Epilogue 5

No.1 ヒーローズ・ファミリー



 ある不幸な一人の男にまつわる物語をしよう。

 先に説明しておくと、この物語は最高にハッピーエンドで幕を下ろすので、どうか安心して聞いて欲しい。

 しかし物語の冒頭は最高に胸糞悪いのでそこは注意だ。気をつけてくれたまえ。


 さて、それではどこから話そうか。そうだな。やはりまずは物語の主人公である彼の出自から話すのが適当だろう。

 彼は経済的には裕福でも貧乏でもない、至って平均的な家庭で生まれ育った。

 だけどそれはあくまでも経済的には、というだけで、実際には最悪にクレイジーな家庭環境だったといえるはずだ。

 まずは彼の父親だ。そいつはどうしようもないくらいの糞野郎だった。

 いったい何の職業に就いていたのか、昼夜問わずわけのわからないタイミングでふらりと家を出ていき、帰ってくれば幾らかの金を持ち返ってくることや、家事などは一切せず家にいる時はひたすらに惰眠を貪るのみ。それらはまだいいが、唯一の最大にして最悪の悪癖があった。

 

 それは女癖の悪さだ。


 デブでハゲでチビという非の打ちどころしかない外見をしていたにも関わらず、なぜかこの父親にはやたらと女性が寄ってくる。

 そして既婚者のくせに鼻の下を年がら年中伸ばし続けたこの父親は結局、三股が妻にバレて離婚を突きつけられ、男の下から去ることになってしまった。

 こんなクソオヤジでも、男にとってはたった一人の父親で、実際に彼と父親の仲はそれなりに良好だったらしい。

 だが父親はあっさりとその息子を捨て、二度と彼の前に姿を現すことはなかった。


 さてと、お次は男の母親の方の話だ。彼の不幸はまだ続く。


 男の母親は元来神経質な性格だったが、彼女の夫が去ってからはその傾向がより顕著になった。

 もはやヒステリックといっていい領域に達し、隙あらばホストクラブに通い、挙句の果てには薬物にまで手を出した。

 男は他に兄弟姉妹もいなかったため、彼に残された頼れる家族はその母親だけだった。しかし当然そんな薬物ジャンキーに頼れるのは粉モノの取り扱い方くらいだろう。

 言い忘れていたが、男は生まれつき全ての女性に嫌われるという特殊能力を持っているのだが、それは親族も例外ではなく、母親から彼はわりと嫌われていた。

 父親の生き写しのように似た容姿が彼女を苛立たせたのかもしれない。詳しくはよく知らないし、知りたくもない。

 とにかく、こんな感じで男の家庭環境はあまりよろしいとは言えないものだったのだ。


 ここからは彼の少年期の話だ。彼の不幸はまだまだ続く。


 男は先ほども言った通り、彼の父親とよく似た容姿を持っていた。つまりはブサイクだった。

 さらに性欲も非常に強かった。その点に関してもかなり父親似と言っていいだろう。

 だが、まったく似ていない点もあった。それこそが彼にとって最大の不幸で、本来なら最も似るべき性質だったのだが、神はどこまでも性根の腐ったファッキン野郎だったのだ。


 似なかった点とはつまりそういうこと。女性から好意を抱かれる才能、それを男は受け継ぐことができなかったのだ。


 こうなると容易に想像がつくように悲惨な運命しか残されていない。

 醜悪な顔面と異常に強い性欲。しかしモテない。むしろ嫌悪される。

 もっとも冷静に考えて、この条件で女性に好かれた男の父親の方がおかしかったのだが、とにかく彼はそれは大そう惨めな少年期を過ごした。

 この辺りの話を詳しくすると、気分が落ち込んでくるのでさらりと済ますが、結局彼は成人するまでにガールフレンドはおろか同性の友人の一人すらできなかった。

 彼の名誉のために言っておくが、だからといって彼は世界を憎むことは最後までしなかった。

