No.7 レプリカ



 息切れに痛む胸に手を当てながら、ヒバリは何度か深呼吸を繰り返す。

 気づけば低い天井に柱が並ぶ、薄暗い広路のような場所にいる。

 自らの敬愛する暴帝オシリウレスの姿が見えた気がして、本能的に駆け出した結果、ずいぶんと奥まで一人で来てしまったらしい。

 

(オシリウレス様はどこだ?)


 たしかに捉えたと思った自らの主の姿を探しても、どこにも見つからない。

 今更ながらに心細さを覚え身体を震えさせるが、言いようのない不安感は募るばかりだ。


「誰だっ!?」


 背後に気配を感じ、大声を上げながら振り返る。

 だがそこには見通せない暗闇が広がるのみだ。


(クソがっ! なにビビってんだよ! オレは栄えある帝国兵だぞ!? ちょっと一人で知らないところにいるからって、怯えるなんてクソだせぇ!)


 歯がガタガタと鳴るのを、唇を思い切り噛むことで我慢させる。

 すると先ほど気配を感じた方向から、不快感を煽る煤けた音が聞こえてきた。


「……シィィィィィィ……」


 ぞわりと肌が逆立つ。

 ヒバリは本能的恐怖に身を硬直させる。


「そ、そんな」


 すぐに憂慮の正体は、明確な実態をもって姿を露わにする。

 縦に割れた血赤の瞳孔。

 石柱の間を這いずる巨木の如き身駆。

 黒艶に濡れた生々しい鱗。


 “獰蛇フェロシアスバジリスク”。

 

 魔術師ウィザード級に認定される凶悪な魔物がヒバリに牙を向けていた。


(さ、最悪だ。こんな化け物、何の取り柄もないオレにどうこうできるわけがない)


 少し前まで身を奮い立たせていた心は、あっという間に折れてしまう。

 ヒバリにはたしかに剣の才能があったが、この魔法全盛の時代ではそこまで大きな武器には成り得なかった。

 使えるのは風属性の下級魔法が精一杯で、当然その程度の魔法ではフェロシアスバジリスクを倒すことはできない。


「シィィィィィィ……!」


 無防備に身を晒すだけの得物に、怪物は歓喜の呼吸音を吐き出す。

 ヒバリは剣を抜くことすらできず、恐怖に腰が抜け尻もちをついていた。


(ああ、前もこんなことがあったな。あの時はオシリウレス様が助けに来てくれたんだ。そうだ。あの日からだ。オシリウレス様みたいになりたいって思ったのは)


 自分が帝国兵を志願することになった日のことを思い出しながら、ヒバリは涙を流す。

 あの時のように、自らを助けに来てくれる者などいない。

 どうしようもない不安といまだに力なき己の不甲斐無さに、瞳から流れる水滴は止まらなかった。


「シィィヤヤヤヤ!」


 ついに間近まで迫ったフェロシアスバジリスクの叫声が耳に爪を立てる。

 酸性の臭気が鼻を突き、思わず目を瞑る。

 

(全部間違ってたんだ。オレみたいなただの兵士がオシリウレス様を助け出そうなんて、やっぱりお門違いだった。いや、それだけじゃない。そもそもオレのように才能の欠片もない凡人が、オシリウレス様に憧れることすら間違いだった。全部。全部だ。全部間違ってた)


