レイドルフ・リンカーン



 湿っぽい風は心地良いが、俺の気分は別によくない。

 あれほど穏やかだった心も、今や遥か彼方、どこかに消え去ってしまった。 


「《柵》、ふぅ、とりあえずこんなもんでいいだろう」

「うわー、こうやっと落ち着くと案外、いい景色ってのがわかりますね。あとご主人、新しく服を創ってもらったのは嬉しいんですけど、なんか前よりスカートの丈短くなってませんか? というかこれ、ちょっと動いたら中が見える気が――」

「気のせい気のせい! 前のやつより似合ってるよ! マイマイ! 超カワイイ!」

「そ、そうですか? ならいいんですけど……」


 若干顔を赤らめるマイマイの声を聞き流しながら、俺は深い溜め息をつく。

 唐突に現れたよくわからないモンスターを倒す際に、どうもジャンヌは俺たちがいた島ごと消してしまったらしい。

 しかしそれも後の祭り。

 消してしまったものは仕方がないということで、俺は即席の避難所を創造クリエイトして、その場を凌いでいるところだ。


「俺が高所恐怖症じゃなくてよかった。もう凄い高いもん。柵の傍に全然近寄りたくならないもんね」


 ここからでは見えないが、マイマイのように柵を乗り出して下を覗き込めば荒れ狂う大海原を一望できることだろう。

 島を丸ごと抹消させてしまい軽くパニック状態に陥った俺は、学校の屋上くらいの大きさの広場をとりあえず創った。

 もちろんそのままでは波にのまれて海底に沈んでしまうのだが、イケメンならではの気配りができるレウミカパパが、手伝いがてら魔法を使って空中に浮かばせてくれたのだった。

 現在進行形で彼は浮遊の魔法をかけ続けてくれているはずだが、疲れている様子も見受けられない。

 この人、実はそれなりに凄い人なのかもしれないな。



「どうやら、本当にアイツを倒しちまったみたいだな。あの薄気味悪い魔力がまるで感じられない」


 すると空中広場の中央でくつろいでいた俺に向けて、レウミカパパが露骨にこちらを窺う視線を送ってくる。

 相変わらず俺は、他人から信頼を得られにくい特殊能力をもっているようだ。

 レウミカも俺から少し離れたところで、遠くをぼうっとした表情で眺めている。


「信じられないが……終わったんだな。それに関しては感謝の言葉しかない。感謝する、ムト・ジャンヌダルク」

「いえいえ! 俺は大したことはしてませんよ。困っている人がいたら助けるのは、当然のことじゃないですか」

「大したことはしてない、か。まあ、それは追々聞くとして、お前は一体これまでどこで何をしてたんだ? 正直言って、俺はお前ほど規格外なやつを知らない。それほどの力があるにも関わらず、なぜこれまで俺はお前のことを知らなかったのか、不思議でしかならないんだよ」

「い、いや~、実は俺、記憶喪失で、ここ最近の記憶しかないんですよ」

「……ふん、まあ話したくないならば、別に無理には訊かない。今のところ、敵ではなさそうだし、お前の機嫌を損ねて得することは何一つなさそうだからな」


 さりげなく好感度を稼ぎにいったのだが、あまり効果はなさそうだ。

 そして俺の嘘設定も、いつも通りに軽くスルー。

 色々な人に試してきたが、やはり記憶喪失なんて誰も信じてくれないのだろうか。

 それとも俺から溢れる胡散臭さのせいで信じてもらえないのだろうか。

 まあ実際嘘なので、彼らの反応が正解なんだけどね。


「だが、こっちの質問には答えてもらうぞ。あそこにいる少女、マイマイ? とかいった奴が指に付けている指輪は一体どうやって手に入れた? あれを手に入れたのは、どうせお前だろう? 魔力の波長を辿って俺のところまで来たとも言っていたしな。……答えによっては、わかっているだろう?」

「え? え、え? ゆ、指輪ですか?」


 レウミカパパの蒼い瞳に尋常ではない鋭さが宿る。

 なんだなんだ急に。

 俺はいきなり和やかムードが雲散したことに、困惑を隠せない。

 マイマイがしている指輪だって? 

