No.7 ミドルエイジ・キューピッド
運命というものがこの世界にあるのだと、俺はこの日初めて知った。
たった一目で心奪われてしまった。俺は彼女に出会うために生まれてきたのだ。
人生とはなんと素晴らしい。
見えるもの全てがカラフルに色づいて見える。
「こちらです。ムト君にクアリラさん」
宝石のように輝く紫の瞳には、人知を超えた魅力を感じる。
俺は流麗な調べに誘われるがままに、足を動かしていく。
一足先にエルホインに到着していた彼女はすでに俺たちの指揮官とされる人物と接触していて、今はその人物の下へ連れて行って貰っているところだ。
なぜ俺たちが彼女と同じ革命軍入隊希望者だとわかったのか尋ねれば、あらかじめ俺やクアリラの特徴を教えてもらっていたらしい。
肩に銀毛の猫を乗せた黒髪の青年と、常時目にクマをつくっている茶髪の少女といった具合に。
「はぁ……ここ? なんかカビ臭いね」
「革命軍が持つ数ある隠れ蓑の一つとのことですよ」
案内されたのは薄暗い古書店だった。
本棚の上にも下にもある、無造作に置かれた書物を踏まないよう気をつけながら店の奥に進んでいく。
埃っぽい空気の中ラーは、上品にも手で口を抑えている。
「あら。あの人かしら。私たちの指揮官さんは」
しばらくすると店の最奥にあるこじんまりとした読書スペースに辿り着く。
そこでは銀と金の二色が入り交ざった髪色の男が不機嫌そうに座り、小さな文庫本を読んでいた。
やがて男は本を閉じゆっくりと顔を上げると、真っ青な目で俺たちを見つめる。
「……お前がムト・ニャンニャンで、そっちがクアリラ・エルナンデスだな?」
「そ、そうです」
「はぁ……そうだよ」
俺とクアリラの顔を交互に観察した後、男は本を机上に席を立つ。
立ち上がると案外背が高く、180センチ後半くらいはありそうだ。
「そこのピピにはもう説明したが、俺はロイス。リックマンからある程度は聞いているかもしれないが、お前たちの指揮官となる」
無精髭が目立つ男――ロイスがやはり俺たちの直属の上司のようだ。
パッと見た感じ気が合うようには思えなかったが、ピピと同じ部隊にいるというだけで、もう俺の中から革命軍から逃走する気は綺麗さっぱりなくなっていた。
「俺の部隊は少し特殊でな、ここにいるお前たちと俺で所属メンバーは全員だ」
「これまで私たち以外に誰もいなかったわけではないでしょう? 私たち以前の人たちはどうしたのかしら?」
「……ああ、そういえば人の言葉を喋る猫がいるとか言っていたな」
「凄い! 貴方会話ができるのですか!? 名を教えて頂いても!?」
「私はラーよ。よろしく」
ピピとの合流後、ここまで黙り込んでいたラーがやっと口を開く。
ロイスとピピの反応は対象的で、あらかじめ知っていたような態度のロイスはあまり興味がなさそうで、おそらくラーをただの猫だと思い込んでいたピピは興奮したように頬を赤らめている。
ピピの無邪気な様子が実に可愛らしかった。
「たしかにこれまで何人か俺の部隊に配属された奴らがいた。だがそのほとんどが殉死し、生き残った何人かは他の部隊へと移動になったな」
「え」
あまりに淡々とした口ぶりのせいで実感しにくいが、さりげなく伝えられた情報は中々にショッキングなものだった。
いったいどういうことだ。
この部隊は選ばれしエリートのみが配属されるところではなかったのか。
話が違うぞ。
「そうだな。一応確認しておくか。俺の部隊は革命軍の中で最も危険かつ命を失う可能性の高い場所だ。今ならまだ間に合う。革命軍に入るのをやめておくか?」
なけなしの優しさか、ロイスは道を引き返すチャンスを与えてくれる。
俺のチキンハートが安定の喧騒を始めたが、ふと視線の先に止まったピピの胸のエンブレムがその騒めきを鎮めた。
「先ほども言いましたが、私はロイス指揮官の下に残ります。もう革命軍の紋章も頂きましたし」
