決して勝ち得ぬ存在



「半殺しだ」


 一室としては相当の広がりを見せる王の間に、有無を言わせぬ響きを含んだ声がこだまする。

 発声者は自らの言葉の意味を知ってか知らずか、緩慢な動きで顔を隠していた仮面を外した。

 

「やはり、貴様か」


 漆のように暗い黒髪。

 腰に帯刀された剣の刃も吸い込まれそうな漆黒。

 そして煌々と輝く黄金の瞳。

 神帝、そう称される自分の正面に立ち、それでもなお涼し気な表情を保つ青年。

 アイザックは自らの城に単身で乗り込んできたその青年の顔をすでに知っていた。


「余の娘の好意を無駄にするとは……《雷神の輝閃ゼウスズ・ドクサ》」


 前触れの無い高速詠唱。

 魔力の高まりは刹那より速く、紫色の雷撃は一直線に炸裂する。

 硬床の欠片が吹き飛び、希薄な白煙が立ち昇る。

 しかし、アイザックの予想通り、灰混じりのカーテンの向こう側では一人の青年が何食わぬ顔をしている姿が見えた。


「ここまで来たからには、それなりの理由があるというわけか。だが、貴様は理解していない。この世には決して勝ち得ぬ相手がいる。決して超えることのできない壁があるということをな」


 アイザックは言葉を置き去りにして、その姿を消す。


 それは跳躍。


 特別な魔法を使ったわけではない、魔力纏繞によって底上げされた身体能力任せの、どこまでも単純な動作。

 だが、ただそれだけで、神帝、そう称される男は音を超えたのだった。


「《雷神の破拳ゼウスズ・ケイル》」


 全てを焼き尽くす雷の暴力を纏った拳。

 アイザックはそれを青年目がけて振り下ろす。

 触れるだけで並みの者なら焼滅する絶命の一撃。

 アイザックはその雷拳がもたらす結果を紫の双眸で見やる。

 

 ――轟。


 神帝の憤撃が炸裂し、光熱の雷火が弾け散る。

 青年は避けることも叶わず直撃。

 迸る紫電はいまだ空気を焦がし、熱量が拳に宿ったままなのをアイザックは感じた。

 しかし、直後、絶対の王の表情が歪む。

 それは勝利の冷笑からは程遠い、微かな苛立ちを表していた。


「貴様、ただの愚か者ではないようだな」


 紫苑の瞳に映るのは、一切の手加減なく繰り出した拳を、王間に入ってからまるで変わらない表情で受け止める青年の姿。

 か細い片腕を前に掲げ、そこから指を一本伸ばしている。

 そのたった一本の指の先で、荒ぶる雷拳は完璧に止められていたのだ。

 見せつけるような余裕。

 これまでの人生で感じたことのない屈辱を胸に、アイザックはもう片方の腕にも渦巻く魔力を注ぎ込む。


「《雷神の破拳ゼウスズ・ケイル》!」


 恥辱を塗り潰すように上乗せされた魔力を、今度こそ能面のように変化しない青年の顔面に叩き込む――、


「なっ!?」


 ――が、それは手応えのない空振りに終わる。

 むなしく宙を通り過ぎる自らの拳を眺めながら、アイザックにこの日初めての困惑が生まれた。


 見失うなど、ありえない。


 経験したことのない状況に、彼の動きが一瞬鈍る。

 そして、その失態は当然の痛みをもたらした。 


「――ぐふっ!?」


 探し求めた姿が視界の隅に映る。

 次いで感じる重い痛み。

 アイザックの脇腹を襲う削り取られるよう衝撃は、思い切りよく振りぬかれた蹴り込みのせいだった。


「がっ…はぁっ……!」


 ドンッ、という強い痛みを背中に感じるとともに、口から抜ける空気と赤い液体。

 壁に叩きつけられた。

 そんな自覚に合わせるように、アイザックはさらなる追撃が近づいていることに気づいた。


「ぐっ……《雷神の憤怒ゼウスズ・クラゾ》!!」


 王の間を吹き飛ばすほどの威力を備えた紫の閃光。

 現出した光は圧倒的な輝きに熱を帯び、バリバリと何かを引き千切るような音を喚きながら炸裂する。

 轟級魔法の中でも上位の力を持つその魔法は、然るべき威力を発揮した。





「はぁ…はぁ……」


 息が切れ、口からは薄らと血を流す。

 彼を知る人物からすれば、信じられないような姿でアイザックは自らの間を見渡す。

 天井は半壊しどこまでも広がる空が見えていて、最上位者に相応しい内装はもはや見る影もない。

 

 だが闘いは、まだ終わっていなかった。


 まさに嵐が通り過ぎた後の如く、無残な廃墟染みた景色の中、神帝、そう呼ばれ敵を知らなかった男は大きく舌打ちをする。


「無傷だと…? 貴様……一体何者だ……!」


 ありえない。何だこいつは。

 アイザックは自らでも理解できない感情が湧き上がるのを思いながら、強く吹き込むようになった風に黒い外套をなびかせる青年を睨みつける。

 

