No.13 クリープ・センティピード
迷子になったイルシャラウィを無事保護することに成功した俺は、とにかく身体が温まるものでも食べようと適当な大衆食堂へやってきていた。
やっぱり北国の人は肌が綺麗だなぁ、今日みたいに寒くて雪の降る日は家でナニして過ごすんだろうなぁ、とか考えていたらまさかの警護対象とはぐれるという始末。
後ろにぴったりとくっついていたはずの少女の姿が消えていることに気づいた時は、だいぶ血の気が引いたが、大事にならず本当によかった。
魔力探知を使えば世界のどこにいようと、一度でも直接会ったことのある人なら見つけられる。だから見失った彼女を探すこと自体は容易だったが、それでも肝を冷やしたことには変わらない。
少しでも目を離せば、この幼い名画家はどこかに消えてしまうということはよくわかった。
もしこのようなことがあと一度でもあれば、俺に首輪を付けて、その手綱をイルシャラウィに握ってもらう案でも採用しなければならないかもしれない。
それで安全を保てるならば、俺は喜んで彼女の駄犬になってみせよう。
というかむしろ積極的に駄犬に成り下がりたい。
「……ムト、それ美味しいの?」
「うん? ああ、これ? 見た目はアレだけど、けっこうイケるよ。最近食べた店の中では、ゼウスの街にあるワンダーマッシュルームって店でいつも頼むやつの次くらいには美味しい気がする。ちょっと食べてみる?」
「いらない」
「さ、さようですか」
そうやって俺が王女に奉仕するためだけに存在している愚かなオス犬になり果てる妄想をしていると、隣りに座るイルシャラウィが怪訝そうな声をかけてくる。
どうやら俺の食べる料理の味に疑問をもったらしい。
俺が頼んだのはセンティピードヌードルという料理で、黒点のまだら模様がある白い麺が粘り気の強いスープに絡み合う一品だ。
センティピードから出汁を取り、センティピードの身を麺にもスープにも練り込んである、この一杯でセンティピードの全てが楽しめるようになっているとのことだ。
まあ、俺はそのセンティピードってのがどんな魔物なのか知らないけど。
それでもヌチャという食感が印象的な麺と、香ばしく少し舌がピリピリするスープはそれなりに相性がよく、濃厚な食べ応えは中々のもの。
しかしさすがは王家に連なる一族ということか、このヌードルという庶民的な料理は彼女に受け入れて貰えないらしかった。
「じゃあイルシャラウィが食べてるやつは美味しいの?」
「普通」
「さ、さようですか」
「あと、イルでいいって言った」
「あ、そうだったね。ごめんごめん」
自分で頼んだリゾットのような料理にもそっけない評価を下しながら、イルシャラウィは呼び名の訂正を求める。
どんな心変わりかは知らないが、この店に入る辺りで彼女はイルという愛称で自分を呼ぶよう俺に言いつけていた。
年頃の少女の機微に疎い俺はそれを当然断れなかったが、いまだそれに慣れていないというところだ。
「ムトはこの街に来たことあるの?」
「いや、アテナに来るのは俺も初めてだね。ファイレダルの別の街には観光で行ったことあるけど」
「智帝に会ったことは?」
「それもない。噂で聞いたことがある程度」
石油を思わせるギトギトスープを飲みながら、自分の知っているこの国の王の情報を改めて整理してみる。
智帝ユーキカイネ・ニコラエヴィチ・トルストイ。
千里眼とも呼ばれ、智に関して世界最高と称されるファイレダルの女王。
全知といわれるほど圧倒的な知識量を誇り、この世界のことなら知らないことはないとまできく。
魔法使いとしての実力も折り紙付きで、数十年前にあったという世界大戦の際は、その強大な力を発揮したという話も聞いたことがある。
しかし彼女の場合、良い噂だけではない。
マイナスというほどでもないが、王として、というか人としてどうなの、という話もよく耳にする。
まずは彼女は世界大戦以降、自室の書斎から一歩も出ていないという究極の引きこもりとのことだ。
三年前にちょっと世界が危ない感じになったときも、彼女は外には出ておらず、俺も顔を合わせたことはない。
さらにこの女王は極度の人嫌いでも知られていて、他国の重役であろうが、九賢人であろうが、面会謝絶がいつものこと。
例外として幼少期からの顔馴染みである神聖国ポーリの女帝モーフィアスだけは何度か部屋に通しているらしいが、他者との交流は本当にその程度だという。
こう考えてみると、よくこんな人物が王で国が回っているなと感心する。
「そうなんだ。ムトでも会ったことがないなんて。恥ずかしがり屋さんなのかな?」
「えー、どうだろう。それならそれで萌えるけど。というかガイザスさんは会ったことないの? 同じ王様だし、一回くらいあるんじゃない?」