 悔恨と自嘲に泣きながら、ヒバリは最期の時を待つ。

 真っ暗闇の中で一人怪物に喰われて息絶える。

 あまりに愚かな自分には相応しい。

 全てを諦めたヒバリはそう思っていた。



「なるほど。つがいだったのか」



 その時、一陣の風が吹く。

 明確な意志を持った疾風は、ヒバリの濡れた頬を乾かしていく。


「安心するといい。私が貴公の片割れと同じ場所へ連れて行こう」


 ヒバリは瞑っていた目をおずおずと開く。

 するとそこには、黒套をはためかせる見知った背中が見えた。

 渦巻く魔力が風の形を成し、フェロシアスバジリスクの大口の中に吸い込まれていく。



「《風と華せエクスプロジア》」



 次の瞬間、巨大蛇の身体が尋常ではなく膨張したかと思えば、限界を迎えたのか爆音と共に破裂する。

 真っ赤な肉片は粉々に吹き飛び、その全てが血霧となるだけ。

 そしてその湿った霧すらも風に掻き消され、フェロシアスバジリスクなど初めからいなかったようだ。


「……え? うそ。なに今の?」


 ヒバリは何度から目を擦ってみるが、現実は変わらない。

 公認魔術師の要請さえ必要とされる魔物の姿はどこにも見つからず、目の前には仮面の男が傷一つなく立っている。


「大丈夫だった? 怪我はない?」

「あ、はい。怪我とかは特にないと思いますけど……」


 いまだ状況がよく呑み込めないヒバリは、地面にペタリと座り込んだまま呆けた声を返す。

 仮面の男はそんな様子が気にかかったのか、おもむろに手を伸ばすとヒバリの身体をまさぐり始めた。


「きゃっ!? い、いきなりなにするんだよ!?」

「お、ごめんごめん。いやなに。本当に怪我はないのかと思って」


 突然の暴挙に、ヒバリは思わず敬語も忘れ声を荒げてしまう。

 慌てて手を払いのけると、そのままの勢いで立ち上がった。


「だ、大丈夫です! オレは全然平気ですから!」

「あ、そう? ならいいんだけど」


 ヒバリが腰を上げたことでやっと安心したのか、仮面の男は空中でわきわきとさせていた手をしまう。

 見ればすぐ後ろに蒼い髪の少女もいて、ヒバリは自分を探しに彼らがここまで来たのだと気づいた。


「それじゃあ街に戻るよ。ここにはオシリウレスさんはいないから」

「え? どういうことですか? ここにいるって言ったじゃないですか」

「いや、どうやら嵌められたらしい。あの偽ムト・ジャンヌダルクにね」

「嵌められた? それに偽ムト・ジャンヌダルクってどういうことですか?」


 仮面の男の最初とは違う言い分に、ヒバリは噛みつく。

 命の危機から救い出され、本来ならまず感謝の言葉を告げるべきだとわかっていたが、無意識にその話題を後回しにしていたのだ。


「そのままの意味だよ。帝国を襲ったのも、オシリウレスさんを攫ったのも、本物のムト・ジャンヌダルクじゃない」

「なんでわかるんですか。そんなこと」

「えぇ!? そ、それは、あれだよ。とにかく俺にはわかるんだよ」

「……オレはそうは思いませんけどね。だいたい三年前のことだってオレは全部信じちゃいない。たった一人であの闇の三王全てを倒すなんて嘘に決まってる。元々人の手柄を全部独り占めするような奴なんですよ」

