぇだろ? 反射的に無詠唱で魔力纏繞しちまったぜ。マジもったい無い」


 鋼の短剣を両手で構える男、ガモウは寸前までのリラックスした気配を完全に打ち消し、眼光鋭くデメテル治療教会の上階を睨む。

 キミマロの横には身長二メートルはゆうに超える大男がピタリと並び、独特の構えでガモウと同様に臨戦態勢を敷いていた。


「バックボーン、今の魔力の持ち主を特定次第、二人でかかるぞ。恐らく魔術師のゲートアートという男だろうが、想像以上だ」

「了解でさ。んじゃまいっちょ行きますかい」


 隣に立つ大男にキミマロは淡々と告げる。

 それを横で聞いたガモウ、そして相変わらず気の抜けた雰囲気を醸しながらも自身の髪と同じ紫色の瞳を尖らせる女――マリンは二人の屈強な男の後ろに下がる。


「どうやら僕達の出番はなさそうですね。こんな強い魔力を感じたのは久し振りですよ」

「そうね。ちょっと残念だけど」

「モーリスとエレーナも私とガモウ同様、今回はサポート役ですねぇ」


 退くマリンは、最後尾にいた金髪の男と同じく黄金色の髪の女にゆったりとした声をかける。


「クッソ! 俺も戦いてぇよっ!!!」

「ガモウじゃ手も足も出ないよ」

「今のはあんたじゃ無理」

「あ? やってみねぇとわかんないだろっ!?」

「えぇ? 分かりますよぉ?」


 たった今感じ取った強者と闘えないと知って憤慨するガモウも、仲間の手厳しい言葉に迎えられながら後衛に下がる。



「来るぞ」



 キミマロの一言が発せられると、完璧な戦闘準備を用意した六人の注意が、一斉に最早見る影もなくなった大門の暗闇に向けられた。



「よお、遅かったじゃねぇか。お前らのせいで俺は随分恥かいちまったよ」



 黒影より出でる一人の男、紅い髪は乱雑に伸ばされていて、どこか卑下た印象を抱かせる。


「一応聞いとくぜ? お前らが、強欲な拐奪者スナッチ・スナッチで間違いないな?」

「……お前がゲートアートだな? カイル・ライプニッツの身柄を渡して貰いたい」


 紅髪の男はキミマロからの返答を聞き、満足そうに無精髭に塗れた顔を歪ませた。


「それはイエスと受け取るぜ?」


 次の瞬間、一つの魔法が唱えられる。



「……叶えよう」



 一秒にも満たない時を貫く、赤い閃光。


 鮮紅の歓迎が来訪者に届き、三つの命が消失した。






――――――



 薄暗い部屋には窓が無い。

 空気には何処か土埃が混じり、視界を埋めるくすんだ色彩も窮屈な気分を増長させる。


 そんな場所で、一人の女性がある写真を眺めていた。


 髪の色はアミラシル人の特徴でもある朱色。

 瞳も彼女の生まれた国では一般的な黒茶だったが、そこには深い慈悲が刻まれていて、女性の温厚な性質が浮かんでいるようだった。

 服装はゆったりとした白い簡素なもので、上品な雰囲気が自然と感じられるのは女性の資質に寄るものが大きいだろう。



「何を見てらっしゃるのですか? マッカートニーさん?」



 不意に場所に似合わぬ優雅な沈黙に満たされていた土色の部屋に、掠れた男ものの声が響いた。

 古く今にも壊れそうな扉を丁寧に閉め、男が一人、落莫たる部屋に足を踏み入れる。


「ふふっ。ミキエで構わないって言ってるのに」

「すいません」

「やだ。謝らないでよ」


 女性は聖母のような笑みを浮かべた。

 男はそれを見て苦笑する。

 自分に母がいたら、このような感覚になるのだろうかと、少し男は寂しい思いを抱く。


「それで、その写真は?」

「これは、私の娘と息子の写真なの」


 男から視線を外し、写真に落とす。

 すると女性の笑みは少し切なげなものに変わってしまう。

 その表情が自分の質問のせいだと男は悟り、後悔の気持ちに襲われた。


「もしかして、お子さん達は」

「実は少し前に、魔物の巣に宝玉を取りに行ったらしくてね。あの子達、魔法が得意なわけでもないし、生きてるかわからないのよ」


 男の言葉を遮るように女性は語る。

 まるで聞きたくないものがあるかのように。


「でも私は待ってる。あの子達が帰って来るのを。それにもうすぐそこまで戻ってる気がするの。次会ったら少しお説教が必要ね。私より先に死ぬつもりかって」


 女性は可憐に笑う。

 男にはそれがとても眩しく思えた。

 全てを失くした男には、その女性の全てが輝かしく思えたのだった。


「私には分かる。あの子達は生きてる。分かるのよ。家族だから」

「家族、ですか」


 男は緋色の瞳で天井を見やった。

 黒い前髪が目に少しかかり、それを払う。


「本当にすいません。マッカートニーさん。そんな大変な時に俺のせいでこんな所に」

「いいのよ。丁度いつも同じ景色で飽きてきたとこだったから。それに見舞い人はここまで連れて来てくれるらしいし」


 女性は天を仰いだ後、少し憂鬱げな声を漏らす男に慰めの言葉をかける。

 彼女は男の事をよく知らなかったが、彼の痛い程の孤独は彼女にとって慈悲の対象になるには十分だった。



「だからそんな顔しないで、カイル?」

「……ありがとうございます」



 男は思う。


 自分は何を待てばいいのか。



 待つべきものがあるのかと。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る