 いや知らないよ。気づいたら持ってただけなんだけど。

 だけど、どう考えても、そんな答えで許される雰囲気ではないよな。



「待って。ムトについて訊く前に、貴方から説明するべきことがあるんじゃないかしら」



 しかしその時、俺の絶体絶命のピンチに可憐な女神が救いの手を差し伸べる。

 数分前、柔らかい部分を色々と堪能させて頂いた記憶はすぐに思い出せる。

 おっといけないいけない。

 鎮まらんか我が聖剣エクスカリバーよ。二回戦にはまだ早い。


「あの怪物の狙いは貴方だったのでしょう? あんな怪物に追われていた理由、貴方の代わりにアレを倒してくれた人くらいには、説明するのが当然だと私は思うのだけれど」

「……うっ、レウミカ。そ、それもそうかもしれないな。まず初めに俺と、あの怪物、クロウリー・ハイゼンベルグについて話すのが筋ってもんか」


 年頃の娘に睨まれてタジタジになる父親の図。

 俺はその模様を若干ニヤリとほくそ笑みながら、微妙に距離を取りつつ見守る。

 それにしてもクロウリーか。

 どこかで聞いたことがある名前だ。

 はて。なんのときだっただろう。



「わかった。なら少しだけ俺の話を聞いてくれ。先に言っておくが、今から話すことは、お前に対しての言い訳なんかじゃない、レウミカ。それをわかった上で聞いてくれ。……俺がアイツに追われるようになった理由、それは今から十六年前に―――」 



 改まって喋り出してくれているが、正直興味はない。

 なのでいきなり始まったオッサンの自分語りをBGM代わりにして、俺はあの指輪についての適当な言い訳を考え始めることにした。




――――




「皆さん! こちらをご覧下さい! 今回、我がWMSワールド・マジック・スタンダードはまた一つ新たな魔法器具マジックツールを発明することに成功しました! その名も魔法運搬機器マジックビークル! まさに革命です! この魔法器具の登場によって世界には革命が起きることでしょう!」


 黒い髪に蒼い瞳という珍しい容貌をした男が、壇上で饒舌に言葉を並べている。

 男の名はシャルル・マッツァーリ。

 世界で唯一魔法器具をつくることができる会社を立ち上げた若き俊英だ。

 そんな彼を下から眺める民衆たちは、彼の一挙一動に感嘆と歓声を上げている。


「ずいぶんと平和な時代になったもんだな」


 人が多い。

 俺は勢いよく喋り続けるシャルルから目を離し、人込みから逃げるようにこの場を去る。

 どこか静かな場所に行きたい気分だった。




「もう世界大戦が終わってからとっくに十年は経ってんだもんな。こんなもんか」


 公園らしきひらけたところに辿り着く。

 今日はシャルルの会社の発表会のため街中の人が集まっているのか、ここら辺には誰もいない。

 WMSと国際魔術連盟は提携関係にあるため一応出席したが、やはりああいう場は苦手だ。



「レーくんっ!」

「んあっ!?」



 だがその時、憩いの時間を過ごしていた俺の背中に誰かが体当たりをしてくる。

 大した痛みはなかったのだが、驚きのあまりつい変な声が出てしまった。

 わざわざ確認しなくてもわかる。こんな子供じみたことをする奴は俺の周りではただ一人。


「シーカ……お前は普通に声をかけることができないのか?」

「えへへっ! だってレーくんの背中っておっきくて、突撃しがいがあるんだもん!」

「はぁ、まったく意味が分からない」


 俺と同じ銀色の髪に、俺とは違う翡翠の瞳。

 挨拶代わりに頭突きをしてくるこの女の名前は、シーカ・リンカーン。

 まあ、一応俺の嫁だ。


「それでなんでレーくんはこんなところで油売ってるの? もしかして、サボり?」

「サボりも何も、また戦争でも起きたのか? 世界は平和になった。俺たちに仕事なんてもうない」

「また~、レーくんはすぐそう言う! たしかに世界は平和になったけど、まだまだ私たちにやるべきことは沢山あるでしょう? レーくん、目立つ仕事以外はやりたがらないんだからっ!」


 シーカに強くそう叱咤されるが、俺はいつも通り言い返せない。

 俺とシーカは昔からの幼馴染だ。しかし昔から俺は彼女に口では敵わなかった。

 同じく国際魔術連盟に所属していて、地位的には俺が上になった後もどうもそれは変わらないらしい。


「でも、本当に平和になったよね。世界大戦の頃は本当に毎日が怖かった。いつレーくんがいなくなってもおかしくなかったし」

「そうだったのか? そこまで心配する必要なんてなかっただろう。クレスティーナだって一緒だったし、何より俺たちには賢者の宝玉がある」

「それはそうだけどさ! でも、やっぱり、私はいつでもレーくんと一緒にいられる今の時代が大好きだよ。もうあんな世界は二度と見たくないし、私たちの子供にも見せたくないかな」

