No.6 ウィッチ
朝食確保ついでに筆おろしの一つくらいして貰えるかと思ったが、やはり世の中そう上手くはいかない。
不快指数マックスの湿気を掻き分けて道を進みながら、俺はおそらく二度とあのエルカーペンダルの村には行けないであろうことを少し残念に思った。
しかし思った以上に、ボーバート大陸の闇は深いようだ。
あの明朗快活なマリエッタですら小癪なエルフ人が姿を現した瞬間いきなり人が変わってしまった。
あの塩顔系イケメンフェイスが、ジャンヌによって顔面破壊パンチされる様を見るのは中々に痛快だったが、どうもああいったことは軽はずみにやらない方がいいらしい。
いくら偽名を騙り革命軍に潜伏しているとはいっても、俺個人の顔がエルフの国の中で悪い意味で有名になってしまうのは避けるべき事態だった。
これからはよほど可憐な美少女が襲われそうになっている場合を除き、革命軍としてではなく個人的にエルフ人と敵対することはなるべくしないようにしようと思う。
「ねえ、まさか、ムト。貴方、本気でエルフを潰そうとか考えていないわよね?」
「え? いやいや全然。そんなこと微塵も思ってないよ」
「あまり進んで言いたいことではないけれど、もしエルフという国を貴方が力づくで潰してもこの大陸は何も変わらないわ。もう全てが遅すぎるのよ」
濃霧におっかなびっくりしていると、ふいに肩に乗るラーがまったく見当違いの心配を俺にしてくる。
基本的に俺は、自分自身のことで精一杯だ。
誰かに助けを求められれば、嫌々ながらも手を差し伸ばすくらいの善意は最低限持ち合わせているつもりだが、この世界にある問題全てを俺一人で解決できると思うほど自惚れてはいない。
「たとえば貴方がエルフの王、“幻帝”を討ち、ホビットとドワーフを属国としての扱いから解放したとして、その後どうなるかわかるかしら?」
「だからそんなことしないって」
「……もしそうなったならば、今度はまず間違いなくエルフの民が差別され虐げられるようになるわ。これまでそのような扱いを受けてきたホビット人とドワーフ人によってね」
ラーは沈痛な、それでいてどこか憤りすら感じさせる冷たい声を放つ。
いつの世も、どの世界でも人は愚かなものだ。
所詮全ては堂々巡り。
歴史は繰り返すということなのだろう。
だがここまでラーの話を聞いて、俺は少し自分が怖くなってしまった。
もしもこの先、誰か大切な人がボーバート大陸にできて、その人にエルフを討つよう頼まれたら、俺は断ることができるのだろうか。
その時俺は、また新たな差別を生み出す元凶になることを、その大切な人が新たな天人になってしまうことを止められるのか。
いや。止めよう。ありえない仮定。
あまりに飛躍した考えだ。
俺はただ革命軍の総指揮官に会い、至上の七振りの一つを手に入れられればそれでいい。
「はぁ……ちょっと一旦ストップ。休憩していい?」
「あれ。ちょっとクアリラ。また休憩?」
悪癖のマイナス思考が働き過ぎたところで、俺の少し後ろを付いてきていたはずのクアリラが道端の切株に座り込んでいることに気づいた。
前に一度休憩してから、まだ一時間も経っていない。
こちらの世界の人間にしては体力のない方だと言える。
俺は前世なら体育で行われる持久走で完走ができたことが一度もないほどのクソザコフィジカルだったが、なぜか今は怪物染みたスタミナがあった。
おそらく魔力というエネルギーを体内で無限に生成することができるのがその理由だと思うが、詳しくはわからない。
「はぁ……ねぇ、お兄さん。エルホインまで私のことおぶって行ってよ」