 優れた容姿も他者より秀でた才もなく、特別面白いことを言うわけでもない性欲お化け。そんな奴、普通に考えて排斥される方が自然。

 彼は性能の悪い頭なりに正しく理解していたのだ。

 だから彼が呪ったのは世界ではなく、自分自身そのもの。

 あまりに不幸な星の下に生まれた、自らの存在自体を憐れむことしかしなかった。


 よし。ここから物語のクライマックスに入っていくぞ。期待を胸に耳を傾けてくれ。


 そんなこんなで寂しい幼少期を過ごした男だが、時間は誰に対しても平等に流れる。彼はあっという間に大人になった。

 足りない能力を必死にかき集め、無事社会に出ることに成功した彼は、それなりに順風満帆な生活を送り始める。

 勤め先ではあまりに役立たずなため、ろくに仕事も振られない置物社員と化していたり、上司や先輩、同僚たちに“喋るノグソ”という仇名をつけられたりしていたが、彼にとってはそんなものへでもなかった。

 女性社員が履くタイトスカートに浮き出るピチピチのボディラインを見るだけで、彼の心は平穏を保つことができていたのだ。

 だがそんな安寧の日々もそう長くは続かなかった。彼の背負った罪はあまりも大きすぎたといえる。


 きっとあれは春のことだった。彼は暖かな風に誘われて、うっかり同僚の女性社員の下着を盗んでしまったのだ。


 今思えば、あれも罠だったのだろう。

 しかし彼はまんまとその研ぎ澄まされた牙に自ら足を差し出してしまった。

 そこから先はとんとん拍子に物語は進む。 

 まずは会社をクビ。当たり前だろう。むしろ牢獄にぶち込まれなかったのが奇跡だ。

 その後は自宅警備員という名の引きこもり。無駄に歳だけ重ねた無能を引き取ってくれるところは世界のどこにもなかった。

 なけなしの貯金もあったが、それは無限に金をせびり続ける薬物中毒の母親に吸い取られていくばかり。

 どんなにどうしようもない母でも、彼にとってはたった一人の家族で、それはずっと変わらなかった。だから彼は何も言わず母親に金を渡し続けていたのだ。たとえ、どれほど嫌悪感を隠せていない表情を実の母から見せつけられたとしても。


 ここからついにクライマックスだ。さっきもクライマックスって言ったかもしれないけど、今度は本当にクライマックスだ。クライマックスって言葉は語感がいいからつい何回も言いたくなるよね。特に、ックスってとこがいい。繰り返し言いたくなるックス。


 とにかく彼の物語は終幕を迎えるところになるが、それはある秋の日のことだったと思う。

 自分より年下の男女が二人でイチャコラする様を横目に街を歩いていた彼は、ある運命的な出会いをする。

 厳密にいえば出会ってはいないが、厳密には言わないでおく。

 とにかく彼はとある秋の夜に、一人の女性と運命的な出会いをしたのだ。

 

 一目見ただけで、彼の思考は全て真っピンクに染まった。


 その女性は彼が見た全ての女性より美しく、儚げな魅力を秘めていた。

 今思えば、これも罠だったのだろう。だが彼は罠だと知っていてもおそらく走ったはずだ。彼はそういう男だと俺は良く知っている。

 その女性は街角でガラの悪い暴漢に因縁をつけられているところだったのだ。彼はそんな彼女を助けたいと思った。自分が非力なことすら忘れて、ただ助けたいと思った。

 彼の名誉を無視して言わせてもらえば、善意というよりは性意に基ずく行動であったが、そこは大して重要ではないので深く言及はしない。

 ここで伝えたいのは、その外面だけ見れば実に英雄的な行動の末路だ。


 端的に言葉にすれば、彼はそこで死んだ。


 暴漢に仕返しされたわけでもなく、その女性の下に駆けつける前に車――じゃあわからないか、えーと、そうだな、突如現れた魔物に襲われてその短くも長くもない中途半端な生涯を終えてしまったのだ。