「……そうか。二人はどうする?」
「はぁ……別に命とかどうでもいいし、私も残るよ」
そうだ。ピピはすでにエンブレムを付けている。
あれは革命軍の証。つまり彼女はとっくのとうに革命軍に入る覚悟を決めているということだ。
そうなればもはや俺に迷う理由はない。
か弱い彼女をこんな危険なところに一人取り残すわけにはいかないのだ。俺が守ってあげなくては。
「お、俺も残ります!」
「ムト君! 嬉しいです! これで三人全員一緒ですね!」
「……そうか。お前たち二人も引き返すつもりはない、か」
なぜか少しだけ残念そうな表情を浮かべると、ロイスは内囊からピピが付けているものと同種のエンブレムを二つ取り出す。
そういえばよく見ると、指揮官であるロイス自身は革命軍のエンブレムを付けていなかった。
それに俺たちに渡されたものは、やはりどこかリックマンやその部下たちが胸に縫い込んでいたものとは違っている気がする。
幾つか気になる点があったが、時間が経てば疑問の答えはでるだろうと頭の隅っこにそれは放り投げた。
「それ、私には貰えないのかしら?」
「……渡したとして、どこに付けるんだ」
「あら。それもそうね。ごめんなさい」
仲間外れにでもされたと思ったのかラーか拗ねた声を出すが、すぐに彼女は照れたように自分の要求を撤回する。
「それで私たちの初任務はいったい何になるのですか?」
「そう焦るな。せっかく同じ部隊になったんだ。まずは互いの親睦を深め合おうじゃないか」
早速やる気を見せる頑張り屋さんのピピをロイスは諌める。
口にされた言葉にはまったく感情が込められていなかったが、とりあえず俺たちをいきなり戦場に送り込むことはしないらしい。
というか親睦を深め合う、か。なんともいやらしい言葉だ。
「親睦を深め合うとは具体的にどういったことをなさるのですか?」
「なに。ちょっとした共同作業をやってもらうだけだ」
「はぁ……なんか面倒くさそう」
ピピは困惑気に眉尻を下げていて、クアリラは億劫そうに溜め息を吐いている。
ちなみに俺は共同作業というフレーズで普通に興奮していた。
「それは後のお楽しみだ。着いてこい」
そしてロイスはほとんど棒読みの台詞を続けると、古書店の外へ向かって行く。
俺たち三人はそれぞれ全く別種類の表情を顔に浮かべながら、どこか掴みどころのない上司の後を追ったのだった。
――――――
ここで突然だが、俺の過去の恋愛経験を振り返ってみようと思う。
恋は盲目というし、綺麗な薔薇には棘があるとも言う。
現在完全に頭の中がハッピーフラワーガーデン状態になっている自分に、自問自答していくらかの正気を取り戻したいという試みだ。
この異世界ディアボロに来る前の頃、人生でたった一度だけ俺はある女性に告白をしたことがある。
その子は俺の幼馴染で、いつでも俺に優しくしてくれた。
至極当然の成り行きで俺は彼女に恋をし、辛抱たまらなくなった俺はそして彼女に告白した。
『私がアンタみたいなゴミ屑を好きになる事なんてこれまで通り未来永劫あり得ない。アンタみたいなゴキブリ以下の存在が私なんかに告っちゃって。なに? OK貰える可能性が1ミリでもあると思ったの? 調子乗んじゃねぇよドクズがっ!!』
しかし皆さまご想像の通り、俺の一世一代の大告白は失敗に終わっている。
それはもう派手にフラれた。信じられないくらいの勢いでボコボコにフラれた。
その日を境に俺は自らの人間としての魅力のなさを自覚し、誰かが俺のことを本気で好きになることはないと知ったのだ。
そこで考えてみたい。
ピピが俺のことを好きになることは本当にあり得ないのかと。
たしかに今思い返してみれば、幼馴染は俺のことを適当に耳触りの良いこと口にはしていたが、どこか一歩引いていた気がする。
ではピピはどうだろう。
