No.5 リザレクション・オブ・シャドウ



 冷気を多分に含んだ風を浴びながら、俺は赤く暮れ始めた空をぼんやりと眺める。

 辺りには煤けた方尖塔が整然と並んでいて、神秘的な感慨を抱かないこともない。

 俺が今いる場所は、暴帝オシリウレスの魔力を探知してんできた神殿跡地のようなところだ。

 そして少し離れて俺の後ろに立つのが明らかな緊張を隠せないマイマイと、険しい顔で周囲に目を光らせる軍服の少年ヒバリだ。

 

『一昨日のことを話す代わりにお願いがあります。オレも一緒にオシリウレス様の救出に連れて行ってください』


 一時間ほど前に起きた予定外の出来事は、いまだに俺の頭を悩ませている。

 勢いに負けてうっかりヒバリの要求を呑んでしまったが、正直言ってそれは失敗だった。

 どう考えても面倒事が増えたとしか思えない。

 しかも結局ヒバリから聞けた話は、ほとんどマイマイから聞いた話と変わりがなく、新しく手に入った情報はほとんどゼロと言っても過言ではなかった。


「……あのさ、なんで君は俺に着いてきたの? 正直言って、あんまり理由が思い当たらないんだけど。危ないだけじゃないかな?」

「オレは足手まといだと言いたいんですか?」

「いやいや、そうじゃなくてさ、単純に疑問で」


 神殿跡地の最奥に辿り着く前に、今さらだがヒバリにどういった胸中なのかを尋ねてみる。

 暴帝オシリウレスの救出には、高確率で危険が伴うだろう。

 それにも関わらずただの一兵士にしか過ぎない彼が、なぜここまでするのか。

 もし俺だったら、いくら仕える相手が攫われたと言っても、よほどの美人でなければ自分で助けに行こうとはしないはずだ。

 確実に他の誰かに任せてしまう。


「……オレ、昔からオシリウレス様に憧れていたんです。帝国軍に入ったのも、少しでもあの人に近づけたらって思って」

「へえ、そうだったんだ」

「だから、もしオシリウレス様を助ける力に少しでもなれるなら、オレは命だって惜しくない」

「お、おう」


 しかし意外にも、ヒバリが俺たちへの同行を願い出た理由は、ごくシンプルなものだった。

 なんと単純にあの暴帝オシリウレスのファンらしい。

 彼の女の子みたいに華奢な体格を見ていると、どうもあの筋肉達磨の信奉者には思えないが、人はどうにも見た目に寄らないようだ。


「無刃のヴァニッシュを持ち出そうとしたのも、あれがあれば弱っちいオレでも多少はマシになるじゃないかと思ったんです」

「ああ、なるほど。それはそういう理由だったんだね。というか、君もあの剣のことは知ってたんだ?」

「はい。“至上の七振り”は有名ですから」


 ここでヒバリがなぜ無刃のヴァニッシュを欲しがっていたのかも明かされる。

 至上の七振り、それぞれが特別な力を秘めると云われる伝説の武器たちの総称。

 誰が、どうやって、何のために創り出したのかは知らない。

 あまり有名ではないと思っていたが、案外知名度がありそうだ。

 無刃のヴァニッシュにはたしか、実体のないもの斬り裂くという力があったはず。

 たしかに一介の兵士にとっては、かなり有効な戦力になり得るだろう。


「この奥ですか?」

「みたいだね」


 やがて歩き続けていると、古びた石階段が下方に伸びている箇所に辿り着く。

 おそらくここを降りていったところに、暴帝オシリウレスがいる。

 魔力を感じられたということは、まだ生きているということだ。

 もし危険があるとしたらこの先になる。


「ここで待ってたい人はいる?」

「……オ、オレはもちろん行きますよ」

「……私も、一応」


 最終確認をすると、二人とも恐々とだが首を縦に振った。

 元来小心者のマイマイだけでなく、先ほどまで威勢の良かったヒバリまでも怯えているようだ。

 だがそれもよく考えれば当たり前のことだった。

 俺の顔を見るだけで気を失ってしまうほどだ。