 結局、彼は死んでしまうその瞬間までずっと不幸なままだった。

 最後の最後で、やっと誰かの役に立つことしそうだなと思った矢先、あっさりと、そして唐突に最期を迎えた。

 男にとって運命の女神だった彼女は、きっと彼の顔すら覚えていない。声も、手も、何も届く前に、彼は消えてしまったのだから。彼女が結局救われたのかも、わからない。


 さて、それではこの不幸な男の物語のオチを話そう。ついにクライマックスックスだ。

 

 彼はこうして残念過ぎる生涯を終えたわけだが、不思議なことに死後に目を覚ました。

 光を失った瞳を開ければ、そこには神を名乗るクソ胡散臭い存在がいて、そして彼にこう言ったのだ。



『俺は神のタロウだ! 偽名だけどヨロシクッ!! というわけでお前死んだわけだけども気分はどう? 本当お前には感謝しているぜ。俺は異常な性欲を持つが、ありとあらゆる不幸に見舞われる人間を誕生させた。俺とお前の研究成果が最上級神に認められて俺は晴れて上級神に昇格することができたんだからな! だから今回はお前にお礼を言いにきたんだよ!』



 そうさ。つまりは全て仕組まれたことだったのだ。

 男のありとあらゆる不幸は自称神の計画通りで、彼に逃げ場など生まれた時から存在しなかった。

 だが、神は彼にある提案を持ちかけた。

 その提案というのは――――、




―――――― 




「――びでぇっ! ぞん゛な゛の゛酷すぎるぜぇっ! あまりにも救いがなさすぎるだろっ!? なぁにが神だボケカス! なんでそんな優しくていい奴がそこまで酷い目に合わなくちゃいけねぇ!? 報われねぇ! 報われねぇよ!」

「ぐずっ! ぐずんっ! そうだよ! そんなのあんまりだよ! たしかにその人は人として色々アレなところもあるけど、絶対根はいい人だもん! 可哀想過ぎるって!」



 バチ、バチ、とご機嫌に紅を踊らせる焚き木の向こう側では、一人の青年と一人の少女が元々は綺麗な顔を涙やら鼻水やらでグチャグチャにしながら何やら喚いている。

 俺は予想外の反応に対処に困ってしまう。なんだこいつら。感受性豊か過ぎるだろう。


「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてって。まだ話のオチを言ってないのに」

「無理だぁ! おれはもう耐えられねぇ! だいたいいつになったらハッピーエンドに辿り着くんだよ!? さっきからクライマックスクライマックス言ってるけど、全然幸せになる気配がしないじゃねぇか! お前絶対にただ、ックス言いたいだけだろ!?」

「そんなことないって。今度こそ本当にクライマックスだから。まあ、ックス言いたいだけってのは否定しないけど」


 すでに夜は更けていて辺りは真っ暗になっている。

 空を見上げてみれば、遠方に馬鹿でかい炎柱を見ることができて、その目的地まではまだ距離があることが分かる。

 今は就寝前にちょっとしたお喋りを楽しんでいたところだったが、どうも今回の旅の同行者には少しばかり刺激が強かったらしい。


「つれぇ、つれぇよ。仕組まれた不幸。植え付けられた強すぎる性欲。そんなもん存在が自体が呪いじゃねぇか。同じヒモテ系男子として、これ以上はおれのハートがもたねぇぞ」

