飢えた銀狼⑫
「何だ……? ――ちっ! 余計なこと気にしてる場合じゃねぇかっ!」
「ヴゥゥォォォッッッッ!!!」
一瞬背後から何か感じたことのない異質な気配を感じたが、わざわざ振り返り確認する暇はない。
目の前には正真正銘の人外。
この十六年間、自分を追い続けてきた不死の怪物。
クロウリー・ハイゼンベルグ。
今や人間だった頃の面影をまるで残していない
「
「ヴラァッ!」
辛うじて火力は同等。
だが相手は不死の肉体を持ち、無限かと錯覚するほど膨大な魔力を宿す怪物だ。
このまま闘い続けたところで、こちらが根負けするのは確実。
それに向こうは攻撃を避ける必要がないのに対し、光属性の魔法が使えないレイドルフは一度でも回避、防御に失敗したらそこで終わり。
(まったく本当にふざけてるな)
「……だが、時間は稼がしてもらうぞ!」
「ヴォォォッッッッ!!!」
もし自分がここで死んだら、この先こいつが一体何をやらかすのか、レイドルフは考えただけで恐ろしい。
だから負けるわけにはいかない。自分が倒れれば、レウミカの生きる世界が終わってしまう。
勝つことはできなくても、負けないことはできる。
自分一人の犠牲で世界を救える。
(それが俺の使命――)
「邪魔だ」
「あ?」
しかしその時、一陣の風が吹く。
次いでレイドルフの覚悟を嘲笑うかのように、空から優雅に舞い降りてくる一人の青年。
「お前は……?」
「《シレークス》」
パチン、そんな音と共に、突如レイドルフの視界が真っ白に染まる。
光の一瞬後に、凄まじい衝撃波に全身が打ちつけられ、不覚にもレイドルフは前後感覚を失った。
「こ、これは……!」
その後、数秒の間喪失していた感覚を取り戻すと、世界は一変していた。
視界を制限していたはずの木々はその大半が灰屑と化していて、真っ青な空からの太陽光を遮るものはもう何もない。
邪悪な怪物の姿も消失していて、焦土の上に立つのはたった一人。
ムト・ジャンヌダルク。
そう名乗った黒髪の青年のみが、この場でただ一人何が起きたのかを知っている。
「お前がやったのか……?」
「やはりこれでは駄目か。世界の魔力を肉体に変換。仕組みは同一」
質問には答えず、ムトは静かに一点を見つめている。
レイドルフが反応できないほどのスピード。
辺り一面を刹那の間に、消し炭に変える圧倒的な魔法行使力。
(信じられないが、こいつは間違いなく俺より強い)
「ヴゥゥォォォ……」
腹の底にまで響くような低い唸り声。
(認めよう。転移魔法の件といい、たしかにムトは傑出した魔法使いなのだろう。だが、無理だ)
どれほど強くても所詮は人間の領域。
世界の理を外れた怪物には敵わない。
「おい、ムトとか言ったな。お前の実力は十分にわかった。だが諦めろ。あいつは
塵一つ残されないかと思われたクロウリーだが、この短い間に肉体のほとんどを再生させている。
不死の怪物。
その名前は伊達じゃない。
もし火力が高いだけでこいつを殺せているのならば、レイドルフはこんなに苦労はしていない。
「ほらな。わかっただろ? アレは不死身なんだ。何をしたって奴を殺すことは不可能なんだよ」
「…………」
「おい! 聞いてんのか! だから早く逃げろっつってんだ!」
しかしムトは動かない。
不気味なほどの静けさを纏ったまま、真っ直ぐと前を見つめている。
「最強である私に不可能はない。彼は消し炭にしろと言った。彼が望むならば、叶えて見せよう。魔力を源に再生するならば、ここ一帯の魔力ごと灼き尽くしてしまえばいい」
凛とした言葉が放たれた瞬間、俺の呼吸が止まる。
理由は目前の青年。
ここ一帯全てを支配してしまえるのではないかと錯覚するほど莫大な魔力。