「ええっ!? そ、それはちょっとまずくない!?」
「は? なにがまずいの?」
意表をつかれたエロイベント発生に、俺は胸の動悸を抑えられない。
これまでの俺の人生ではなかったぞそんな経験。
落ち着くんだ俺の跳ね上がる陰茎。
「なんかお兄さん無駄に体力ありそうだし……いいじゃん。運んでってよ」
「じゅるりっ! ほ、本当にいいんですかねぇ……?」
「……やっぱ自分で歩くわ」
しかしなぜかクアリラは引き攣った表情を浮かべると、切株から腰を上げた。
おしい。
あと少しで若くてピッチピチの女体を背中越しに堪能するチャンスだったのに。
「……ムト、貴方って本当によくわからない人ね。とても変わってる」
「そ、そうかな。でへへ」
「褒めてないわよ」
人の言葉を喋る猫に変人扱いされたが、その程度のことでは俺の豆腐メンタルに傷はつかない。
のそのそとカタツムリのような速度でまた歩き出したクアリラに付き添い、俺たちはまた霧の鬱陶しい湿原帯を歩き出す。
この分では今日中に到着しないかもしれないが、それもまた一興だ。
異性と一夜を過ごせるのならば、俺は場所も状況も選ばない主義だった。
「そういえばクアリラはホビットの生まれなんだよね? この辺りが地元だったりするの?」
「ううん。私の生まれはガノトルエル山脈の辺り」
「ガノトルエル山脈? えーと、ごめん。俺、ちょっと地理に疎くて」
「はぁ……ホビットとドワーフの国境近くだよ。まあ、私も幼い頃にホグワイツ大陸の方に行ったから、そこまでこの国に詳しいわけじゃないけど」
なんやかんや顔の造詣は整っていて、若干退廃的な雰囲気がエロチックなクアリラに俺は興味津々なので話題を振ってみる。
俺も人のことを言えないが、彼女も結構謎が多い。
口では適当なことを言っているが、あのエルフに喧嘩を売っている革命軍に入るぐらいだ。それなりの過去や思想を持っているはず。
「あら。そうだったの? ならもしかして貴方もボーバート大陸に来たのは最近なのかしら?」
「うーん、最近ってわけでもないかな……こっちに戻ってきたのは三年前だよ」
「三年前? へえ。奇しくもあの英雄が闇の三王を倒したあたりね」
「ああ……なんとかジャンヌダルクだっけ。噂だけは聞いたけど、あの人も凄い面倒くさそうな生き方してるよね」
意味ありげな視線を、耳が妊娠しそうな声で喋る猫が送ってくる。
頼むから止めて欲しい。
その英雄(笑)の話題が出ると気恥ずかしくて、今すぐに崖から飛び降りたくなってくるから。
「ま、まあまあ、そのナントカダルクっていう英雄さんの話はいいよ。三年前に戻ってきたって話だけど、それはどういう理由で?」
「……うーん、ちょっとホグワイツ大陸で働いてたところが潰されちゃって。それでまあ、なんとなくこっちに戻ってきて、三年くらい寝てて、そろそろまた働こうかなって」
「そ、そうなんだ」
意外にもクアリラは、上京したのに就職先が倒産して里帰りからのフリーター、という日本の若者でもあまり見ないパターンでここにいるらしい。
急に彼女に親近感を俺は抱き始めた。
俺の場合は、就職したのに変態犯罪行為が発覚して無職からの人生リピーターという、全人類の中でもほとんどないであろうパターンだが。
「でもなんで革命軍に? 他にもっとましな仕事あったんじゃない?」
「はぁ……それ、お兄さんが言う? まあ、私はただ一番楽そうな仕事を選んだだけだよ」
一番楽そうな仕事。
革命軍がいったいどういう組織か、この子は本当に知っているか不安になってきた。
だいたい仕事と言っているが、この組織給料とか出るのか?
