待ち望んでいた光景
『今日もいい天気ね、クレハ。貴方の孫が早く見たいわ』
『ちょ、お母さん?それ天気全然関係ないでしょ!?』
クレハ・マッカートニーは回想する。
母はいつもと同じだった。
いつも通りの優しく穏やかな笑みを浮かべていた。
教会の清潔なベッドに静かに横たわり、クレハ達に慈愛に溢れた眼差しを送る。
しかし彼女は、その柔らかな褐色の瞳の奥に、何処か諦めに似た光が宿っているのを見逃す事が出来なかった。
『コノリ、貴方も随分大きくなったわね。お母さん、嬉しいわ』
『何言ってんだよ母さん! 俺まだ十七だぜ? これからまだまだ大きくなるって!』
母はよく、クレハの弟の頭を愛おしそうに撫でる。
そうしている時の母が一番幸せそうだった。
クレハには薄々分かっていた。
もうほとんど母には弟の姿が見えていない事を。
それでも弟の頭を撫でるだけで、母はその成長をしっかりと感じ取っていた事に。
『本当に残念なんですが、もう私達ではどうする事も出来ません……』
『そ、そんなっ!! あんた達は魔法使いなんだろっ!?!? 力があるんだろっ!?!?』
『ごめんなさい……お母様のお力になれず……』
『糞っ! 何で母さんばっかり!! 何で母さんばっかりこんな目にあわなくちゃいけないんだよっ!!!』
ある日、国際魔術連盟の治療教会の
これまで必死にお金を稼いで母の原因不明の病気を治してもらおうと努力してきたが、結局はその場しのぎの無駄足掻きにしかならなかったのだ。
『母さん!? 最近、光術師達の治癒を断ってるらしいじゃないの! 何でそんな事するのよ!? 母さんだってまだ生きたいんでしょ!?』
『…………確かにお母さんだってまだ生きたいわよ? 貴方がどんな人と結婚するのか気になるし、コノリの事はまだまだ心配』
『だったら――――』
『でもね、お母さんもう分かってるの。自分が限界に近いって事。私はね、死にゆく老人に貴方達の貴重な時間とお金を使って欲しくないの』
『そ、そんな…………』
『私はね、貴方達にもう自分の人生を生きて欲しいのよ』
そして母はもう悟っていた。
自分の死期が近い事を。
母の病は決して若くはない母の身体を容赦無く蝕み、母の心をすでに殺していたのだ。
それでもクレハは諦めなかった。
血眼になって母の生きる術を探した。
すると運が良い事にその努力は直ぐに報われる事なる。
『もしかしたら、あのお方ならお母様を救えるかもしれません。九賢人が一人、“救世の五番目”、ユラウリ・カエサル様ならば』
『ユラウリ・カエサル? 一体その人は……?』
クレハが必死で母の助かる方法を探している事を聞きつけた光術師の内の一人がある日、彼女の家を訪ねてきた。
話を聞けば、この世の権力の頂点である国際魔術連盟最高機関、“九賢人”の一人に治癒の効果を司る光属性の魔法の使い手がいるらしい。
たった一人で都市を壊滅させる力を持つと言われている九賢人だ。
それ程の実力者で光属性を得意とするというのなら母の病など簡単に治せる筈、クレハがそう考えるのは当然だった。
だが、一つだけ問題があった。
そのユラウリがいるのは“ダイダロスの森海”の向こう側の大国、“ホグワイツ王国”らしいのだ。
もちろんを森を抜けるのは不可能だし、ホグワイツに行くには航路を通る必要がある。
しかしながら船に乗るのには多大な金がかかる。
船に乗れる程の大金を真っ当に集める頃には、母の命はもう尽きてしまっているだろう。
だからクレハは命を懸ける事にした。
幸いに方法は残されていた。
「姉さんっ! あった! あったぞ!! これだろ!?」
「馬鹿っ! 大きな声を出すんじゃないよ。あんた死にたいの?」
もう冬が近いというのに、この場所は湿っていて生暖かい不快な空気に満ちていた。
でもこんな所とも、もうおさらば出来るらしい。
暗闇を照らす灯火を汗ばんだ手でしっかりと握り締めつつ、目当ての物を見つけたと騒ぐ弟の下へクレハは進んで行った。
「……これは、確かにそうだね、やっと見つかった。それに思ったより大きい、これなら母さんを救える!」
「わははっ! やったね姉さん!! これで良い肉がたらふく食えるなぁ」