「おいおい、ジャック。いくらなんでも共感し過ぎだって。創作だって言ってるだろ?」

「まあ、そうなんだけどよ。なんつーか、やけにリアルなんだよなぁ、その話。だからこう、特にお前が喋ると、胸にガツンと来るっていうか。ヤベェくらい響くんだよ」


 揺らめく小さな篝火の向こう側で、茶髪の青年が鼻を啜っている。

 ジャック・オル・ランタンとかいう名前で、浮浪者っぽい見た目と雰囲気をしているが、一応九賢人の一人ということだ。

 ドワーフの国を出てから数日が経過しているが、何の因果が一緒に旅をすることになってしまった。


「うんうん。うちもジャックくんと同感。その話、ムトくんがするとめっちゃ心に染みるよ! ほんとキツイ。鼻炎になりそう。というかそれ本当に創作なの? 誰か知り合いの話じゃないの?」

「ま、まさか。そ、そそそそそんなわけないじゃん。だって神だよ? いるわけないじゃんそんな奴」

「うーん。たしかに。もし神様がいたとしても、きっとそんな意地悪しないはずだもんね。邪神的なあれだったら別だけど」


 すると、突然ジャックとはまた違うところに座る金髪の少女が中々に核心をついた発言をしてくる。

 もちろん俺に、他人を楽しませる愉快なトーク能力はない。

 ゆえに彼女たちに話したことは全て、本当は自分自身の過去そのままだ。

 ジャックからなんか面白い話しろよ、とかいうクソみたいな無茶ぶりをされた結果なんとか絞り出したに過ぎない。

 しかしまさかここまで同情してくれるとは思わなかった。気恥ずかしさもあるが、ちょっとだけ嬉しい。


「でもよ、モテない呪いってのは中々興味深い話だな。もしかしたら、おれも実はそんな呪いをかけられてるんじゃ――」

「いや、それはない。ジャックがモテないのは完全に自分の責任だよ」

「うん。うちもそう思う。ジャックくんがダメダメなのは神様のせいじゃないと思う」

「お前ら……特にクーちゃんは百歩譲って許すとして、ムトに言われると最高に腹立つな」


 神からの不幸の呪いが解けた今でも、俺は驚くほどに女性から人気を得られない。つまり元々の人格に問題があるのだ。それはジャックも同じで、こいつに同情の余地はなかった。


