ムトウ・ムサシ
いつ頃だろうか。
俺が世界に拒絶されていることに気がついたのは。
下手糞な口笛を吹きながら、真っ暗な廊下を俺は一人歩いていた。
『ムサシ! お前はいつか立派な男になるぞ! ハーレム囲って、女はべらせて、毎日ホテル通い! なんたって俺の息子だからなぁ!!!』
思い出すのは父の言葉。
この頃はたぶんまだ自分のことを特別だと思っていた気がする。
俺の記憶がたしかなら、まだ母さんも薬物に手を出してなかったはず。
なんだか思い出したらムカついてきたな。
あの糞ハゲが結婚できるのに、なんで俺はまだ童貞なんだよ。
『どうも初めまして! 隣りに引っ越してきた
思い出すのは初恋の人の言葉。
あの頃はたぶんまだ自分も幸せな人生を歩めると思っていた気がする。
俺の記憶がたしかなら、まだ友達といえるような存在もいたはず。
遠い日の記憶は遡れば遡るほど輝いていた。
きっと俺の人生をハイライトするなら0歳の誕生日がピークだろう。
『ムトウ君。君は優しい子だ。君は他人の痛みを誰よりも理解できる。だけど君は強くない。全ての痛みを一人で抱え込んでしまうくせに、それに耐えられるほどの強さを君はもっていないんだ。私は心配だよ。いつか君の心が壊れてしまうんじゃないかって』
思い出すのは先生の言葉。
これはたぶん俺がまだ小学校低学年だった頃の担任が言っていた言葉だ。
今振り返っても、あの人ほど優しい言葉を俺にかけてくれた人はいなかったかもしれない。
もしあの先生が女だったら、まず間違いなく子供の特権を使ってありとあらゆる身体の部分をまさぐっていただろう。
俺が小学校を卒業した後に、先生は幼稚園の男児に悪戯を働いて警察に捕まったという噂を聞いたが、今はどうしているんだろうか。元気にしてるといいけど。
「も~しこの手に銃があったなら~、太陽に穴をあけてみせ~るよ~」
耳の穴にイヤホンは当然刺さっていない。
なので最高品質のエアイヤホンを代わりに差し込み、陽気に俺はお気に入りの歌を口ずさむ。
もちろん俺は音痴だ。
普段歌を唄うなんてことは滅多にしない。だけど今は唄いたい気分なんだ。
他にやることないし。
「失くした夢を~叶えてあげ~る、ずっと傍に~ついててあげ~る」
エアギターを弾き鳴らし、突き当りのない廊下を歩き続ける。
もうどれくらい歩いただろう。
わからないけど、わかる必要もない。
ここには誰もいないし、この先にも誰もいない。
でもそれでいいんだ。そうすれば俺はもう誰も傷つけないで済むのだから。
「月~まで連れて行ってあげたい~よ、君~から目が離せな~い」
一人には慣れてる。
いつだって俺は拒絶されてきた。それが普通で、俺の日常だったんだ。
それなのに、ここ最近は実に忙しかったといえる。完全に異常な、非日常が続いていた。
俺は疲れてる。とてもとても疲れてる。
人の温もりは悪魔の果実。
一度手を出してしまったら、元には戻れない。
薬物中毒の母の気持ちが今になってよくわかる。これも遺伝なのかもしれない。
「も~しこの手に銃があったなら~、太陽に穴をあけてみせ~るよ~」
ここは静かだ。
俺の耳障りな歌声に顔を顰める人もいない。
静かな暗闇は心地が良い。
俺を傷つける誰かもここにはいないから。
やがて脳内のドラムが音を止める。
そろそろお気に入りの曲がクライマックスを迎えるらしい。
「も~しこの手に銃があったなら――」
――ブツッ、そんな音はもちろんしていないが、悲しいかな俺の脳内に響き渡るロックミュージックは最高潮前に突然途切れて消えた。
理由は簡単。
俺は臆病だから、人前で歌うことができないんだ。
つまりそういうこと。
招かれざる客が来てしまったということさ。
おかしいな。
シークレットライブのはずだったのに。
「ムト」
真っ暗な廊下の先に突如現れた一人の青年。