 怖くないと言えば嘘になるのだろう。


「よ、よし。じゃあ、行くか」


 そして言うまでもなく、俺もビビりにビビりまくっている。

 もしジャンヌが俺の中にいなかったら、余裕で道を引き返しているはずだ。


「《光を》」


 気の利いた洋燈はどこにもないので、仕方がなく自分で灯りを点ける。

 浮足立つ心を落ち着かせようと俺の小さな皇帝を触ってみるが、小さく縮まり過ぎて逆に安心感がなかった。


「なんか寒いな」


 コツ、コツ、と三人分の足音だけが暗闇には響いている。

 吐く息は白い。

 ずいぶんと気温は低そうだ。

 誰も無駄口を開こうとはせず、階段を下る時間が永遠にも感じた。


「《火を》」


 指がかじかみ始めたところで、俺は小さな火を灯す。

 するとついに長かった階段が終わり、平坦な地面に足がついた。

 淡い光が前に広がる空間を照らしていく。

 灯りはすぐに辿り着いた場所の全貌を明らかにさせた。


「ここは……なんだ?」


 闘技場コロッセオ

 まず最初に思い浮かんだのはそんな言葉だった。

 想像していた以上に広大な空間に中心には、円状の大きな台座があり、俺たちが降りて来た階段の両側から一周するように観客席らしきものが続いている。


「オシリウレス様!」


 俺が状況把握に手間取っていると、突如ヒバリが叫び声を上げて走り出した。

 広場の向こう側には奥行きの見通せない道がまたあり、そこへ一直線に駆けていく。

 俺には何も見えなかったが、どうもヒバリの瞳には何か大切なものが映っているらしい。


「待ってって! 一人で行くなって!」


 ヒバリの姿はあっという間に真っ暗な穴の中へ吸い込まれて消える。

 俺も慌ててそれを追うとするが、ねっとりとした嫌な気配と鼓膜に微かに届く何かが引き摺られる音に足を止めてしまった。


「ご、ご主人、あれ……」

「……は? 嘘だろおい……?」


 マイマイが俺の背中にぴったりと身を寄せる。

 彼女の胸の鼓動が俺にまで伝わるが、興奮する暇はなさそうだ。



「……シィィィィィィイイイ……」



 上空からこちらを覗く二つの真紅の煌めき。

 血の如き舌を振動させ、天井を這いずり回る得体の知れない巨躯。

 生理的嫌悪感と本能的恐怖がどうしようもなく煽られる。


 ――巨大蛇バジリスク


 中にはこういったタイプの生き物がたまらないという奇人もいるらしいが、俺はどうにもノーマルな性癖を持っているらしかった。

 

「シャァァァッッッッ!!!!!」

「ご主人ぃぃぃんんんっっっ!!」

「ぴゃあああああああっっっ!!!」


 バジリスクの咆哮に、俺とマイマイは揃って逃げ出そうとする。

 恐怖とパニックで、いつ肛門が許可なく誰かを通してもおかしくない状況だ。


「ってちょっとなんでご主人も逃げてるんですかぁ!? 戦ってくださいよぉっ!? ご主人ならあれくらいの化け物は倒せるでしょうがっ!?!?」

「そ、そそそそそうだった! ま、ままままま任せろ!」


 反射的に背を向けて逃走してしまったが、冷静に考えて勝てない相手ではない。

 俺はバイブレーションの収まらない口が誤って舌を噛み切らないよう気をつけながら、俺の知る限り最強の魔法使いに助けを呼ぶ。


「《魔力纏繞》! あの薄ら気色悪い変温動物を塵に変えろ!」


 清流の如き魔力が俺の内側から溢れだす。

 視界と意識が白んでいき、代わりにこれ以上ない安心感を得る。

 五感全てを受け渡し、俺の身体は主を変えた。



「叶えよう」

「シィィィイイイ!」



 バジリスクが宙に飛び出し、鉄塔並みの巨尾を真上から叩きつけようとする。

 凄まじい質量に影を覆われるが、避ける理由も、身を守る必要もなかった。


「少し、掴みにくいな」


 風を斬り裂きながら振るわれた尾撃を片手であっさりと受け止め、指を食い込ませ、一回転させると思い切り地面に叩き落した。

 

