神の住まう城
ルナは認めつつあった。危険な自らの変化を。
顔を覆う仮面にはまるで阻碍感がなく、不思議と視界も良好だ。
直路と直路で整頓されているアルテミスの街は淡泊な色合いで、人々は道の際に身を寄せ当惑を見せている。
「待てぇぇっっっ! 誰でもいいっ! その二人を捕えろぉぉっ!」
「増援を要求っ! 増援を要求っ!!! 正体不明の仮面をした二人組が通行門を強引に突破!! 依然逃走を続けていて、現在は魔法魔術学園方面に向かっている模様!!!」
ルナたちを追うアルテミスの兵士たちとの距離は広がるばかりで、先頭を行くムトの速度はむしろ上がっていく。
ムトの話では王城に忍び込むはずだが、どうにも彼の言う忍びは彼女の知っている意味ではないらしい。
しかし彼女ははっきりと自覚している。
自分は今、たしかに笑っているのだと。
「……楽しみですね」
楽しみ、そんな言葉を使ったのはいつぶりだろうか。
ふと遠目に街の異変を嗅ぎつけた他の兵士たちの姿が映るが、やはりムトは加速を止めず一直線に怪物の住む城へ向かっていくだけだ。
心がドクンと脈打つのを感じる。
ああ、間違いなく自分は今、興奮しているのだ。
(今日、この世界で最強の一角である神帝アイザック・アルブレヒト・アルトドルファーは、おそらく死ぬ)
なぜなら、それこそがルナと、規格外の魔法使いムト・ジャンヌダルクがここにいる理由に他ならないのだから。
「いたぞぉぉっ! 捕えろぉぉっ!」
愚かな蟻の群れが肉壁を作って、ルナたちを待ち構えている。
ルナは知能が低い者は嫌いだった。しかし同情はする。
自分にすら計り切れていないのだから、彼らにそれを求めるのは酷というもの。
瞬時、煌めく炎。
それは詠唱する価値すらないと判断された、彼にとっては魔法とも呼べない魔法。
その他愛もない魔法は、無知なる羽虫の群れをを木端微塵に焼き尽くす。
結局その脆い壁はルナたちが足を緩める理由にはならず、その残骸はすぐに遥か後方に消えていった。
神々の住処のように壮大な城は、もうすぐそこまで近づいている。
もし本当にそこに神がいるのなら、ルナのすぐ目の前には神殺しがいるということになるのだろうか。
「……楽しみ」
期待、懐かしい感情をルナはまたも吐き出す。
言い馴れていない言の葉は、白い息となり空に消える。
白路を駆け抜けながら、彼女は思い出していた。
一週間ほど前にこの目で実際に見た、“神帝”そんな呼称を持つ一人の男を。
あれはまさに生きる絶望だった。
何もせずともそこにいるだけで他者を威圧させる絶対的強者の風格。
信じられないほどの密度を内包した紫の雷光。
決して刃向かってはいけない、ルナは本能でそれを感じ取った。
ただし、もっとも近くでその絶望と対峙した青年は――、
「……っと、着いたのか? うわ、近くで見ると本当に凄いところだなここ。まさにウィンゲデアムレビオサーって感じだ」
――もう一度会うことを求めた。
それも今度こそ、正真正銘その敵として。
勝利を確信したからこその、再会。
第二王女という最高のカードさえ、彼には不必要。
平和などという陳腐な言葉で言い表される時代の終わりは、もうすぐそこまで来ていた。
「何者だお前たちはっ!!!」
アルテミス国立魔法魔術学園の入り口に辿り着き、やっとその足を止めたルナたちに、これまでの兵士とはまた違った服装の男が声を投げかけてくる。
「《アイアンロープ》」
「うぐっ……!?」
しかしその男の意識は、一瞬で首を絞められることで奪い取られる。
力なく身体を地面に倒し、それからはもうピクリとも動かない。
「今のルナちゃんがやったの?」
「はい。何か問題がありましたか?」
「い、いや、そういうわけじゃないけど……」
気づけばムトの緊張が解かれていた。
ルナたちにとってこの街で最も危険な場所に到着した途端に、その緊張をほどくとは、流石としか言いようがない。
ルナは隣りの青年とは違い、昂ぶる気持ちを抑えるので精一杯だというのに。
ウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!