俺は考えてみる。まだ会ってから間もない彼女の行動を。
初対面にも関わらず完璧に合致した俺の瞳と彼女の瞳。
一切の抵抗なく俺の手を握った彼女の柔らかな手。
俺に向けられた優しい微笑み。
あ、これは脈アリですわ。
過去の失恋と比べた結果、これまでとは違うと俺は判断した。
これはもうどう考えてもピピの方も俺に運命を感じているとしか思えない。
イケる。今回はイケる気がする。というかもうなんか通じ合ってるもん。いつ肉体的に通じ合ってもおかしくない。
俺は回想と熟考の結果、ついに俺という人間に革命が起きる日が近いことを悟った。
「ムト、いったい何を変な顔をしているの」
「ぶぇっ!? な、なに!? どうしたの!?」
「どうしたのはこっちの台詞だわ……ほら、どうやら着いたみたいよ」
幸せな未来に思考を天に昇らせていると、突然やけにエロい声が耳元に聞こえて心臓が跳ね上がる。
声の元凶はラーで、猫らしからぬ呆れた顔で俺を見つめていた。
気づけば他の皆は真っ暗な洞窟の前で足を止めている。
ロイスが俺たちをエルホインの外の湿原地帯に連れ出して約一時間ほど、様子を窺う限りここが目的地みたいだ。
「これからお前たちにはこの洞穴に入って貰い、ある魔物を捕獲してもらう」
皆から若干遅れ気味だった俺が追いつくと、ロイスがぶっきらぼうにそう告げる。
革命軍入隊祝いの親睦会会場がこんな湿気臭そうな穴っころとは、これまたずいぶんと小洒落ているじゃないか。
「すいません、ロイス指揮官。その魔物を捕獲することにいったいどんな意味があるのでしょう? あまり革命軍には関係がないように思えるのですが?」
「だから言ってるだろう。これはお前たちの親睦を深めるための作業だ。一緒になってある一つの目標に向かって協力する。親睦は深まり、そしてある意味で革命軍の理念にも沿ったものだ」
ピピの質問に、ロイスは無精髭を指で抜きながらそう答える。
言うならばオリエンテーションといったところだろうか。
魔物退治なら俺、というかジャンヌの得意分野だ。これはピピの好感度を上げる絶好のチャンスかもしれない。
もしかしてロイスは、俺の恋のキューピッドなのでは?
俺は急にこのやさぐれたオッサン上司が好きになってきた。
「はぁ……その魔物って?」
「“パオパウ”という魔物だ。あくまで目的は捕獲だからな。殺すなよ」
「パオパウ、ですか。私の知らない魔物ですね。どういった特徴の魔物でしょうか。参考までに外見などを教えて頂けると嬉しいです」
「あー、そこら辺は大丈夫だ。実際に会えばすぐにわかる」
パオパウ。
魔物図鑑を眺める趣味など持っていない俺は、もちろんそんな種類の怪物は知らない。
それにしても変な名前の魔物だ。どんな姿をしているのかまるで想像がつかない。
「ほら、行った行った。仲良く力を合わせて捕獲するんだぞ。わかったな」
ロイスはしっしっと言わんばかりの仕草で、俺たちが洞穴の中に入るよう急かす。
なんとも手抜き感の強いキューピッドだ。
しかし今の俺はここ最近で一番心にゆとりがあるので、それも許そう。
「わかりました……ではムト君、クアリラさん、そしてラーさん、行きましょう」
「はぁ……だるい」
「そ、そそそそうですね! 一緒にイきましょうピピさん!」
「……ムト? いま何か言葉の発音がおかしくなかったかしら?」
真剣そうな顔でピピは俺に視線をやると、一度大きく頷く。
真面目な表情もまた可憐だ。
ここでどれだけピピとの距離を詰められるかが勝負だ。気合入れてくぞ。
暗闇への怯えすら忘れるほどに興奮している俺は、そのまま先頭を行くピピの美麗なヒップラインを網膜に焼きつけながら、中年キューピッドが用意してくれた親睦会会場に踏み込んでいった。
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