No.5 セイバー・3
どうしてこうなった。
ホグワイツ城へと続く長いつづら折りを登りながら、俺は憂鬱な気分に落ち込んでいた。
俺の両横にはこの国の兵士が何十人も控えていて、俺の手首にはしっかりと手錠がはめ込んである。
前方を歩くのはモカという名前の女性魔術師。
俺の背後では銀髪の男性魔術師、たしかヴォルフとかいう奴が、今にも噛みつかんばかりのガンを飛ばしているのが振り返らなくてもわかる。
どうしてこうなった?
いきなり公認魔術師に職務質問をされたと思ったら、次の瞬間には武力行使をされていた。
ちょっと街行く女性のスカートの中身を無断撮影しようしていただけなのに、なぜお縄をされなくてはならないのだ。
モカの話によれば、俺に類似した身体的特徴を持つ奴がこの国の王を襲ったとのことだが、もちろん俺にそんなことをした記憶はない。
一応ジャンヌにも訊いてみたが、俺の認識していない戦闘行為はしていないと言っていた。
ジャンヌが嘘を言うことなどまずありえないので、それは間違いないはず。
つまり、これは完全なる冤罪。
しかしそれでも、俺がかの有名な、あの超スーパーな偉人であるムト・ジャンヌダルクだと名乗ったら、一応の戦闘状態は解除された。
やはり英雄のネームバリューは素晴らしい。
もっとも、当然素直には信じて貰えていないので、明日俺が本物だと証明されるまでは、このように完全囚人状態でいることを強いられている。
むろん俺はこんな犯罪者扱いは嫌だったが、モカという美乳系女魔術師に頼まれたらノーとは言えなかった。
取り調べとかあるのだろうか。調教とかあるのだろうか。経験は蝋燭までしかないけど大丈夫だろうか。
「おい、なにニヤニヤしてやがる。ナメたこと考えてたらぶっとばすぞ。ああん? 言っとくが、さっきはちぃとばかし油断しただけだかんな」
「はぃい! す、すいません!」
すると背後からナイフのような声が突然飛んできて、俺は驚きに飛び上がる。
やばい。尿管が少し緩んだかも。
「……んだよ、その口調は。てめぇ俺のこと馬鹿にしてんだろ?」
「いえいえ! まさか! そんなことはありませんよ!?」
「てめぇ……!」
「ヴォルフ。やめて」
「ちっ! 糞がっ!」
道端の石ころを思い切り蹴り飛ばすヴォルフに、モカは呆れたような顔をみせる。
よくわからないが、とりあえず尋常ではなく嫌われていることは間違いない。
うむ。実に居心地が悪いな。
明日になれば、数少ない俺のことを知っている人物であるユラウリちゃんがこの街にやってくるという話だ。
彼女が到着さえすれば、俺の疑惑も張れるはず。
これはそれまでの辛抱。
ホグワイツ城自体には一度来たことのある俺は、大きな門が視界に映り始めたのを確認しながら、モカの下着を透視しようと全神経を注ぐことで気を紛らわせた。
「着いたわ。とりあえず貴方にはユラウリ・カエサルが到着するまで、ここにいてもらう」
厳重な警備の中俺が連れてこられたのは、どう好意的に解釈しても牢獄としか思えない場所だった。
湿気と埃の充満した、なにか澱んだ雰囲気を感じる部屋。
鉄柵に区切られた一区画に俺は入るよう促され、渋々足を踏み入れる。
同居人は一人もおらず、プライベートは保たれそうだがまったく嬉しくない。
「もし貴方が本物のムト・ジャンヌダルクだと証明されたあかつきには、国をあげて、そして私もできる限りの謝罪をさせて貰うわ。そうなればそれこそ、命でもなんでも、貴方に捧げることになると思う。……それじゃあ、また明日」
そう一方的に言い残すと、モカはヴォルフや警備兵を引き連れてこの地下牢からさっさと立ち去っていく。
残されたのは静寂だけ。
監視の一人もいやしない。
淡い松明しかなく窓もないここは、昼間にも関わらず薄暗くてとびきり薄気味悪い。
なにこれ。待遇悪すぎじゃない?
俺、世界を救った英雄だよ?
