No.20 モンスター
虚ろな目のエルフ兵によって振り抜かれる剣閃を紙一重で回避しながら、クアリラは自らの魔力で創造した銀槍でカウンターを仕掛ける。
しかしそれは死角から飛び出してきた別のエルフ兵に受け止められてしまう。
魔力で底上げされたクアリラの腕は驚異的な力を発揮していたが、それでも防ぐように突き出された剣を吹き飛ばすことはできない。
ブチリと筋繊維が引き千切れる音が聞こえたが、エルフ兵の力が弱まる気配はまったくなかった。
(はぁ……さすがペネロペ。他者を操るのが本当に上手い)
身動きが止まったところに、すかさず他のエルフ兵が殺到してくる。
クアリラは得物を手放し、軽やかに宙返りをするといったん距離を取った。
「貴女がどんな考えで革命軍に味方しているのかは知らない。でも今回の戦いにはアイランドも加わっている。貴女たちに勝ち目はない」
オーケストラを指揮するように忙しく両手を動かす黒髪の女――ペネロペは声に感情を込めず、淡々と事務的に喋る。
生気を失ったエルフ兵たちを一瞥すると、クアリラは再び魔法で銀製の槍を創り出した。
「たしかに貴女は強い。でもアイランドには敵わない。アイランドが獲物を狩り終わったらその瞬間。この紛争は終わる」
決定的な反撃の隙を与えないよう、計算し尽くされた動きでエルフ兵たちは交互に剣を振るう。
完璧な連携を前に攻めあぐねるクアリラの呼吸は徐々に乱れだす。
対するエルフの死兵たちは、無尽蔵の体力で着実にクアリラを追い詰めていた。
「はぁ……アイランドの獲物って?」
「英雄ムト・ジャンヌダルク。彼が今のアイランドの獲物」
「へぇ……アレに勝つ気なの?」
「貴女もよくわかってるはず。条件が揃ってしまえばアイランドは最強。誰もあの人には勝てない。たとえ最強の魔法使いが相手だとしても、魔法を使う前に勝負がつく。英雄が死んだ時。それが革命軍の最後。貴女が革命軍につく今。それが貴女の最期でもある」
信頼というよりは、ただ歴然とした事実を語っているだけ。
そんな調子で抑揚なく話すペネロペを見て、クアリラは一つ溜め息を吐く。
三年前とまったく変わらない部下の姿に、どこか退屈を覚えたのだ。
「……でもまだ間に合う。貴女が望むなら私がアイランドにかけ合って上げてもいい。クアリラ、貴女は私たちのところに戻るべき。口では平穏を望む貴女も、本当は退屈を嫌っている。だから貴女はかつて私の前に立ったし。今も私の前に立ちはだかっている。貴女は戦場でしか生きられない」
面倒事を避けることと、退屈を好むことは同じ意味ではない。
それはかつてクアリラがペネロペに言ったことだ。
(はぁ……昔と変わらない悪癖が目立ってきたな。そろそろ仕込むか)
エルフ兵たちの剣舞を紙一重で回避し続ける。
練度が加速度的に上がってきている兵たちの攻撃に対し、もはや反撃はおろか回避以外の行動をとる余裕すらほとんどない。
「戦い方だって私は貴女から教わった。敵の隙、死角、弱点を徹底的につく。正面から戦うのは愚の骨頂。面倒なことは全て避ける。一撃で決める戦い方こそ至高だと」
「はぁ……そうだったっけ?」
「私は覚えてる。というかアイランドの戦い方は参考にならないから、貴女に教わるしかなかった」
まるでボードゲームのように敵を踊り疲れさせ仕留めるペネロペの戦術。
クアリラから教わったものだと言うが、彼女自身はそんなことを教えた記憶をまったくもってなかった。
「ここには貴女が殺した兵の死骸が沢山ある。いくら貴女が強くても場所が悪い」
「はぁ……
血の魔法。