そいつの顔は実に見覚えのあるものだった。それはもう煩わしいくらいに。
エアギターをしまい、エアイヤホンを外す。
光なき世界でも、そいつの顔は不思議とよく見えた。
「……ジャンヌ……」
相変わらず不細工な声が俺から漏れる。
だから嫌なんだよ、誰かと話すのは。
自分の言葉を聞くたびに、口を針で縫ってしまいたい衝動にかられてしまうから。
黒い髪に黄金の瞳。
整った容姿のそいつに目を合わせて、すぐに外す。
いつからだろうか。
人の目を見て話すのが苦手になったのは。
「なあジャンヌ、一つ訊いてみてもいいか?」
「ああ、構わない」
聞き心地の良いアルトが、闇の中を波及していく。
いいなあ。
きっとこの声ならば、上手に歌を唄えるだろう。
一人でカラオケすることすら嫌いな俺にとっては、羨ましいかぎりだ。
俺の孤独に観客は要らない。
「もし、俺を殺してくれって言ったら、殺してくれるか?」
俺は臆病だ。生きることに絶望しておいて、死ぬことを怖れている。
一人ぼっちは怖くないけど、いやらしい妄想ができなくなるのは嫌だ。
誰かに拒絶されるのは怖くないけど、誰かが俺のせいで傷つくのは嫌だ。
もう嫌なんだ。夢を見ることが。
俺の隣りで誰かが笑う夢を見ることが。
自分で死ぬことすらできない臆病な俺は、闇の中に逃げ込むだけ。
誰かが背中を押してくれれば、別だけど。
「ムト……そうすれば私は貴公を守れるのか?」
「え?」
――ジャンヌの表情が変わる。
いつもだったら仮面のように変化しない顔が、なぜか今は崩れている。
でもわからない。
この表情をなんていったっけ。
「ムト……私はわからない。私は最強だが、この力を一体何のために使えばいい?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何の話をしてるんだ?」
ジャンヌが自分の左胸を握り締める。
すると、なぜか俺も同じ場所が息苦しくなった。
こういうのなんていうんだっけ。シンクロニシティ? 全然違う気がする。勉強不足ってふとしたときにストレスを溜めるよね。
「誰かを守るためか? ならば私は一体何を守ればいい? 教えてくれ、我が宿主よ。私の最強は一体何のためにある?」
「何のためって言われても……」
ジャンヌが言葉を発するたび、俺の胸はどんどん苦しさを増していく。
もうやめてくれ。
どっかにいってくれよ。
俺はもう苦しみたくないから一人になったのに。
本当誰なんだよこいつ。
いや、厳密にいえばこいつも俺か。
「ムト……私は孤独なのか?」
知らないよ。
お前のことなんて知らないよ。
俺は俺の事で精一杯。
やめてくれ。
頼むからやめてくれ。
俺とこれ以上言葉を交わさないでくれよ。
「私の存在理由は何だ? ムトよ、私を望んだのは貴公だろう? ならば教えてくれ。私は一体何のために生まれたのだ」
そんな当たり前のことを、改めて押し付けられる。
それだけじゃない。
この世界を望んだのだってそういえば俺だった。
なのに俺は全部捨てて逃げている。
選んだ世界も、貰った命も、全部放り投げて闇に閉じこもっている。
「教えてくれ、我が宿主よ」
「こ、こっち来んなよっ!!」
ジャンヌが一歩分こっちに近寄る。
だけどそれがなぜか怖かった俺は、後退りして一歩分距離を取り直した。
黄金の瞳を俺はやはり直視できない。
やめてくれ。
それ以上俺に近づないでくれよ。
「なぜ私を拒絶するのだ、我が宿主よ。貴公が私を望んだのだろう?」
「っ……!」
繰り返される言葉に、俺の頭がガツンと殴られる。
俺がジャンヌを拒絶している?
違う。
そういうわけじゃない。
俺が拒絶してるんじゃない。
拒絶されているのは俺の方――、
「なぜ世界を拒絶するのだ、我が宿主よ。貴公がこの世界を望んだのだろう?」
繰り返される言葉に、俺の心がグサリと貫かれる。
もしかして、そうだったのか?