そのただでさえ濃密過ぎる魔力が、ある一点に凝縮されていく。
なんだこれは。
なんだこいつは。
そして一瞬、ほんの一瞬だけ、レイドルフは世界の終焉を見た。
「《
――――――
あの日。リエルを永遠に失った日、私は一つの覚悟、そして一つの目標をもった。
覚悟はあらゆるものを捨て、強さを求める覚悟。
目標は強さの指標。私が目指すべき理想の強者。
私の目標、それは汗一つかかずにあの悪魔のような怪物を消し炭に変えた黒髪の青年。
その黒髪の青年の名は、ムト・ジャンヌダルクといった。
「ば、馬鹿な、俺は夢でも見てるってのか……?」
蒼天の下、黄金色に輝く太陽の光を浴びながら、レイドルフが唖然とした面持ちで立ちすくんでいる。
彼から少し離れた場所で両膝をつく私も、遠近感の狂う景色に言葉は見つけられない。
「ああ、遠いわね。やっぱり」
デーズリー村を出て、クレスティーナと共に修行をしているとき、私はいつも思い返していた。
もし、あの日、私が判断を間違えなければ。
もし、あの日、私にもっと力があれば。
もし、あの日、彼女の下に駆けつけたのが、私ではなくムトだったら。
後悔の念はいまだ燃え上がったままで、憧れの先にある人物はいつも一人。
「……ん? あれ、ここはどこですか? 私はたしか、超見た目グロテスクな化け物にぶん殴られて……ってはっ!? ちょっ! え? 危なっ!? なんで私の周囲が丸々崖になってるんですか!?」
私とレイドルフがいる場所から少し遠目のところで、ムトの付き添いの少女が大きな声で騒いでいる。
怪物に殴られたさいに気を失ってしまったようだが、幸い意識を取り戻したようだ。
服こそ欠損が目立つが、意外にも身体本体に目立った外傷は見当たらない。結構頑丈なタチみたいね。
彼女にも私は命を救われた。あとで感謝の言葉を伝えないと。
「それにしても本当、自分が馬鹿に思えてくるわね」
強さを求めて過ごす日々。
一日一日が過ぎるたびに、私は考えてきた。
私は今日、ムトに近づくことができただろうか。
私は今日、少しでも強くなれただろうか。
誰かを守れるほど強くなれただろうか、と。
――やがて遠くから聞こえる轟音。
きっと波の唸り声だろう。
突如出現した空白を埋めるための。
「いや、本当に意味わからないですよ。なんで目が覚めたら島一つ消えてるんですか? どうせこれ、ご主人のせいですよね?」
凄まじい水飛沫をあげながら大量の海水が、視線の先で滝のように流れ落ちていく。
堕ちる先は底の見えない奈落。
その奈落は私たちのすぐ傍まで広がっている。
いえ、広がっているというよりも、私やレイドルフ、蒼い髪の少女、そしてムトの足下を除いた全てが消え去っていると言った方が正確かしら。
三百六十度。見渡す限り見えるのは、底を視認できないほど削り取られた大地を埋める、真っ青な波だけ。
「あれ。なんか凄いことになってる。あれ。これもしかしてやっちゃった? 所有権的なあれ大丈夫これ? 地主さん的なあれ大丈夫だよね、これ?」
砂浜も、雑木林も、小高い山も、もう何一つ残ってはいない。
寸前まで海の一部だった島は、半径数キロメートルほどの海水ごと、すでにその姿を消してしまっていた。
微かな足場を頼りに私はゆっくりと立ち上がり、なぜか今更焦った様子を見せる青年を見つめる。
「お前、一体何者なんだ?」
「え? 俺が何者かですか?」
あれほど強くなりたいと願ったのに、私はいつまでも守られる側のまま。
ムトと偶然にも再会を果たしたが、それも私と彼との間には大きな隔たりが横たわり続けていることを思い知らされただけ。
追い求めた目標は、私の覚悟を嘲笑うかのように遥か遥か先。
そして私は気づいてしまった。
