表か裏か
一筋の光が、天から大地に舞い降りる。
音のなき白光の正体は絶級魔法――
神に等しき力を発現する魔法は、そこに超越者が降臨したことを示していた。
光は収束し、三つの影が姿を見せる。
二人の女と一人の男だ。
「着いたか」
「…すでに闘い、始まってる」
腰の辺りにまで伸びた髪はブロンドで、鋭い視線を前方に広がる街へ送る女は、息を短く吐くと淀みない動作で抜刀する。
女のやや後ろに立つ少女は物憂気な灰色の瞳を、街の中で最も目立つ大きな神殿に向ける。
最上部の塔辺は半壊していて、街は外からでも只事ではない状況に陥っていることを窺えた。
女と少女の顔はどことなく似ていて、血縁を感じさせる。
魔力纏繞。
そう無属性魔法を唱えたのも二人同時で、溢れ出す魔力の密度が二人が超越者であることを証明していた。
「これはこれは。ずいぶんと荒れてますね。もしかして僕たちの仕事まだ残ってるんですか? アイザックさんが手こずる相手? それともそれ以上?」
後ろから、女と少女の横に並ぼうとする一人の青年。
全身を純白のスーツで整え、好奇心に満ちたサファイアの瞳は忙しなく周囲を伺っている。表情や仕草は流れるような自然体で、気負いは見えない。
クレスマの中央都を眺める三人の名を知らない者は、この世界にいなかった。
「ヒトラー、準備を整えろ。ここから先の油断は、私が許さない」
「え? 僕の出番とかあるんですか? 正直言って、メイリスさん一人でも過剰戦力だと思いますが」
「…うるさい。お前は黙って姉様の言う通りにすればいい。姉様の言うことをきけないなら、私が殺す」
冗談の混じらない少女の視線を受け、青年は肩をすくめながらも魔力纏繞を発動した。
瞬時満ちる、爆発的な魔力。
圧倒的な風格は、軽薄な青年もまた、確かに超越者の一人であることを明示する。
「行くぞ、ユラウリ、ヒトラー」
「…はい。姉様」
堂々たる足取りで、女がついに動く。少女も遅れずにそれに付き添った。
だが青年はいまだ動かず、ある戯れをする。
それは彼のルーティンであり、癖だった。
「《
金のコインを一枚、青年は魔法で創り出す。
いとも簡単そうに創出された黄金のコインだが、彼と同じことを出来る者を女二人は知らない。
「
――パチン、と魔法のコインを指で弾く。
重力から解き放たれたように、金貨はひらひらと宙を舞う。
太陽の光がコインに当たり、目映い輝きが散らついた。
「……裏か。雨でも降るのかな? それは困る。この服、結構気に入ってるのに」
「何をちんたらしている。行くぞ、ヒトラー」
手元に戻ったコインを眺める青年に、急かす言葉が入る。
「正義を執行する」
世界正義を謳う女に、青年は軽く頭を下げる。
目指すのはまだ見ぬ悪への罰。
示すべくは絶対の力。
「ええ、行きましょうか」
“業火の四番目”――メイリス・カエサル。
“救世の五番目”――ユラウリ・カエサル。
“黄金の六番目”――ビル・ザッカルド・ヒトラー。
九賢人、それぞれが世界最高峰の実力を表す肩書きを持つ三人が今、アルテミスに正義を執行しようとしていた。
―――――
「生徒たちは学園の外に避難してください! 繰り返します! 生徒たちは指示に従って、速やかに学園外へ避難してください!」
軽いパニック状態にある学園の中を、レミジルーはすり抜けるように走る。
ラムメストの手を引いて、城へと向かっていく。
レミジルーは確かに見た。
この事態を引き起こした襲撃者の姿を。仮面こそつけていたがあれは――、
「レミジルーお姉様! 皆さんは学園の外に行かれるようですよ? 私たちも兵士や、先生たちの指示に従った方がいいのでは!?」
「……いいえ、王城に向かうわ。確かめたいことがあるの。だいたい城には何十人もの王宮兵士や、何よりお父様がいるんだから心配は要らないわよ」
「で、でも……」
避難を勧める兵士たちの目を盗むように、レミジルーたちは一心不乱に駆け続ける。
遠くから爆音が響き、王城、いや、校門の付近でも何かが起きているようだ。
ラムメストが狼狽えているのがわかる。妹は連れていかない方がいいかもしれないと彼女は思った。
「どこ行くんですか? お二方」
そんなレミジルーたちを止める、上擦った男声。
