No.10 ディアボロ



 威勢よくホグワイツ城を出発した俺とイルシャラウィは街に降り立ったあと、魔法特急、正式名称魔法運搬機器マジックビークルに乗り込んでいた。

 魔法特急の見た目は実に奇妙で、言ってみれば細長い黒棺に何十本も足みたいな物が付いた感じ。

 この異世界版新幹線に乗車するのには中々の大金が必要となるが、国家クラスの親馬鹿から経費としてそれなりの小遣いをもらっているのでその辺りは無問題だ。

 身の安全を気にして、俺は魔法特急の中でも個室のようになっている席をとっている。

 高級ホテル並みの金額を払ったかいはあり、その内装は満足のゆく優等さで、広々とまではいかなくとも、窮屈と感じるほどではない。


「ねぇ、ムト。あれはなに?」

「ん? あ、ああ、あれはたしかホグワイツトカゲだったかな。黄色っぽい皮膚が特徴的な魔物で、睡眠性の毒をもってるんだって」

「そうなんだ。あれが、魔物。実際に見るの初めて」


 肝心のイルシャラウィはといえば、俺の向かい側の席で窓側に座り、制限速度で流れていく外の景色を夢中で眺めている。

 彼女にとっては人生初めての国外遠征。

 楽しくて仕方がないのだろう。

 画材やら生活用品やらが入っているという、大きなリュックサックは俺の荷物とひとまとまりにして床の隅に置いてある。

 

「やっぱりムトはこれまでに色んな魔物に会ってきた?」

「まあね。この魔法特急くらいある馬鹿でかいミミズとか、人より遥かに大きい蜘蛛の大群とか、蒼い炎を吐くドラゴンとか。数え切れないよ」

「凄い。もっとその話聞きたい。あ、でもちょっと待って」


 灰鼠の瞳を爛々と輝かせながら、イルシャラウィは荷物の方へ何かを取りに行く。

 

 それにしても魔物か。

 俺が初めて出会った魔物はなんだったっけ。


 この世界では基本的に人間以外の動物全てを魔物と定義しているが、特別“魔物”と呼ばれるのは人間を好んで襲うような凶悪なものだけだ。

 紅白色をしたご利益のありそうな牛、体長三メートルは優に超す豚、角が二本じゃ足りない山羊、実際に俺が初めて出会った魔物はそんなところになるはず。

 しかし初めて会った魔物らしい魔物という話ならば、別の生き物になりそうだ。

 たぶん真っ赤な毛を全身に生やした猿の怪物。

 名前は忘れたが、そんな感じのやつが俺の魔物初遭遇だった気がする。

 懐かしい思い出だ。三年ほど前のことなのにずいぶん昔に感じるな。

 

「道具、持ってきた。話、して」

「え? 話って魔物の?」

「うん。さっきのドラゴンの話がいい」


 しばらくするとイルシャラウィが席に戻ってくる。

 手には大きなスケッチブックを抱えていて、鉛筆や絵具材も準備してあった。

 

「ドラゴンか。そうだなぁ……凄い大きくて、墨をさらに黒くした色の鱗をしてて、先が二つに割れた赤い舌をしてて、身体と同じくらいデカい翼が生えてたよ。あと、名前はピルちゃん」

「ピルちゃん?」

「あー、本名はたしかピルロレベッカ・ナーガイン・シヴァ、だったかな」

「それって、闇の三王の一柱の……?」


 イルシャラウィが唖然とした表情をする。

 俺が出会ったことのあるドラゴンといえば、今から三年前に世間をお騒がせした魔物たちの首領ドンである闇の三王の一体に他ならない。

 

 “黒の王ドラコ”ピルロレベッカ・ナーガイン・シヴァ。


 実は俺とジャンヌによって滅ぼされた闇の三王の中でも、彼女だけはまだ生き延びている。

 別に力が及ばなかったとかそういう理由ではなく、ただ単純に俺がいやらしい意味でペットにしようと考え止めを刺さなかった。

 現在は世界魔術師機構現会長の下で、ぬくぬくと暮らしていることだろう。

 俺がかけた魔法によって人間には危害を加えられないようになっているので、今では元のドラゴンの形すら保てていない。

 もっと愛らしい姿になり果てている。

 