私の中にあった憧憬はいつの間にか、決して覆せない才能の差を恨む嫉妬に変わっていたことに。
「えーと、たしか魔術師を目指して旅してる、ちょっぴり世間知らずの独身貴族、だったかな?」
魔術師になるの。それがあの子の夢だったから。
デーズリー村を出るとき、そんな台詞をロビーノに言ったことを思い出す。
「ふふっ、嫉妬だなんて、恥ずかしいわね」
自然に零れた笑み。
たしかな振動を伝える円柱状の崖の上で、私は自分の愚かさに笑ったのだ。
鳥が竜になりたいと願ったとしたら、誰でも笑うだろう。
だけど、愚かだとわかっていても、私は願うことをやめられない。
「ちょっとっ!? ご主人! なんかこのただでさえ頼りない足場が微妙に揺れてるんですけどっ!? これ大丈夫なんですか!? 絶対大丈夫じゃないですよねっ!? 早くなんとかしてください!」
「わ、わかってる! このままここに立っていてもヤバいってのはなんとなくわかってるっ! でもちょっと待ってっ!? 俺どうすればいいの!? 気づいたら断崖絶壁! 俺今余裕で混乱状態だからっ!」
「それはこっちの台詞ですよぉっ! 責任とって下さい! 責任っ!」
「ん? 責任をとる? あ、その言葉の響き良いね。ちょっともう一回言ってくれる?」
眩しい。
太陽の光が目をくらませる。
遠い。
私が目指す場所は、雲の遥か向こう側。
それでも翼のない私は、願い続ける。
「おい、ムトとかいったな。お前、まさか、そんな適当な説明で俺が納得すると思ってんのか? 魔術師を目指して旅をしてるだと? 馬鹿にしてんのか?」
「ヒィィッ!? ご、ごめんなさい! 悪気はないんですよ! お父さん!」
「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはねぇっ!」
「ピャーーー!? ごごごごめなさいぃっっ!!!」
徐々に強さを増す揺れの中、私は空を仰ぐ。
だが、その時、ふいに何かが崩れる感覚が私を襲った。
「え?」
「レウミカっ!?」
「ちょっとご主人っ!?」
足の裏から硬い感触が消える。
奇妙な浮遊感の中、二つの悲鳴が聞こえる。
片方は焦燥混じりに私の名を呼ぶ声。
もう片方は驚愕と困惑の声。
「うっひょ、柔らけぇ……ってそうじゃないそうじゃない! 《足場》!」
頬を撫でる柔らかい風。
すぐ近くで聞こえるのは、三つ目の囁き声。
同時に誰かが、支えを失った私の身体をそっと優しく抱き締めたのがわかった。
「あ、ごめんっ! 勝手に身体触っちゃってっ!?」
「……なんで謝るのよ」
包み込むように私を抱きかかえながら、空中に突如出現した足場に、その人はゆっくりと着地する。
私の方からその背中を追っても、触れることはできないのに。
私の方から手を伸ばしても、決して届くことはないのに。
「……ありがとう、ムト。これで何度目かしらね、君に救われるのは」
なぜ君はいつも私に手を差し伸べてくれるの?
「えぇ!? べ、べつにいいってっ! 俺は何度だって、何回だって君を救ってみせるよっ! むしろ救わせてくださいっ! ご褒美なんでっ!」
相変わらず君が浮かべる微笑みは、少し変わっている。
だけどその笑顔は、私の旗印だ。
そんな彼の笑顔に見つめられるのがなぜか恥ずかしかった私は、照れ隠しに額をその薄い胸板に預ける。
伝わる脈動は、不思議と熱く、激しい。
そうだったのね。
この憧憬は、嫉妬は、君の強さだけに向けられたものじゃなかった。
ムト・ジャンヌダルク。
風変りな黒髪の魔法使い。
やっぱり私は、君のことが大嫌いよ。
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