ずっとずっとそうだったのか?
俺はずっと世界に拒絶されていると思っていた。
俺を受け入れてくれるところなんてどこにもないと思っていた。
だけどそれは全部、勘違いだったのだろうか。
――全てを拒絶していたのは、俺の方だったのか?
「ジャンヌは自分のことを孤独だと思うか?」
「……わからない。しかし、私が貴公の孤独に寄り添うことを許して貰えないのならば、おそらくそれは孤独だろう」
「そっか、そうだよな」
思い出すのは銀髪の少女。
ジャンヌの質問に質問で返しながら、俺はこの世界で初めて出会った少女の記憶を思い浮かべる。
俺は勝手に彼女に受け入れて貰えないと思っていた。
でもそれは本当にそうだったのだろうか。
――彼女やロビーノのことを拒絶していたのは俺の方だったんじゃないか?
俺はレウミカのことを何も知らないし、知ろうとすらしていなかった。
あの村で出会った人の事を俺は、誰一人知ろうとしなかったんだ。
「俺が孤独になるたびに、俺の隣りにいた別の誰かも孤独になっていたのか……」
思い出すのは金髪の少女。
俺に一目惚れしたと言った、ふらりと突然俺の前に現れた少女の顔を思い浮かべる。
俺の隣りにいてくれれば、彼女にどんな思惑があろうといいと思っていた。
でも本当にそれでよかったのだろうか。
――心のどこかで俺は、彼女もどうせいつかいなくなると思っていたんじゃないか?
俺はルナのことを何も知らないし、やっぱり知ろうともしていなかった。
最初から彼女のことを受け入れるつもりなんて、俺にはこれっぽちもなかったんだ。
「俺は自分を守ろうとしてただけだ。嫌なことから目を逸らして、知りたくないことには耳を塞いで、ずっとずっと不幸を気取ってただけだったのか」
俺は世界に選ばれた人間じゃない。だけどこの世界を選んだのは俺なんだ。
なのに一体俺は何してんだよ。
俺が望んだんだろう?
俺が欲しがったんだろう?
――だったら俺から歩み寄るべきだろう?
「ああ、やっとわかった。今のジャンヌの表情をなんていうのか」
「……ムト?」
今度は俺から一歩踏み出す。
もっと知るべきなんだ。俺から近づくべきだったんだ。
俺はまだ何も知らない。
歴史も、言葉も、文化も、通貨も、海の色も、人も、何も知らないんだ。
ふざけるなよ。
どこまで馬鹿やれば気が済むんだ。
俺が選んだ世界から、目を逸らすなよ。いつまで異世界童貞やるつもりだ。
「泣き顔……涙を流してくれないから、わからなかったよ、ジャンヌ」
「私は今、そんな表情をしているのか?」
俺はジャンヌの頬に手を伸ばす。
ずっと固く固く握りしめていた拳を紐解き、俺は世界に手を伸ばしていく。
そうだ。
最初からこうしていればよかったのに。
流されるのだけの人生はもう終わりにしよう。
「ムト……私は一体何のために存在している?」
「決まってるだろ? 俺が女の子にモテるためだよ」
すっと俺の手がジャンヌの頬に触れる。
ほらな。
簡単だ。
少し手を伸ばせば届く。
俺も今、こんな表情をしているのだろうか。
「だからずっと一緒だ。俺の隣りにいてくれ、ジャンヌ。そう俺が望んだんだ。知ってるか? 強い奴って女の子によくモテるらしい」
「……それが私の存在理由?」
「ああ、そうだとも」
「……そうか」
クスリ、そんな風にジャンヌが笑う。
あれ? なんかこいつが笑うの初めてじゃね?
やばい。可愛い。超萌えなんですけど。
ってちょっと待て待ておかしいおかしい。
だからこいつは俺なんだぞ?