正直言って今すぐこの孤独感と恐怖感だけを煽る牢部屋から抜け出したいし、実際抜け出ようと思えば抜け出すことも簡単にできると思うが、きっとそれはやめておいた方がいいのだろうな。
耐えろ。耐えるんだ俺。
明日になればこの苦しみからも抜け出せる。
王国からも謝罪ついでに酒池肉林の礼がなされるだろうし、モカからもアヒンがアヒンするお詫びを受け取ることができるはずだ。
そう考えると、逆に自分は幸運な気がしてきた。
ちょっと濡れ衣着るだけで、贅を極めた至高の時間を手に入れられる。
やべぇ。超コスパ高いじゃん。
これまでの鬱屈とした気分も一転、がぜん俺は活力に満ち溢れてきた。
石床は冷たいので、魔法で布団を創り出しその上に寝転がる。
あとはひたすら寝てその日が変わるのを待とう。
妄想力をフルスロットルにしながら、そして俺はゆっくりと眠りについていく。
「……う~ん? あれ……ここは……」
何かが擦れるような音を耳にしながら、俺の意識が段々と表上する。
重たい瞼を開けば、時折り動く影がこちらの方まで伸びていることがわかった。
そうか。俺はホグワイツ城の牢屋に閉じ込められて、そのまま眠りこけたんだな。
窓もないため、どれほど時間が経ったのかわからない。
だがこれまで誰も俺を起こしに来ていないことから、まだ日付は変わっていないと予想がついた。
「起きたんだ。噂の偽英雄さん」
「え?」
しかしそんな風にぼやけた頭で現状を確認する俺に、平坦な声をかける者がいる。
驚きに目をしばたかせれば、なんと目の前、鉄柵に仕切られた向こう側に見知らぬ少女がいた。
金色の前髪は長めで、そこから覗く瞳は曇りがかった灰色。
その少女は高価そうなドレスを身に纏い、スケッチブックを膝の上に乗せてなにやら熱心に手を動かしている。
「え、えーと、君は? なんで、ここに?」
「私はイルシャラウィ。ここには絵を描きに来た」
無愛想な話し方をする少女は自らをイルシャラウィと名乗った。
これには驚く。
イルシャラウィといえば、数日前にタツキが言っていた紅の王女のことで間違いない。
まだ十代半ばという若さなのに、どこかミステリアスな色気を放つ少女。
この子こそが俺が今日探し求め、一目会いたいと思っていたその人なのか。
だけど絵を描きに来たとは一体どういう意味だろう。
ここで何を描いているんだ?
「あのー、その、絵を描くって、なにを描いてるの? ここにはなにも描くものなんてないと思うけど」
「貴方を描いてる」
「え? 俺?」
「そう。この城の中で描けるものはもうだいたい描いちゃったから、珍しいものを描きたくて」
「な、なるほど」
俺は珍しいもの扱いかよ。
たしかに粗珍なら心当たりはあるが、それは今露出させていない。
というかこの子いつからここにいるんだ?
もしかして寝顔とか描かれちゃってるの?
あらいやだわ。恥ずかしい。
「ねえ、貴方って本物のムト・ジャンヌダルクなの?」
「へ? あ、ああ、うん、一応本物。自分で言うのもあれだけど、俺が三年前に世界を救ったムト・ジャンヌダルク本人だよ」
「そうなんだ」
「う、うん」
少女はふと手を止めると、俺を食い入るように見つめる。
あまり表情には変化がないが、さすが王女というべきか異次元の美貌を誇っていて、ただ見つめられているだけなのにどぎまぎしてしまう。
「お父様は貴方は本物だって言ってる。でもお母様は貴方は偽物だって言ってる」
「へ、へえ……だけど、俺は本物だよ。これは本当に本当」
「ふーん」
少女は持っていた筆を置くと、一度その小さなお口を閉じた。
今気づいたが、この子、こんな場所に一人でいていいのか?
