笑う死神



「お、おい……? これマジヤベェだろ? カルシファ師長? さっきの人って、第六師団の師長っすよね? しゅ、瞬殺されたんすけど……」

「……これは危険だな」

「なんだか最近よく怪物を見かけますね」


 ネルトは戦慄する。

 取るに足らないと判断した謎の襲撃者の力が、全く把握できなかったからだ。

 ディーノと名乗った男は弱くない。

 それがネルトの認識。

 しかしその男は、正体不明の力によって原型を留めない肉と血と化された。

 そしてネルトにとって何より恐ろしかったのは、明確な敵となった白い髪の女から一切の魔力が感じられないこと。

 理解の範疇外。

 ネルトは自らと友人の計画が、またも崩れ去っていく気配を感じた。


「おいおい、いつまでも戻ってこないと思ったらなんだ? というかディーノ師長はどこに行ったんだよ?」

「馬鹿者っ! こちらに近づくでないっ!」


 背後から聞こえる気の抜けた声。

 おそらくディーノの他の仲間たちであろうと、ネルトは声だけで判断する。

 襲撃者の実力は不明。

 相手の力量を正確に計れていない現時点で、ネルトはこれ以上余計な動きをしたくはなかった。



「雑音は要らない」



 ――弦を弾き鳴らす音が聞こえる。

 ネルトはその瞬間、白き襲撃者の姿を見失う。

 だが彼の予想通り、見失なった白影はすぐに見つかった。


「あえ…っ……?」


 どこからともなく、羽根が宙を舞う。

 空を泳ぐ羽根はその全てが赤く染まっていて、元の色は窺い知れない。

 遅れて後方を振り返ったネルトは、首から上を失った五つの人体を灰色の瞳に映し、最悪の事態を想定し始めた。


「マジ、かよ」

観察者ウォッチャーが混ざっていても関係なしか……いよいよ危険だな」

「これはまずいですね。桁が違う。最低でも九賢人以上ですよこれは」


 虚空を眺めながら、恍惚とした笑みを浮かべる白き襲撃者。

 ほんの数秒で、オリュンポス島に現存する者は襲撃者と“鍵”を除き四人となった。

 ネルトは思考する。

 クレスティーナの送った伝達魔法を警戒し、いまだ抵抗を続ける二人を含めた賢人全員を別の場所に転移させ、自分たちも厄介な増援が来る前にオリュンポス島を離れようという思惑には、決定的なヒビが入ってしまった。

 賢人たちを呼び戻すか? 

 いや、それは悪手だ。

 ネルトの推算では、賢人を動員しても目の前の敵を倒せない可能性が高い。

 一体眼前の敵が何者で、何が目的なのか。それこそが彼にとって、最も重要な情報に思えた。


「き、貴様は何者じゃ? まさか、悪魔か……?」

「うん? 私に訊いてるの?」


 悪魔。

 それは伝説的な魔物の一種だ。

 しかしネルトは知っている。

 悪魔が現実に存在することを。

 卑怯なまでに圧倒的な強さ。

 魔力を感じられないことに違和感を覚えたが、白き襲撃者の正体が悪魔である可能性は高いように思えた。


「悪魔かー、うーん、おしい? のかな。でも残念違うよ。だけどじゃあ何者ですかって訊かれると、それもまた答えるのは難しいかなー。今の私は何者でもないから。あ、でも、名前なら教えてあげられる。私の名前はオルレアン。だけど皆は私を歌姫って呼ぶんだ」