「てかよ、クーちゃん。おれとムト、実際どっちがアリだ? 一回マジで訊いてみたかったんだけど」

「お、いいね。俺もそれ気になる。さすがにジャックには勝てる気がする」

「は? あんま調子くれてんなよ種なし根暗童貞野郎?」

「お? どうしたんだい無駄打ち恋愛音痴童貞くん?」

「もう駄目だよ、二人とも喧嘩しないでっていつも言ってるじゃん」


 ジャックがなぜか突然、勝ち目のない喧嘩を売ってくるので俺はそれを買うことにする。

 たしかに俺はヒモテ界のスーパースターだが、さすがにコレには負けていない。

 基本的に人畜無害な俺に対し、こいつは積極的に周囲に迷惑をかける有害な童貞だ。無害な童貞の敵ではない。


「それでどっちがマシよ。クーちゃん?」

「ぜひ聞かせて欲しい。クーちゃん」

「うーん。そうだなぁ……」


 そして俺とジャックは二人して、小柄な碧眼の少女へ熱視線を送る。

 唇を尖らせて低く唸るその姿はとても庇護欲を掻き立てるもので、意識しないとうっかり頭を撫でてしまいそうだ。



「……うちはジャックくんもムトくんも、二人とも好きだよ?」

「あら~!?」

「あら~!?」



 そして返された完璧な返答に、二人の童貞は揃って間抜けな声を上げる。

 これが天使という奴なのだ。俗に塗れた二人の穢れなき男たちに遣わされた、小さな希望。


「やっぱりクーちゃんは最高だなぁ!」

「やっぱりクーちゃんは最高だなぁ!」

「そ、そんな大声で二人して変なこと言わないでよ。うちめっちゃ恥ずいじゃん」


 最高に機嫌のよい童貞たちの合唱に、天使は顔を赤らめる。

 その様子にさらに気分の良くした俺たちは立ち上がり、互いに拳を握り締め、軽くぶつけ合った。



「「我らが愛らしき妹に乾杯っ!」」



 夜空を穿つ極大の火焔が燃え盛ったことは不幸だが、そのおかげで掴んだ幸せもある。

 今から数日前に彼女と運命的な出会いをすることができたのは、ここ最近で一番の幸運だった。


 すぐ傍で楽しそうに笑う彼女の名は“クアトロ”。


 言い忘れていたが、俺の妹だ。




――――




 酩酊しているかのような不安定極まりない足取りで、一人の女が寂れた廃墟を歩いている。

 天井はほとんど壊れていて、中ほどから先を失った柱が幾本も立ち並び、そのどれもが女の髪と同様に純白。

 月光だけを灯りとして、女は暗色の外套を揺らしていた。



「ずいぶんと機嫌が良さそうですね。クロウリー様」

「なはは♪ そりゃそうですよ。の親戚に会うのは結構久し振りですから」


 

 愉快気に口笛を吹く女――クロウリー・アインシュタインは、近くから聞こえる声へ鷹揚に返事をする。

 彼女の隣りには暗闇が広がるばかりだが、たしかにそこには何者かが存在しているらしかった。


「しかし、まさか貴女様とこの私が巡り合うことが叶うとは。この栄光にいまだ身がすくむ思いです」

「なはっ♪ 大袈裟ですねぇ。そう言ってくれるのは嬉しいですけど、褒めたって何もでませんよ? 何かしら企んでいるとは思いますけど、あんまり期待はしない方がいいです」

「まさかご冗談を。私は見返りなど求めません。クロウリー様に仕えることが叶ったことが何よりの喜び。これ以上を望めば罰が当たることでしょう」


 闇から響く落ち着いた声に、クロウリーは腹を抱えて笑う。

 そのあまりに仰々しい物言いが、彼女の琴線に触れたのだ。


「罰が当たるねぇ? 言ってみれば私が今ここで生きていること自体が、最大の罰ですからね。あながち間違いではないかもですね。……私は神に近づきすぎた」


 しばらくしてから笑みを抑えると、クロウリーは彼女にしては珍しく色の落ちた声を零す。

 月明かりに負けず劣らず黄金に煌めく瞳は虚空を見つめていて、そこにはどんな感情も宿っていない。


「……やはり、神は存在するのですか?」

「さあ? どうですかね?」


 疑問を投げかける闇に対してクロウリーは悪戯な笑みを返すのみで、超然とした雰囲気を漂わせる、かつて神殿と呼ばれた場所をふらつきながらひたすらに進んでいく。

 だがふと彼女はあることを思い出し、気軽な調子で闇に尋ねてみることにした。


「あっ♪ そういえば、“ムト・ジャンヌダルク”という人物をご存知ですか?」

「……懐かしい名前です。あの方の隠れ蓑を壊した英雄。よく知っています」

「実は私、彼にこの前少し会って話をしたんですが、あれは凄いですね。あそこまで強力な魔法使いは、この私でも初めて見ましたよ」

「なんと! クロウリー様から見ても、件の英雄は規格外だったのでしょうか?」

「規格外……そうですねぇ。その言葉がまさにピッタリ。あれはこの世界の理から外れた力です。しかし、わからないんですよ。彼は一体何者なんですかね。まさか私と? ……いや、さすがにそんなはずはないかなぁ」