振り返れば、この国で最高戦力の一人が、その人柄にしては珍しく真面目な顔をしてレミジルーたちを見つめていた。
「ソルダルド、なぜ貴方がこんなところに?」
「それは僕の台詞ですよ。そっちは王城。僕の部下たちの指示が聞こえなかったんですか?」
ソルダルド・シェイクスピア。
ここクレスマで筆頭騎士を任せられる男。
どうやら彼が、学生たちの避難指示を統括していたらしい。
防衛の方は筆頭魔術師ファブレガスと王宮兵士が担当しているようだ。
「悪いけど、私にはやることがあるの。これは命令よ、ソルダルド。私たちを見逃しなさい」
「命令て……確かに、レミジルー様は僕の仕える対象ではありますけど、命令する権利はまだないと思うんやけどなぁ」
ソルダルドが頭をガシガシと掻いて、悩む素振りを見せる。
ラムメストは不安そうに瞳を彷徨わせるだけ。
「どうしても、ですか?」
「どうしても、よ」
その時、視界が紫の光で埋め尽くされる。
鼓膜が破れたかのような音の衝撃。
再び視覚と聴覚を取り戻す頃には、何か取り返しのつかない事になってしまっている確信が生まれていた。
「あー、これはどっちが勝ったかはわからんけど、とりあえず決着はついたやろな」
瞳を大きく広げれば、王城の最上階、王の間に該当する部分が半壊しているのが見える。
急がないと。
決着はついた。その言葉がレミジルーの胸を締め付ける。
(もしあの襲撃者があいつだったとしたら、もうあいつは―――)
「私は行く。じゃあソルダルド、ラムメストを頼むわ。それでいいでしょ」
「それでいいでしょて、なんもいいことなんてないんやけど……まあ、止めても無駄みたいやしね」
レミジルーはラムメストの手を離し、何も言わずに駆け出す。
胸騒ぎが収まらない。早く。急がなければ。
「レミジルーお姉様!」
後ろでラムメストがレミジルーの名を叫ぶ声が聞こえるが、振り向くことはできない。
愛する妹はこの国で最も腕の立つ騎士に預けた。心配はいらない。
『レミ』
レミジルーはただ、走るだけでいい。
「はぁっ……はぁっ……!」
階段を飛ぶように昇って行く。
辺りには重軽傷を負った王宮兵士たちの姿が数多く見えたが、今は彼らに構っている暇はない。
放って置いても死にはしないだろう。
「はぁ……着いた……」
とうとう、レミジルーは目的の場所に辿り着く。
重鈍な大扉は半開きになっていて、軽く触れるだけで道を通す。
しかし、その向こう側に広がっていた景色は、彼女の想像していたものとはまるで違っていた。
「……え? お父様……?」
原型がわからないほどに損傷した王間の中央で、仰向けに寝転がる一人の男。
全身は傷と痣だらけで、左腕は痛々しく折れ曲がり、血の池が男を囲っている。
髪はレミジルーと全く同じ紫色で、ピクリとも動かない。
「そんな……なんで………? 嘘…でしょ……?」
レミジルーは男――彼女の実の父である人の横に膝を降ろし、その手を震えながらも握る。
「嫌、嫌だよ……」
別れの言葉をもう、伝えることは叶わない。
レミジルーの父、アイザック・アルブレヒト・アルトドルファーは永遠の眠りについていた。
―――カツン。
「久し振りね、レミジルー」
突然の悲しみに嘆き、呆然としていたレミジルーの名を誰かが呼んでいる。
聞き覚えのある妖しい魅力を含んだ声に、自然と彼女は振り向く。
「まさか、マリアンリ姉様なの?」
「そうよ? 何年振りになるかしらねぇ」
いつの間にかレミジルーは泣いていた。
行方不明になっていたレミジルーの姉、マリアンリは妹の頬に優しく手をあて、涙をそっと拭う。
レミジルーと同じ位置にある泣き黒子。
彼女の唯一の姉は、懐かしい天使のような笑顔で慰めてくれた。
「お父様を殺したのは、ムト・ジャンヌダルクという男。貴女も知ってるでしょ?」
「え?」
そして、姉は一人の青年の名を語る。
その名は、レミジルーがここに来た理由そのものだった。
「なんで……ムトが?」
「彼が貴女に近づいたのも全てお父様を殺すため。貴女という最高の人質のおかげで、彼はお父様の力を正確に把握することができた。そして、確実に殺せると確信した彼は、その意志でお父様を殺して見せたぁ」
蕩けるような声で、姉は語り続ける。
