三年前Ⅱ
気づくのが遅い男
俺の人生は常に最低だった。
最低の人間には最低の人生をという事なんだろう、本当に良く出来た世界だと俺は思う。
幼い頃に両親は離婚。原因は俺の大好きだった父親の三股だ。
俺は最初離婚というものが父親ともう二度と会えない、一生の別れだという事に気づかなかった。
俺はいつも気づくのが遅いんだ。
そして俺の記憶だと俺の父親はデブでハゲでチビという、現在の俺のドッペルゲンガーの如き考え得る限り最悪のビジュアルだった筈だが、一体どうしてここまで俺と女性経験に差が出たのだろう。これは俺の人生最大の謎だ。
「……ちっ、この動画も削除済みかよ」
今日も俺は部屋の薄汚れたカーテンを締め切り、ゴミで埋れた床に腰を落とし、部屋に唯一あるテーブルの上に置いた旧型のパソコンモニターを眺めながら、日課である自らの下半身一つで行えるスポーツを半分惰性になりながらもヤり続けていた。
半年前仕事をクビになった俺は三十三歳にして無職となったところだ。
同僚の女性社員の下着を盗んだのがバレて自主退社という形になったのは思い出深い。
警察に突き出されなかっただけマシなのだろうが、俺的には素直に牢獄にぶち込まれた方が気が楽になったというのが本音でもある。Fラン私大を卒業している三十過ぎのオッサンに再就職先なんてもんは残されていないからな。
そんな俺に残されたやれる事といえば、こうやって脳内の実際には存在しない観客達に向かって延々と自分語りをする事くらいだ。
きっと病院に行けば何かしらの病名は付けて貰えるだろう。
「はぁ、なんかポテチ食いたいな。買いに行くか」
俺は全く捗らない日課をこなすのをいったん諦め、ふにゃふにゃの棒から手を離しコンビニに向かう事にする。
金もあと一ヶ月もすれば無くなるだろう。
大学を卒業して一人暮らしを始めてからというもの、ずっと毎月毎月金を貸せとせびる薬物中毒の母親に馬鹿真面目に金を貸し続けてきたんだ。
元々貯金なんて無かった俺には情けに貰った退職金も気休め程度の小金としか思えなかったのも無理はないと思わないか?
しかしその小金ももう尽きる。
だけど俺は金を手に入れるための真っ当な努力する意欲もなければ、一発逆転の大金を稼ごうとする度胸も無かった。
あるのは幼少期からの異常な性欲のみだ。
「……さすがに寒くなってきたな」
もう十一月も終わろうとしていた。
ぴちぴちの黒のTシャツに薄汚いジーンズ、これだけじゃこの時期の夜は少し肌寒くなってきている。
そしてマンションを出て右に行けば、コンビニにはすぐに辿り着ける。
だけど今日も左に行く事にした。
別に深い意味があるわけじゃない。左に行くと俺の大好物のジェラートの売っている黄色いコンビニがあるんだ。ポテチと一緒に買うのが俺のルーティンなのさ。
これは余談になるが右を行けばある緑のコンビニには、冬におでんを買いに行くときくらいしか行かないんだ。
近ければいいってもんじゃないんだよ。
夜風の冷たい住み慣れた街を、ポケットに両手を突っ込みながらゆっくりと歩く。
ふいに後ろから自転車が俺を追い抜いていった、学生らしき男女が二人乗りをしていたみたいだ。
自転車の後ろに座る女子学生が前の男子学生の背中に抱きつき、スカートをはためかすのが見える。
「俺もあんな可愛い女の子とエロい事してみてぇな」
真っ暗な空気に俺の気落ちした囁きが溶け込んでいく。
俺はもちろん女性とお付き合いをした事なんてない。
三十三になった今でもしっかりと自分の貞操は守り抜いている。
無論誰にも奪われそうになった事はないが。
だけどそんな俺でも昔ある一人の女性に告白をした事がある。
基本臆病で気弱な俺にしてはとんでもない冒険だった。
何十年も経った今でも思い出すと心臓がバクバクする。
我ながら恐るべきチキンっぷりだ。
でも俺はいつもエロい事に関しては自分でも驚くほどの行動力を見せてきたんだ。それは今でも変わらない、エロに関してのブレイブだけは人に誇れる。俺が痴漢で捕まるのも時間の問題だろう。
そして一応わかってると思うけど俺の人生一度だけの告白は失敗に終わっている。
俺の不細工な顔と悪臭が気にいらなかったのか、俺の身体目当てという心の内を見透かされたのか、フられた理由は定かではないがとにかく俺の告白は失敗に終わったんだ。
高校一年の秋、俺の遅めの初恋は見事に玉砕した。
俺はその失恋で結構な傷を負ったよ。
だってその子は俺の幼馴染だったんだぜ?
