No.2 ステアー




「……オルレアン、君なのか?」


 突如遠方に顕現した真紅の炎を眺めながら、ムトは呆然と立ち尽くしている。

 その驚きと衝撃はまた、ルナの胸中でも同様だった。


(あれはディアボロの篝火? 今から三年前にムトさんが消したはずの闇の魔法……なぜそれがまたもや、しかも今度はボーバート大陸で?)


 ディアボロの篝火。

 それは火属性や風属性に代表される精錬魔法や血の魔法などの原石魔法ともまた別種とされる、いまや伝承としてしか残っていないすでに途絶えた“闇属性”の魔法の一つだった。

 世界の歴史を見ても、この闇属性の魔法を扱えたとされるのはたった二人。

 一人は、今から二千年前に三つの大陸に三つの篝火を焚いたとされる闇の魔法使い、“ナナシの魔女”。

 そして三年前にホグワイツ大陸に篝火を灯した強欲な拐奪者スナッチ・スナッチの総帥“シャルル・マッツァーリ”だけとされている。

 しかしそんな歴史に証明される闇の魔法の希少性を嘲笑うかのように、三度ディアボロの篝火はその猛威を振るっていたのだ。


「これは驚いたな。あれはディアボロの篝火だろう? さすがに無知な俺でも知っているぞ」

「方向的にはエルフですね。幻帝ヨハンが何か仕掛けたのか、それともまた別の何者か。情報が少なすぎて確定はできませんが、とにかく吉報ではなさそうですね」


 ルナの隣りでは他の者たちと違わず、ドワーフの警備兵長であるソリュブルが表情を強張らせている。

 枢機卿カーディナルの一柱サードを撃退し、ほんの束の間の安堵を手に入れたが、それはもうすでに消え去ってしまっていた。


「ちょウェイ。こんなのマジ聞いてねぇぞ。あのハンニバルの顔面サイコ野郎。こんなんどう考えてもオーバーワークだろが。つかヒトラーの奴は大丈夫なのか?」


 少し離れた場所では、栗色の巻き毛が印象的な痩身の青年が狼狽したように頭を掻き毟っている。

 青年の名はジャック・オル・ランタンと言い、世界でも最高峰の力を持つ公認魔術師オフィシャル・ウィザードの一人、“福音の七番目”ということらしかった。


(ハンニバルにヒトラー……おそらく現世界魔術師機構会長の一人と黄金の四番目のこと。世界魔術師機構は今回の件に何かしらの対策をすでに打っている? 現にここに九賢人の一人もいる。だとしたらこれが三年振りの大事になることは間違いない、か)


 盗み聞きした情報からルナは簡単な推測を打ち立てる。

 なぜボーバート大陸に珍しく世界魔術師機構の人間がいるのか不思議に思っていたが、初めから危険な予兆がおそらくホグワイツ大陸にまで伝わっていたのだと納得する。


(ムトさんがこっちに来ているのもきっと同じ理由……ふふっ、世界魔術師機構と同等の情報収集力を一個人が持つなんて、やっぱりムトさんは規格外)


 自らに敬愛する黒髪の青年の横顔に見惚れながら、思わずルナは頬を緩める。

 幸いにもそんな彼女の様子に気づく者は誰もおらず、秘めた想いが露見することはなかった。


「おい、ムト。お前、今から三年前にちゃんとあのでっけぇ炎消したんじゃねぇのかよ? また灯ってんぞ。どうすんだよ」

「いや、ちゃんと消したって。というかどうするんだって言われても、そもそも世界の平穏を守るのはそっちの仕事だろ?」

「そらまあ、そうだけどよ。お前だって一応、英雄だろ? ほら、またぺぺって適当にやっちゃってくれ」

「お前本当に何で九賢人やってるの? お前こそ身分偽ってるんじゃない?」


 このような異常事態であっても軽口を絶やさないムトの姿を見て、ルナは下腹部の辺りを疼かせる。

 そこには普段通りの雰囲気しかなく、異常事態でなお平常を保つその様は、まさに彼女が望んだ通りの異常な姿だった。

 

(さすがムトさん。ディアボロの篝火の一つや二つ、闇の魔法が何度発動されようが、あの人にとってはどうでもいいことなんだ。そんなムトさんと普通に会話をしているジャックって人も中々いい感じ。元々、福音の七番目は頭がおかしいって風の噂で聞いていたけど、たしかにいい感じに狂ってそう。まあ、あの人の隣りに立つにはこれくらいは狂って貰わないと困る)