俺はたしかに男の娘とかも全然イケるくちだがそういう問題じゃないだろう。
性別とか超越したスピリチュアルな存在に欲情してどうする。
急に色々恥ずかしくなってきた俺はジャンヌの頬から手を離し、暗闇に明かりをつけた。
ムードとか今は要らないから。
「よし。じゃあ、いつまでここにいても仕方がない。俺は誰かの孤独を癒してみせる。俺はこの世界をまだ受け入れてない。拒絶されるのは、せめて俺が受け入れてからでいいだろう」
俺が誰かを受け入れたからといって、その人が俺を受け入れてくれるとは限らない。
俺がこの世界を選んだからといって、この世界が俺を認めてくれるとは当然思ってない。
だけど、始まらないだろう? まず俺から手を伸ばさないとさ。
ムト・ジャンヌダルクの物語はまだ始まってない。
俺はずっと
俺は知りたいんだ。
痛みも、悲しみも、喜びも、全部自分の意志で。
「だがまあ、その前にやっておくべきことがあるか……朝を迎えるのは、ムト・ジャンヌダルクの、いや武藤武蔵の最後の宿題を片付けてからだ」
籠の鍵を開ける。
白い光が、風のように吹き込んでくる。
でもそれだけじゃないんだよな。
籠の外にはまだ見ぬ希望だけじゃない、目を逸らし続けてきた絶望だってある。
これは俺の意志で、俺の覚悟。
この世界を選んだのは俺だ。責任も俺にある。
「ジャンヌは先に行っててくれ。……大丈夫。今度はすぐに寝床を譲ってあげるから」
「……ああ、わかった」
最後に思い浮かべるのは、冷たい雨が降りしきる日。
俺が本当の意味でもっと早く、ムト・ジャンヌダルクになれていたら。
「《ケイトに会いたい》」
――白と黒の狭間で、俺は一人の少女と見つめ合う。
黒い髪に紅い瞳。
自画自賛になるが、かなり良い出来の幻影を創り出すことができた。
今度はもう、目を逸らさない。
「待ちくたびれたよ。やっと僕の名前を呼んでくれたね。アンタの
準備はいいか。
逃げ場はないぞ。
覚悟を決めろ。
こっから先はムト・ジャンヌダルクの物語だ。
さあ、トラウマ退治の時間といこうじゃないか。
―――――
白と黒の淡光が入り混じるなんとも神秘的な背景。
そんな自然と気持ちが落ち着く風景に囲まれながら、俺はケイトの横に並んで川沿いを歩く。
ここはまだ俺が創り出した精神世界のはずだが、どうにも俺の想像力を超えたファンタジックワールドが広がっている気がしてならない。
下から上へと昇っていく摩訶不思議な川の流れを、俺たちは肩を揃えて追いかけている。
「それで、どうして僕を呼んだわけ? 僕に一体何の用?」
「え、えーと、それはですね……」
隣りで真っ直ぐ前を見据えて歩くケイトは、どっからどう見ても本物にしか思えない。
ケイトの幻影を創り出して、謝罪的なことをしようと考えていたのだが、あまりにもリアル感が強すぎてそれどこではなくなってしまった。
さっきの威勢はどこへやら。
色んなことが頭の中でグルグルと回っていて、普段以上に情けない醜態を晒してるのはもう間違いない。
ジャンヌには先に目覚めて貰ったのだが、正直なところそれを後悔し始めている。
「ほ、ほら? 俺たちってさ、よく考えたらお互いのことよく知らないじゃん? だ、だから改めてケイトの事を知りたいなって思って」
「僕のことを知りたい? ふーん……」
そんな馬鹿を見るみたいな目で俺を見ないでくれ。
わかってる。
わかってるよ。
ここにいるケイトはあくまで、俺の記憶と想像から創り出された仮想の存在。
俺の知らないことを、このケイトが教えてくれるわけはないってことくらいわかってるよ。
そんなことくらいわかってるけど、つい口に出ちゃったんだ。許してくれ。
「僕の名前はケイト・ライプニッツ。
「ほおほお、なるほど。ケイトは俺との出会いをそんな風に記録していたんですね。別に否定はしませんが、なんかあれだね。涙が出そうだね」
無愛想な顔でケイトは丘を上っていく。
ぶっきらぼうな喋り方も全部、俺の知ってる通りだ。
そういえば知らない間にジャズのような音楽がどこからか聞こえている。
変だな。俺はジャズを嗜む趣味なんて持ち合わせていないはずなのに。
「四人家族で、兄が一人いる。兄の名前はカイル・ライプニッツ。世界一かっこよくて、世界一優しい、僕の自慢の兄」
「あれ? ケイトってもしかしてブラコン?」
「鼻の頭そぎ落とすよ?」
「誠に申し訳ありませんでした」
ケイトには兄が一人いる。それも俺は知っていた。
そもそも彼女は、その兄を追って旅をしていたのだから。
だけど言い回しが変だな。
四人家族だなんて限定しちゃっていいのか。
まずあり得ないと思うが、他に兄妹がいる可能性だってゼロじゃないのに。
「兄さんは強欲な拐奪者の研究所に囚われていたけど、僕と離れ離れになる時、ある約束と一緒に、ある物を僕にくれた」
「研究所? 約束? ある物?」
モノクロな世界でのお散歩ペースは変わらないが、俺の中には違和感が広がり始めている。
隣りをすまし顔で歩くケイトは本物じゃない。
俺が創った都合良いコピーのはず。
でもなんだこの違和感は?