「シィィヤヤヤヤッッッ!!!」


 怪物の金切り声と同時に、血漿と石片が飛び散る。

 しかし無慈悲な攻勢はまだ終わっていなく、計り知れないほどの重みがあるはずのバジリスクを軽々ともう一度も持ち上げ、再度地面に振り下ろす。

 またも上がった悲鳴は、先ほどより弱々しい。

 

「うへぇ、ご主人って相変わらず人外極めてますね……」


 格の違いをまざまざと見せつける圧倒的な加虐にどこか呆れすら含んだ声がするが、それは向けられた者には届かない。

 さらにこれまで以上の高まりを見せる魔力が、その言葉も、無力な怪物も、全てを塵へと還したからだ。



「《灰に帰せカヌスイグニス》」



 色彩乏しい火焔が、激尽の勢いを持って炸裂する。

 円状の台座の上だけでは収まらない、絶対の熱量が焦土を創り上げていく。

 荒波のように押し寄せる魔力は、灰炎の猛威を止める術がどこにも存在しないことを示していた。




「す、凄すぎてドン引きです。どんだけ蛇苦手なんですか」

「……おっと、こりゃ凄いな」


 ふと俺のどこか俯瞰的だった感覚が元に戻る。

 周りを見渡してみれば、案の定破壊の限りがし尽くされていた。

 オーバーキルで有名なジャンヌさん。

 このコロッセオもどきが歴史的価値のあるものではないことを祈るとしよう。


「ま、まあ、とりあえず、これでヒバリを追えるな」

「そ、そうですね」


 マイマイは焦げっぽい匂いが苦手なのか軽く鼻を摘まんでいる。

 だがこれで邪魔者はいなくなった。

 俺は先に一人走ってしまった問題児ヒバリくんの魔力を探知しようと、またジャンヌを呼び出そうとするが――、



「やあ、をずっと待ってたよ。ムト・ジャンヌダルク」



 ――聞き覚えのない声が背中に投げかけられ、俺は嫌な予感に振り返る。


「お、お前は……?」

「うそ、ご主人がもう一人?」


 俺たちが通ってきた階段の方から、やけに優雅な足取りでこちらへ近づいてくる一人の青年。

 黒い髪に黄金の瞳。

 背丈はこの世界で一般的な程度で、顔の彫りは大人しめでどちらかといえばベビーフェイス。

 純白の外套を身に纏い、表情には喜色が浮かんでいる。

 どっからどう見ても、それは俺だった。


「噂通り、めっちゃご主人に似てますね。というかおかしな仮面付けてる今のご主人の方がどっちかっていうと偽物っぽいですよ」


 俺とまったく同じ顔をした青年は、心の底から嬉しそうにしている。

 おそらくこいつが暴帝オシリウレスを襲ったという、俺の偽物。

 しかしこれは想像以上だ。

 顔だけでなく、身長、体格まで、というより声以外は完全に俺と一致しているじゃないか。 

 

「でも今日はちょっと顔を見ておきたかっただけなんだ。俺はもう行くよ。会えて嬉しかった」

「お前はいったい何者なんだ……?」


 俺と同じ顔をした青年は、まるで旧知の間柄のような口振りだ。

 だが俺にこんなドッペルゲンガーしてる知り合いは当然いなかった。

 生き別れの双子の可能性も転生者である俺にはない。

 もしそうだとしても、同性の兄弟なんて俺は認めない。


「俺のことを忘れちゃったの? まあ、それも仕方がないかもしれない。そのうち思い出すさ。また近いうちに会うことになると思うしね」


 少しだけ哀しそうな表情を見せるが、それも一瞬のことで、嬉々とした表情にすぐに戻る。

 煌めく黄金の瞳には、やはり見覚えがまったくなかった。

 

「今はまだ君の影にしか過ぎないけど、それも変わる。俺が君になり変わり、もう一度この世界を手に入れる」

「お前は……誰なんだよ?」


 見慣れた顔が穏やかな笑みを浮かべ、知らない声で喋るその光景はあまりに不自然で気味が悪かった。



「俺の名はキアス。世界を変える……いや世界を変えた英雄さ」



 そしてどこからともなく生じた黒い影に包み込まれ、その影が消えてなくなる頃には、俺の知らない名前と知っている顔をした青年の姿は、もうどこにも見つけられなくなっていた。




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