 ルナによって知らぬ間に狂人認定をされ、幸か不幸か若干好感度が上昇しているが、そのことにジャック本人は一切気づいてない。

 だが実際にジャックは世界の危機より自らの貞操のことで頭が埋め尽くされているので、ある意味常人ではないという認識は正しかった。


「だけどちょっと気になるな。あの篝火を誰が灯したのか」

「なんだ? 心当たりでもあんのかよ?」

「うん。もしかしたら知り合いがあの篝火のところにいるかもしれない」


 言葉の端から、やはりムトが篝火の下へ向かうつもりなのだとわかる。

 どんなに気が狂っていても、英雄であることには変わりない。

 それゆえにルナは悔しかった。

 おそらくその旅路に、今回もまた自分は付いて行けないだろうと自覚していたから。


「知り合いねぇ? ……女か?」

「まあ、一応」

「ヨッシャア! 仕方ねぇ! お前にばっかり良い格好させるわけにもいかねぇからな! おれも付いていってやるよ! これでもおれは福音の七番目だからな!」

「えぇー、いいよ来なくて。というかヨッシャアって掛け声絶対おかしいでしょ?」

「ウェイウェイ。いいだろべつにぃ? おれたちマブダチなんだからよ」

「そうだっけ? ちょっとよく覚えてないけど」


 本気で嫌そうな顔をするムトにむりやり肩を組もうとするジャックを見つめ、ルナは静かに下唇を噛み締める。

 ひょうきんで軟弱な言動をしているが、その栗毛の青年は大陸屈指の天才魔法使いだ。

 もし純粋に戦えば、自らが相手を上回ることはほとんど考えられない。

 その歴然たる事実を理解していたルナには、震える足を一歩前に踏み出すことができない。


「……お前は行かないのか、ルナ?」

「……はい。私はソリュブルさん達と一緒にアルセイントに戻ります。今の私があの人の隣りに立っても、足手まといにしかなりませんから」


 気づけばルナの隣りには神妙な顔をしたソリュブルがいて、彼に対し絞り出すような声を返す。

 今回のサードとの戦闘においても無傷では済まず、どちらかといえば重傷を負いながらの勝利だった。

 もしこの先篝火の灯るエルフに向かえば、他の枢機卿か、それとも別の敵かはわからないが、確実に生死をかけた衝突は避けられない。

 実際に手を合わせた感覚から言って、サードは枢機卿の中でも実力が下の方とルナは判断している。

 戦闘力が上位の枢機卿と今の自分がぶつかれば間違いなく死ぬ。

 それでもムトと同行する旅ならば、余程下手をしなければかの英雄が立ち塞がる全てを屠っていくだろう。

 しかし、それでは駄目だったのだ。

 ルナの目指す場所は、守られるだけの、何の役にも立たない人形の立ち位置ではない。

 彼女は、一人の人間として、その陶酔する英雄の横に立ちたかった。


「今はまだ、その時ではありませんので」

「……そうか。お前がそういうなら、そうなんだろうな」


 毅然とした態度でそう言い切ったルナを見て、ソリュブルは鼻で軽く笑う。

 彼からすれば、その慈愛の魔女とも呼ばれる女は全く理解できない存在だったが、それでも構わなかった。

 自分が、ドワーフの民が、彼女に救われたという事実に変わりはないのだから。


「ムトさんはこれからエルフに向かうんですよね?」

「え? あ、ああ、うん。とりあえずあの篝火があるところに行ってみようと思ってる」

「そうですか。では私とソリュブルさんはアルセイントに戻ります」

「なあなあ、てかその子とムトってどういう関係なん? おれにワンチャンある?」

「そっか。わかったよ。転移魔法で送ろっか? あとジャックうるさい」

「いえ、大丈夫です」

「なあなあ? ゆーてワンチャンあるっしょ?」

「いえ、大丈夫です」


 ルナはムトに声をかけると、自分たちの方針を伝える。

 一度やるべきことを決定してしまえば、あとは行動あるのみだった。

 彼女にとって目標に到達するためには、時間はどれだけあっても足りないほどだったのだ。


「その、えと、俺、久し振りにルナに会えて嬉しかったよ。迷惑だったかもしれないけどさ」

「そんなことありません。私も嬉しかったです」

「そう言ってくれると助かるよ」


 照れたようにムトが微笑むと、ルナは自分の心臓が激しく高鳴るのがわかった。

