No.6 インサニア・9



 キアス、最後にそう名乗ったあいつは結局何者だったのか。

 どこからともなく現れたと思ったら、俺の心に大きなモヤだけを残して忽然と消えてしまった。

 

「なんかご主人と会ったことがあるみたいな話し方でしたけど、知り合いですか?」

「いや、キアスなんて奴は知らない。あそこまで顔が似てることなんてそうそうないからね。忘れてるわけじゃないと思う」

「そうですか。……でも、なんか私は今の人、なんとなく記憶に引っかかるんですよね」

「え? 嘘でしょ? マイマイはあいつを知ってるってこと?」

「うーん。どうだろう。喋り方とか声とかは全然知らないんですけど、あの気配はどこかで一度感じたことがあるような気がするんです」


 マイマイは必死で記憶の糸を手繰り寄せようとしているのか、珍しくずいぶんと難しい顔をしている。

 彼女は性格的にはポンコツだが、俺のことも気配だけで察知できるほどスペック的には高い。

 そんな彼女が気配に覚えがあるというのだ。

 キアスの言う通り、彼は本当に俺の知り合いなのかもしれない。


「でも少し色々と疑問が残りますね。完全に話で聞いていた通りというわけでもなさそうです」

「ん? どういうこと? 聞いてた通り顔は見事に瓜二つだったじゃん」

「まず名前です。アレス城を襲撃した時は、あの人はご主人の名を名乗った。なのに今回は本名かは知りませんけど、別の名前を言っていました」

「……それは俺という本人が相手だったからじゃない?」

「いえ。それは変ですよ」


 いつになく鋭い目つきでマイマイはそう断言する。

 自虐抜きで考えても、彼女は俺に比べて聡明だ。

 このように時々、俺が話についていけなくなることがあった。


「もし本気でご主人になり変わるつもりがあるなら、わざわざ私たちに別の名前を宣言する必要がありません。だた自分が本物で、ご主人が偽物だと言い張ればいいんです。律儀にご主人を本物だと認める理由がさっぱりわからない」

「あー、それは、えーと、あれじゃない? なんか英雄になりたいみたいなことも言ってたし、最終的には自分の名前で色々売り出したいんじゃないの?」

「売り出したいってなんですか……あ、でも待って。もしかしたら……」


 貧乳探偵マイマイは真剣な面持ちで、ブツブツと独り言を始めた。

 俺との楽しいお喋りは宙ぶらりんに中断されてしまい、この集中する様子を見る限り、今ならチンぽろりんしても気づかれなさそうだ。

 

「……ご主人、私わかりました。あのキアスとかいう人が何を企んでいるのか――ってはっ!? なんでズボンを脱ごうとしてるんですかっ!? 馬鹿なんですか!? 馬鹿なんですね!?」

「おっと、すまない。ちょっと暇を持て余していて」


 想像していたよりマイマイが顔を上げるのが早く、俺の思いつきは失敗に終わる。

 さすがに全脱ぎは無理だったか。

 社会の窓を開けるルートで攻めるべきだったかもしれない。


「も、もう! 話を戻しますよ!」

「はい。お願いします」


 無駄に息を荒げるマイマイは一度大きく咳払いをしてから、声の調子を元に戻す。

 この空洞はそれなりに肌寒いはずなのに、彼女は額に汗をかいていた。

 意外にも暑がりらしい。


「あのキアスって人は自分が英雄になり変わると言っていました。だからあの人はたぶん、今回オッシーを襲ったように悪行をする時はご主人の名前を騙ることでムト・ジャンヌダルクを悪い人に仕立て上げ、そしてその後、悪として名を馳せたご主人本人を倒すかなんかして、自分を英雄化させるつもりなんですよ」

「え? ちょ、ちょっと待って? あいつも俺と同じ顔をしてるけど、そんなこと可能なの?」

「私、思うんですけど、あの顔と体格はやっぱりいくらなんでもご主人に似すぎじゃないですか? だからたぶん、あの人はそういう誰かの顔や体格をコピーできる魔法か何かが使えるんですよ」

「まじか。……だとすると、それって、もしかして結構ヤバくない?」

「もしかしなくても結構ヤバいですよ、ご主人」


 遅れてマイマイの推理の中身を理解し始めた俺は、思っていたより事態が悪いことになっていることに気づく。

 俺にはジャンヌがついているため、俺自身が襲われてやられるなんてことはないはずだが、俺の名を地に落とすためにはそこまでする必要がない。

 簡単なことだ。

 自作自演を行えばいい。

 俺の顔をして誰かを攫ったりした後、自分本来の姿に戻り、何食わぬ顔でその攫われた人物を救い出せばいいだけだ。

 

