震える鍵
まさに顔面蒼白。
鼻の頭まで青白くしたゼルドは、自分の存在理由を思い直すほどに精神が衰弱していた。
目の前で繰り広げられる、彼の許容範囲外のことの連続。
さらにその被害が、いつ自分にも襲い掛かってくるかわからないという緊張感。
ゼルドは疲弊した頭で、ぼんやりと成り行きを眺め続ける。
「さて、それじゃあ、彼に鍵を取りに行って貰っている間に、これからのことを決めようか?」
屈託なく笑う白髪の少女――オルレアン。
無邪気なその笑顔はまるで穢れなき乙女のようだが、ゼルドは彼女の残忍な正体を知っている。
聞こえるのはごくりと生唾を飲み込む音。
隣りの同僚からはその音はしない。
ゼルドは周囲に目をやるが、どうにも喉が渇いているのは彼だけらしい。
「うむ。儂らの予定としては、鍵を手に入れ次第、本拠地である
「あ、そうだったの? ごめんね。意味もなく殺しちゃって。だったらお詫びに私が皆をその本拠地? に連れて行ってあげるよ。転移魔法は使えないけど、似たようなことはできるから」
「いや。構わん。しかしいいのか?」
「うん。いいよー。久しぶりに飛びたい気分だし」
手元の楽器の弦を音が鳴らないようにそっと触れつつ、オルレアンは唄うように言葉を紡ぐ。
血の匂い濃い場中、ゼルドはこのまま無事に終わりそうだと安心し始める。
「それで、どこにあるの? その本拠地っていうのは?」
「ホグワイツという国じゃ。かの国に
「ふーん。どこかわかんないけど、まあたぶん大丈夫かな。私に任せてよ」
「うむ。恩に着よう」
膝から下を金属のような何かで固め足にした老人が、丁寧に頭を下げる。
オルレアンはそれに対し特別な反応は見せず、空を薄く見上げるだけ。
その光景は、この空間において最も権威をもつ者が誰かをはっきりと示していた。
「あ、そうだ。忘れてた。ごめん。この中から一人お留守番係を決めさせてもらっていい?」
「ん? どういう意味じゃ、オルレアン? お留守番係、と言ったか?」
「うん。そう。お留守番係」
唐突に、最高の威を持つ少女が思いつきのような口調を見せる。
再び飲み込まれる大量の唾液。
敏感にも緊張を強くさせたのはゼルドで、彼は何かよからぬ気配を感じていたのだ。
「ヤベェ予感がするぜ」
「あの、すいませんゼルド先輩。さっきから喉鳴らし過ぎじゃないですか? 少しうるさいです」
透き通った笑顔を浮かべるオルレアンの一挙一動に集中するゼルド。
彼が眉間に皺を寄せる様子を、隣りのルナは不思議そうに見つめるが、さして興味はないのか視線はすぐに外される。
「実はね。ここで友人たちと待ち合わせしてるんだー。それでもうしばらくしたら友人たちがここに来ると思うんだよね。だけど私は君たちを連れて行くことに決めたから、彼らを待ってあげられない。だから、私の代わりに事のあらましを説明してあげる人をここに一人、残してもらいたいんだけど。いいかな?」
「友人たち?」
「うん」
ゼルドは話の流れが見え始めてきて、噴出する汗の量が増え始める。
友人。
一見何の不思議もない言葉だが、それを口にしている人物が普通ではない。
そしてやはり、彼の悪い予感は的中した。
「私の友人の“悪魔”たちだよ。彼らを一人ここで待ち、来たら色々説明してあげる係が欲しいんだ。誰ならここに残してもいい?」
瞬間、白髪の多い老人がゼルドたち三人の方を向く。
お留守番係は嫌だ。
お留守番係は嫌だ。
お留守番係は嫌だ。
ゼルドはその視線が向けられる一秒前から、呪詛の如く祈りを捧げていた。
「よろしい。ならばそこの三人の内一人を残していこう。構わんな?」
「……ああ。分かった。こちらで一人、選び残す」