「馬鹿言ってんじゃないよ。贅沢するのは母さんを助けた後に決まってるだろ」
「へいへい、そんなの分かってんよ〜」
足元で鈍く輝く手の平大の玉石をクレハは慎重に手に取る。
そして琥珀色のそれの表面を軽く擦り、腕に伝わる重量にこれ以上無い充実感を得た。
「よし。もうここに用はない。さっさと逃げるよ」
「了解っ! こんな薄気味悪い場所二度と来たくないね」
目当ての物を無事手に入れる事が出来たが、まだ安心は早いだろう。
まだ何もやり遂げていない。
気を再度引き締め体勢を前傾気味に整え、地上へ戻るべくクレハ達はまた歩き始める。
いまクレハと彼女の弟であるコノリがいるこの場所は、アミラシルの南方の“ヘパイストス平原”と呼ばれる所に位置するデスアースワームの巣穴だ。
ここには“宝玉”という、魔物だけが生み出す事の出来る希少な鉱物があると地元では噂だった。
ある程度強力な魔物しか生み出す事の無いと云われる宝玉、それはこの世では凄まじい価値を持ち、途轍もない金を動かす事で有名だ。
しかし宝玉は常に入手困難な場所にある事でも知られていて、毎年トレジャーハンターと呼ばれる輩達が何百人と宝玉を求めた末に命を落としているという。
「……っ!? 姉さん、今、何か聞こえなかった?」
「ん? 特に何も聞こえなかったけど。コノリ、何が聞こえたんだい?」
「いや、きっと気のせいだ。何かズルズルって地面を引き摺るような音が聞こえた気がしたんだけどさ……俺、ビビり過ぎだなっ! わははっ!!」
「地面を引き摺るような音?」
クレハの脳裏に最悪の考えが浮かび、顔が引き攣るのを感じる。
少し状況を楽観視していた彼女は、それを改めざるを得ない。
ここまでデスアースワームの巣穴に入ったはいいが、まだ一度もデスアースワーム自体に遭遇していない。
クレハは巣穴の更に奥で眠っているのだと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。
確かにデスアースワームは基本的に夜行性で昼間は眠っている筈だが、それでも一匹もこれまで出会わないのはおかしい。
「まずいよ、コノリ……! 嵌められたっ! 走れっ!!!」
「どっ、どうしたんだよ姉さんっ!?!?」
デスアースワームの知能は決して低くくない、寧ろ高い方だ。
宝玉がある事で有名な魔物の巣穴が今の今まで財が残されたままだったのには、ちゃんとした理由があった。
罠だった。
宝玉はただの餌だったのだ。
「ギィヤァァァァッッッッッ!!!」
待っていましたと言わんばかりにデスアースワームが一匹、土の壁が飛び出して来た。
土煙が石粒を撒き散らしながら狭い通路に充満する。
だがこれもデスアースワームから姿を隠す煙幕の代わりにはならないだろう。
やつらに眼は無い。
やつらは匂いと音だけで獲物の場所を正確に捉える。
「うわぁぁぁっっっっ!! 姉さんっ! どうすんの!? やべぇよっ!? これやべぇよぉぉぉっっ!!!」
「黙って走んなっ!!! 出口まで一気に走るよ!!!」
真っ直ぐと迷いようのない道を、死に物狂いで駆け抜ける。
今思えばこれも不自然な事だった。
なぜ魔物の巣穴に人間の歩き易い通路なんかがあるのか。
もっと早くに気づくべきだった。
「うわぁぁっっっ!! 姉さんっ! 追いつかれるっ!!! 追いつかれるちゃうよぉぉっっっ!!」
「コノリ、今から五秒後に魔力纏繞を全力でかけなっ!!!」
「え!? 何でっ!?!?」
クレハはコノリの悲鳴にも似た必死の問い掛けを無視し、いざという時の為に持ってきておいた
「……やっぱり使う事になったね」
背後からデスアースワームの甲高い殺意の込もった叫声が、もう直ぐそこまで来ていた。
「くらいなっ! 《インヴォケーション》!!!」
手元の“手榴弾”という名称の魔法器具に魔力を注ぎ込み、後ろに投げ込む。
そして現れたのは全てを飲み込む閃光。
クレハの最終兵器は見事にその仕事を果たしたのだ。
だけどもちろんこの光の先に救いがあるとは思っていない。
光が収まった後に、自らの失策が救済される予感はなかった。
そんな予感は、この一瞬には確かに無かった。