まさかあんなに激しく断られるとは流石の俺も思わなかった。
だから当然かな、運動神経も悪く、どんなに勉強しても一向に成績の上がらない筋金入りの馬鹿だった俺がその日からさらに卑屈に臆病になっていったのは。
知り合いの下着を盗むようになったのも丁度その頃からだと思う。
「止めてください……お金はありませんから……」
「あぁ? ゴチャゴチャうるせぇんだよ! 早く財布出さねぇと痛い目みんぞ?」
「ヒャハッ! マジこぇ! ショウちゃん怒らすとマジやべぇから早く財布出した方がいんじゃね!?」
「キャハハッ!こいつ超ビビってるんですけどマジウケる!!!!」
いつもと変わらないつまらない夜道を淡々と歩いていると、ふいに女性の甲高い声とそれに続くガラの悪い声が耳に入って来た。
音のする方を見ればと若い女性らしき人が三人の不良に囲まれているのが視界に入る。
しかし俺は慌ててそれを視界から外した。
ああ、ありゃ終わったな。
ああいうのには絡まれた最後、もう諦めるしかないんだよな。
俺は小・中・高とイジメられハブられ続けてきたからあの状況になったらもう詰みだって事がわかる。それこそ救世主でも現れない限り。
俺はそそくさと精一杯体を奴らから遠ざけて早歩きする。
ここで俺があの子を助けに行けばもしかしたら奇跡的にあの子を救い出せるかもしれない。
俺は基本的には優しいんだ。
自分にこれまで救いの手が差し伸ばされなかったからといって、他人の不幸を喜んだりはしない。
でもあの絡まれている女の子を助ける勇気が湧かないんだ。
不良に話し掛けるのなんて怖くて出来ないし、返り討ちにリンチにされてボコボコにされる自分を想像すると、足がガクガク震えてどうしようもなくなるんだよ。
それに俺が異次元の勇気を振り絞ってあの子を助けに行っても、二人まとめて暴行されるのが関の山だろ?
「ゴメンな」
俺は少し立ち止まって伏し目がちに絡まれている子の方を向いた、高校を卒業する時に死んだ婆ちゃんが、謝る時はちゃんと顔を見て謝りなさいと言っていたからだ。
そして俺は不良どもにバレないようにそ〜っと、絡まれているらしき女性の顔を見た。
不良どもは大きな道路を挟んで反対側にいるので、こんなに慎重に向こうを見なくても気づかれる事なんて相当ないんだけどな。
そんな自分のチキンっぷりを再確認にしながら謝るべき人の姿を今度はしっかり見ると、俺に衝撃が走った。
「……めっちゃ巨乳で美人さん、だと!?」
羽織ったカーディガンの上からでも分かる豊満で美しく丸みを帯びた胸部。
夜でもわかるほど艶やかで長い黒髪は、ここからでもシャンプーだかリンスだかのいい匂いがすると錯覚するほどの妖艶さを纏っている。
スッと通った高い鼻に、整った眉、意思の強そうな黒い瞳が美しさに磨きをかけている。
「俺のタイプど真ん中……!」
これまで見てきたどんな女性よりも(モニター越しの女性も含めて)その人は美しく、艶やかで、そしてエロかった。
あんな人とスケベな事が出来たらなぁ。
「はっ!?」
ここで再び俺に電撃が走る。
あの状況からあの子を救ったらあっという間にエロい展開に持ち込めるんじゃね?
救う→お礼→体で→私でよければ……。
これ完璧な黄金パターンじゃないかっ!!!
俺はいつもエロい事となるととんでもない行動力を発揮し、その後の事も現在の状況も冷静に考える事が出来なくなってしまうんだ。
だから俺は迷わず、道路に飛び出したよ。
不良に勝てるはずがない事や、その女性を救えた所でどうせ何も起きない事や、すぐ横に大型トラックが迫ってきている事なんてまるでその時は頭になかったんだ。
ビィィィィッッッッ!!!!!
満面の笑みでハァハァしながら道路に飛び出した俺が最後に見たのは、視界を覆い尽くす白い閃光だった。
その光に体が包まれた思った瞬間、俺は誰かに押されたような気がして、そして何故か重力から解放された。
ふわっとする心地良い浮遊感、こんなに気持ちが良いのは一週間溜めてヤった時以来だ。
あれ?
そういえば俺の女の子はどこだろう?
白い閃光はどんどん消えていくのに何故か俺の視界は戻ってこない。
暗い、真っ暗だ、何も見えない。
あれ?おれ、死んだのか?
こうして俺の最低の人生は、あっさりと、そして唐突に最期を迎えた。
自分がトラックに轢かれた事にも俺はここでやっと気づいたのさ。
俺はいつも気づくのが遅いんだ。
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