 クロウリーが頭に浮かべるのは、癖のない黒髪をした一人の青年。

 いまや災厄の九番目と呼ばれるほど傑出した魔法使いとなった彼女からしても、その英雄という肩書を持つ青年はまるで次元の違う存在だった。

 しかし、それゆえに彼女は疑問を抱くのだ。

 クロウリー・アインシュタインが手も足も出ないほどの力を持った人間。

 そんな人間は、この世界に存在してはいけないはずだった。


「クロウリー様に言われて思い出しましたが、そういえばあの方がムト・ジャンヌダルクは自分に似ていると仰っていました」

「自分に似ている?」

「はい。……自分と同じ狂気を感じる、と」

「なははっ♪ なるほど。それは面白いですね。私は三年前のことはよく覚えていませんが、あの子がそう言うなら、何か通じるところがあるのかもしれませんね」


 英雄との邂逅を思い返し、クロウリーは口端を吊り上げる。

 この世界では自ら以外の使い手を知らない時属性の魔法が発動されたにも関わらず、平然とした様子で彼女の背後に回り込み、喉に刃を突きつけた英雄。

 その青年の黄色に染まった瞳はどこまでも感動を宿さず、何かの後押しが少しでもあれば今頃彼女は命を奪われていたであろう。


(狂気、ですか。……でもなんでしょう。何かが引っかかりますね。私がこの目で見た英雄ムト・ジャンヌダルクはどこかチグハグというか、違和感があるというか。いったい私は彼の何を気にしている? 時代を代表するほど突出した魔法使い。そんな者はいつの時代だっていた。では彼はこれまでの英雄たちと何が違う?)


 規則性のない足取りの不安定さを加速させながらも、クロウリーは思考を泳がせる。

 硬質な足跡だけが反響する神殿跡で、彼女は静かに瞳を閉じた。



 ――瞬間、辺りを貫く真紅の閃光と熱を帯びた一陣の風。



 ゆっくりとふらついた歩みを止め、クロウリーはしばしの間閉じられていた目を開く。

 気づけば月光はどこにも見えなくなっていて、代わりに雲一つない空を巨大な火柱が穿っていた。

 ディアボロの篝火。

 彼女はすぐにその大いなる闇を匂わせる火焔の正体を看破した。



「キミを待っていた。クロウリー・

「なははっ♪ 私は待ち合わせをした覚えはないですけどね、ユーキカイネさん」



 そして地面にも届くほど長い髪を引き摺らせながら、クロウリーの前に一人の女が姿を現す。

 金と銀という異なる色の瞳を左右に宿すその女は、智帝という呼称で広く知られていた。


「智帝ユーキカイネ? クロウリー様、お知り合いでしょうか?」

「まあ一応仲良しですよ。彼女は物知りなので、仲良くしておくと色々便利なんです」

 

 智帝ユーキカイネが現れることは予想外だったが、クロウリーにとってそこまで驚くことではなかった。

 そのファイレダルの女帝は全てを知っているのだ。この世界のことならば全てを。 


「キミたちがここに来ることをボクは知っていた。これで準備は整った。あとはボクが彼を導くだけ」

「なはっ♪ 相変わらず何言ってるか意味不明ですけど、まあいいです。この先にあの子がいるんですね?」

「闇の道化師が道標を立てた。あとはボクたちが物語を紡ぐだけ」


 問い掛けに対するユーキカイネの返答は要領を得なかったが、クロウリーはそれをイエスと理解し再び歩き始める。

 彼女がこの場所に来た目的はたった一つで、ある天使を探し出すこと。

 その天使はここにはいないが、その天使の居る場所を知っているかもしれない人物が、この先にいるはずだった。

 災厄の魔女が探す天使は、智帝ユーキカイネすら知ることのできない、数少ない例外でもあった。


「それにしてもこの魔法、あの子が発動させたんですか。凄いですね。立派なものです」


 二つの黄金の代わり闇夜の中で煌めく篝火を見上げながら、クロウリーは感心したような声を漏らす。

 すでに記憶は酷く色褪せていて郷愁すら抱けないが、それでも彼女がその炎を目に映すのは初めてではない。



「二千年と三年振り、ですか。ディアボロの篝火を見るのはこれで三回目になるんですかね。三年前にも一度灯ったらしいですけど、そっちはよく覚えてないので、実際はこれを見るのは二回目って感じですけど」




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