俺は今のところ、英雄を自称するただの不審者ということになってるはずなのに、そんな奴が放り込まれている地下牢にお姫様がノコノコと一人でやって来るのはまずい気がする。
もし俺が性欲に塗れた悪い大人だったら、今頃あんなことやこんなことされてるぞ。
まったく俺が理性の強い男でよかった。本当によかった。
俺は毛布で隠れた下半身にそっと手を伸ばしながら、少女の無防備さに危惧を抱いた。
「じゃあ、私がお願いしたらそれも叶えてくれる?」
「は? ど、どういう意味?」
「本物の英雄だったら、私のお願いだって叶えてくれるはずだもの」
「いや、ちょっとそれは、そのお願いとやらの中身によるんじゃ……」
「やっぱり偽物なの?」
「そうは言ってない!」
なんだこの子。なんかやりにくいぞ。
というかいきなりどうした。
お願いって何の話をしているんだ。英雄ってのは何でも屋じゃないんだぞ。
「じゃあ、叶えてくれるんだね。楽しみ。早く明日になればいいのに」
「え、えーと、だからそのお願いの内容がわからないと――」
「あ、もうこんな時間。そろそろ行かなくちゃ」
しかし少女は言いたい放題するだけすると、スケッチブックを脇に抱えて地下牢の外へ走って行ってしまった。
結局なんだったのか。もしやこれは夢? いや、そんなことはない。
目が覚めたら美少女が俺を見守っていたというのは中々にそそられるシチュエーションだが、なんとなく消化不良感がぬぐえない。
それに毛布の中も中途半端な状態で止まってしまった。
これはどうしてくれる。
仕方ないのでもう一度横に寝そべり、目を閉じ硬質な足音に耳を澄ます。
それでもまたもや意識が闇に落ち、今度こそ本当の夢の世界へ行くまでそう時間はかからなかった。
「早く起きろコラァ!」
「はいぃぃいい! すいません!?!?」
唐突に鼓膜を爆撃してきた濁音に、俺は絶叫しながら飛び起きる。
嬉しくないことに意識は一瞬で明瞭になり、怖ろしい形相をした銀髪の男が自分を睨んでいることにもすぐ気づけた。
「“救世の三番目”がホグワイツ城に到着した。着いてこい、偽英雄。監視もつけなかったのに、逃げ出さなかったことだけは評価してやるよ」
「……は、はい。ありがとうございます?」
「褒めてねぇよ馬鹿野郎がっ!」
「ごめんなさいっ!?」
寝覚めから俺は全力の叱咤を受けている。
俺を呼びにきたのはモカではなく、グルルと唸り声を漏らす男、ヴォルフの方だった。
この人は当たりがめちゃくちゃ強いので苦手だ。
俺への敵対心が凄まじいヴォルフが怖くて仕方ないので、俺は手早く準備を整える。
「行くぞ」
あからさまな不機嫌を巻き散らかすヴォルフに俺はおっかなびっくりしながら付いていき、一日ぶりに地下牢の外へ出た。
五分ほど歩くと、小学校の体育館くらいの大きさは余裕である広間に連れてこられた。
広間の両際には白金の鎧を着こんだ兵士がずらりと並んでいて、室内全体に漂う厳かな雰囲気も相まって実に壮観だった。
そして部屋の最奥に見える玉座には一人の体格の良い男が座っている。
男の横にも何人かが立ち控えていて、その中にはモカやイルシャラウィの姿も見えた。
「待っていたぞ! 青年! また会えて嬉しいぞ!」
俺が部屋の中央付近まで進むと、玉座に座っていた男が突如大声を上げた。
顔には満面の笑みを浮かべていて、やけに友好的なオーラを一人だけ発しているのが逆に浮いている。
頭にはこれみよがしな王冠を被っていることから、あの男こそがホグワイツ国王であるガイザス・シーザー・カエサルなのだろう。
でもなんとなくこの声に聞き覚えがあるな。この国の王とは会ったことがないはずなのに。
「公園の時は感謝するぞ! 毛布をかけてくれて! あれは私の体調を心配したものだろう!?」
「……ちょえっ!? ま、まさか、貴方は……?」
ここで俺はある恐るべき事実に気づいてしまう。
俺はずっと国王襲撃事件の犯人だなんて、ただの冤罪だと思っていた。
しかし、もしかしたら、いやもしかしなくても、実は冤罪でもなんでもなかった可能性がある。