「たぶんオッシーは手始めです。これから先もまだまだ何かをやらかすつもりだと思いますよ、あの人は」

「だけどオシリウレスさんはもうすぐそこにいるんだ。あいつの思い通りにはさせない」

「それも私思ったんですけど……ご主人、試しにもう一度魔力探知をしてみてください」

「え? 別にいいけど……」


 マイマイの不安気な表情に、俺は嫌な予感を募らせる。

 悪い想像が脳裏を駆け抜け、その影を追い払うようにジャンヌの名を呼ぶ。


「ジャンヌ、オシリウレスさんの魔力がどこにあるかわかるか?」


【……すまない、ムト。似たような魔力をいくつか感じるのだが、特定ができない」


「嘘だろ? ここに来る前は感じ取れたんだよね? 今は駄目なの?」


【すまない。今は特定できない。似た魔力を数百ほど感じ取れるだけだ】


 悪い予感は的中した。

 小声でジャンヌに確認してみれば、案の定な結果に終わる。


「ジャンヌ、なら今のキアスとかいう奴の魔力はどうだ? 探知できそう?」


【……すまない、ムト。こちらも似たような魔力を数百ほど探知できるが、特定はできない】


「そっか。いや、いいよ。別に謝らなくて。ありがとう、ジャンヌ」


【本当にすまない】


 ジャンヌのしょんぼりとした声が胸に痛い。

 だがそれ以上に事態の深刻さに俺は胃に穴が空きそうだった。


「どうでした? ご主人?」

「駄目だった。オシリウレスさんの居場所が特定できなくなってる。ついでにキアスの居場所もわからない」

「やっぱりそうでしたか。あの人はご主人のことを知ってるみたいでしたからね。すでに対策はしてるはずだと思ったんです」


 ジャンヌと喋っているあいだ俯かせていた顔を上げれば、マイマイが溜め息を吐いた。

 まさか魔力探知対策を打たれてるとは思わなかった。

 用意周到なだけでなく、俺たちに抵抗することができるほどの実力も持っている。

 あのキアスとかいう奴は本気だ。

 本気で俺たちをハメるつもりらしい。


「オシリウレスさんを攫うほどの力に、容姿をコピーするなんて能力。さらに魔力探知まで掻い潜ると来た。まじで誰だよあいつ。わりと化け物だぞ」

「そうですね。ご主人ほどじゃないですけど、今回の相手は三年振りに手ごわそうな感じです。でも、三年前ほど大変ではないんじゃないんですか?」

「まあ、それはたしかに」


 三年前、俺が英雄と呼ばれるようになった日のことを思い出すと、少しだけ気持ちが楽になった。

 あの時は大規模な戦争を無理やり止めたり、闇の三王なる規格外の魔物三匹を一人で相手にしたり、闇の魔法を顕現させた堕天使と戦ったりと、本当に大変だったからな。

 それに比べたら、今回はちょっと変態チックな表情が似合いそうな顔した奴を一人、なんとか見つけ出して腹パンかなにかすればいいだけだ。


「とにかく今は俺の目撃情報にひたすらアンテナを張りつつ、オシリウレスさんをどうにかして探し出すしかないか」

「とりあえずはそうなりますね。ただ、あのキアスって人がその気になれば、他の人に擬態できる可能性もあるってのが少し気になるところですが」

「あ、そういえばそうか。じゃあ、マイマイになり変わる可能性もあるんだよね?」

「まあ、ないとは言い切れません」


 俺はまじまじとマイマイの顔を見つめる。

 ぱっちりとした蒼い瞳は澄んでいて、リスみたいな鼻は非常にチャーミングで思わず舐め回したくなる。


「なんか悪寒がするので、こっち見るのやめてもらえます?」

「一応なんか合言葉とか決めておく? また離れるたびに金的されるのも嫌だしさ」

「え。シカトですか? 超腹立ちますね。だからこっち見るのやめてください」

「合言葉なにがいい? マイマイはひん――爆乳にしとくがはっ!? なんでっ!? 途中で言い直したのに!?」

「うるさいです。合言葉は“ムト・ジャンヌダルクはスケベかつチキン”にしましょう。あとこっち見んな」

「りょ、了解しました」

 