「オルレアン……だと? まさか貴様が“白の死神”…!」


 襲撃者の名を聞いた瞬間、ネルトに怒りの熱が燃え上がる。

 オルレアン、白き襲撃者が名乗ったそれに彼は聞き覚えがあったのだ。

 忘れもしない、三十年前ほどの記憶。

 自らの娘を心を持たぬ怪物に変えた、悪魔より悪質な死神の名。

 白の死神、オルレアン。

 彼にとって憎むべきもう一つの対象。


「貴様がぁぁっっっ儂の娘をぉぉぉっっっっ!?!?!?」

「え? どうしたの急に大声を出して? ……音が外れてるよ」


 しかし、衝動のままに動き出そうとするが、ネルトの足は前に踏み出せない。

 下半身に感じる空気の抜けたような感覚。 

 ネルトは後悔する。感情のままに拳を握りしめてしまったことを。


「ぐぁぁぁぁっっっっっ!?!?!?」


 地面に顔から倒れ込むネルト。

 紅い液体が服に染み込む。

 生暖かさと意識を飛ばしかねない激痛。

 切り裂かれたのは、ネルトの膝から下だった。


「うっおい、マジパネェ……ねぇ、師長? 今のうちに逃げましょうよ? 絶対無理っすよ、これ。もうなんか瞬きするたびに血の量が増えてるんすけど」

「…………」

「いや、ゼルド先輩。不審な動きはしない方がいいと思います。また防音対策でキュっとされちゃいますよ?」

「キュっとなんだよキュっとって……つかなんでルナそんな落ち着いてんの? ショックで頭イカれた?」

「イカれたというよりは慣れたですね。しばらくの間、似たような人と手を繋いだりしながら旅してたので。いつ殺されるかわからないとか、今更ですよ」

「ヤッベェ、ルナさんマジパナいっす」


 苦痛に喘ぎながら、ネルトは次にどうするべきかを考える。

 彼と彼の友人の目標のために、今何を自分がするべきか。

 敵対の末、己がここで死ぬのは、友への裏切り。

 ネルトは決断する。

 天秤の片方に重きを置くことを。


「す、すまなかった……声を荒げてしまって。もう一度訊こう、貴様は何の目的でここに現れた?」

「うーんとね、鍵、を探しに来たんだけど、心当たりある?」

「鍵、じゃと……!? ……ああ、たしかに鍵ならこの島にある。だが、何のために鍵を……?」

「“闇の三王”、それを復活させたいんだって」

「それは……!」


 事もなげに言葉を紡ぐ白き襲撃者。

 ネルトはその言葉に絶句し、そして歓喜した。

 まさか、自分たちと目的が同じとは。


「よろしい。実は儂たちも、闇の三王を復活させようとしていたところじゃったのだ。協力しよう。歌姫、オルレアンよ。世界を、混沌の時代を、儂らと共に始めようではないか」

「へぇ? これはびっくり。人間も悪魔たちと同じことを企んでいたなんて。でもいいよ。そういうことなら協力してあげる。ああ、早く希望の唄が歌いたいな」

  

 血に濡れた笑顔、それは咲き誇るように可憐。

 気持ちよさそうに彼女は楽器を指でなぞる。


「あれ、でも、君たちはどうやって復活させるつもりだったの? 復活には大量の魔力と魂、あと闇の魔法が必要なはずだけど?」

「それならば心配は要らない。儂の友人は闇の魔法を使え、魔力なら愚かな民衆どもから集め終わっている。そして大量の魂についても、近いうちに用意できるじゃろう」

「へぇー、凄いね? 面倒事が結構なくなって、ありがたいよ。それじゃあ、さっそく鍵を貰おうか」


 白き襲撃者――オルレアンは膝を屈め、ネルトにニコリと笑いかける。

 ネルトは動けなくなった自分の代わりに、立ち尽くしたまま動かない三人に命令を出そうとするが――、



「クレスティーナはどこだ。ネルト・ハーン」



 ――より良い人形を見つけ、頼み事をする相手を変えることにした。


「お、おい、どっから出てきたんだよあのオッサン。つかどっかで見たことある顔だな?」

「“雪銀の一番目”、レイドルフ・リンカーン、か」

「うっへぇっ!? 九賢人!? しかも伝説の一番目!? 死んだんじゃなかったのかよ!?!?」

「嫌な予感がしますね」


 突如姿を現した銀髪の男。

 男はすでに戦闘態勢に入っていて、甚大な魔力を身に纏い、研磨された敵意をネルトに向けている。


「それに、こいつらは誰だ? 答えろ、ネルト!」

「早かったな、レイドルフ。貴様も運が悪い、もう少し遅れてくればよいものを」


 銀髪の男――レイドルフは想定していたのとはまるで違う状況に少し混乱していたが、それを表に出すことはしない。

 なぜムトやレウミカは来ていないのか、なぜクレスティーナがいないのか、なぜネルトは両足を失い地面に倒れているのか。

 疑問は多く、どれもが知るべきものだったが、彼に問い掛けをする余裕は与えられない。


「頼む、オルレアン、彼の意識を奪ってくれ。さすれば、彼を使って鍵をここまで連れてこさせよう」

「おっけー。りょーかい」


 瞬間、レイドルフは転移した場所にいた五人のうち一人を完全に見失う。

 混乱を声に出そうとするが、喉の奥からこみ上げるぬるい何かに堰き止められ、声は出せない。

 視界の中に新たに出現したのは、純白を赤で汚した細い腕。

 小さな手には、赤黒い何かが握り締められている

 彼は理解できない。

 なぜその腕が、自らの胸の内側から伸びているのかを。



「これでいいでしょ?」



 やがてレイドルフは、吐血しながら遅れて理解する。

 

 自分の背後に何かがいることに。

 

 

 この世界に存在してはならないナニかが、胸を突き破り、その手で己の脈打つ心臓を掴んでいることに。






――――――


 