似たようなものが出ないことはないかもしれないが、命をかけるに値する額が出るとも思えない。
「はぁ……ちょっと一旦ストップ」
「ん?」
どうも自分の周囲には一癖ある変わった人間が多いように思えることを不思議に思っていると、クアリラが立ち止まり大きな溜め息を吐く。
まだ知り合ってからほとんど間もないが、次に彼女が言うであろう言葉にはだいたい予想がついた。
「休憩していい?」
――――――
クアリラの牛歩にも劣るペースに付き合って歩き続けた結果、結局エルホインに辿り着いたのは約束の一週間後の朝だった。
本来ならば一日歩けばつく計算だったので、だいたい倍以上の時間がかかったということになる。
野宿もしたが、特にいかがかわしい行為に及ぶことのないまま夜が明けるだけ。
そして俺の想像以上にクアリラは駄目人間だった。
朝に弱いのはもちろんのこと、日が落ちれば完全に行動停止してしまう。
ソーラー発電で動いていると言われても疑わない。むしろ今日この日までよく生きてこれたと感心するレベルだ。
「はぁ……やっと着いた。はぁ……疲れた。はぁ……帰りたい」
相変わらずのこのやる気のなさ。
これから直属の上司になる人物と会うてはずになっているにも関わらず、普段と変わらぬ気楽さが若干羨ましい。
俺はという今更ながらにビビり始めていた。
もしここで俺がセトさんの回し者で、革命軍総指揮官が持つ剣だけが目当てだと見破られたらどうしよう。
ああなんだか俺も帰りたくなってきた。お腹痛い。
「エルホインに着いたはいいけれど、話に聞く私たちの指揮官はどこにいるのかしら?」
尻尾をピンと立ててラーが辺りを見渡すが、それらしい人物は見つからないようだ。
俺も落ち着きなく周囲をきょろきょろとしてみるが、逆に俺は道を行く人全てが自分を見ているような感覚になって人探しどころではなかった。いや実際に見られているのかもしれない。
エルホイン自体の景観は村というより小さな町と言って差し支えないくらいには整ってる。
周囲に満ちる空気感はやはりどちらかといえば暗い。
村の入り口でぼうっと立ち止まっていてもどうしようもないので、とりあえず村の奥へ俺たちは進んでいくことにした。
「……うわ。嘘だろ。凄いテンション下がるんだけど」
「慣れなさい、ムト。この大陸ではあれも珍しいものではないわ」
道なりに歩き続けていると、やがて大きな広場のような場所に差し掛かったのだが、そこには思わず吐き気を催すような光景があった。
木でできた絞首台が中央部にでかでかと置かれていて、そこでは人の形をしたナニカが宙ぶらりんになっている。
首を吊るだけでは飽き足らなかったのか、皮膚は炎で焼かれたらしく真っ黒に焦げていた。
さすがの俺でもわかる。
あれはきっと、エルフ人に逆らったホビット人かドワーフ人だ。
周りの人々は、俺たちにようにこの有様を見ても足を止めたりはしていない。
きっともう、当たり前の日常になってしまっているのだ。
ここに立つ俺には、この日常を変えることはできない。
いったいこれで何が英雄なのか。俺はまた少し自分が嫌いになった。
できれば一刻も早くこの大陸から去りたい。やっぱり革命軍に潜伏することなんてやめてしまおうか。
ラーを放り投げて、逃げ出してしまおうか。
それがいいかもしれない。きっといくらかは楽になりそうだ。
「心が痛みますね」
その時どこからか、凛としていて、それでいて慈しみに満ちた声が聞こえた。
声がした方向を見てみれば、修道服のような装いの女性が哀しみに染まった表情を浮かべている。
浅く被ったフードからは端正な顔が覗いていて、紫紺の長髪が清流のように伸びている。
反射的に確認してしまった胸部は、立派な山脈を形成している。
美しい。
素直にそう思った。
「これは間違っています。許されるべきことではありません。貴方はそう思いませんか?」
「え? あ、お、俺ですか」
「そうです。貴方です」
「あ、えと、まあ、俺もそう思います」
「嬉しいです。私と同じ思いを貴方も抱いているのですね」
紫髪の女性は満開の花のような笑顔で俺を見つめる。
瞬間、俺の心の中に何か異変が起きた。
これはまずい。非常にまずいぞ。
「人は皆平等なのです。そこに天も地もありません。私は間違った世界を正したい」
熱を帯びた瞳で、その女性は強く俺に訴えかける。
頬が熱い。これだから童貞は嫌なんだ。
「貴方もそう思いませんか?」
――柔らかく温もりに溢れた何かが俺の手を包み込む。
気づけばその女性の顔が、吐息が聞こえる位置まで近づいていた。
コロン、そして俺の心はそこでいとも簡単に落ちた。
俺はもう彼女の言葉に頷くこと以外できない。
「私の名はピピです。ピピ・シューベルト。私と一緒に世界に革命を起こしましょう、ムト君」
その女性は俺の名をすでに知っていた。
豊かさを主張する胸につけられている獅子を模したエンブレムは、俺が一週間前に見たものと少し違うがとてもよく似ている。
彼女がリックマンの言っていたもう一人の同僚だということはこの後すぐにわかるのだが、そんなことはもはや些細なことだった。
爆発しそうな鼓動が、頭の中を沸騰させていく。
もっと重大な問題がこの時点で俺には起きていたのだ。
どうやら俺は彼女――ピピ・シューベルトに一目惚れをしてしまったらしい。
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