「そして昨晩の非礼を心から謝らせて欲しい。本来ならば君をあのような場所に閉じ込めるなど決して許されないことなのだが、諸々の事情でああせざるをえなかったのだ。頭を下げよう、青年」
「い、いえいえ! 頭を上げてください王様!」
これはマズイ。
完全にやらかした。
深々と謝罪をする王を慌てて止めながら、俺は今すぐここから逃げ出したくなる。
あの顎を思い切りぶん殴って気絶させた変なオッサンと、今目の前にいる王冠を被った男の顔が一致していることに俺は気づいてしまったのだ。
「ちょっとあなた! まだその男は貴方の言う通り英雄ムト・ジャンヌダルクだと決まったわけじゃないんですのよ! もし違うのならば、暴行罪と詐称罪と反乱罪で死刑ですのよ! 死刑!」
すると今度は王のすぐ右隣にいた女性がこめかみをピクつかせなが叫び出す。
根源的な恐怖を誘う悲鳴に、俺の震えのマグニチュードが増加していく。
「お、おい、マイハニー。少し落ち着かないか。俺が殴られたことに腹を立てくれているのは嬉しいが、もし彼が偽物だとしても、死刑にはならないぞ? それに私は同意の上で訓練を行ったと何度も説明しているだろう?」
「きいいい! うるさい! うるさい! 私は認めませんよ! もしこの男が本当に英雄なら別ですが、もしただの犯罪者ならば、私の可愛い可愛いガイザスに暴行を働いたことは決して許しません!」
「……すまんな、青年。私のハニーは、家族の事となる少しヒステリックになるんだ」
「は、はあ」
一方王と、左隣りにいる王子らしき好青年は呆れたように溜め息を吐いていて、イルシャラウィは居眠りをしているのか何度も頭をヘドバンさせている。
なんだこの状況。
カオス過ぎるだろ。
「だがモカ君から聞いた話によると、君は本当にあの英雄ムト・ジャンヌダルク本人なんだろう?」
「は、はい。一応」
「なら心配は要らない。マイハニーも、私も、その家族も、この国民も、もし君が本物のあの英雄ならば君に命を救われたことになるからな。……ユラウリ! こっちに来てくれ!」
猛る王妃を宥めたガイザス王は、俺に一つウインクを飛ばすと、大きな声である女性の名を呼ぶ。
ごくりと俺は生唾を飲み込む。
とりあえず俺が英雄だと認めさせれば全て丸く収まるのは変わらないみたいだが油断はできない。
“救世の三番目”ユラウリ・カエサル。
たしかにガイザス王の妹らしいその人と俺は知り合いだが、最後に会ったのは三年ほど前になる。
さすがに俺のことを忘れているとは思わないが、一抹の不安を消し切ることはどうしてもできなかった。
「…ん。こっちに来た」
「どうだ、彼が“英雄”ムト・ジャンヌダルクで間違いないか?」
そしてついに彼女が姿を現す。
部屋の隅っこから短い歩幅でやってきた凛とした気配を漂わす少女。
ここにいる大多数の者と同じく金髪灰瞳。
そう見た目は少女だ。
どっからどう見てもロリ。
この小学校低学年にしか見えない彼女こそが、九賢人とかいう凄い権力者の内の一人で、この陽気な国王の実の妹なのだ。
外見だけならイルシャラウィより下に見える。
どっちが姪でどっちが叔母かまるでわからない。
でも彼女なら、俺が英雄であると証明してくるはず。
「ひ、久し振りです、ユラウリさん」
「…ん。久し振り。髪、切った?」
――完全勝利。
なんだこの完璧な会話。
超自然なコミュニケーションをする俺たちは、数年振りに会う男女とは思えない。
決まった。
俺はアラフィーの女神に、ついひざまづいて拝み倒したくなる。
「おお! ユラウリ! やはり彼はあの英雄なのか!?」
「…うん。間違いな――あ、やっぱ違うかも」
「え」
ってあれ。ちょっと。あれ。ユラウリさん?
やっぱ違うかもって。
いやいやいやいや待て待て待て。
さっきまでどう考えても俺のこと認識してたよね。
絶対今間違いないって言いかけたと思うんですけど。
「…ちょっと自信がなくなってきた。でも確実に証明できる方法がある……簡単。戦ってみればわかる。本物のムト・ジャンヌダルクかどうか、私は戦えば確認できる」
……本当に、どうしてこうなった。
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