彼女の言葉が段々と、俺の想像から剥離していくこの感覚は一体何なんだ?
「そう、兄さんは僕に魔法の地図をくれたんだ。兄さんが常にどこにいるのかを教えてくれる魔法の地図。そして兄さんは約束もしてくれた。もし、研究所を離れる時が来たら、それが僕たちの独立記念日だって」
「ま、待ってくれ! 俺は知らない! そんな話聞いた覚えがないぞ!?」
「それがどうしたの? だってアンタは僕のことを知りたいんでしょ? だったらアンタが知らないことを教えてあげないと意味ないじゃん」
ケイトが呆れたような顔で俺を見る。
たしかに彼女の言っていることは正論だ。
どこにも論理の破綻はないように思える。
だけどおかしいだろう? それは俺の隣りにいるのが本物のケイトだったらの場合の話だ。
これは本当に俺の魔法なのか?
今俺は、奇跡を目の当たりにしてるんじゃないか?
「じゃあ、話を続けるよ? いいよね?」
「あ、ああ……」
リズミカルなジャズに合わせて歩幅がゆっくりと変わり始める。
どうにも納得いかないというか、落ち着かないが、仕方がない。
俺はケイトの隣りを、自分の意志で歩いていく。
「そしてある日、ついに兄さんが地図上の研究所から動いた。だから僕は約束の日が来たんだって思って、ちょいと森の中で魔物を呼び寄せて組織から逃亡を計ったってわけ」
「そう、だったんだ」
「うん。その後は、まあ大体アンタが知ってる通りかな。他に知りたいことはある?」
「ある意味一杯あるけど……なんか聞くのが怖いから遠慮しておく」
「あっそ」
遠近感がおかしくなりそうな川沿いを、ひたすら俺たちは進んでいくだけ。
一応坂を上っているはずだが、なぜか丘の終わりがまるで見えてこない。
この川はどこまで続いているのだろう。
というかどっから流れてきてるんだ。
「な、なあ! ケイト!」
「ん? なに?」
俺は隣りを歩くケイトを呼び止める。
気のせいかもしれないが、俺に向き直った彼女は少しだけ笑ってる気がした。
でもそんなことを気にしてる場合じゃない。
まったくもってよくわからないが、せっかくのチャンスなんだ。
今ここで謝らないで、いつ謝る。
「ご、ごめん!!!」
「……なに急に。一体何を謝ってるわけ?」
「俺のせいで、君は死んでしまった……君を守ると言ったのに、俺は君を守ることができなかった! 君のことをちゃんと見ようともしないで、君の手を離してしまった。俺が君を、殺してしまったから……」
「………」
もちろん現在の俺の体勢は土下座。
こんなことに意味があるのかはわからない。
でも俺が自分の意志でこうしたいと思ってるんだ。
この角度ならケイトのショートパンツから覗く太腿がたっぷりと拝めるはずだが、それも今は我慢している。
許して貰えるとは思ってない。
自己満足だってこともわかってる。
それでも俺は、彼女に謝りたかった。
「………立ちなよ」
「え……?」
ケイトの声がかかる。
それに反応した俺は顔を上げるが、思わず白い太腿に目がいってしまう。
この程度なら別に構わないだろう。
むしろ、まったく見ないというのは逆に失礼なはずだ。
そして俺が立ち上がるのを待ってるらしくそれ以上言葉を発さないケイトが怖いので、俺はそそくさと佇まいを直す。
怒って……るよな?