 表情は能面のようで、その身体には傷はおろか、埃一つ付いていない。

 

 悪夢の中にいるようだ。

 アイザックはここで初めて脇腹の骨が何本か折れていることに気づいた。


「ここまで魔法らしい魔法すら使っていないだと? まさか、貴様は、余より強いというのか……?」


 まるで想定していなかった、予想外、規格外の強さを誇る青年に、アイザックは最悪の事態を考える。

 法国クレスマの王である自分の敗北。

 それは想定する以前に、これまで思いつくことすらなかった。

 神帝アイザック・アルブレヒト・アルトドルファーの力をもってして、掠り傷一つ負わせられない者などこの世界には存在しない。

 それは決して彼の驕りではなく、この世界の共通認識、いわば常識に等しい。

 アイザックは認める。

 目の前に立つ何の変哲もない青年こそが、世界の常識を覆す存在だということを。


「いいだろう……貴様が余に、この世界に反旗を翻す者だというならば、相応の力で答えてやる。思い知れ、絶対の力を! 後悔するがいい! この法国クレスマに、このアイザック・アルブレヒト・アルトドルファーに挑んだことを!!!」


 ――風が止み、不自然な凪が訪れる。

 自然が生む息吹の代わりに、空気を震わせるのは紫の魔力。

 否、それはもはやただの魔力ではない。

 その魔力は紫の雷電としての実体をもった、アイザックの感情そのものだった。

 嵐のように荒々しく、闇のように静かな雷は、視界に据えるだけで網膜を焼かれてしまいそうな輝きを放っている。

 やがて光は一つに収束し、神の怒りを体現させた。



「《雷神の天罰ゼウスズ・アポリュトローシス》」



 天が裂け、空から地へ、一筋の光が走った。

 轟音はアルテミス中に鳴り響き、紫色の圧倒的光明はクレスマ全土から確認できるほど。

 絶級ぜっきゅう魔法。

 それはまごうことなき神の怒りだった――、



天よ跪けトニトルスマグニフィカト



 ――が、神が罰を与えることすらを許さない光が、音もなく爆ぜ、天撃を受け止める。

 見えるもの全てを紫に染める光が、太陽のような黄金光に阻まれ、せめぎ合い、昇華していった。





「馬鹿な」


 天を劈く雷撃の後、残るのは静寂と一人の王――のはずだったが、期待は裏切られ、残存するはずのない光は確かにまだ輝いていた。

 

 光は黄金で、二つ分。

 

 その光を携えるもう一人の青年が、アイザックを灼然たる面持ちで睥睨している。

 生まれる新しい感情。

 それが恐怖だということには気づけない。


「――がばぁっ!?」


 アイザックの視界が突如空に向けられる。

 そして聞こえるバキィ、という鈍い音。

 口内に広がる温い感触。

 痛みに呻こうとするが、呻き声すら上手く出せない。


「がぁ……!」


 視界の急変と同時に顎は砕け、鈍い音の正体は左腕を折られたせい。

 いつ距離を詰められたのか。

 いつ殴られたのか。

 どうやって左腕を折られたのか。

 わかるのは紛れもない痛みだけで、襲撃者の姿はどこにも見えなかった。


「四分の一」  


 耳元で聞こえたのは悪魔の囁き。

 後ろか。

 アイザックは弾けるようにその場から飛び退き、振り向き様に雷閃を迸発。

 紫の暴雷を襲いかからせる。


「拙いな。《グラディウス》」


 だが紫電は一筋の光に貫かれ、何者も焼き尽くすことなく雲散する。

 光の先にいたのは、傷だらけの王。


「ぐあああっっっ!!!」


 光はアイザックを容赦なく貫き、内側から炙られるような苦痛が彼を襲う。

 呼吸が一瞬止まり、視界が灰色の靄に覆われた。


「三分の一」


 視界の靄が灰から黒に変わり、アイザックは自らの顔が鷲掴みされていることを悟る。

 直後、後頭部を襲う割れるような衝撃。

 足裏から床の硬い感触が消えていることを遅れて知る。

 まるで動きに反応できない。

 アイザックはほとんど力を失った視力の中で、微かに輝いて見える二つの光を覗き込んだ。



「これで、半分」



 二つの光は黄金で、そこに揺らめきはない。


(そうか。この世界には決して勝ち得ぬ存在がいる。それは余にとっても例外ではなかった)