「うわっ!? なんだ!?!?」
「どうやら私たちの侵入がここにも伝わったみたいですね」
「あ、ああ、なるほど……それじゃあ急がないとな」
アポロンの街で
神帝を目前にしてもなお、自らの力を疑わない瞳が記憶に浮かぶ。
(国際魔術連盟、私たち
ルナは認めつつあった。
危険過ぎる青年に、自らが魅了され始めていることを。
「というかこれ、よく考えたらルナちゃんも連れてきた意味ないんじゃね? ……よし、ルナちゃんはここら辺で適当に待ってて。すぐに終わらせてくるから」
すぐに終わらせる。
そんな台詞を残して、ムトはルナより一歩先に出る。
サイレンはいまだ鳴り止まず、まだ人の集まっていないこの場も近いうちにクレスマの兵士で埋まるだろう。
「《魔力纏繞》……レミパパのところに超特急だ」
ルナにはまだ理解できていない。
彼の思想、目的、力、その何もかもを。
だけど見てみたかった。彼の行先を。ムトがどこに辿り着くのかを。
「叶えよう」
ムトの雰囲気がまたも変わる。
視線は鋭く、人ならざる者の気配を全身から漂わせている。
次の瞬間には猛然とした勢いで走りだし、あっという間に学園の中に消えていく。
おそらくそのまま王城に突入していくのだろう。
一人残されたルナは、遠くの足音がここに集まってくるのをゆっくりと待ち構える。
(連れてきた意味がない、適当に待ってて、か。私は揺動にも使えないと判断されているらしい。もしそうなら、私の価値を証明しないと)
「襲撃者を発見! 全員武器を構えろっ! 生かしたまま捕えるのが理想だが、最悪殺してしまっても構わないっ!」
街の外から、学園の中から、ルナの前後左右からクレスマの兵士が殺到してきている。
(私は闇に生きる存在。これまで必死にその身を隠し、影で罪を重ねてきた。だけど、今、求められているのはそんなことじゃない。今私がすべきことは、ここになるべく人を集め、ムトの戦いに余計な邪魔が入らないようにすること)
「《ファイア》!!!」
「《アックア》!!!」
兵士の中にある程度魔法を扱える者が紛れていたのか、火球と水球がルナを挟み込むように打ち出される。
力の自重をしなくていいのは、いつぶりだろうか。
「《アイアンシルド》」
鋼鉄の柵がルナを囲み、襲い掛かる魔撃を完全に無力化する。
そう、彼女は
もうほとんど忘れかけていた劣情が、湧き上がってくるのがわかった。
「《アイアンヘル》」
大地から突き出る尖鉄の刃が、数十の命を転瞬薙ぐ。
真紅の血飛沫が地面と鉄を濡らし、勢い盛んだった兵士たちの動きを完全に止めた。
「《アイアンヘル》」
もう一度同じ魔法を唱え、現出した地獄を拡大させていく。
ルナの殺意から逃れられる者は誰もいない。
刃に触れた者は例外なく、その命を命を散らしていった。
「嘘、だろ? あの仮面の下には悪魔の顔でも隠されているのか?」
生臭い芳香がルナの乾いた鼻腔を潤していく。
ひりつくような沈黙は随分心地よく、自らが罪人だということを久しぶりに自覚していた。
「お前たち、下がれ。こいつは私がやる」
静寂を破り、戦意を失いつつあった兵士の群れから一歩踏み出す男が一人。
服装は他の蟻より幾分か上等だ。
立ち振る舞いにも自信が見て取れ、ルナは彼にとって邪魔になりそうな者を一人排除できたことに喜びを感じた。
「私の名はファブレガス・ギベルティ。この国では私を筆頭魔術師と呼ぶ者もいる。さて、答えてはくれぬと思うが、一応尋ねておこう……貴様は何者だ?」
ルナを囲むことくらいしかできない力なき兵士たちの顔に期待の光が灯る。
筆頭魔術師。
その肩書きは知っていた。
相手は強い。しかし勝てない相手ではない。
仮面の下のルナの顔は今、笑っていることだろう。
「何者、ですか。そうですね……ただの観察者、とでも言っておきましょうか」
ルナには行先を見届けたい人がいる。
その資格がないというならば、証明してみせるだけ。
彼女はここで、彼を待つことは許されたのだから。
―――――