「本物見てみたいな」

「え、それはちょっと」


 おもむろに筆を動かし始めながらイルシャラウィが感嘆の声を上げている。

 黒の王に関していえば現在いまも生きているので、俺の意思次第で本来の姿を拝ませることも可能だが、きっとそれは叶わないだろう。

 なぜなら闇の三王というのは、その一柱だけで人類が束になって勝てないほど強力な魔物だからだ。

 もちろんそれはジャンヌを除いた話なのだが、それでも気まぐれで封印を解いたりしたらまずいことくらい、気が利かないで有名な俺でもわかる。


「でも我慢する。ムトの話だけで我慢する」

「う、うん。そうしてくれると嬉しいよ」


 しかし物わかりの良いイルシャラウィは、俺がなにか言う前に諦めてくれる。

 忙しなく手を動かし続けながら、俺の見た竜の姿を事細かに尋ねてくるだけだ。


「漆黒の鱗……先割れの赤い舌……その巨躯に負けない程大きな両翼……」


 集中モードにでも入ったのか、イルシャラウィはやがて質問を止めると一心不乱に筆を走らせるのみとなった。

 会話の相手を失った俺は、イルシャラウィの前でジャンヌとの一見独り言に思えるお喋りをするわけにものいかないので、確認ついでに地図を取り出そうと荷物を探る。


 “ディアボロ”。


 一分ともかからず見つけ出した世界地図の上部には、古ぼけた文字でそう綴られている。

 このディアボロと呼ばれる世界の地図が完成されたのはだいたい今から一千年前ほどで、その作成者の名前をそのまま取ってクロウリーの世界地図と呼ばれているらしい。


「ファイレダル、ファイレダルっと……」


 当面の目的地であるファイレダルの方面に視線を向けながら、俺は改めてこの異世界ディアボロがどんなところなのか眺めてみる。


 ホグワイツ大陸。

 ボーバート大陸。

 デイムストロンガ大陸。


 見る限り、というか知る限りこの世界に存在する大陸は三つで、地球基準で考えると少ないが人間の国家はたったの九つしかない。

 まず今俺がいるホグワイツ大陸には大陸を真横に貫く大森林地帯のダイダロスの森海しんかいがあり、その北側にホグワイツ王国、ファイレダルの二つの国。

 南側に帝国ゼクター、神聖国ポーリ、商業国家アミラシル、法国クレスマの四つの国がある。

 一応このホグワイツ大陸にある国には全て、この三年間で一度は訪れた経験があった。知り合いもファイレダル以外には各国ごとに最低一人はいる。


 一方でボーバート大陸とデイムストロンガ大陸にはまだ行ったことがない。


 ボーバート大陸には残りの、エルフ、ドワーフ、ホビットの三つの国があると聞く。

 エルフやドワーフときくと亜人種のようなイメージが湧くが、実際はそんなことはなく、それらはあくまで国名にしか過ぎない。

 それでもエルフはディアボロ世界でも有数の美人揃い国家らしいので一度くらい旅行してみたいのだが、ボーバート大陸では最近内乱が騒がれていて中々行く機会を得られていなかった。

 

 デイムストロンガ大陸に関しては、一生行くことはないだろう。


 人の住まないその土地は死の大陸とも呼ばれ、凶悪な未知の魔物がそこら中にウヨウヨいると噂されている。

 知り合いの九賢人が一人、このデイムストロンガ大陸に修行と題して向かった話は知っているが、彼女のような変わり者を除く普通の人間はまず近づこうとしない。

 当然俺にもジャンヌにもバトルジャンキーの気はないので、行ったこともないし、行く予定もないというわけだ。

 