「……ま、まあ、その事は今はいいんだよ。とにかくここにオシリウレスさんがいないことだけは間違いない」


 歯切れの悪い仮面の男を少しだけ訝しんだが、とりあえず納得する。

 正直に言うとヒバリも、この場所から今すぐにでも離れたかった。


「それで、オシリウレス様がいる場所本当の場所はわかったんですか?」

「いや、それが今のところ手掛かりは無しなんだよね」

「じゃあどうするんですか?」

「まあ、あてがないこともないからさ。君を帝国に返した後は、色々試してみるよ」

「オレも――」


 ――一緒に連れて行ってくれ。

 もう一度その言葉を口にしようとして、ヒバリは途中で飲み込む。

 この先も暴帝オシリウレスを探すであろう仮面の男についていったところで、自分に何ができるというのか。

 今回のように、足手まといになるだけだ。

 力なき自分にできることなんて何一つない。


「今回はごめんね。オシリウレスさんを助け出すなんて言っておいて、全然見当違いの場所に連れてきちゃって」

「……いえ」

「でも後は任せておいて。もう少し時間はかかるかもしれないけど、絶対にオシリウレスさんは助け出してみせるからさ」

「……はい。ありがとうございます」


 沈んだ面持ちになってしまったのを気遣ってか、仮面の男は励ますような声を出す。

 その明るい声があまり似合っておらず、ヒバリは申し訳ない気持ちになった。


「え、えーと、じゃあ、行こうか」


 仮面の男は言葉が続かなくなったことを誤魔化すように、手を一度叩く。

 そしていつものように顔を俯かせ、小声で詠唱を始めるのを見て、転移系の魔法を発動させようとしているのだとわかった。



「待ってください」



 しかしそこで、これまで沈黙を保っていた蒼髪の少女が毅然とした声を発する。

 その鋭い刃物を思わせる声色に、ヒバリだけでなく仮面の男もびくりと肩を震わせていた。


「なにか言い忘れていることがあるんじゃないですか?」

「な、なんだよ。オレに言ってるのか?」

「そうです。そこの小便くさいアホ面の貴方に言ってるんです」


 溢れんばかりの怒りを隠そうともせず、蒼髪の少女はヒバリを睨みつける。

 あまりの気迫に気圧され、言い返すこともできない。


「あ、あの、マイマイさん? ど、どうしたんです? そんなに眉間に皺を寄せちゃって? 可愛らしいお顔が台無しですよ?」

「ご主人は引っ込んでてください!」

「はいぃ! 申し訳ありませんでしたぁ!」


 大股で詰め寄る少女はもはや、掴みかからんとする勢いだ。

 言葉を失ったままのヒバリは、生唾で喉を鳴らすことしかできなかった。


「貴方は今、命を救われたんです。なのになんで最初に感謝の言葉が出てこないんですか? ふざけないでください。その腰に付けてる飾りをガタガタ言わせていただけのくせに」

「な、なんでオレがお前にそこまで言われなくちゃいけないんだよ。だいたいご主人ってなんだ? お前のご主人はあのムト・ジャンヌダルクだろ? 強欲で、大嘘つきで、悪党の」

「……するな」

「な、なんだよ」


 やっとのことで言葉を返すが、ヒバリは目の前の少女の怒気の質が変化したことに気づく。

 それは殺気だ。

 これまで見たことがない鬼の形相。振りかぶった拳を避ける術は持っていなかった。



「私の前でご主人をそれ以上侮辱するなぁっ!」



 衝撃が頬に伝わり、遅れて痛みがやってくる。

 ヒバリの小柄な身体は地面を勢いよく転がり、石柱の一つにぶつかりやっと止まった。


「ちょ!? なにしてんのマイマイ!?」

「ご主人もご主人です! こんなへっぽこを甘やかし過ぎなんですよ! そんな仮面いりません!」

「あ! 駄目だって!?」


 口内に滲む鉄の味。

 頭を打ったのか、意識が薄まっていく。

 痺れたような感触が、やけに不愉快だった。


「貴方の命を救った人の顔をよく見てください! 貴方にはオッシーを救う資格なんてありません! 偽物は貴方の方です!」


 蒼い瞳をまだ怒りに歪ませる少女の言葉が、ヒバリの心に突き刺さる。

 偽物は自分の方。

 暴帝オシリウレスに憧れた気持ちも、助け出そうと思った覚悟も、全て偽物。仮初のもの。

 力がないことを言い訳にして剣すら握らない自分が、本物の英雄である暴帝オシリウレスに近づけるはずはなかった。

 かつて自らを救った王の、贋作レプリカにすら自分はなれない。



「ご主人を侮辱していいのは、この世界で唯一私ただ一人なんです!」



 霞んでいく視界の中で、たしかにヒバリは見た。

 どこか気まずそうな、苦笑いを浮かべる明るい茶色の瞳をした青年を。

 

 この顔を見て、気を失うのはこれで二度目だ。


 そして今度は恐怖のトラウマからではなく、何かが変わり始める解放感からヒバリは意識を手放したのだった。




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