No.8 パオパウ・コーリング



 洞穴の中は思っていたより広々として、やたら高い湿度を気にしなければそこまで息苦しさは感じない。

 暗がりを照らす光球を俺が創り出し、足下や壁を見てみると不健康そうな茸が大量に生え揃っていた。

 特別な気配は何も感じないまま、俺たちはどこまでも奥に入り込んでいく。


「そういえば、お二人はなぜ革命軍に入ろうと思ったのですか?」


 少し気まずい沈黙を嫌がったのか、ピピが話題を振ってくる。

 なんとも気遣いのある良い子だ。

 ここで俺に天性のトークスキルがあれば話を盛り上げる手伝いをするところだが、申し訳なくも力不足だ。


「はぁ……私はなんとなく」

「なんとなく? ……そうですか。クアリラさんは少し変わっているのですね」


 やる気のなく展開性のないクアリラの返事に、ピピは一瞬目を細めた後困ったような笑みを浮かべた。

 これだから意識低い系は困る。

 俺は気運を高めようと肩のラーを撫でようとするが、それはプニュプニュとした肉球に遮られた。


「ムト君は?」

「お、俺は、もちろんこの大陸の現状が許せなくて!」

「そうですか! ムト君も私と同じ理由なのですね!」


 本来の設定はかなぐり捨て俺がピピに合わせた理由を口にすると、嬉しそうに彼女は俺の手を握る。

 隣りのクアリラが何かジトっとした目でこちらを見ている気がするが、当然それは無視だ。

 というかまた手を握ってきたよこの子。

 もうアレなんじゃないかな。ベタ惚れという奴なのでは。

 逆にこれで脈ナシだったら、それはもう詐欺と言っては過言ではない。とんでもない魔女ということになる。

 こんなお淑やかで純粋そうな子が俺を騙すわけがないのだ。

 早く汗だくセッ久したい。


「三人とも、あれを見て」


 そんな風に互いの感情を確かめつつピピと見つめ合っていると、耳元で媚薬のような声がする。

 いかがわしい声に誘われるまま視線を前方に向けてみると、非情に奇妙な生き物の姿が目に入った。



「パァオッ! パァウッ!」


 