 痛みは敗北の証明。

 神帝は知る。

 時代が動き出したことを。


 そしてアイザックは苦呻を叫び上げた。

 青年の言葉にもう一度、今度こそ魂まで灼き尽くされていく痛みに耐えられなかったからだ。






―――




 お仕置きは終わり、俺は怯えていた。

 いまさらかも知れないが、ジャンヌさんマジヤベェってことだ。

 フルボッコもフルボッコ。

 レミパパがデカイ態度の割りに案外弱かったというのもあるが、それでもこの犯行現場をマジマジと眺めるとその苛烈さがよく分かる。

 これであまり痛みつけないようかなり手加減したというのだから、末恐ろしい。

 王族には本来前線に出て闘う機会なんてないだろう、ご愁傷様だ。


「あの、すいません?」


 口を開きっぱなしにして血をだらだらと垂れ流しているレミパパに、恐る恐る話しかけてみるが案の定反応はない。

 もの凄くゆっくりとした瞬きと、これまたずいぶんと長い間隔で上下する胸の動きを見る限り、生きていることは確かなのだが段々とそれも自信がなくなってきた。

 ちなみにレミパパと俺の距離は五メートルほど離れている。

 それでもここまで観察できるなんて、今の俺って視力どのくらいあるんだろう。


「すいませ~ん? 俺の声、聞こえてますか?」


 どんなに俺が呼びかけても、レミパパは虚ろな視線を宙に向けるだけ。

 暖簾に腕押しってこういうときに使うのだろうか。なんだか介護士の気持ちがよく分かる。

 これじゃ埒が明かない。

 念のため五メートルほど離れていたが、仕方がないので近づいていく。

 仰向けで寝転がる渋い顔を、俺は上から覗き込もうとした。


「あの、すいませ……ん!?」


 突然ギョロリとレミパパの瞳が動く。もちろん俺は瞬時にエスケープ。

 なんだこの人。目力やば過ぎだろ。

 会話も駄目。

 接近も駄目。

 全身ボロボロで動くことすらできないオッサン相手に、俺は完全に打つ手なしだった。


「くそ、どうすりゃいいんだこれ」


 完全スルーと目力バリアのコンボで俺のお願いを跳ね除けるレミパパをどう攻略するべきか。

 用心のため十メートルほど離れた場所で、俺は無い知恵を絞る。


「……あ! そうだよ! 言葉で伝える必要なんてないじゃんか!」


 しかしその時、俺に天啓が舞い降りた。

 こういうときの俺は本当に神がかっているな。

 俺は自画自賛に顔を醜く変形させながら、想像魔法クリエイトでさくっとペンと紙を創り出す。

 そう名づけて――、


「――テレテテッテレ~、置き手紙大作戦~!」


 俺は小声で自分のナイスアイデアに名前をつけると、早速、是非お願いしたいことをスラスラと書き連ねていく。

 なんだか色々あったがこれで一件落着だ。


「もし、手紙のお願いを無視とかしたら、つ、次はこんなもんじゃ、す、済まさないからなっ!」


 距離と声のボリューム的にどう考えてもレミパパには届いていないが、一応の忠告をしておく。

 ふはははっ、震えて眠るがいい。

 なんてことをしている間に手紙が書き終わり、俺はさっさとこの国を去ることに決めた。

 準備はさほど必要ない。

 どっかに消えた仮面をもう一度創り出し、丁寧に顔を隠すだけ。


「よし、ジャンヌ。この手紙をあそこで寝ているオッサンの胸ポケットかなんかに入れてきてくれ。その後はルナが待ってるとこに戻って、そのまま国外退去だ」


 脳裏に一瞬レミの顔が浮かぶが、手紙に書いておいた余計なことを思い出し、若干恥ずかしい気持ちになる。

 なんやかんやレミも可愛かったよな。胸も大きかったし。

 俺の数あるエロアビリティの一つ、《パーフェクトメモリー》によって完璧に保存されているレミの立派な谷間を思い出しながら、少しだけ、ほんの少しだけ思う。


 またいつか、レミに会いたいな。



「叶えよう」








―――



 カツン、カツン、カツン。


 すでに視力をほとんど失ったアイザックは、ゆっくりと近づいてくる足音に耳を澄ます。


 カツン、カツン、カツン。


 自らを破った青年はもういない。胸元に文書を残してどこかに消えていった。

 緩やかな風が頬を優しくなぞるのを感じながら、アイザックは己の人生を顧みていた。

 一体どこで自分は間違えたのだろうか。


 カツン、カツン、カツン。


 足音がすぐ側まで近づいている。

 知っている、歩き方だ。

 アイザックは懐かしさと切なさを思い出しながら、辛うじて動く右手で胸元の文書を奥底にしまい込み、外から見えないようにした。


 カツン。


 足音が止まる。

 見えなくとも、人が一人、自分の真横に立っていることをアイザックは感覚的に理解した。



「あれぇ、まだ生きてるじゃないですかぁ。困りますぅ。挨拶とかするつもりなかったんですけどぉ。まぁ、最後くらい仕方がないですかねぇ」



 すまない。クラペルシ。余は間違えてしまった。

 アイザックは今は亡き最愛の妻の顔を思い浮かべ、柔らかな腕に抱きかかえられる感触を遠くに感じ取る。

 そしてこの日耳元で囁かれた二度目の声は、計り知れない力を持つ悪魔のものではなく、彼の愛したよく知る声だった。


 ――回顧の刹那、冷たい刃が神帝を貫く。


 再会の挨拶は、できなかった。





「さようなら。お父様」





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