 自身の感情を抑制することは比較的得意な彼女だったが、どうにもその才能は目の前の英雄の前では力を失ってしまうらしい。


「また、会えるよね?」


 両の瞳を濃度の違う黄色で染めた青年から問い掛けに、ルナは呼吸を止める。

 返答はとうの前から決めて合って、その言葉が実現する時こそが、彼女にとっての全てが叶う時だった。



「はい。今度は私の方から、会いに行きます」



 言葉を受け取ったムトは一瞬驚いたような顔をすると、すぐに優しく頷いた。

 それは決意表明。

 自分にとっても大きな意味を持つ言葉を置いて、そしてルナは踵を返しその場を後にする。

  

 ディアボロの篝火。それはただの炎ではない。

 その闇の魔法は、存在自体が呪いと言っても過言ではない怪物を世界中にばら撒く負の集合体でもある。

 

 篝火を英雄ムトが再び消し去る。もはやそれは決定事項だろう。

 しかしそれまでにルナがやるべきことは決して少なくない。


(カガリビト……ディアボロの篝火が生み出す異形の怪物からアルセイントを守り切る。そうすれば私も英雄には少しは近づけるはず)


 彼女にとって唯一の英雄に恋い焦がれ、少しでも近づくために、ルナもまた英雄への階段を昇り始めるのだった。  

 



――――――




 まず最初に抱いた感情は郷愁だった。

 黄金の四番目、今ではそう呼ばれるようになった彼は白塗りの床を音もなく進みながら、かつて記憶を回想している。

 周囲は不気味なほどの静寂を保っていて、エルフの王が住む城の中だというのに小間使いの一人も目に入らない。


(潔癖の王、ですか。相変わらず難儀なものですね)


 彼――ビル・ザッカルド・ヒトラーは思い出とほとんどそのまま変化のない風景を目に楽しみながら、回廊を歩き続ける。

 やがて重鈍な大扉の前に辿り着くと、彼はそっと手をかけ押しのけていく。

 まるで力を入れているようには見えなかったが、扉はあっけなく開いていき、広大なホールへの道を示す。

 

(まさかまたここに来ることになるとは思いませんでしたよ)


 不必要に高い天井からは大掛かりなシャンデリアがぶら下がっているが、どこか陰鬱とした雰囲気で、煌びやかな印象は一切ない。

 窓から覗く景色には雲一つない青空が広がっているにも関わらず、辺りに満ちる重々しい空気は曇天に似ていた。



「……ここに何の用だ」



 ホールの最奥。

 さらに城の奥へと続く階段の上から、腹の底まで響くような唸り声が聞こえた。

 彼は足を止め、ゆっくりとその蒼い瞳をその声の持ち主に注ぐ。



「これはこれは、久しぶりですね。

「今じゃもう、その名で俺を呼ぶのは妻以外にはお前だけになった」



 煙草を咥える、感情を示さない無表情の男は一振りの武骨な剣を片手に、階段を降り始める。

 強者のみが纏える突き刺すような風格を匂わせるその男は、この国では“ファースト”と呼ばれていた。


「また生きてお前の顔を見ることになるとはな、ヒトラー」

「懐かしき再会ですね。ハグでもしますか?」

「断る。想像しただけで反吐が出そうだ」


 ――刹那、男の姿ぶれたかと思えば、凄まじい衝撃音が空虚な講堂に響き渡る。

 一秒にも満たない間に、男は彼の目前で剣を叩きつけていて、それを無詠唱魔法で創り出した黄金の槍で受け止めたのだ。


「……相変わらずせっかちですね、キンブレイ」

「お前の方も変わらず余裕綽々な態度がいちいち苛立つな」


 共に紺碧の視線をぶつかり合わせながら、二人のエルフ人は自らの身に魔力の鎧を纏わせていく。

 すでに両者の立場には深い溝が刻まれていて、もう二度とその溝が埋まることはないと互いに知っていたのだ。



「悪いが不法侵入だ。ここでお前には死んでもらうぞ、“元”ファーストさんよ」

「まったく。アポをとっても入れてくれないんだから、不法侵入以外にあの人に会う方法はないじゃないですか? “現”ファーストはずいぶんと意地悪な人なんですね」



 濁った灰色の煙が宙に揺らめく。

 どちらが白で、どちらが黒なのか、その答えを知る者はどこにも存在しなかった。




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