No.15 ヴァイオレット・ライト
朝日の光が徹夜明けの俺を焼いていく。
時刻は早朝六時五分前。
宿屋の前で俺は一人眠気でつぶれそうな目を擦っていた。
昨晩は本当に素敵な夜だった。それはもうあまりに素敵過ぎて眠れなくなるほど興奮してしまうほどに。
澄んだ朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、軽く屈伸をする。
結局俺はこの宿屋に泊っていない。ピピとロマンチックなミッドナイトデートを終えたあとは、少しホグワイツ大陸の端の方まで転移し、それから一晩中俺は半裸で絶叫しながら走り回っていた。そして今から三十分くらい前にここに戻ってきたということだ。
『おやすみなさい、ムト君。今日はありがとうございました。いい思い出になりました。この日のことは絶対に忘れません』
自分でも顔がにやけているのがわかる。
少し記憶をほじくり返すだけでこんなに幸せな気持ちになれるなんて。
わりと本気でそろそろ告白してしまおうかな。
本気でイケる気がする。というかもうこれ付き合ってるんじゃないかな。
婚約? 次はハネムーンかな?
「……おう、早いな」
「わぁっ!? な、なんだ、ロイスさんですか。おどかさないでくださいよ」
「……朝から大きな声を出すな。頭にガンガンくる」
突然死んだような顔が現れたかと思えば、それはロイスだった。
彼も寝不足なのか、欠伸を何度もしている。
「……他の奴らはまだか。もう時間だぞ」
「ロイスさんは時間ぴったりでしたね」
「……そういやお前は結局部屋に一回も来てないみたいだったな。どこで何をしてたんだ?」
「あ、えーと、ちょっとありあまるパッションを発散させてました」
「意味わからん」
自分から声をかけてきたくせに、ロイスは面倒くさそうに会話を打ち切る。
朝が弱いのだろうか。恋バナをした親友とは思えない態度だ。
いや待てよ。案外仲が良い友人関係というのは、こういったフランクなものなのかもしれない。
これまでの友人関係に乏しいせいでわからなかったが、きっとそうだ。
素晴らしいな。人生って本当に素晴らしい。
「ふはっ! ふははっ!」
「……なんだよ。急に笑い出すなよ。気持ち悪い奴だなお前は」
嫌そうにロイスが俺を見つめる。
だがそんなことが全く気にならないくらいには俺の気分は絶好調だった。
「おはようございます。遅れて申し訳ありませんロイス指揮官」
「やっと来たか」
そうやって俺が天に腕を広げて微笑んでいると、しばらくしてから残りの二人と一匹がやってきた。
彼女たちが遅れたのは間違いなくクアリラのせいだろう。
ほんの短い間だが、クアリラとは一緒に時間を過ごしている。
あの寝起きの悪さ。むしろよくこの程度の遅刻で済ませられたと感心するほどだ。
「おはよう、ムト、ロイス。気持ちの良い朝ね」
「……ふぇ、おやすみなさい?」
「目を開けろクアリラ。眠いのはお前だけじゃない」
クアリラはまだ目を瞑ったままで、軽くよだれすら垂らしている。
普段はとろい動きに反して、こういった隙のある姿をさらすことの少ないクアリラだが、朝だけは駄目だった。本当に酷い状態になる。
ラーは寝ぼけたクアリラの世話役となっていて、そのボサボサ頭の上に乗って髪型を一生懸命整えていた。
「ムト君も、おはようございます」
「あひんっ!? う、うん、おはよう!」
そんなどうしようもないクアリラに比べて、ピピはさすがというべきか本日も無駄のない美しさを誇っていた。
俺に向けられる微笑みの輝きはライジングサンすら曇らせる。
だが爽やかな挨拶をし返したところで、俺はある信じられない事実に気がついてしまう。
それはピピの頭につけられた見覚えのある青紫の花飾り。その花飾りはたしかに昨日まではつけられていなかったものだ。
「……珍しいものをつけてるな」
「ロイス指揮官。この花のことをご存知なのですか?」
「それは“
「……月の下で、見つけたんです」
「そうか。まあいい。とにかくこれで全員揃ったな」
さりげなく俺に目配せをするピピ。
なにそれ可愛い。なにこれ超いい。
凄い青春っぽくない? 昨晩見つけた花を取ってきて飾りにしちゃうとかこれマジ春が来たんじゃない? ちょっと俺の花粉を受粉してもらってもいいですか?