直属の長であるカルシファの返答を聞きながら、ゼルドは祈りを加熱させる。
すでに可能性は二分の一に絞られた。
自分かルナか、残されるのはどちらか。
ゼルドの予想は当然正しい。
「お留守番係は嫌だ。お留守番係は嫌だ。お留守番係は嫌だ。ルナルナルナルナルナ……」
「ゼルド先輩、心の声漏れてますよ。あと私の名前を連呼するのやめてください。祟られそうです」
ルナの呆れた態度にも一切目をくれず、ゼルドは静かに、いや騒がしくも祈りを続けた。
一方カルシファは首をゴキュゴキュと鳴らして、鳥を模した仮面越しに二人の部下を見定め、そして裁定を下す。
「う~~~んとね、じゃあ残るのは――――」
――――
薄暗い部屋の隅に座り込み、肩を震わせる銀髪の少女を眺めながら、彼は感慨に耽っていた。
この少女は、あと少しで、死ぬ。
生贄になる、犠牲になる、殺される。
表現の仕方は様々だが、その命が奪われるということは間違いがない。
「どうして……どうして私ばっかりこんな目に合うの?」
それは自分への問い掛けか、あるいは自問自答の類か。
後者だと勝手に決めつけて、沈黙に徹してもよかったが、彼はあえて言葉を返すことにする。
同情でもなく、哀れみでもなく、好奇心ですらない。
その少女の命がどうなろうと、彼は微塵も興味を持っていない。
ただの、慣習。
聴くこと、観ること。
それが彼の存在理由だったゆえの、一種の条件反射のようなものだった。
「そんなにこの世界から消えるのが怖いかい? ドネミネ?」
ドネミネ。
それが銀髪の少女の名だ。
だがその名前に意味はない。
所詮、借り物の名前にしか過ぎない。
少女そのものというよりも、少女の役目を表す名でしかなかった。
「怖い。怖いよ。だって、私が私じゃなくなっちゃうんだよ……?」
自分が自分ではなくなる。
どうやらドネミネは、死をそう定義しているらしい。
彼の中に僅かな興味が芽生える。
彼は死を知らない。
ほとんどのことを知っている彼は、知らないことには興味が湧いた。
「でも君は預言者であり、鍵だよね? 預言の度に、理解のできない人格に身体を乗っ取られることは、君にとって死に値するんじゃないの?」
「そうよ。私にとって、預言は死と同じ。ずっと、何度も、私は死んできたの。でも、今度のはもう、二度と私に戻れないんでしょ? お爺ちゃんがそう言ってたもの。でも、それは名誉なことだって」
「名誉は嫌いかい?」
「嫌いよ。私はただ、普通に生きたかっただけなのに」
「普通か。凡人は才人を妬み、才人は凡人を羨む。難問だね」
普通に憧れる者は、常に普通とは異なった運命を歩んだ者だ。
悲劇と喜劇の違いを、彼はかつて研究したことがあったが、結局は視点の違いでしかないという結論に至った。
ドネミネという名、預言者と呼ばれる一族の正体、闇の三王を復活させるための鍵。
結末を知っている彼からすれば、すべてがくだらなく思えてしまう。
些細な問題だった。
彼からすれば、才人も凡人も、悲劇も喜劇も大差ない。
「……ねえ、シセ? あなたに怖いものはないの?」
彼――シセは、少女からの問い掛けに眉を顰め、しばし考えてみる。
やがて遠くから聞こえる、こちらへ迫ってくる足音。
どうやら、ドネミネの時間が終わりに近づいているらしい。
「そうだね、しいていうなら、“好奇心”、かな」
シセは、笑ってそう答える。
彼の世界には、死も、悲劇も、普通もない。
たった一人で、観賞を続けるだけ。
唯一彼を振り回すのは、時々芽生える小さな好奇心だけだった。
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