(最初から私を利用するつもりだった? あれは全部演技? 嘘? じゃあ私の輝く思い出は全部――)
「貴女は騙されてたのよぉ? レミジルー」
――許せない。
レミジルーの感情が黒く染まる。
(全部、嘘だった。なんでお父様が殺される必要があったの。あいつは力を持っているのに。それをこんなことに使うなんて)
「一緒にお父様の仇を打ちましょう?」
マリアンリ姉がレミジルーに手を差し伸べる。
姉がこれまでどこで何をしていたのか。姉がなぜこんなところにいるのか。姉がなぜお父様を殺した人物がムトだと知っているのか。そんなことは全てどうでもよかった。
この時のレミジルーにあったのは、たった一つの想いだけ。
復讐心。
ただそれだけだった。
「私はあいつを許さない」
差し伸ばされた手をレミジルーは握り締める。
――カシャ、カシャ、カシャ。
気づけば、姉の背後には見知らぬ男が二人いた。
鳥類を模した仮面をつけた大男と、背が高く細長いシルエットで、目元だけを仮面で隠した金髪の男。
でもそんなことは、どうでもいい。
レミジルーが手を取ると、彼女の姉は嬉しそうに微笑んだ。
マスィフ暦2000年、12月12日。
レミジルーは父の仇を打つために、自らの思い出を穢した青年に復讐するために、退屈だけど愛おしい毎日を捨て去ることを決めたのだった。
――――
「なんだ、これ?」
城から文字通り飛び出した俺は、ルナと別れ、そして彼女に待っていてくれと頼んだ場所に他の兵士と遭遇することなく戻ってきたのだが、なにやらとずいぶんとマズイ状況になっているらしい。
言いようのない違和感と不気味過ぎる静けさ。
どこを見渡しても俺を待つ美少女の姿は見えなかった。
「一体ここで何があったんだ……?」
俺の記憶とは違い、神殿の門付近はそれこそ津波にでも襲われたかのように荒れている。
大地は抉れ、タイルらしき物の残骸がそこら中に散らばっていて、なんだか赤黒い謎の物体がそこらかしこに転がっていた。
辺りには血生臭い匂いが充満していて、とてもじゃないがこの近くにルナがいるとは思えない。
「……これなんだろ」
なぜかそこらかしこに水溜まりが出来ていて、ちょっと歩くだけでピチャピチャと泥が靴にかかる。そして俺は丁度近くに落ちていたデコボコとした黒紫色の物体に手を伸ばす――、
「おい、嘘だろ、これって?」
――が、直前でそれを止めた。
わかってしまったんだ。
その謎の四角い物体の正体が何なのか。
「ヒィィッッッイイイ!!!」
凄まじい速度で恐慌状態に陥った俺は、思わず腰を抜かし尻もちをついてしまう。
冷たい水がパンツにまで浸み込むが、そんなことはまるで気にならなかった。
紫色に見えた部分は毛で、物体には大きく見開かれた瞳が二つくっついている。
それは間違いなく生首、そう呼ばれるものだったんだ。
「なんだこれ、なんだこれ……ルナちゃんは大丈夫なのか?」
悪い想像を頭から追い払おうとするが中々上手くいかない。
周囲をもっと注意深く見回せば、同じような形をしたものが数え切れないほどあるのが今更わかる。
それだけじゃない。
どう考えても胴体にしか思えない物体もゴロゴロ転がっている。
なんだよこれ。なんなんだよここ。
何の変哲もない少女が待っていてくれるはずの場所は、俺のあずかり知らぬところで地獄に変貌していた。
「うっぷ、気持ち悪い。くそ、早くルナちゃんを探し出さないと」
最悪だ。
俺はまた、また失うのか。
いや、違う。ルナちゃんはああ見えて聡い娘だ。どこの誰がこんな地獄をつくったのか。
そもそも人の仕業なのかもわからないが、彼女はきっと逃げのびてるはず。
どこかで俺のことをまだ待っていてくれているはずだ。
「それにしても、静かすぎないか?」
希望的観測を胸に頭を上げた俺だが、ここで当然の違和感の正体にやっと気づく。
そう、静かすぎるのだ。
周り見れば一目瞭然だが、どう考えてもこれは非常事態。
校門で大災害が起きて、最奥の城では王様が半殺し状態だぞ?
実際警報らしきものまで鳴っていただろ。
なのに、なぜどこにも人の姿が見えない?
俺の記憶が確かならば、ここは国の首都的な街のはずだ。
まさに国の危機。
その危機を起こした責任の半分を背負う俺が言うのもなんだが、もっと大騒ぎになってもいいんじゃないか?