「私たちの子供って……俺たちに子供はいないだろう?」

「今はいなくても!」


 なぜかシーカは唇を尖らせるが、彼女が怒っている理由は皆目見当がつかない。

 だがそれもいつものことだ。

 彼女は俺にとって太陽みたいなもので、その熱がどれほどかわからなくとも、その輝きが見られればそれでいい。

 

「でもきっと可愛い子が生まれるよね? だって私たちの子供だもん」

「そうだな。きっと強い子が生まれるさ。お前に似てな」

「むむっ? ちょっとそれどういう意味?」


 今度は頬を膨らませるシーカを眺めていると、自然と笑みが零れてしまう。

 表情の豊かなやつだ。

 俺とは違って、昔から皆の人気者だったシーカ。なぜ彼女は俺なんかを選んだのだろう。


「なあ、シーカ。一つ訊いていいか?」

「うん? なに?」

「お前、本当に俺なんかでよかったのか?」

「え?」


 シーカは最初俺の問い掛けの意味が分からなかったようで、キョトンとした表情をみせる。

 しかしすぐに理解が及んだのか、心底おかしそうに笑い出した。

 

「ふふっ、ふふふっ! レーくんは本当におバカさんですねぇ!?」

「な、なんだよ。なんで笑う?」


 あまりにもシーカが笑うので、俺は少し不機嫌になる。

 するとたっぷり時間をかけて笑いを収めたシーカは、珍しく真剣な顔で静かに話し始めた。


「……レーくんはね、ずっと昔から私の憧れだったよ。強くて、カッコよくて、いつだって私のことを助けてくれた。レーくんは気づいてなかったかもしれないけど、私が魔法の練習をしたのだって、少しでも近づきたかったから、追いつきたかったから、貴方の隣りにいたかったからなんだよ? レーくんはずっと私の憧れの人。もちろん、今もね」


 クスリ、そんな風にシーカは微笑む。

 全然気づかなかった。

 ずっと近くにいたのに、彼女が俺をどう思っていたのかを。

 不思議なもんだな。

 俺がシーカの曇りのない輝きに憧れていたのと同じように、彼女もまた俺に光を見ていたなんて。

 とんだ過大評価だ。俺はそんなに大した男じゃない。


「でも結局レーくんには追いつけなかったな~。それに比べてクレスティーナさんはいいなぁ。レーくんと同じ八賢人だもんね」

「なんでそこでクレスティーナの名が出てくるんだよ?」

「だって協会に入る前は、レーくん、クレスティーナさんと一緒に冒険者やってたんでしょ? “ブリザードコンビ”なんて呼ばれちゃってさ。私を置いてけぼりにして」

「またずいぶん昔のことを掘り返して……本当どうでもいいところで拗ねるなお前は。別にいいだろ。お前には魔法とはまた別の才能、魅力があるんだから。だいたい、公認魔術師オフィシャル・ウィザードになれただけ凄いさ」

「ぶぅ~! “雪銀の一番目”にそんなこと言われても嫌味にしか聞こえませ~ん!」

「や、やめろ。その呼び方はやめてくれ。恥ずかしい」


 口を抑えてシーカはまた笑う。

 だが俺もそんな彼女を見てつられて笑った。

 世界は平和だ。

 これから先もしばらくはこんな時代が続くのだろう。


 少なくとも、俺はこの時、そう思っていた―――、









「―――ヴォォォッッッッ!!!!!」


 燃え盛る蒼い炎。

 民家や建物も元の景観を失い、街並みは見渡す限り荒廃している。

 いたるところで倒れる国の兵士。

 顔見知りの公認魔術師たちは、そのほとんどが地面に伏せたまま動かない。

 唸り声を上げる不死の怪物を前に、俺たちの平和は見るも無残に崩れ去っていた。



「なんで……! なんでだ…っ……!」



 俺以外の八賢人、この国の王であるガイザス・シーザー・カエサル、応援に駆けつけた暴帝オシリウレス・アリストテレス八世。

 彼らはまだ闘い続けている。

 だが、俺にはもう闘う理由が見つけられなかった。


「おいっ! レイドルフっ! お前の気持ちは分かるが、今は落ち込んでる場合じゃねぇだろっ!? あたしたちがここで負ければ、世界が終わるんだぞ!?!?」


 クレスティーナが叫ぶように俺を責めるのが聞こえる。

 だが、俺の身体はもう動きそうにない。

 世界が終わる?