それは火属性魔法や地属性魔法などに代表される系列的な“精錬魔法”ではなく、魔法理論に縛られない“原石魔法”、別名原初魔法とも呼ばれる物の一種だ。
遺伝でのみ伝わっていくといわれる特殊な魔法で、そこで発揮される力はその一族によって千差万別である。
そのうちペネロペが使う血の魔法の“亡者操作”は、死して間もない骸のみ自らの意思で生前のように、むしろそれ以上の身体能力で操ることができるものだ。
「段々貴女の動きが鈍くなってきてる。でも死者の動きに限界はない。筋肉が痙攣しようと引き千切れようと、骨が砕けようと皮膚を突き破ろうと動き続ける。疲労も痛みも感じない死者は最高の駒になる」
それに付け加え、ペネロペの正確で機能的な操作によってエルフの死兵は脅威的な存在となっている。
額から汗が睫毛にまで流れ落ちるが、もうそのことを気にする余裕もない。
「もし貴女が私を打ち破ったとしても、その状態でアイランドに勝つことはできない」
「はぁ……わざわざ傷をつけないよう気を遣ってくれてどうも」
いまだクアリラに掠り傷の一つもないのは、全てペネロペの計算通りだ。
しかしもし傷が彼女につきアイランドの条件に反する存在となったとしても、勝算はないというのがペネロペの見立てだ。
そしてそれはクアリラも理解していて、その見立てに同感だった。
(はぁ……準備完了。だけど実際のところどうなんだろうなぁ。あの人、アイランドに勝てるのかな?)
ピタリと、ふいにクアリラの動きが止まる。
これまで抑え気味だった魔力が一気に濃集させられていく。
揺らめき立つ波動にペネロペは片眉を動かした。
「今さら何か高位の魔法を発動させても。それが私に届く前に亡者の刃が貴女の首を刎ねる」
「はぁ……高位の魔法? そんな面倒なことはしないよ。前から言ってるじゃん。私は面倒なことが嫌いなんだ」
無防備とすら表現できるクアリラの態度に乗じて、エルフの死兵が一斉に飛びかかる。
クアリラとペネロペの距離はかなり離れていて、その差を埋めるのには時間が必要。
だがその時間は、とっくのとうに過ぎ去っていたのだ。
「正面から戦うのは馬鹿のやること。面倒なことは全て避ける。無駄な傷は要らない。その命だけを奪う。《シルバブレイド》」
刹那、銀の刃が煌めき、ペネロペの心臓からその切っ先を突き出した。
驚愕に目を見開き、口からは勢いよく吐血。
クアリラに飛びかかろうとしていたエルフ兵たちは糸の切られた人形のように突如力を失い、手に握った剣を取りこぼし地面に倒れ込む。
「がはっ……!? い、いつの間に……?」
「はぁ……ペネロペ、他者の油断、、死角、隙をつくのが好きなのはいいけど、自分の油断、死角、隙に警戒しなさすぎ」
呼吸すらままならない致命傷を負ったペネロペは、苦痛に顔を歪めながら自分の背後に顔を回す。
鳶色の瞳に映ったのは、地面から真っ直ぐと自らの心臓部分に向かって伸びる銀の尖刃。
クアリラの得意とする地属性魔法は、自らの手元から遠く離れた場所に繋がりなく発動することはできない。
地面の下に鈍い切っ先を創り出し、忍ばせ、ペネロペの背後まで時間をかけて伸ばしたのだ。
つまりは、始めから、時間をかけて必殺の時をずっと待ち続けていたということだった。
「がぁ……っ! 貴女は…わかってない……ここで私を殺したら、貴女もアイランドに殺される……っ!」
「はぁ……そうだね。あとはもうあの人次第」
「笑える……まさかムト・ジャンヌダルクがアイランドに勝てるとでも思ってるの? 不可能……アイランドに勝てる、人間、なんていな――」
――不自然に途切れる言葉。
大きな音を立てて崩れ去るペネロペの身体。