 いきなりわけのわからない奇声を上げたのは俺ではない。

 前方で泣いているような笑っているような不可思議な顔をした謎の生物の鳴き声だ。

 パンパンに空気の詰まったビーチボールに、手足が生えたかのようなショッキングピンクの魔物。

 初めてみる魔物だが、おそらくアレがロイスの言っていた“パオパウ”なのだろう。

 会えばすぐにわかると言っていた意味がよくわかった。


「パァオッ! パァウッ!」

「私も初めて見る魔物だわ。協力しろと言っていたし、案外手ごわいのかしら。そうは見えないけれど」

「どうやらあの少し可愛らしい生き物がロイス指揮官の言っていた魔物のようですね。あれを捕獲すればいいのでしょうか?」

「はぁ……なにアレ。なんかキモイ。さっきのお兄さん並みに」


 女性陣はパオパウを見て、思い思いの感想を述べている。

 ちなみに俺の感想はクアリラに一番近いだろうか。

 小型犬程度の大きさしかないパオパウの顔は猿とゾウが混ざったような感じで、先っぽだけ白い尻尾も含めて実に気色悪い。


「パァオッ! パァウッ!」

「はぁ……うるさ。早く捕まえて黙らせよう」


 あと本当にうるさい。キンキンと甲高い声が非常に腹立たしかった。

 クアリラと同感だ。さっさと捕獲しあのやかましい口を塞いでしまおう。


「じゃ、じゃあ、俺がとりあえず捕まえてみるよ。二人はバックアップをお願い」

「わかりました。頑張って下さい、ムト君」

「はぁ……」


 ここが見せ場だと判断した俺は、ピピの声援とクアリラの溜め息を背に、パオパウに近づいていく。

 見た目は最高に不愉快だが、サイズの小ささも相まって怖さは感じない。

 俺がそっと近寄っていっても、パオパウは逃げようともせずプルプルと怯えに震えるだけ。

 ロイスは共同作業の末に親睦を深めろとか言っていたが、親睦を深める間もなく作業が終わってしまいそうだ。

 この気持ち悪いだけに弱そうな魔物を捕まえることにいったいどんな意味があるのだろう。


「パァオッ! パァウッ!」

「ほらぁ、よ~しよし、大丈夫だからねぇ。オジさん、痛いことはしないからねぇ?」

「ムト、貴方少し口調と表情が不気味よ」


 ラーの意味不明な咎言を聞こえないふりをして、ゆっくりとパオパウに手を伸ばしていく。

 それにしても間近で見ると、なんとも不細工な顔をしている。

 瞳を涙にうるうるとさせているが、ブスにそんな顔をされても苛立ちが募るのみだ。


「よしよし、いい子だ。ほら――」


 そしてついにパオパウに手が触れるか触れないかといったところに来た瞬間――、



「パァァァァオパァァァァウッッッッッッッ!!!!!」



 ――パオパウは耳を劈く断末魔を上げて木端微塵に破裂してしまった。

 ベチャ、という不愉快な音を立てながら辺り一面にぶちまけられる、赤く粘着質な臓物。

 あの小さな体のどこにこれほどの量の内臓が敷き詰めらていたのか違和感すらあるほどの、超絶グロテスクな光景を最期にパオパウはいきなり絶命してしまったのだ。

 俺の身体はネチャネチャとした固形物混じりの返り血塗れ。

 喉に酸っぱいものがこみ上げてきた。



「……ムト君?」

「……は? 何してんのお兄さん?」

「い、いやいやっ! 違うから! そうじゃないから!」



 凍りついた声と視線が二種類分背中に突き刺さるのを感じ、俺は慌てて振り返り弁明する。

 嘘だろ。なんで軽く触れただけで逝ってんだよこいつ。

 刺激に弱いってレベルじゃないぞ。お前は剥きたてホヤホヤのリトルペニーか。


「ムト君? ロイス指揮官の命令は捕獲だと言っていたのをお忘れになったのですか?」

「はぁ……そういう力自慢とか要らないから」

「だから違うんだって!? 俺は全然力を入れてないのに、なんかちょっと触っただけで急に破裂したんだよ!」


 感情の抜け落ちた無表情で俺を見やるピピと、あからさまな侮蔑の色を隠そうともしないクアリラ。

 特にピピの顔が怖い。尋常ではなく怖い。

 あの顔のまま無言でタマ金の一つくらい平気で潰してしまいそうだ。


「二人とも、ムトの言っていることは本当よ。確かに彼はほとんど力を入れていなかったし、魔力だってもちろん使っていなかったわ」

「そうなのですか? ……ラーさんが言うのなら、間違いないのでしょうね」

「はぁ……じゃあこのパオパウっていう魔物は、普通に捕まえようとしたら簡単に死ぬとんでもなくザコい魔物だってこと? はぁ……面倒くさい。協力しろってそっちの方向性かよ」

「そう! そうなんだよ! ラーの言う通り俺は……ってあれ? もう信じて貰えてる?」


 ラーがたった一言俺を支持することを言っただけで、くるりと二人は態度を急変させた。

 なんだこれは。なぜ俺への信頼感がこれほど極端に低いんだ。

 まさか道を照らす光球の明度を、微妙に二人の胸部に当たる部分だけ強くしていたのがバレたのか。いやそんなわけはない。かなり慎重に調整したはずだからな。



「……キキキキキ……」



 パオパウ対策に頭を悩ませる俺たちは、同時に口を噤む。

 頭上から聞こえてくる奇怪な音に気づき、皆身動きを止めていた。


「……聞こえた?」

「ムト君、少し天井を照らしてみてくださいませんか?」


 正直、凄く嫌だった。それはもう嫌だった。

 しかし俺の男気的にも、ピピからの頼みということもあり、断ることはできない。

 嫌な予感しかしないが、俺は宙をふわふわと浮いていた光球の高度を上げていく。



「……キキキキキ……」



 先ほどより明瞭に聞こえた、硬質な何かを擦り合わせるような音。

 淡白い光に照らされ、露わになった黒艶の甲殻。

 俺の計算能力では数え切れないほど多く生えている細い脚。

 真紅に染まった単眼。


「あ」


 光の先にいたのは体長数十メートルはありそうな巨大ムカデ。

 その情報が視覚を通って俺の脳に到達した瞬間処理落ちが生じ、俺の意識は強制的にシャットダウンされたのだった。




――――――




「……始まったか」


 サワーエルロード湿原。

 鬱蒼と茂る木々の中にひっそりと存在する洞穴の中から僅かに伝わってくる振動を感じ、ロイスは閉じていた蒼い瞳を開いた。

 この洞穴は通称“死招きの祠”と呼ばれ、地元に住む人間ならば決して近づかないほど危険な場所だった。


(パオパウの死臭は凶悪な魔物を呼び寄せる。このパオパウの巣穴に入ったら最後、まず生きては帰ってこれないだろう。俺の知る限りここから生きて帰ってきたのは……たった一人だな。そういえばあのお転婆姫は今はエルフと交戦中だったか? 三人と一匹の死亡を確認したら久し振りに顔でも見に行くか)


 暇潰しにとロイスは今回派遣されてきた三人の新人のデータが記された書類を取り出しながら、かつて全身ボロボロになりながらも死招きの祠から無事生還し、いまや彼と同じ革命軍幹部の座についた少女の顔を思い浮かべていた。

 ロイスの担当する革命軍諜報部隊に配属される新人は、その全員が“問題アリ”とされる者たちだ。

 その新人たちの人格、能力、思想の詳細な調査がロイスの仕事の一つであり、そこで彼に失格とされた場合は存在の抹消が義務とされていた。

 それは革命軍の入隊を拒絶された者からの、余計な逆恨みを防ぐのが目的。

 しかしロイスは自らの担う仕事の内、この新人の適正調査を面倒だと感じていた。そのため彼は適正調査の順序を少しばかり変更し、まずこの祠でふるいにかけ、そこで生き残った者に関して調べ上げるという順番にしていたのだった。