 割と強めに蹴られた脛を抑えながら、俺は瞬きゼロのガン見タイムを終了させる。

 合言葉が中々に酷い気がしたが、今抗議の声を上げても取り合ってくれない気がした。

 しかしいくらなんでもスケベかつチキンはないんじゃないか。

 ヘタレかつサカンくらいでちょうどいいと俺は思うのだが。


「さて、それじゃあもうここに用もありませんし、いったん帝国に戻りますか? いや、違う場所に行った方がいいんですかね」

「そうだな。あれ? でもなんか忘れてる気が……ってあ! ヒバリ! ヒバリはどこだよっ!?」

「あー、いましたね。そんな人」


 そろそろ場所を移動する雰囲気が出てきたところで、俺はここに連れてきた仲間がもう一人いたことを思い出す。

 微妙に影が薄くてすっかり忘れていた。

 マイマイはもっと前から気づいていたような感じがするが、なぜ早く言ってくれなかったのだろう。


「あいつはどこに行ったんだ。早く探しに行かないと」

「えー? べつにいいんじゃないですか? ほっておいても」

「いやいや、さすがにそれはまずいだろ。てか、マイマイやたらヒバリに対してやけに非友好的じゃない?」

「べっつぅにぃ? そんなことありませんけどぉ?」

「そ、そう? なんか唇めちゃくちゃ尖がってるけど」

   

 よく考えてみれば、マイマイはまったくヒバリに話しかけていない。

 というより、どちらかといえば睨みつけていた。

 ついでにヒバリと喋っているときの俺も睨みつけられていた。

 仲良くなる理由なければ、仲が悪くなるような理由もないはずなのに、これはどうしたことか。

 もしや嫉妬かなんてちょっと嬉しくなりかけたが、ヒバリは男だ。

 嫉妬するには少しおかしい。


「まあ、でもこんな場所で放置したら、あのへっぴり腰の口だけ兵士ちゃんは野垂れ死んでしまいそうですからね。仕方ありません。探しに行きましょうか」


 凄い言われようだ。

 いつもより倍口が悪くなっている。

 他に知る限り、マイマイが俺以外にここまで悪態をつくのは、知り合いの、今や九賢人の一人となった銀髪の美少女魔法使いくらいだ。

 マイマイは彼女が巨乳という理由だけで、ひたすら威圧していた記憶は今も懐かしい。

 なんか無性に乳揉みたくなってきた。


「ご主人、あのポンコツ兵士の魔力は探知できそうですか?」

「そっちはたぶん大丈夫だと思う」


 彼女が九賢人になったという話を風の噂で耳にしてからは、まだ会っていない。

 久し振りに会いたいな。

 今頃どこにいるのだろう。

 また少し、胸が大きくなっているかもしれない。

 そうだといいな。


「顔がムカつきます」

「痛いっ!?」


 そんなことを考えていると、マイマイにまた脛を蹴られた。

 このメイドは有能を越えて、エスパーか何かだと思った。




―――――― 




 雨が降り始めた。

 天候が急激に悪化し、渦を巻く黒雲が大粒の水滴を降らせる。

 そんな冷雨の下、秩序だって広がる帝国ゼクターの都アレスを、二人の魔術師が睥睨していた。

 片方は薄笑いを浮かべる白髪の女で、もう片方は銀髪に翡翠の瞳をした少女だった。


「なははっ♪ ユラウリさんはもう行っちゃったんですか。相変わらずあの人は忙しい人ですね」

「それは仕方のないことよ。行方不明の“五番目”を除けば、あの人が私たち九賢人で唯一転移系の魔法を使える人なのだから」


 白い髪の女の言葉に、隣に立つ銀髪の少女が淡々と答える。

 雨の勢いは増すばかりで、途絶える気配はどこにもない。


「たしかレウミカさんの父上である“一番目”は、前は転移系の魔法を使えたんですよね? 今はなんで使えないんですか?」

「さあ、詳しくは知らないけれど。たしか不死になる代わりに魔法を使う能力を完全に失ったと聞いているわ」

「へぇっ♪ それは面白いですね。……不死ですか。あまりいいものじゃないですけどね」

「まるで一度不死になったことがあるような言い方をするのね」


 銀髪の少女――“銀麗の八番目”レウミカ・リンカーンは、隣りに立つ白髪の女の含みある言葉に翠色の視線を向けるが、特別な反応は返ってこなかった。

 風も強くなりだし、レウミカの長くなった銀髪が大きく揺れる。


「なはっ♪ それでレウミカさんはどう思いますか? 今回の暴帝が襲われた事件、本当にあの英雄ムト・ジャンヌダルクの仕業だと思います? レウミカさんは知り合いでしたよね?」

「……さあ、それはわからないわ」

「どうなんでしょうねぇ。つい先日のファイレダルでの件にもムト・ジャンヌダルクは関わっていたらしいですし」


 白髪の女は顔を歪ませ瞳を輝かせる。

 好奇心に満ちたその表情を横目でとらえながら、レウミカは濡れ切った前髪を一度手で撫でつけ街へ降りた。



「全部、本人に直接会えばわかること。……行くわよ。クロウリー」

「なはっ♪ 楽しみですっ♪」 



 “災厄の九番目”クロウリー・アインシュタイン。


 そして純白の髪を靡かせる彼女もまた、黄金の瞳で薄暗い雲の先を見据えながら、年若き同僚を追い街へ飛び降りたのだった。



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