クアリラは、物言わぬ屍となってしまい、これまで散々操ってきた亡者の仲間入りを果たしたペネロペの下まで近づいていく。
慎重に手を伸ばし、脈を確認する。
反応はない。
重い溜め息をまた一つ。
ここから先の自らの運命は、計らずともある一人の青年次第だった。
「はぁ……アイランドに勝てる人間なんていない、か」
山森の騒めきは遠くとも、たしかに聞こえてくる。
まだ戦いは終わっていない。
しかしクアリラは、この戦いがそう長くは続かない予感がしていた。
「まあたしかに、あの人がただの人間だったら勝てないかもね。でもあの人、本当に人間なのかな?」
――――――
全ての条件が満たされ、心臓を握り潰そうとしたアイランド。
それと同時に聞こえたのは、骨が軋み砕ける音と予想外の痛みに耐えきれなかったことを理由とする絶叫。
「あああアアアア痛ってぇぇッッッ!?!?!?」
そしてそのどちらともがアイランドのものだった。
砕けたのは自らの手で、口から飛び出した絶叫には自分自身でも信じられない。
確実に握り潰したはずの心臓はいまだ、彼の掌の上で規則正しく脈打っていて、潰滅はおろか、傷の一つすらつけられていない。
(硬ってぇぇっっっ!?!? なんだこれ!? は!? ふざけんじゃねぇぞこれが心臓だと!? そんじょそこらの鋼鉄より硬い心臓があってたまるかってんだよ!?!?)
痺れるような痛みは続いている。
人間の握力ではびくともしないほどの硬度のものを、あまりに強く握り締めたため、反動でアイランドの手が壊れてしまったのだ。
「て、てめぇっ! いったいなにをしやがった! なんだこれは! どんなトリックだ!? お前の血の魔法か何かか!?」
「……ふむ。貴公は私たちの心臓に触れているのか? 奇妙な魔法だ。法則性に支配された精錬魔法ならば私の知らないものはないが、自由な発想に起因する原石魔法に関してはやはりまだまだ知識不足だな」
これまで経験したことのない、まったく想像だにしなかった展開に、アイランドは半狂乱状態に陥ってしまう。
普通の人間より遥かに強い力を持つ自らが全力を出して、びくともしない心臓。
そんなものは存在しない。ありえてはいけないものだ。
(まさかこれは幻覚か? あいつは俺様が気づかないうちに精神に影響を及ぼす種類の魔法を使ったのか?)
空いている方の手で今度は掌上の心臓を強烈に殴りつけてみる。
だがそれでも大きな痛みが返ってくるだけで、いまだ幻視する心臓はいっさい変化しない鼓動を続けている。
「ふざけんな。こんなことがあってたまるか。お前本当に人間かよ?」
「侮辱は許さない。私たちほど人間らしい存在はいまい」
少し引っかかる物言いだったが、そんなことは気にならないほどアイランドは切迫していた。
つい数秒前まではあった、圧倒的な余裕はもう跡形もなく消え去っている。
まさか硬すぎて心臓を握り潰せないとは、アイランドの想定していた数あるパターンのどれにも一切当てはまらなかった。
「しかし心臓に触れられるのは不愉快だな。特に彼の身体を他者に合意なく触れられることは、私の心をかき乱す。……こうやるのか?」
「――なっ!?」
次の瞬間、さらにありえないことが起きた。
ドクン、と明らかな変調を訴えるのは、アイランドの掌の上の心臓ではなく、彼自身の心臓だ。
左胸の内側にたしかに感じる、冷たく細い五本の指に掴まれる感覚。
自分の心臓が握り締められている。
これまでずっと狩る側にいたアイランドは、初めて狩られる立場に置かれ本能的な恐怖に過呼吸に陥る。
「はっ、はっ、お、お前どういうつもりだ? はっ、はっ、な、なぜ、お前が俺様の血の魔法を?」
