No.19 ファー・サイド・オブ・モノトニー


 夜明けを告げる乾いた風を受けながら、俺は渋い面構えの男が描かれた似顔絵を眺めている。

 レミから渡されたもので、この肖像画の男こそ今回敵となるエルフ軍の指揮官とのことだ。

 名はエイデン・マウロ・レーブとかいうらしい。

 あと数時間すればどうせ忘れてしまいそうな名前だ。


「どうしたの、ムト? 顔色が悪いわよ? なにか心配事でもあるのかしら?」

「ああ、大丈夫だよ、ラー。ちょっと寝不足で」


 肩の上で毛づくろいをしていたラーが、黄金の瞳をキラキラとさせながら俺の顔を覗き込む。

 昨晩は結局一睡もすることができなかった。原因は当然ピピとの間に起きた痴話喧嘩だ。

 俺はこれまでの人生で、異性とぶつかり合うほど仲が良くなったことがほとんどなかったため、経験不足なメンタルが機能不全を起こしたのだ。

 これで二日連続の徹夜となってしまった。

 無限の魔力を活用すれば実際のところいくら寝なくても死にはしないのだが、それでもやはり精神的に休まらない。

 次寝るときはピピの隣りで眠りたいものだ。そんな想像をしていたら段々元気になってきた。



「さあ、皆、準備はいいわね。今日でこの戦いを終わらせるわよ。当然、私たちの勝利で」



 風に運ばれて聞こえてくるのはレミの演説だ。

 彼女や他の革命軍の兵士たちも、俺と同じように洞穴の外へすでに出てきている。

 士気は十分で、見るからに皆やる気に満ち溢れている。

 なんとなく学生時代の体育祭や文化祭を思い出す。

 俺はあの頃と変わらず、盛り上がる周囲を少し離れたところから眺めているだけ。

 

「はぁ……面倒くさい。革命なんて疲れるだけなんだから止めておけばいいのに」


 はぶられ組であるチームロイスの一人、クアリラは本当に革命軍に入る気があるのか疑いたくなる発言をしながら木陰に座り込んでいる。

 誰よりも早く眠り、誰よりも遅く起床したにも関わらず、目の下には真っ黒なクマをつけ欠伸を繰り返している。

 