 終わってしまえばいい。こんな世界。

 俺の代償は“自負”。

 己を誇り、自らに価値があることを強く自覚する心を代償に得た力で、俺は結局最も大切なものを守れなかった。



「お前を失ったら俺は、これから何を守るために闘えばいい? ……答えてくれよ、シーカ」



 俺の腕の中で安らかに瞼を閉じる最愛の人は、何も答えてはくれない。

 彼女の輝きはもう、俺を照らしてはくれない。

 俺は弱い、不様な負け犬だった。



「レイドルフっ! お前には娘ができたんだろうっ!? あたしたちが負けたら、その子はどうなる! その子の生きる場所がなくなるんだぞっ!!!」



 しかし、その時、クレスティーナの言葉が俺を貫く。

 そうだ。

 そうだっだじゃないか。

 俺にはもう一つ、まだ一つ闘わないとけない理由があった。


「……レウミカ。あの子の生きる世界を、こんなところで終わらせるわけにはいかないっ……!」


 俺は愛しの彼女から手を離し、静かに立ち上がる。

 考えろ。

 あの化け物、不死の怪物と化したクロウリー・ハイゼンベルグを止める術を。


「たしか、天災アクト・オブ・ゴッドが出現するのはこれで二度目だ。一度は封印されたはず、ならば俺がそれをもう一度繰り返せばいい」


 記憶を掘り漁る。

 一度目の封印、ネルトは原石魔法を使い、魔法能力のほとんどを失った。

 もうネルトに二度目の封印はできない。

 なら代わりに俺がやればいい。

 恨むぜクロウリー、お前と、この不甲斐無い俺自身を。


「集中しろ……イメージは鎖……絡みつき、決してほどけることのない縛枷……」


 ありったけの魔力を込めながら俺は奴に向かって進んでいく。

 時折り煌めく蒼火を斬り払いながら、ゆっくりと奴との距離を狭めていく。

 

 ――そして、俺は、全ての魔力を解き放った。


「《封印》!」


 俺の掌から白い鎖が伸び、不死者と化したクロウリーの身体に巻き付いていく。

 

「ヴゥゥォォォッッッッ!!!!!!」

「くっ……!」


 だが、足りない。

 今にも引き千切られそうな鎖の振動が俺の方にまで伝わってくる。

 このままでは駄目だ。奴を捉えることはできていない。

 なら、塗り替えてやる。

 封印ができないのなら、奴の破壊衝動を塗り替えればいい。


「《破壊衝動を変換》!」

「ヴォォォッッッッ!」


 粉塵する波動。

 荒れ狂う魔力はいまだ怒涛の勢い。

 駄目だ。

 これでも足りない。他の脆い部分を探せ。

 俺でも塗り替えられるところを。



「……《破壊対象を変換》」



 その瞬間、鎖がクロウリーの中に溶け込み消える。

 風が止み、怪物の叫声も途切れ去った。



「…レイィ…ドォルフゥ……?」



 聞こえるのは、軋むような声ともいえない何か。

 嬉しいことに、失った魔法能力も少ない。


 大丈夫。

 これなら、あの子の生きる世界を守ることができそうだ。



 残念なのは、彼女の葬式も、あの子の誕生日にも行けなさそうなことだけだな。



 

 

 

 

 


「……頼んだぞ。ジュリアス。レウミカのことは任せた」

「ああ、任せておけ。私の名にかけてこの子の面倒はみよう。この子が立派に育ち、独り立ちできるようになるまではな」


 紅い髪の顔なじみが優しく微笑む。

 交わすべき言葉は沢山あるが、そう長くはここにいられない。

 今も奴が俺を探し回っているはずだから。


「おい、お前、この剣をやる。これでレウミカを守ってやってくれ」

「あ? な、なんで俺がそんなことやらなくちゃいけねぇんだよ?」

「うるせぇ。黙って受け取れ。……頼んだぞ。ロビーノ」


 “未刻みこくのメメントモリ”。

 俺が持つ至上の七振りの一つを、小生意気な餓鬼に渡す。

 この餓鬼はまだまだ青っちいが、一応この村で一番腕が立つ。

 予め魔法を刻み付けておくことで、いつでも無条件で魔法が使えるようになるメメントモリを渡しておけば、滅多なことがない限り安心だろう。 


「それじゃあな、俺はもう行く」

「レイドルフ――」


 俺は転移魔法を使って遠くに飛ぶ。

 遠く遠く。誰もいないところに。

 レウミカ。

 俺の頭文字とシーカの名をもじって付けた名前だが、どうにも直接その名を呼ぶ機会はなさそうだ。


 きっと俺は悪い父親なんだろう。



 なあ、シーカ。お前はどう思う?




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