「その表情は驚き、だな。貴公はいったい何を驚いている? 私は最強の魔法使い。貴公にできて、なぜ私にできないことがあると考える。不思議な人間だ」
「はっ、はっ、答えに、なってねぇし、意味わかんねぇよ……!」
小首をかしげ、不思議そうに自分を見つめる黒髪の青年を見て、アイランドは怒りを通り越し呆れすら抱いていた。
英雄ムト・ジャンヌダルク。
その者に常識は通用しない。
アイランドはこれまで常に自分のルール、自分の常識の及ぶ範囲内で粋がってきた自分を恥じた。
「終わりだ。返しても貰うぞ、私と彼の
――グチャ、というこれまで何度も耳にしてきた醜悪な音が、今回ばかりはやけにくぐもって聞こえる。
左胸の内側で何かが弾け飛び、ぬるい液体が身体中を満たしていく感覚にアイランドは嗤っていた。
(馬鹿野郎。俺様は魂と魂のぶつかり合いが望みだって言っただろ。一瞬でつく勝負にはもう飽き飽きしてんだよ。クソが。……でもまあ、少しだけ楽しめたぜ。最後に俺様の想像の遥か上を超えていく奴に出会えたことで、よしとしてやるか。もう俺様の我が儘はここまでだからな)
視力を失っても、掌の上から心がすり抜けていくのがわかる。
手を触れることは叶っても、手が届くことはなかった。
これまでずっと問い続けていた真の最強の意味を知り、アイランドは笑って逝った。
「ふむ。魔法も奥が深い。まだ学ぶべきことは沢山あるようだ。……敵意は、もうここにはないな」
やたら神妙な面持ちで一人頷くと、黒髪の青年は一度木陰の奥を一瞥した後、唐突に姿を消した。
静寂と完全に息絶えたアイランドの死骸だけが残るそこへ、しばらくするとある一人の男が歩み寄ってくる。
「……なんだったんだ今のは。異次元過ぎて理解が追いつかなかったぞ。相手の心臓を直接触る血の魔法だと? そんな反則染みた魔法が存在するとはな。……まあそんなことが全部どうでもよくなるくらい衝撃的なものを見せてもらったが」
銀と金という二色が混じり合った髪をした背の高い男――ロイスは少しだけ怯えに身体を震わせながら、口から血をいまだ流し続けているアイランドを眺める。
魔法使いの実力としては、確実に自分より格上の相手だろう。
だがそんな相手すら、まるで赤子をあやすように一捻りで下してしまった。
噂以上の実力。
それは神に肉薄するという、眉唾とされていた話を笑えなくするものだった。
(あんなのをずっと部下として俺は抱え込んでたのかよ。しかもさっきあいつ、俺が隠れて見てることに気づいてたよな。完全に気配は消して、なおかつ限界まで距離を取ったってのに。……なんかゾッとするな)
ムト・ニャンニャンとあからさまな偽名を名乗ったり、普段のふざけた様子とはかけ離れたムトの姿を思い出し、ロイスを身を震えさせる。
もし何か気に障るようなことや、ムトの意志に沿わない言動を取っていたら今頃どうなっていたのか。
想像するだけで気分が悪くなった。
(まったくとんだ役者だぜ。今のがあいつの本性か。人の皮を被った
それから数分間、深い思考に沈んでいると、やがてどこか遠くから歓喜の雄叫びが聞こえてきた。
声の種類は革命軍の兵士たちのもので、すぐにエルフ軍の敵将の首を誰かが取ったのだとわかった。
(紛争には勝利か。……しかしこの勝利のために払った代償は大きそうだな)
この日を境に、革命軍にとってはあまり望ましくない大きな変化が生じる。
そんな予感を覚えたロイスは、沈鬱な表情で舌打ちをした。
自らの悪い予感はいつだって的中してしまうことをよく知っていたからだ。
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