「……」


 ピピは心なしか俺と若干距離を置いて、珍しい昆虫が這いまわっているわけでもない地面を見つめ続けている。

 昨日の夜からピピとは一切会話をしていない。

 爽やかな朝の挨拶を何度もしようと挑戦したが、どんな魔法を使っても太刀打ちできない“話しかけんなオーラ”にことごとく跳ね返された。

 もう関係を修復できないかもしれないと諦めかける度に、ピピの頭につけられた花飾りを見て俺は気持ちを保っている。

 今度は花束でも贈ろう。シュークリームと一緒に。


「貴方たちも準備はいい? 始めるわよ」


 どこか陰気臭い俺たちチームロイスに、毅然とした声がかかる。

 演説を終えたらしいレミがすぐ近くまで来ていて、クアリラに立ち上がるよう指示していた。


「全員役割は覚えているわね?」


 確認を意味するレミの言葉に、俺たち全員が頷く。 

 右肩の上にフワリとした感触を覚える。

 ラーが飛び降りたのだ。

 何か言いたげな視線をその際に向けられたが、人の言葉を喋る銀毛の猫は結局何も言わなかった。


「任せたわよ、ムト」

「うん。任せて、レミ」


 こと戦いに関して俺に全幅の信頼を置いているレミがにこりと笑いかけてくる。

 それに俺もぎこちないながらも微笑み返すと、優しく吹き抜ける風の勢いを意図的に強くした。


「《風を》」


 俺が思い浮かべたのは、煽られるような風に乗って空を飛びまわる自分の姿。

 想像を現実に創造クリエイトする。

 すぐに足は地を離れ、俺は曇天の空へと舞い上がって行った。


「あ」


 しばらく上昇を続けていると、ふと視線が下方に向けられる。

 もうレミやピピたちは石ころ並みに小さくなっていて、俺の常人離れした視力でもかろうじて顔を判別ができるくらいだ。

 そして身体を浮かせるほどの暴風に慣れた頃、俺はある事実に気づいてしまう。


 ここ、凄い高い。とても怖い。


 これは完全に高所の恐怖に呑まれ失神するパターンだ。

 しかし無問題だ。俺はただのヘタレチキン野郎ではない。

 そう、俺は筋金入りのクソゴミヘタレチキンビビり野郎なのだ。このような気絶をこれまで何度経験してきたと思っている。

 意識はすっと薄まっていき、空白に押し込まれる寸前、慣れたように俺はジャンヌに敵の指揮官を探すよう告げることができた。

 これで安心して気を失うことができる。

 さすが俺だ。何もできずに意識を失っていた頃に比べて、だいぶ成長したな。




――――――




 退屈を持て余していた。

 エルフ軍東部第一駐留基地の屋上に立ち、銀髪の髪を靡かせる痩身の男――アイランドはもうずいぶん長い間退屈に疲れていたのだ。

 強欲な拐奪者スナッチ・スナッチと呼ばれていた、かつて自らが所属していた組織にいた頃は、そこまで暇を持て余すことはなかった。

 しかし今から三年前、全てが変わってしまった。

 彼は己の強さを正しく理解している。

 彼の使う魔法は“血の魔法”という少し特異な種の魔法で、今や彼以外に使用できる者はいない。

 いくつかの条件こそあるが、その魔法は一対一の対人戦では最強ともいえるものだ。

 ゆえに彼は探し求めていた、自らの最強を覆す、真の最強の存在を。


(……始まったか。今日はいつもよりやる気を出してんな。これはひょっとするとひょっとするか?)


 アイランドを長いこと瞑っていた瞳をゆっくりと開く。

 視界に映るのは深い山林のみだが、彼にはわかっていた。

 戦争が始まっている。

 流血の気配に胸が騒めいた。

 五帝、九賢人、闇の三王。

 これまで彼が戦うことを望んだ相手は何人かいたが、そのどれもが叶わなかった。

 五帝に会うために突破しなくてはならない警備はあまり大きすぎ、万全な状態での一対一の戦いは叶わない。

 九賢人は複数で行動することが多く、付け加えていえばそもそも見つけ出すのが至難の業で、一対一での戦いの場を整えるためには誰かの援助がなければ叶わない。

 闇の三王に関していえば、彼の魔法の条件に反するので様々な意味で勝負にならない。


(俺様は我が儘だ。そんなことはわかってる。だがそれでも求めちまう。俺様の望みを完璧に叶えてくれる存在を)


 しかし今から三年前、全てが変わった。

 アイランドの望みを叶えられる可能性のある存在が現れたのだ。

 曰く、その者は五帝、九賢人、闇の三王、その誰もが届かぬ圧倒的強さを持ち。

 曰く、その者は決して己以外の力を頼らない孤高の強さを持ち。

 曰く、その者は神すら凌駕する奇跡の強さを持つという。

 強欲な拐奪者の願望も、組織自体すらもたった一人で全て壊しつくしたその者を、今では世界は英雄と呼ぶ。


(迷子の英雄ムト・ジャンヌダルク、お前なら叶えてくれるはずだ。俺様の望みを)


 矛盾した、屈折した望みだ。

 アイランドは心の隅でそう自嘲しながらも、近づきつつある強者の気配を探る。


(俺様のルールの中で、俺様に勝てる奴なんて存在しない。……俺様はずっと待ってきた。そんなことを考えている俺様を、嘲笑って飛び越えていく奴を)


 冷め切っていた血が湧き立っていく感覚。

 清流のようでいて、荒れ狂った大波のような圧迫感。

 最初は遥か上空に、そして今はすぐ傍の大地に降り立っている。

 

「見つけたぜ」


 待ちわびていたアイランドは跳ねるように飛び、ある方向に駆け抜けていく。

 身体は軽い。力は全身に漲っている。

 内なる魔力は一糸乱れぬ正確さで手繰ることができる。

 撒いてあった餌に、獲物が食らいついたのだ。

 収獲の時に心躍らせ、そしてついに彼は長い間待ち望んでいた邂逅の時を果たす。



「……やっと会えたな、ムト・ジャンヌダルク」

「……貴公は、彼の言っていた敵ではないな」



 “対象と直接言葉を交わす”、条件の内一つがクリアされる。

 実際に顔を合わせるの初めてだが、一目でそこに立つ黒髪の青年が探し求めていた人物だとわかった。

 眩いばかり光輝く黄金の瞳。

 高潔な口振りと、突き刺さるような威圧感。

 

「俺様の名はアイランド。ずっとお前に会いたかったんだぜ、ムト・ジャンヌダルク?」


 嬉々とした面持ちでアイランドは素直な気持ちを語る。

 自重が効かず漏れ出す暴力的な魔力は、もう抑えようともしていない。

 それでも目の前の青年は、警戒も、敵意も、恐怖も自らに対して抱いていないようだ。

 そのことが彼はたまらないほど嬉しかった。

 “対象が無傷であること”、条件の内の二つ目にも問題はなさそうだ。


「俺様は昔は自分の力が嫌いだったんだ。俺様自身はなんていうんだ? 俗にいうバトルジャンキーって奴でよ。自分より強い奴と戦うのが好きだった。それこそ魂からの渇望といってもいいくらいにな」


 アイランドは深呼吸を一つ整えると、右手を宙に掲げる。

 掌は大きくひらかれたまま。

 期待と懐疑の入り混じった複雑な表情を浮かべ、いまだ感情を一切見せない希代の英雄を静かに見つめる。


「俺様が望むのは対等な戦い。互いのルールに乗っ取った、公平な命の削り合いだ。だが俺様の力は、俺様のルールはあまりに。魂のぶつかり合いで心も満たす前に、一瞬で勝負が終わっちまう」