 草の一本も生えぬ荒涼の大地。

 明けることのない闇空の下で、一人の少女が舌なめずりをしながら哄笑していた。

 デイムストロンガ大陸。

 人の住まない死の大陸。

 そこで、たしかに彼女は笑っていたのだ。



「な、なんなんだこいつ! 本当に人間か!? に、逃げろっ、フューネラ――」



 ――グチャ、そんな潰砕音と共に、長い角の生えた頭部が踏み抜かれる。

 靴の裏に付着した血液を礫砂に擦りつけ、少女は唾を異形の屍に吐く。


「キーモッ」


 死屍累々。

 地面には幾つもの異形が転がっている。

 息を忘れた異形の名は――悪魔。

 魔物の中でも最上位の存在。

 人間では届かぬ異形の怪物。

 敗北を知らない絶対的強者――だったはずの悪魔たちの死骸による絨毯が、そこには敷かれていたのだった。


「せっかく何年もかけて見つけ出したのに、超脆いんですけど。マジウケる。キーモッ」


 死の大地にいまだ立っているのはもはや二人、いや一人と一匹だけ。

 片方は悪魔の死骸を何度も踏みつけながら、虚ろに笑う栗毛の少女。

 もう一人は悪魔侯爵フューネラル。

 朱き瞳と蒼い髪を持つ上級悪魔だ。


「勘弁してくれやがれよ。たった数時間で種の存続の危機とか。もうこの世界にいる悪魔は俺と、人間の国に引きこもってるスーイサイドだけか? ファッキンデビルだな、オイ。なんでちょうど歌姫がいないタイミングでこんな化け物が現れんだっツノ」


 フューネラルは、ガシガシと頭を掻く。

 重い溜め息を吐きながら、巨躯の悪魔は栗毛の少女を冷たく睥睨した。


「《雷神の輝閃ゼウスズ・ドクサ》」

「《魔神の抱擁サタンズ・ゾーエ》」


 煌めく紫色の紫電。

 放ったのは栗毛の少女。

 しかし荒々しい轟熱の紫電は、闇より深い漆黒に吸い込まれて消える。


「キャハッ!? 超ウケる。それ、闇属性の魔法でしょ!? 噂は本当だったんだっ! 悪魔の一部は闇属性の魔法を使えるってっ!!! キーモッ! マジキモイんですけどっ! やっと見つけたっ!」

「本当なんなのコイツ? 俺よりよっぽど悪魔的だろうよ」


 立ち昇る闇を瞳に映した栗毛の少女は、嬉しそうにはしゃぐ。

 悪魔であるフューネラルよりも、よっぽど邪悪な笑顔を浮かべて。



「ねぇ、それエデンに頂戴?」

「怖ぇよ、オマエ」



 しかし、栗毛の少女が動こうとしたその瞬間、フューネラルの姿が煙状の闇に包まれる。

 舌打ちをして少女は悪魔を包み込んだ闇に手を伸ばすが、もうその手は何も掴めない。

 残るのは暗い静寂だけ。


「キモッ! 逃げてんじゃねぇよクソゴミムシがッ! エデンがどんだけ苦労してテメェを見つけ出したと思ってんだっ! キーモッ! マジキモイッ!」


 生者を唯一一人とした地で、少女は苛立たしげに死体を何度も何度も蹴り飛ばす。

 誰もいない死の大陸で、死への冒涜はしばしの間続いた。



「あ? なにアレ。アイスバードじゃん。キーモッ。なにあの女、エデンに何の用?」



 やがて死体蹴りを続けていた少女の下に、神秘的なまでに美しい氷で創られた鳥が一羽舞い降りた。

 一切の躊躇なく少女は、その鳥を殴り壊してしまう。

 すると憤懣に溢れた表情が、またも不気味な笑みに戻る。


「へぇっ!? あの狸ジジイ、やっと本性を出したんだ! キーモッ! マジウケる!」


 手を叩いて喜びを露わにする少女。

 近くにあった悪魔の頭部をもう一度踏み砕いた後、少女は地平線の果てを見ながら唇を舐め回す。


「でもこの魔法使われてから結構時間経ってんじゃん。キーモッ。まあ、いいや、世界が終わってたらそれはそれでウケるし」


 少女は地面に転がる死体を一つずつ丁寧に消炭に変えながら、歩き出す。

 指輪に付いた透明の宝玉を握り潰しながら、ケタケタと笑い声を零す。

 狂気を孕んだ魔力をうねらせながら、舌先のピアスをカチリと噛む。



「いいよぉ、キモスティーナ。エデンが救ってあげる。大事な“仲間”だもんね?」



 鼻、唇、舌、耳、あらゆる場所に大量のピアスをつけた強い癖毛の少女。

 黒い瞳を濁らす彼女のことを、世界は“全能の七番目”――エデン・クロムウェルと呼ぶ。




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