「ばーか」
「あ痛いっ!?」
しかし目線の高さを元に戻した俺を待っていたのは、怨みの怒号でもなく、軽蔑の冷視線でもなく、マイリトルマグナムを正確に狙った蹴りだった。
「でも特別サービス。今ので全部許してあげる。だってアンタ、本当に馬鹿過ぎて可哀想になってくるんだもん」
「う、うぅ……」
「ぷっ、ぷはははっ!!! その情けない顔はなんなわけっ!? あはははっ!!!」
オスとして命の次に大事なものを容赦なく蹴り飛ばした少女は、心の底から楽しそうに笑う。
状況がまったくもって理解できない。
というかなんでこんなに痛いの?
ここって夢みたいな世界だよね?
なんで痛覚オンになってんの?
「ほら、早く行くよ。もうそろそろ着くんだから」
「は、はぃぃ……」
下腹部へとゾーンをワンランク上げた鈍痛に必死に耐えながら、俺はケイトの後ろに少し遅れて着いていく。
なんだこれ。
俺の想定と全く違う展開になってるぞ。
「ほら、着いた」
「え? ここは……」
やがて気づけば無限に続きそうだった坂が終わり、平らな丘の頂上に辿り着いていた。
チグハグな川は白黒の平原に下っていっていて、心が落ち着くジャズはいまだ風に乗ったまま。
そして丘の上には一つの墓。
黒い外套を羽織った少女は、その墓標を指で静かになぞる。
“ケイト・ライプニッツ ここに眠る”
俺は思い出す。
ケイトがいなくなった日、俺が逃げ出した事がもう一つあったことを。
「アンタ、僕の葬式出てくれなかったでしょ? だから、今ここで代わりにやりたいと思うんだけど。いいよね?」
「……ケイト」
儚い笑顔を浮かべながら、ケイトは俺を真っ直ぐと見つめる。
目を逸らしたくなるのは、きっと怖いからじゃない。
泣きじゃくりたくなるほどに、悲しいからだ。
「ほら、その黒い刀を僕に渡して。それはもう、アンタには必要ないものでしょ?」
「で、でもっ――」
「でもじゃない。早く渡せっての」
ケイト、そう名付けた剣を彼女は俺から強引に奪う。
彼女のことを忘れないように、戒めとして持っていたのに。
俺とケイトの繋がり。
それを彼女は優しい笑みを顔に浮かべて、俺の手元から取り上げてしまった。
「まったくいつまでこんなの持ってるわけ。女々しいなぁ。もうアンタは前に進むんでしょ? だったらさ、いつまでも僕なんかに縛られてないでよ。僕はアンタのこと恨んでなんかいないってのに」
「でも俺はっ! ケイトを! 君を守れなかったっ!!!」
「アンタがいなかったら、僕も兄さんも多分死んでたよ。あ、僕が死んでたっていうのは、サンライズシティに着く前にって意味ね」
ケイトはまた俺のことを馬鹿にしながら、黒刀を墓の隣りに突き刺す。
もうこれが夢でも幻でもいい。もっと俺を馬鹿にしてくれても構わない。
だから、だから、だから――、
「嫌だよケイト。やっと俺は君のことを知れたのに。また離れ離れなんて、俺、嫌だよ」
「馬鹿。なに泣いちゃってるわけ? アンタにはまだやらなくちゃいけないこと、知らなくちゃいけないこと、沢山あるんでしょ?」
どこからともなく、黒い炎が沸き上がる。
俺とケイトを包んで、白と黒の世界を焼き尽くしていく。
でもなんでだ。
なんでこの黒い炎は俺に痛みをくれないんだよ。
「アンタ顔が涙でぐちゃぐちゃ。凄い気持ち悪い顔になってる。そんなに悲しいの? でも一つ、残念なお知らせ。僕は別に悲しくなんかないよ。だってアンタとの思い出なんて、僕にとってはどうでもいいことしかないんだからさ」
「ぐ…ぐすっ……じゃ、じゃあなんでケイトも泣いてるんだよ?」
「ば、馬鹿。僕が泣いてるわけ……ない、じゃん」
俺のことは一切燃やしてくれないくせに、ケイトのことは確実に消炭へ変えていく黒炎の中で、彼女は大粒の涙を流す。