「昨日と同じペースで歩けば、日が暮れる前には目的地に到着するはずだ。ここから先はいつエルフの軍勢に襲われてもおかしくない。特にお前らは紋章をつけてるしな」
「あの、前から思ってたんですけど、何でロイスさんはこの革命軍の紋章つけてないんですか?」
「……細かいことは気にするな。行くぞ」
俺の質問は軽くスルーして、ロイスは歩き始める。
その後ろをフラフラと危ないクアリラに注意しながら俺たちもついていく。
紛争地帯。
どうやらとうとう革命軍とエルフの激突している最前線に辿り着いてしまうようだ。
でも今の俺にはピピという恋人(仮)がいる。
大切な人を守るためならば、どんな危険地帯にだって踏み込もう。
彼女に相応しい人間になるために、ヘタレだのチキンだの言われていた頃の俺を捨て去ろうじゃないか。
――――――
ああもう帰りたい。今すぐ道を引き返して全てをなかったことにして風俗店に引きこもりたい。
絶対無理だよ。こんなの絶対無理だって。精神衛生上悪い影響でまくりでこれからの人生が暗くて陰鬱なものになるに決まってる。
「はぁ……また死体だ。これで何個目だっけ」
「いいよクアリラ。数えなくて」
異変が起きたのは銀壁のような山脈がいよいよ近づいてきて、平坦だった道が山なりになり、針葉樹林が周囲を埋め尽くし始めてきた頃だった。
何か爆発でもあったかのように不自然に抉れ散開している場所。
木の下で腐敗臭をばら撒く蛆虫の湧いた身元不明の死骸。
ときおり道脇に転がっている明らかに人体の一部と思われる赤黒い物体。
ここはもう紛争地帯だ。
小鳥が囀る声以外には特別何も聞こえないため、今すぐ傍で命の奪い合いが起きているということはないだろうが、俺たちが立つこの場で何度も血が流されていることは間違いない。
場違いだと感じる。英雄だのなんだのと今では言われるようになったが、俺は軍人でも何でもない。
ここは自分のような小物がいていいところではないと本能的に感じていた。
「……そろそろだな」
「それは、エルフ軍の基地がすぐ近くにあるという意味でしょうか?」
「いや違う。この辺りに連絡役が――」
――その時、ヒュン、といった風切り音がしたかと思えば、ロイスの姿が急に消えた。
いったい何が起こった?
現状の急転についていけない俺に、さらに畳みかけるように矢の雨が降り注ぐのが見えた。
「ムト君! 危ない!」
「ちょっと待ってなにこれ!? くそ! 《壁を》!」
どこからともなく降ってきた大量の矢から身を守るべく、見えない魔力の壁を
壁の効果範囲は俺とピピとクアリラ。ラーはいまだクアリラの頭上に乗ったままだった。
「ロイス指揮官はどこに?」
「はぁ……なんか嫌な予感がするんだけど」
「あら、見てムト。どうやらお出迎えが来たみたいよ」
しばらくの間矢の雨を耐えきると、今度は木々の間から俺たちを注意深く窺いながら何人もの人影が現れた。
背には弓を背負い、ダガー、ショートソード、槍、など様々な武器をそれぞれ装備していて、全員が顔をよく見られないようにフードを深く被り込んでいる。
まさかエルフ軍に囲まれたかと思ったのだが、俺たちを囲む者たちの胸に共通して刻まれたエンブレムを見るとそれが勘違いだとわかった。
「どうやら彼らは革命軍みたいね。でもこれは……」
「待ってください皆さん! 俺たちは敵ではありません! 俺たちもあなたたちと同じ革命軍の者です!」
胸に印された獅子を模した紋章。それは間違いなくリックマンたちがつけていたものと同じものだ。
俺はほっと心を撫で下ろし、自分たちが無害であることをアピールする。
「はぁ……ムト、この魔法まだ解かないで」
「あれ? なんだこの空気?」
しかし、なぜか一触即発の雰囲気はまるで消える気配がない。
むしろ警戒心が時間が経てば経つほど強くなっている気すらする。
俺たちを囲む革命軍の数も段々と多くなっていた。
「《
――刹那、眩い紫電が走る。
空気を焼き貫く音と同時に、魔力の壁に凄まじい熱量が炸裂した。
だが俺の壁はいまだ健在で、一切の衝撃を通しはしなかった。
「へえ、やるじゃない。私の魔法を耐えきるなんて」
オゾン臭のようなものが漂う中、俺たちを囲む革命軍の中から一人前に出る者がいる。
声から女性だとわかり、深く被ったフードからはピピと同じ紫紺の髪が流れ落ちていた。
真っ黒な外套を羽織っているが、よほど発育がよかったのか胸部はだいぶ出っ張っている。