「できた」

「お、ちょっと俺にも見せてよ」


 すると向こう側から、ペンを置くカタリという音が聞こえてきた。

 どうやらホグワイツ王国の誇る芸術姫の作品が出来上がったらしい。

 少し前のめり気味に体勢を変え、画紙を覗き込む。


「うお、こ、これは……!」

「どう? ムトが見た本物の黒の王と比べて」


 イルシャラウィの膝上のスケッチブックに描かれていたのは、今にも飛び出してきそうな迫力を持つ漆黒の紛れもないドラゴンだった。

 

 縦に鋭く割れた瞳。

 羽ばたく音が幻聴する巨翼。

 牙鋭く顎開く悪烈な顔面。


 実際には鉛筆で書かれた輪郭と、深紅の舌にしか色付けはされていないのに、まさに黒の王といった禍々しさが絵から溢れ出てきている。

 邪悪な黒竜を塗色無し、しかも実際には見たことがないのに、この幼さの残る王女は完璧に表現しきっていた。

 これが才能というやつか。

 二次元の魔物に怯えつつ、俺は自分の席に腰を落ち着かせる。


「す、凄いね。ほとんどそのまんまだよ。噂には聞いてたけど、本当に絵が上手いんだね」

「ありがと。でもまだまだ。私が描きたいのはこんな絵じゃない」


 謙遜か本気か、おそらく後者であろうが、イルシャラウィは俺の感想を聞くと自分の絵に視線を落とす。

 彼女の実力は想像以上。将来はさぞ高名な画家になるはずだ。今のうちにサインとか貰っておこうかな。


「この絵は冷たい。私はもっと暖かい絵が描きたいの」

「絵が冷たい? どういう意味?」


 俺に返事をしてくれない未来の名画家は、これぞ芸術家といわんばかりの意味不明な発言をする。

 今度は絵具を筆先に付けたかと思うと、一度は完成した黒竜の絵に艶やかな紅を塗りたくっていく。

 相変わらずアーティスト肌の女性特有の行動は、まるで読めない。

 仕方がないので俺はイルシャラウィの可憐な顔を眺めることに集中することにした。

 

「紅い色を塗っても、冷たいまま。どうしてだろう」


 また筆が置かれる。

 匂い立つような黒を感じさせた竜はすでに紅く染め上げられていて、先ほどまでとは別の圧迫感を内包していた。

 それでもなお上手い。

 塗色にも非凡な才がありそうだ。

 しかし絵の才能に恵まれた王女は、納得のいかない表情で顔を上げる。


「ムト、どうして私の絵はいつも冷たいままなの? 紅は一番熱を帯びた色。その紅を使っても、暖かい絵がかけない。どうすれば私は暖かい絵がかける?」

「そ、そうだな……」


 不満そうで、切なさすら滲ませるイルシャラウィは、なぜか俺にそんな問いを投げかける。

 申し訳ないが俺に芸術への造詣は一ミリもないし、当然彼女の質問の意図もさっぱり理解できていない。

 どう考えても訊く相手を間違えている。

 だいたい絵の温度差ってなんだよ。

 冷たいというのなら日光の当たる場所に置いておくか、電子レンジでチンチンでもしてみればいい。 


「……俺にはその暖かい絵っていうのがそもそもよくわからないけどさ。もしイルシャラウィがなにをしても絵が暖かくならないっていうなら、絵を暖かくしようとするんじゃなくて、暖かいものを絵にすればいいんじゃない?」

「え?」

「あ、ご、ごめん。超適当なこと言った。気にしないで」

「絵を暖かくするのではなく……暖かいものを絵に……」


 イルシャラウィは俺の素人丸出しの返答を聞くと、自分で描いた絵を見つめたまま黙り込んでしまった。

 雰囲気でそれっぽいことを言って誤魔化そうとしたが、どうにも失敗したらしい。

 なんとなく気まずい感じになった俺は、逃げるように窓の外に視線を逃がす。


 ファイレダルに着いたら、なんか美術系の指南書でも買おうかな。


 どうすればイルシャラウィの好感度を稼げるのか。

 そんな下心しかない思考で頭の中を埋め尽くしながら。俺はディアボロと呼ばれる世界の地平線を見つめ続けていた。



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