「燃える? ……お父様はたしか一度会ったことがあるはず。でもたしか、何回か話しかけたけど全部無視されたって言ってた」
「全部無視って……ゴミを見るような蔑んだ視線があればご褒美だけど、完全に興味ありません、みたいな空気扱いだとキツイな」
「空気よりゴミの方がいいんだ」
麺をすすっていたら歯にエビの殻のようなものが挟まる。
それを舌でこねくり回して取ろうとする間に、俺の頭の中は段々と悪い想像に汚染されていく。
イルシャラウィに待ってるというメッセージを送ったくらいだ、会うこと自体に問題はないだろう。
だが、問題はその後。
この年中お盛ん中だけが取り柄のスーパーヘタレ野郎に、円滑なコミュニケーションは期待できない。
頼みのお姫様はそこまで他者との関わりに苦手意識がある様子はないが、彼女のような世間知らずの幼い少女に全てを任せるわけにもいかないだろう。
つまりはどこかで、必ず俺が筋金入りの引きニート系女子、しかも初対面と会話をしなくてはならない場面がくるということだ。
正直自信はない。かなりない。
考えれば考えるほど不安は募っていく。
「なんか、智帝の機嫌を損ねちゃいそうで怖いなぁ」
「なんで? 私の手紙に返事くれたし、きっといい人だと思う」
「うーん、そうかなぁ。俺、智帝以外の五帝には何人か会ったことあるんだけど、例外なく全員癖が強い人だったんだよね」
「他の五帝? 凄い。ムトには有名な知り合いが沢山いるんだ。羨ましい」
「いやいや、ろくな知り合いはいないよ」
隣りの少女はグレイの瞳を輝かせて俺の方を見るが、彼女が羨むような経験をした記憶はまったくもってなかった。
そして粘り気の中にコリコリとした食感が混ざる妙味の一杯をやっと完食すると、俺は嫌々ながらも腰を上げる。
「じゃあ、そろそろ行こうか。身体もだいぶ暖まったし」
「うん」
だいぶ前に自分の分は食べ終えていたイルシャラウィも俺に合わせて席を立つ。
ついにこの街に来た肝心の用件を果たしに行く時だ。
ここに来て及び腰になっているが、いまさら後には引けない。
悪い予感が当たらないといいけど。
まだ見ぬ女王を怒らせてしまう嫌な未来図が現実にならぬよう気を引き締めながら、俺は有り余る金で勘定を済まして店を出る。
――――――
「なに? ユーキカイネ様に会いたいだと? 許可が下りるわけがないだろう。怪しい奴め」
「ちょ、え、え、待ってくださいよ!? ほ、ほら! 本人からの手紙だってあるんです! 見てください!」
「馬鹿か貴様。我らの王が手紙なんぞ書くわけないだろう。程度の低い嘘だな。これ以上戯言をのたまうつもりならば、然るべき対処をとらせてもらうぞ。他国の者だとしても容赦はしない」
「そ、そんな……」
現実は俺の悪い予感の斜め上をいく。
怒らせる怒らせないの前に、まさかの門前払い。
すでに俺たちは、智帝ユーキカイネが住むというアテナ城まで辿り着いている。
だがその城というよりは神殿に見える場所に足を踏み入れることは叶わず、警備兵に軽くあしらわれてしまった。
イルシャラウィが受け取った手紙を直接見せてみたが、門を警備するような下っ端が女王の筆跡を知るわけもなく、まったく相手にしてもらえない。
これは困った。
というかここまで楽観をし過ぎていた。
とにかくアテナに着きさえすれば、智帝本人に会うことはできると思っていたが、その見通しは普通に甘かった。
手紙が招待状代わりになるかと思っていたが、相手はワールドクラスの引きこもり。
常識的に考えて、招き人がいることを周囲に伝えているわけがない。
「どうするの? ムト? 無理矢理入る? ムトならできるでしょ?」
「で、できるけど、それはさすがにまずいよ。一応相手は一国の王だからね」
王族とは思えない物騒な提案をイルシャラウィがしてくるが、それは本当に最終手段だ。
こちらはあくまで憂いの拝殿についての情報を請う立場。
いくら協力的な雰囲気の手紙をもらっていても、相手の気まぐれ一つで旅は頓挫してしまう。
なるべく非礼に当たりそうな行為は慎むべきだった。
「じゃあムトが英雄だってこと教えたら? そうすればきっと通してくれる」
「それは俺が本物だって信じて貰えたらの話だよ。あの警備兵の態度と、これまでの経験から言って、たぶん信じて貰えない」
「たしかに。そういえば私のお母様とか、最初は信じてなかった。お父様は最初から信じてたけど」
「でしょ? ……ちなみに、イルは俺のこと初めから信じてくれてたんだっけ?」
「ううん。全然。でも本物だったらいいなって思ってた」
「そ、そうすか」
イルシャラウィも眉を曲げて解決策を考えてくれているようだが、あまり彼女をあてにはしない方がいいだろう。