 

(だが今回はなんとなく嫌な予感がするんだよな。仕事が長引きそうな予感だ。もしかしたら一人くらい生きてでてくるかもしれん)


 改めて資料を眺めながら、ロイスは自らのよく当たる勘が働いていることにうんざりする。

 ひとまず目を通しているのは、常に半分ほどしか目を開いていない、寝不足そうな顔が印象的なクアリラという少女のものだった。

 出身はホビットで、革命軍に入隊を志望する理由は不明。リックマンからは態度と能力に問題アリと報告されていた。

 だがその問題の内、能力に関しては革命軍に入るのに不足というわけではなく、むしろ反対の理由からだった。


(……意欲、信念の薄さに反して、能力的素養は非常に高いとみられる、か。たしかにそうだな。実際に見てみたが、リックマンと同感だ。あのクアリラとかいう奴は相当できる。生き残るとしたらこいつか)


 ロイスは自分の目で見たクアリラの様子を脳内に掘り起こしつつ、小さく舌打ちをする。

 見事に制御された魔力に、隙がありそうでない普段の身の取り方。

 やる気のない言動とは裏腹に、三人の新人の内ロイスから見て最も油断ならない存在はクアリラだった。


(次に生き残る可能性があるとすればあの女か……出身はホグワイツ大陸の法国クレスマで、入隊志望理由はエルフへの強い憎しみ。……そしてリックマンから報告された問題点は志望理由の不審な点)


 次にロイスはピピ・シューベルトの資料に目を移す。

 直接本人を見た限り、能力的には弱くはないが、そこまで強くもないといった平均的なものだったが、たしかに能力ではなく思想、人格の方に違和感があった。

 時折り覗く、激憤という言葉すら生温い強い怨嗟の感情。

 それがロイス、そしてリックマンが覚えた不審な箇所だった。


(あれほどまで強い敵意……本人はエルフに対するものだと言っているが、あの女はホグワイツ大陸出身だ。本人の言葉ではこちらに来たのはほんの数か月前。だとしたらあの焦がすような憎しみはいったいなんだ? 長年差別と圧政に晒されてきたわけでもない大大陸人がなぜあそこまでの怒りを抱く?)


 強烈な違和感。

 その仕草、口端の全てがロイスにとってどこかチグハグとして、不気味な印象を受けるのがピピという女だった。


(いちばん生き残った場合面倒なのがあの女かもな) 


 その顔を二度と見なくて済むよう祈りながら、ロイスは最後の資料に目を移す。

 書かれていたのは自らをムト・ニャンニャンと名乗った黒髪の青年だ。

 内容はとてもシンプルで、問題点は全てと記されている。


(そしてこいつは……正直言ってまったく意味がわからない)


 出身は不明。志望動機も虚偽の疑惑強く不明。

 能力的には一般人以下と推定。唯一特別な点といえば肩に人間の言葉を理解し話す猫がいることくらい。

 ロイスが実際に対面しても、それ以上のことは何もわからなかった。


(人格的には気弱で流されやすい傾向。思想的にもエルフやボーバート大陸に特別強い感情はなさそうだ。能力的には魔力はまるで感じないし、身のこなしも戦闘経験がある者のそれではない。どう考えても革命軍に入隊希望を出す種類の人間じゃない。あいつは何をしにここに来たんだ?)


 ある意味最も理解が困難な存在である青年の顔を思い出しながら、ロイスは懸命に頭を働かせる。


(なら何かあるのはあの喋る猫の方か? ……人の言葉を話す猫か。あまり詳しくないが、たしか大大陸の世界魔術師機構なる組織に、そんな猫を飼っている幹部がいるという話を聞いた気がするな。しかし、あれはどう見ても凡人だ。そこまで名のある魔法使いには見えなかった。では実力を隠している? いや待て。向こうの大陸でそこまで著名な存在だったのなら、向こうに長く住んでいたというクアリラが何か反応を示すはずだ。道中で確認したが、そんな様子はなかった)


 考えても考えても答えはでない。

 答えがでないどころか、その糸口すら掴めなかった。

 正体は不明。目的も不明。実力は最低ライン。

 ロイスはあの鈍そうな青年のことを考えるだけ無駄なような気がしてきた。


(駄目だな。さっぱりわからない。まあ別にいいだろう。まず真っ先に死ぬとしたらあのムト・ニャンニャンとかいうふざけた名前をした奴だろう。あいつが生きて帰ってきた時のことを考えても意味はない)


 そこで思考を止め、ロイスは資料を宙に放り投げると魔法の炎で燃やし尽くしてしまった。

 洞穴からはいまだ振動が続いていて、誰かが逃げ出してくる様子もない。



(頼むから全員死んでおいてくれよ。……まさか全員生き残るなんてことはないよな?)



 一瞬脳裏をよぎった考えをすぐに打ち消し、ロイスは外にいる自分にまで伝わってくる揺れが収まるを待つのだった。




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