改めて思う。制服ってやっぱり素晴らしいよね。誰が考えたのだろう。感謝の手紙を送りたいくらいだ。
いま俺がいる場所は学園という名を冠するだけあって、視界の奥の方には若々しく瑞々しいお女子方の姿が映っている。
俺自体の動く速度が尋常ではなく速いため、そのプレミアムな景色は文字通り瞬く間に過ぎ去って行ってしまうが。
「待てぇぇっっっ!! 止まれ―――」
俺の進行方向を遮るように殺到するよくわからない集団も、言葉を満足に言い終わる前にその意識を奪われしまう。
可哀想に。頭に電撃が直撃だ。
【あんまり派手に暴れないでね】
「承知した」
俺の心の声に反応するのはジャンヌ。
床を思い切り踏み込むと俺の身体は宙を駆け上がり、学園全体がよく見渡せる場所にすっと立つ。
さて、話を戻そう。
制服はなぜこんなにも素晴らしいのかという話だったね。絶対領域という概念が世界線をも超えるのかどうかはわからないが、俺の現実離れした視力が捉える異国の美少女たちは、揃いも揃って同じ服装をしている。
本来ならば俺の意識が深層に沈むような状況になっているのにも関わらず、びっちりばっちり俺の意識がまだ覚醒しているのもそういうわけだ。白いワイシャツに紺紫のブレザーを羽織り、膝を隠せていないミニスカート。もし過去に戻ることが叶うならば、盗撮を自分の義務とするだろう。
制服、万歳。
俺たちに夢をありがとう。
「飛ぶ」
視界の一変。足元に感覚はすでに無く、冷たい風に身体全体が包み込まれるのを感じる。
目立つ、派手、暴れる、色々な言葉を試してみたがそれは全部無駄だったみたいだ。
可愛らしさとエロチシズムを混在させた年端もいかない少女たちが遠のいていく。
そういえばルナちゃんは大丈夫だろうか。
考えもなしに連れてきてしまったが、やはり街の外で待ってもらうべきだったかもしれない。
早く終わらせよう。大事になる前に。
「いたぞぉ!! これ以上奴を王城に近づけるなぁっっ!!!」
俺が空中散歩から降り立ったのは、やけに長い幅広の廊下。
学園区域はもう遥か後方で、この廊下の先に神殿の主の住処があるようだ。
そんな風に制服女子たちを惜しんでいると視界がぶれ、気づけば俺の拳が一人の兵士の鼻頭を叩き潰していた。
「し、しまった!?」
次の瞬間には耳を劈く爆発。
仮面で顔を隠した不審者を捕まえようと頑張る労働者たちは灰煙の中に消えた。
火傷とかしてそうだな。あと打撲とか。
熱い煙が消える前に俺は走り出す。目指す場所はもう近い。
記憶に保存したばかりの生足で精神を奮い立たせ、できればもう二度と会いたくなかった人物の下へ急ぐ。
膝を砕き、爆発。
顔面に肘打ち、轟風。
脇腹を痛烈に蹴り込み、電撃。
階段を駆け登り、爆発。
悲鳴が上がる前に、またも爆発。
立ちはだかる者、邪魔する者、追ってくる者、全てを力づくで薙ぎ倒し、俺たちは自由に迫っていく。
「ムト、ここにいる」
そしてとうとう、仮面を脱ぐ時がやってきた。
目の前には両開きの白扉。俺の手は迷わずそれを押し開けた。
ゴオォン、と重苦しい響きを伴って、俺の前に空間が出現する。
風がどこからともなく吹き抜け、昼間なのに薄暗いその中へ静かに足を踏み入れると、聞き覚えのある声が俺たちを出迎えた。
「死ぬ前に残しておきたい言葉はあるか?」
無機質で氷のような声。
どうにも歓迎はされていないらしい。
しかし俺たちの身体は堂々たる足取りで一歩さらに踏み出し、静寂の中で俺の言葉を待っている。
だから俺は最強に優秀な翻訳機に頼んだのさ。
広間の最奥で紫色の瞳を真っ直ぐこちらに向ける男に、俺の懇願を伝えてくれと。
【あなたに頼みがあってきました】
「貴様には要求がある」
【その頼みを聞いてくれないと困るんです】
「もし拒否という選択肢を取れば」
【できれば俺も手荒な真似はしたくないですから】
「半殺しだ」
……ってあれ? なんかこの翻訳機故障してね?
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