「見つけたぞ」
ゾクリ、と、首筋に刃を突きつけられたような悪寒が突如走る。
「え? どちら様ですか?」
明らかに異様な学園の様子に困惑していた俺を振り返らせる、誰かの声。
いつからそこにいたのか。
全身黒ずくめで不審者丸出しの男が俺を睨みつけている。
しかも肩に銀毛の猫を乗せているという変人クオリティだ。
知り合いでないことはわかる。
そしておそらく、この学園の関係者でもない。これは勘だが。
「あら、思ってたより結構可愛い声してるじゃない」
「うるさいぞ、ラー。余計なことは喋るな」
え? 嘘? え? マジで?
ここが異世界だということを強烈に思い出させる不思議現象が目の前で炸裂した。
なんと、猫が喋ったのだ。
紅い髪を無造作に伸ばしている男と、やけに毛並の良い黄金の瞳をもつ猫が軽快にトークを飛ばしている。
無論、その光景は思わず言葉を失ってしまうほど衝撃的なものだったが、よくよく考えれば何もおかしくはない。
ここは異世界。
たまたま俺の生まれた世界では猫が喋らなかったというだけのこと。
そもそも、あれが本当に猫なのかもわからない。
俺が勝手にそう断定しているに過ぎないのだから。
「おい、お前」
「はひっ!? な、なんでしょうか?」
不審な男は俺を無感情な目つきで見つめている。肩に乗る猫の方が表情豊かに思えるくらいだ。
それにしてもこの世界は猫さえ美人なのか。
声が無駄にエロい。
だがそんなことはどうでもいいんだ。
早くルナを探さないといけないからな。
俺は急いでいる。
だから危ない人との会話なんて適当に終わらせて―――、
「その黒い刀をよこせ」
――カチリ、と何かにヒビが入る音が聞こえた。
「あ?」
何かが溢れ出す感覚。
急変する感情。
思考が切り替わり、寒気が身を震わせる。
「大人しく渡せば命だけは助けてやる。それをよこせ。それが俺には必要だ。だからお前を探した」
「ごめんなさいね。それの価値はわかっているのよ? でも私たちにはそれが必要なの」
ソレをよこせ?
ソレが必要?
こいつらは一体何を言っている?
ソレって何のことだ?
「ケイトを俺から奪うのか?」
俺は問い掛ける。
闇よりも深い黒を携える刀を優しく持ち上げ、男に問い掛ける。
「ケイト? 俺が欲しいのは、今、お前が手に持っているその“不壊のファゴット”だ。よこせ」
男は指を指す。
俺のケイトに向かって、真っ直ぐに指を伸ばし、よこせと言う。
あぁ、そうか。こいつは奪おうとしている。
救わないと。
守ってあげないと。
「……駄目だよ。渡さない。ずっと一緒にいるんだ。俺には力がある。守るんだ……《炎》」
紅蓮の炎が宙に燃え上がり、俺の意志を乗せて男に襲い掛かる。
「大人しく渡すつもりはないか……だが」
しかし、寂滅の火焔は突如、真っ二つにされる。
男の手には刃の無い剣が一振り。
嫌だな。
やめてくれよ。
「“無刃のヴァニッシュ”、この剣は形なきものを全て斬り裂き、俺の血は――」
手を掲げ、紡がれるのは冷たい詠唱。
でも駄目なんだ。
俺が守らないと。
「――全てを喰らい尽くす。《
炎が全て、男の掌に吸い込まれて消えた。
静かだ。
とても静かになった。
痛みに相応しい、静けさだ。
「悪いが俺に魔法は効かない。邪魔をするなら誰であろうと殺す。俺は最強だ」
可哀想だ。
とても可哀想だ。
でもしょうがない。
奪おうとするからしょうがない。
顔を俯かせれば、水溜まりに俺の顔が綺麗に映っていた。
「……貴方だって嫌だよね。痛いのは。死ぬのは。俺だって見ず知らずの人を無差別に襲う趣味なんて持ってない。……でも駄目なんだ。中途半端はよくない。君は俺から彼女を奪うと言った。だから駄目なんだ」
俺はケイトを強く抱き締める。
あぁ、とても冷たい。
でも大丈夫。
俺が守ってあげるから。
「ねぇ、セト、気をつけて。こいつ何か変よ」
「……少し離れてろ、ラー」
水面に映る俺の瞳は色を定められていない。
黄金、茶色、綺麗な黄金、汚い茶色、澱んだ黄金。
一秒とも定まらずに、グチャグチャと、混ざり合い、点滅している。
「本当はこんなことしたくない。守るための痛みなんて、本当は必要ないと思う。俺は最低だった人生をやり直したいだけなんだ――」
混沌としていて、変化の止まない瞳から視線を外し、顔を上げる。
魔力纏繞。
大丈夫だよ。
俺が守るから。
「――でも、一つ、残念なお知らせ。僕はあなたをちゃんと殺さないといけない。だってそうしないとケイトを守れないからさ」
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