とりあえず俺が英雄ムト・ジャンヌダルク本人だと証明するよりは、この手紙が本物だとわからせる方向で考えるべきだ。
手紙がイルシャラウィに向けて出されたということ自体に偽りはないはずなので、探せばこの手紙のことを知っている人が必ずどこかにいる。
もしくは智帝ユーキカイネの筆跡を知る人物に会うというパターンでもいい。
一番確実なのは、家族やその辺りだろうか。この国の女王の血族がどれほどいるのかはまったく知らないけれども。
「おい、そこのお前たち。いつまで城の前でぶつくさ言っている。いい加減にしないと、痛い目を見ることになるぞ」
「あ、すいません。すぐ移動しますんで。……ちなみになんですけど、智帝ユーキカイネの筆跡を知ってる人とか心当たりないですか?」
「しつこいぞ貴様……私の職務は不審な人物の排除。どうしても貴様は私の仕事を増やしたいらしいな」
「ま、待ってください! ちょっと訊いてみただけじゃないですか!」
とうとうここで警備兵の不快指数が許容範囲を超えたのか、その手が腰に携えられている剣へと伸びる。
これ以上は無理か。
一旦撤退した方がよさそうだな。
さすがに城下で問題は起こしたくないので、俺はイルシャラウィを連れて、きた道を引き返そうとする。
「どうしたん? なんか揉めてるみたいやけど?」
しかしその時、間延びした声が俺たちの方へかかり、無意識的に足を止める。
耳に届いた声は、見知らぬ女のもの。
見れば警備兵は途端に極度の緊張を顔に表し、声の持ち主の方へ固い敬礼をしていた。
「は、はっ! これはユーゴ中将! た、たった今、不審な人物を取り締まっていたところであります!」
「不審な人物?」
「はっ! この男はユーキカイネ様との謁見を要求していて、手紙によって招待を受けていると言い張るのです!」
雪風を肩で切り裂き、一人の女が真っ直ぐとこちらへ近づいてくる。
その鷹の紋章を胸に付けた女が近寄るたびに、警備兵のあぶら汗の量が増えていく。
誰だかは知らないが、かなり偉い人のようだ。
「手紙? なにそれ、オモロイやん。どれ、ウチにも見せてみ?」
目下の濃いアイシャドウが目立つ女は、やがて俺たちと警備兵の間へと身体を入れ込む。
そして俺の方を興味深そうに見つめると、顎をしゃくり俺になにかを促す。
なんとなく退廃的な雰囲気を感じる女性だ。
促された事を悟った俺は、素直に手紙を差し出した。
「こ、これです。ちゃんと俺たちは智帝ユーキカイネに会う許可をもらってるんです」
「……ふーん。なるほどな。ウチはあの人の筆跡とか知らんけど、たしかにちょっと前、珍しく手紙を出したとかいう噂は聞いたことあるな」
「ほ、本当ですか!? な、なら――」
――刹那、鈍い閃光が目の前で炸裂する。
俺の意識が強制的に隅に押し込まれ、別の意識が表情する一瞬の感覚。
は? なんだ? なにが起きた?
唐突な状況変化に、俺は少しの遅れをもって追いつく。
「へぇ? これは驚き桃の木山椒の木。反応速度も規格外や」
「この身に傷をつけることは私が許さない」
なぜか俺の首筋寸前で静止している両刃の剣。
その剣を振り抜いたのが目の前の女で、それを俺が指二本で白刃取りしていることも、見ればわかる。
そう、たしかに見ればわかる。
だがいつの間にこんな状況になったのか、なぜこうなったのかはまるでわからなかった。
「よっしゃ。ええよ。気に入った。この手紙を本物か確認できる人に、ウチが会わせてやる。条件付きやけどな」
「…………」
女はこの脈絡ない狂撃の説明も特にせず、嬉しそうな顔で剣を収める。
すでにジャンヌと主人格が入れ替わっていることには気づいていたが、俺の動揺の方はまだ収まっていない。
「いいのですか? ユーゴ中将? このような怪しい男の言い分を聞いて?」
「なに? 文句でもあるん? ウチがええゆうてるのに」
「し、失礼しました! 失言をお許しください!」
「特別やで? 今のウチはめっさ機嫌ええから」
まだジャンヌは俺の意志を待っている。
今のところ、まったく女の話に付いていけていないが、一応彼女に敵意はなく、協力をしてくれるらしい。
なぜいきなり襲われたのか。
ぜひそのことに関する言葉が欲しかったが、ウェーブがかった茶髪の女はただ友好的に、今度は剣の握られていない空の手を差し出すだけだった。
「せや、自己紹介がまだやった。ウチはファイレダル国家軍部中将ガブリエラ・ユーゴ。この街に来たばかりでまだ友達少ないやろ? まあだからってわけでもないけど、仲良くしてな?」
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