――――――
「すげぇ……雰囲気が変わった…?」
命からがら魔物の巣穴から脱出したコノリ達は、偶然そこで二人の見知らぬ人間に出会った。
実際は出会ったと言うより、巻き込んでしまったと言った方が正確。
売れば大金になる宝玉という財宝を探して魔物の巣穴に姉のクレハと一緒に潜り込んだコノリは今、人生最大のピンチにある。
さっきまではそう思っていた。
「す、すげぇ威圧感だ……こんな魔力纏繞、見た事ねぇよ」
でも今は全く死ぬ気がしない。
むしろ余裕すら感じた。
コノリの目の前にいる黒髪の青年から滲み出る壮絶なオーラが、自分は今超危険な魔物の群れに囲まれてる事を忘れさせてくれているのだった。
たまたまコノリ達が入った巣穴の近くにいた黒髪の青年。
最初はただの不運な一般人だと思ってた。
やべぇこの人も死んじゃうかもしれないな、とコノリは思った。
しかしその青年の妹らしき少女が華麗にデスアースワームを一匹仕留めて、コノリ達姉弟に的を射た説教をかました後、この一見貧弱そうな青年に心配そうに何かを頼むと、コノリの認識は大きく改めさせられる事となった。
「お、めっちゃ飛んだぞっ!?」
魔力纏繞を唱えた瞬間、信じられないほど雰囲気を一変させた黒髪の青年は驚異的な跳躍を見せ、空高く飛んで行く。
「……
黒髪の青年が太陽の真下へ辿り着くと右手を軽く掲げ、一言、コノリの聞いた事のない言葉を呟いた。
すると青年の挙げた手元に、小さな黄金の火の玉がメラメラと現出する。
瞬きを忘れていれば、金色の炎玉はあっという間に太陽を覆い隠す程の大きさへと成長した。
金の火の粉が蒼い空を彩り、青年には神聖な後光が差している。
そのあまりの美しさに、コノリの心は打ち震えた。
そして宙に浮く青年の瞳もまた、綺麗な黄金色だった。
「うっ!!!」
気づけば火の玉の輝きは眼を開けられない程に増していて、熱を帯びた俊風が吹き荒れている。
轟々という風のせいで半分機能を停止させているコノリの耳に僅かだが、断末魔に似た痛々しい叫喚が聞こえた気がした。
「す、凄い、これは予想以上だね……」
暫くし、暴力的な光と風は始まりと同じように突然終わりを告げた。
不気味なほど静かになった世界にこだまする女性の怯えすら含んだ声、きっとさっきの黒髪の少女だろう。
そしてまだ瞳を開けられなかったコノリは、その彼女の言葉に誘われるようにゆっくりと世界を取り戻した。
「え? 嘘だろ? マジかよ、あり得ねぇ」
「っ! あんた達一体、何者なんだい?」
「……僕だってこれには驚きだよ。これは僕もあいつが何者かについて、もう少し真面目に考える必要があるみたいだね」
驚愕がコノリを支配する。
開かれた筈の視界には、もう何も映らなかった。
若き命を食い物にしようとしていた不細工な魔獣達の姿は一切残っておらず、灰色だった大地はコノリ達を含む円状の部分を除いて、真っ黒に焼け焦げてしまっている。
「これ、全部あの兄さんがやったのか?」
コノリには直ぐに分かった。
全部分かってしまった。
現実はいつも残酷で、誰も自分達を助けてはくれない。
都合の良い英雄なんてどこにもいない。コノリはそう思ってた。
しかし、さっきの眩い煌きの間に、青年の創った太陽が全てを焼き尽くしたんだ。
コノリを狙う魔物、コノリの家族を襲う不幸、全てを破滅へと導く運命、コノリにまつわるありとあらゆる闇を照らしてくれたのだと、彼は自覚する。
「な、なぁ、兄さん、名前は、なんていうんだ?」
「え? ……ああ、名前ね」
知らない間に地上へ降り立ち、涼しげな笑みを浮かべながら辺りを見渡す黒髪の青年へ近づいて行き、その一生忘れる事のないだろう顔を真っ正面からコノリは見つめる。
「俺の名はムト、ムト・ジャンヌダルクだ。え、えーと、君の名前は?」
「お、俺は、コノリ・マッカートニー!」
待ちに待った日がやって来た。
この救いのない人生を、救ってくれる人が、やっと現れたらしい。
ムト・ジャンヌダルク、それがコノリの待ち望んだ
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