 三つ目の条件は、“対象が自らと対等な存在であること”。

 この場合の対等とは相手がアイランドと同じ人間、さらに五体満足であることを指す。

 彼の能力は自分と同じ人間以外の生き物や、彼が対等とは思えないようなハンディキャップを背負った者には使えない。

 しかし、その条件もすでにクリアされていて、彼にとっての戦いのルールは整っていた。


「だから頼むぜ、ムト・ジャンヌダルク。俺様に戦いって奴を教えてくれよ。俺様の渇きを潤してくれ」


 殺意の魔力がうねり、アイランドの掌に集まる。

 掌の上に幻視するのは、彼にしか見えていない世界。

 ドクン、という慣れ親しんだ鼓動を肌に感じ、生々しい質感に頬を綻ばせる。

 彼の使う血の魔法の能力、それは“対象の心臓を直接触れられる”というものだった。



「……《死神の握手ハデスズ・ハンドシェイク》。お前は英雄なんだろ? なら心臓を握り潰されたくらいで死んでくれるなよ?」



 条件のクリアに不足はない。

 たしかにアイランドの血の魔法は発動している。

 これまで対等な戦いを望んだ結果、その全てで相手を即死させてきてしまった。

 

 英雄の心臓を掌の上に、彼はこれまでと同じように思い切り指に力を込める。

 

 そして彼の凶行を遮るものはこの時も何一つ存在せず、何かが砕ける音と、予想外の痛みに耐えきれなかったゆえの絶叫が響き渡ったのだった。




―――――― 




 話に聞いた以上に統率のとれたエルフ軍の兵士たちの動きに、クアリラは内心を息を巻いていた。

 レミジルーに言われた通り、彼女は先行部隊と共に駐留基地目がけて侵攻しているところだったが、襲撃を予測されていたのか伏兵にあっている。


(はぁ……面倒くさい。だいたいこの戦い方、どっか見覚えあるし)


 決して正面からは戦わず、背後や死角を徹底的につこうとするエルフ軍の兵士たち。

 間違いなく正規の戦法ではないだろう。

 微かに動きに拙い箇所がいくつも露見していることから、この戦法を用いるようになってから日が浅いことは明らかだった。


「死ねぇっ! 醜い亜人めぇっ!」

「はぁ……せっかく背後をとっても叫び声上げちゃ意味ないじゃん」


 手に持った銀の槍を薙ぎ払い、敵の顔も見ることなく首を刎ね飛ばす。

 個々の兵士とクアリラとの間に埋め尽くしがたい力量差があるため、今のところ命の危険は感じないが、それでもたしかに敵兵の配置には計算し尽くされたいやらしさがあった。


(あれ? 知らない間に私一人になってる)


 嫌々ながらも絶え間なく襲い掛かってくるエルフ兵士たちを斬り裂き続けていると、クアリラはふと自分の周りから仲間の姿が消えていることに気づく。

 革命軍の先行部隊は自分以外全て倒されてしまったのか。それとも単に自分一人が先走り過ぎたのか。

 曖昧な記憶を辿ってみるが、答えは出なかった。


(敵がこない)


 さらに今度は、これまで木々の影からひたすらに襲撃を仕掛けてきたエルフの兵士たちの気配も忽然と消失する。

 明確な違和感。

 面倒な予感を覚えたクアリラは、自らの想像が的中してしまったことに重い溜め息を吐いた。



「どうも。久し振り。まさかこんなところで会うとは思わなかった」

「はぁ……やっぱりペネロペの指揮か。どうりで面倒くさいと思った」



 エルフ軍の死骸がいたるところに転がる林道。

 薄暗い木陰から、一人の女が不機嫌そうな面持ちで歩いてくる。

 長い黒髪を揺らしながら、光のない瞳でクアリラを見つめている。


「懐かしの再会。涙が出そう」

「はぁ……三年振りだけど、相変わらず冗談がへたくそ」


 黒髪の女のことを、クアリラはよく覚えている。

 かつては共に戦い、共に多くの命を奪ってきた。

 罪の意識も、恨みも、過去の悔恨もない。

 ただあるのは懐かしさだけ。

 郷愁の想い以外に、抱くものは何一つなかった。



「じゃあ感動の場面もそこそこに。貴女には死んでもらう。今の貴女は仲間じゃない。さようなら、副師長」

「はぁ……本当、生きるのって死ぬほど面倒くさい」



 女が魔法を詠唱し、死んだはずのエルフ兵たちが起き上がるのを見て、クアリラはこの日何度目かわからない溜め息を吐く。


 強欲な拐奪者スナッチ・スナッチ第一師団副師長。


 久し振りに耳にした今から三年前の肩書。


 しかしそんな退屈なものには、クアリラはもう欠片も興味がなかった。




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