セト・ボナパルト


 “魔喰の六番目”、今ではそう呼ばれることの多いセト・ボナパルトは、目の前で起きている光景を眺めながら、どこか清々しい気持ちになっていた。

 限界を超えた戦いの果てに、直感的に全てが終わることを予感していたのだ。


 突如現れた“魔王”。

 その魔王はこれまで出会ったどんな敵よりも凶悪で、すでにセトは満身創痍。少しでも歯車の掛け違いがあれば、間違いなく自分の方が死んでいた。


 成り行きで偶然出会った、レミジルー、クアリラ、ルナといった仲間がいなければ、確実に勝利を収めることはできなかったといえる。

 性格的にはあまり好まないが、感謝の言葉をかけてもいいとすら考えている。

 だがその三人は全員魔力を使い果たしたのか、気絶して地面に倒れ伏している。

 ただし、もう戦いは終わったのだ。

 遠くの空を照らしていたディアボロの篝火はすでに消えていた。

 おそらく誰かが、闇の魔法の発動者を討ち滅ぼしたのだろう。


 そんなどこか達成感のようなものに包まれるセトの前には、一人の少女と一人の青年がいた。

 一目見ただけでは名前をすぐに思い出せない白髪の青年。

 しかしセトはその青年が手に持つ二本の“不治のポイズンアッシュ”を見て全てを悟っていた。

 至上の七振りと呼ばれる伝説の武器。

 それらの剣はこの世界の創造主が生み出したもので、まさに神の欠片ともされる。

 その至上の七振りをセトは人生をかけて集めてきた。

 理由はたった一つ、彼が継承者だから。


 両親のいない孤児であるセトは、物心ついた時にはデイムストロンガ大陸という人の住まない最果ての地にいた。

 その絶望の大地で、彼に生きる希望を与えたのは、自らをトムと名乗る男だった。

 彼には使命があるという。

 その使命を本当なら自分が果たしたいが、理由あってそれを自らで果たすことはできない。

 だから代わりに、セトへ使命を果たせと、願いを叶えて欲しいと、トムは頼んだのだ。


 セト・ボナパルト。

 その名前も元々トムから貰ったものだった。


 名付け親の願いを果たすために、セトは自らの人生を賭けることにした。

 トムの語る物語は、孤独に歪んだ彼の世界を救うにはうってつけのものだった。

 親に捨てられ、人の住まない地で育ったセトにとって、この世界は憎むべきものだったのだ。


 ただ、そんな憎むべきこの世界も、最近はそこまで悪くないような気がしている。


 そんな自分の心変わりの理由が、セトには思い浮かばなかったが、それは重要なことではなかった。

 トムの願いは、自分が叶える。

 セトのささやかな復讐は、きっと世界自体を傷つけることはしない。

 その矛先は、少しだけずれている。



「そうか、お前が、そうなんだな」

「ああ、セト。私の英雄。賞賛するわ。見事貴方は試練に打ち勝った」



 二本の不治を持ったまま白髪の青年は地面に落ちる。

 超然的な気配を保つ銀髪の少女は、片手を真っ赤に汚している。

 それは青年の心臓を握り潰したことの証明だった。


「やっと、辿り着いた。過程はどうだっていいが、これで俺はやっと約束を果たせる」

「約束? ああ、そうね。彼の至上の七振りを集める旅を継いだことの話かしら」


 セトはふらついた足取りで、息絶えた白髪の青年の下まで辿り着くと、地面に落ちている二本の不治のうち、重い方を手に取る。

 その重みから、窺い知れないほどの想いを感じ、セトは自分が物語の終幕に到達したことを自覚する。


「あの人の願いを、やっと叶えられる」


 それは長い旅だった。

 いったい今まで何人の旅を紡いで、自分の旅まで辿りついたのだろう。

 どんな理由があって、どんな思惑があって、どんな願いがあって、ここまで来たのか。その全て知ることはセトにはできない。

 しかし、それでも彼は使命を果たす。

 旅の終わりは、もうすぐそこだった。



「トム・ボナパルトからの伝言だ……もうこの世界は、あんたを必要としていない」



 セトは不治のポイズンアッシュを素早く振り抜き、女神の心臓に深く突き刺す。

 魔王との激闘の後のため、もうほとんど意識は飛びそうだ。

 それでも彼はまだその黒い瞳をあけておく。

 目の前の神が苛立ちに顔を歪める姿を見ておきたかったから。


「いったいなんのつもりかしら。これは私の欠片。私自身の力で、私に傷をつけることなんて……っ!? こ、これは……!」


 ズキリ、と女神ドネミネは決してあり得てはいけない痛みを感じる。

 不治の病が、身体を犯していくのが分かる。

 それは、ありえないことだった。

 不治の力は自分である神の力。

 それを自分自身が蝕むことはない。

 もしたとえこれが他の誰かが創造した力だったとしても、神である自分へ届くことはないはず。

 女神は困惑する。

 しかしその困惑はすぐに解けた。


「あの人は言っていた。至上の七振りを集める旅を続けれていれば、いつの日か、一種類しかないはずの剣が二本揃う日が来ると。もしその二本の剣が揃ったら、重い方の一振りで、女神に傷をつけろと。空虚な女神に、人の想いの強さを知らしめろ、とな。ふん、やっといい面構えになった……」


 表情を不機嫌なものへと変えた女神を見て満足したのか、そこでセトはついに意識を手放し倒れてしまう。

 女神が認めた至上の七振りを集める英雄には、常に監視者をつけてきた。

 しかしその監視に対しても全て従順に旅を続けているように見せかけ続け、ただ全てこの一瞬のために何千年も時をかけたという事実。


 ――そして、不治の傷を負った女神の前に、すでに退場したはずの青年が再び顔を上げる。


 心臓があるべき場所に大きな穴をあけた青年の髪は夜のように暗い黒に染まり、両の瞳は月明かりに似た黄金に輝いている。

 女神の胸に刺さっていた方の不治のポイズンアッシュが魔力の粒子に解けほぐれていき、その蛍光の光たちは青年の身体の中へ収まっていく。



「……なんて嘆かわしい脚本。仕方ないわね。一応、また貴方の名前を訊いておこうかしら。忘れるためには、一度覚えないといけないから」



 女神は名を尋ねる。

 

 もうその青年の名は忘れたことになっている。


 だからもう一度この問答が必要だったのだ。

 

 今度こそ、完全に、完膚無きまでに忘却するために。




の名前は“ムト・ジャンヌ・ダルク”。この名前を、我が宿主の名前を忘れることは、ムトが許しても、ジャンヌが許さない」





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