「でもいつまで耐えられるかしらね、“観察対象者”。担当がいないところを見ると、逃走でもしたみたいだけど」
聞き慣れない言葉を口にすると、女は再び紫の雷を手に纏わせる。
これはいったいどういうことだ。
なぜか彼女は俺たちが同じ仲間ではないと確信を持っているらしい。
「ま、待ってくれ! 俺たちは同じ革命軍だろ!? なんで襲い掛かってくる!?」
「ふんっ! なにが同じ革命軍よ。貴方たちの紋章を見ればわかる。貴方たちは正規の革命軍じゃない……ってえ? あんたは……」
「紋章?」
ここで俺は自分と目の前の女がつける紋章を見比べてみる。
どちらも獅子のような怪物が描かれていて、一見同じように見える。
しかしよく目を凝らしてみると、たしかに些細な違いが見て取れた。
尻尾の数が違ったり、角があったりなかったり。
女が付けるものは記憶がたしかなら、リックマンたちがつけていたものとまったく同じものだ。
対して俺たちが付けるものは、微妙に本家と違うまさに中国製。
「あの野郎……!」
全てに気づいた俺は、歯ぎしりをする。
この問題が起きた原因は間違いなくロイスだ。
どこか妙な気はしていた。あいつ自身が紋章をつけてなかったことも今ではその理由もわかった。
ロイスは金欠で本物の紋章を切らしていたのだ。
どう考えてもそうとしか考えられない。あの野暮ったそうな見た目から察するにギャンブルか何かで派手にやらかしたんだろう。
そのせいで俺たち新人に渡す紋章はおろか、自分の紋章すら用意できなかったのだ。
まったく間抜けな奴だ。おかげで面倒なことになった。どうやってこの窮地を脱するべきか。
「……皆、剣を下ろして。この人たちの信用は私が保証するわ」
「どうしてですか指揮官! 担当のいない観察対象者ですよ! 危険です!」
「大丈夫、私を信じて。それよりも今は、彼らに話を聞きたい」
しかし俺が頭を悩ませていると、紫電を滾らせていた女がふと光を収めた。
周囲の兵たちに動揺が走っているのが目に見えてわかるが、誰も逆らおうとしていない。
指揮官とも呼ばれていたことから、この巨乳女魔術師が最高責任者なのだろう。
それにしてもこの女の声、どこかで聞いたことがあるような気がするな。
「確認するわ。そこの二人と一匹も敵ではないのね?」
「え? あ、はい。そうです。俺たちの中に革命軍に対して敵意のある者はいません」
「わかったわ。……皆、その二人と一匹を連れていって」
あれ? 俺は?
俺の返答に頷くと、なぜか女は俺以外の三人をどこかに連れて行くように指示する。
なぜ俺だけ居残りなのだ。
まさか俺だけ信用できないということか? いくら顔面から変態性が滲み出ているからってそんな差別許されるのか?
「はぁ……面倒くさい。はぁ……眠い。はぁ……貝になりたい」
「そういえばロイスはどこに行ったのかしらね? ピピは予想がつくかしら?」
「……いえ」
そしてクアリラとラーとやたらテンションの低いピピは威圧感丸出しの兵士たちに連れられ、木々の奥に姿を消していった。
残されたのは俺とどこかそわそわした様子の巨乳女魔術師だけ。
いったいこれからナニをされるというのだろうか。ちょっと俺の股間もぞわぞわしてきた。
「さて、それじゃあ説明してもらうわよ。なぜあんたがこんなところにいるのか」
女は顔を覆い隠してたフードをゆっくりと外すと、何かの感情を押し殺したような口調でそう言う。
肩に毛先がかかる程度に伸ばされた紫色の髪に、アメジストを想起させる大きな瞳。
右目の下にある特徴的な泣き黒子。
気品を匂わせる美貌。
俺は目の前に立つ女を知っていた。
いや、正確にいえばその女にそっくりな美少女を。
「久し振りね、ムト。全然変わらないわね、あんたは」
「嘘でしょ、レミなの? うわぁ、凄っい変わったね。めちゃくちゃ美人さんになっとる!」
「な!? そ、そんなお世辞言われても別に嬉しくなんてないんだからね!?」
今から三年前、短い間だが一緒にやんちゃして過ごした法国クレスマの第二王女、レミジルー・アルブレヒト・アルトドルファーはお転婆な美少女からもう立派な淑女に成長していた。
ツンデレのお手本みたいな性格はそのままの彼女と、俺はまったく予想外の場面で再会を果たしたのだった。
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