これが魔法なのか、奇跡なのかなんてどうでもいい。
俺はもっと彼女の隣りにいたかった。
「じっでるか…? ケイト…俺、君の裸を見だじ……君の乳首だって触ったんじゃぜ……?」
「……最低。変態。ばーか。早くどっかいけ」
ケイトが笑う。
俺もなんとか彼女に笑顔を返す。
俺の創った世界が壊れていく。
魔法と奇跡が混じり合った世界は、俺から遠ざかっていく。
「………ちゃんと僕の墓参り来いよ」
「ああ、もちろん」
「………兄さんのこともよろしく」
「ごめん。今どこにいるのかわかんない」
「………これ以上、僕に迷惑かけんなよ」
「うん。オカズにはなるべく使わないようにする」
「……馬鹿」
優しいジャズミュージックの演奏が余韻を残して終わる。
穏やかな風がケイトを運んでいく。
「それじゃね、ムト」
「ばいばい……ケイト」
少しも熱くない黒い炎が、俺以外の物全てを燃やし去る。
最後の宿題は涙でぐちゃぐちゃになってしまった。
これじゃあ先生に提出できないじゃないか。
――そして、とうとう俺にも朝が来た。
――――――
「う……ん?」
目を覚まし、瞳を明けたはずだが、なぜか何も見えない。
当然不安で発狂しそうな俺はすぐに光をつける。
「《光》」
明るい白光が俺を中心に広がっていく。
地面に寝転んでいたのか、服には土埃がやたらと付着していた。
「ここは、森か?」
魔法の煌めきに照らされた周囲を見渡すと、鬱蒼とした木々に包まれていることに気がつく。
どうやら俺はどこかの森の少しひらけたところにいるらしい。
それにしても暗すぎるな。
月光の姿がどこにも見つからない。
まあでも、そんなことはどうでもいいか。
「はは……本当に不思議だな。俺の剣なくなってるじゃん」
腰の辺りでいつもならブラブラとしている抜き身の黒刀は、なぜかその姿を消している。
だけどその理由を深く考える必要は、あまりないように思えた。
【目を覚ましたか。我が宿主よ】
心に深くこだまする凛然とした声。
俺が唯一、迷惑をかけていい存在。
「ああ、俺にも夜明けが来たよ。悪かったな、ジャンヌ。ゆっくり休んでくれ」
俺が深い闇の中に籠っている間、ずっとジャンヌは起きて俺の身体を守っていてくれたと思うと謝らずにはいられない。
もうなんか、本当にこいつを自分自身としては見られくなってきたな。
【わかった。私は暫し眠るとしよう。だが、貴公の隣りにはいつも私がいることを忘れないで欲しい。貴公が私の名を呼ぶのなら、いつだって、どんなときだって、すぐに馳せ参じてみせよう】
その言葉を最後に、心の奥にスッと何かが落ちていく。
最低な人生は、とっくのとうに終わっていたんだな。
「よし……今日をムト・ジャンヌダルクという一人の男の誕生日にしよう」
今日が何月何日なのか、それも俺は知らない。
だが調べるつもりはある。
俺はそれも知りたいと思っている。
だけどその前に色々やることがありそうだ。
「とりあえず、誕生日プレゼントかな」
ハッピーバースデートゥー俺。
今日から俺はこの世界で生きるよ。
友達は相変わらずいないので、誕生日プレゼントは自前ですまそう。
頭に浮かぶやりたいこと、試したいこと、知りたいこと、やらなくちゃいけないこと。
様々な思いが俺の中を、駆け巡る。
これから先は、前を向いて歩こう。
逃げるのはやめて、目を逸らさずにいよう。
「俺が喜ぶ誕生日プレゼント……そうだな、試しに魔法で人型のオナッホでも創ってみるか」
口下手な俺は、行動で世界に感謝を捧げることにしよう。
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