飢えた銀狼⑩



 ホグワイツ王国の王家の次女として生まれたある女が、一人森の中で冷たい雨に打たれている。

 彼女の名は、ユラウリ・カエサル。

 “救世きゅうせいの五番目”、世界は彼女を尊敬と畏怖を込めてそう呼ぶ。


 途切れなく降りしきる寒雨で身を重くしながら、ユラウリは暇潰しがてらに過去を回想する。

 病に倒れ早くに亡くなった両親。

 若くしてホグワイツという大国の王になった兄。

 当時は魔術師協会という名の無名だった組織に、自らを誘った偉大な魔法使いネルト・ハーン。

 自分と同じくその協会に加盟することを決めた姉。


 追憶は朧げで、彼女は自らがなぜここに立っているのかを忘れそうになる。

 ユラウリが加入してしばらくすると、魔術師協会は国際魔術連盟と組織名を変え、彼女より早くに協会に所属していたレイドルフ・リンカーン、ガロゴラール・ハンニバル、クレスティーナ・アレキサンダー、マイ・ハーンの四人。

 ユラウリと彼女の姉であるメイリス・カエサル。そこに少し遅れてビル・ザッカルド・ヒトラーとエデン・クロムウェルが加わった八人は後に“八賢人”と呼ばれることとなった。


「…遅い」


 ユラウリは雨音のみに支配される森の中で不満を漏らすが、当然答える者はいない。

 そもそも反応を期待して発せられた言葉ではないだろう。

 思い出すのは、八賢人と呼ばれネルトにその才能と能力を認められた他の六人と共に、世界大戦を終結させるべく駆け抜けた日々。

 思い起こすのは、予言通り出現した史上二人目の天災アクト・オブ・ゴッドに対し暴帝オシリウレス・アリストテレス八世、そして兄であるガイザス・シーザー・カエサルと結託し挑んだ日々。

 ユラウリは激動の人生を振り返りながら、約束の時間になっても姿を現さない顔見知りを待ち続けていた。



「…遅い」

「ああ悪い。ユラウリ」



 だがその時、この日二度目の不満に反応を示す者が姿を見せる。

 大柄な体躯と毛先から水滴の零れる黒髪。

 紅い瞳を持つ男が森の影から、小脇に何かを抱えて顔を覗かせていたのだった。


「…それ、クレスティーナ?」

「そうだ。偶然森の奥で出会った」


 大股で近づいてくる男にユラウリは首を傾げる。

 彼女の待っていた人物こそ目の前の大男その人であったが、どうにも納得がいかない様子だ。

 小脇に抱えているのは間違いなく人間で、紫色の長髪を地面に垂らす女にユラウリは見覚えがあった。

 

「今は気絶している。しばらくは目を覚まさないだろう」

「…それはいいけど。マイ・ハーンは?」

「森の最奥まで足を運んだが、見つからなかった」

「…いなかったの?」

「そういうことになる」


 男の言葉にユラウリの瞳孔が僅かに開かれる。

 マイ・ハーン。

 ネルトの一人娘であり、人嫌いのため森の最奥に一人で住んでいるとユラウリは聞かされていた。

 そのため情報は幾らか知っているが、実際に賢人の八番目に列座する女に出会ったことのある者は、九賢人の中でもいない。

 そもそも会いに行くことをネルトに禁じられていたからだ。

 なんでもマイ・ハーンは非常に気性が荒いらしい。

 それは実の父親が化け物と呼ぶほどに。


 なぜマイ・ハーンは姿をくらましたのか。


 “愉悦”。

 賢人としての逸脱した力を手に入れる代償に笑顔を失った女は思考を放棄し、自らに与えられた任務を果たすことだけに意識を向けることにした。


「…まあいい。じゃあ本部に戻る。報告は自分でして」

「ああ」


 光転移ライティカ

 絶級に位置する光属性の魔法を唱えながら、ユラウリはふと思う。

 横に立つガロゴラールという名の男は、力を手に入れるさいに心の何を失ったのかと。

 賢者の宝玉。

 それは魔力を倍以上に跳ね上げる力を持つ石で、賢人は全員がそれを装飾された指輪をつけている。

 だが賢者の宝玉は力を与える代わりに、本人が最も必要ないと感じている心の機能を奪ってしまうという弊害があった。

 ユラウリの場合は愉悦。

 それこそが最も不必要な感情だったが、他の賢人たちが何を必要ないと判断し捨て去ったのか、彼女は知らない。


「…姉様は何を捨てたのかな」

「どうした? 何か言ったか?」

「…なんでもない」


 悩むことで答えを得られそうにない疑問をしまい込み、ユラウリは魔法に集中する。

 次会ったときに直接訊けばいい。

 姉妹仲が悪いわけではないユラウリは、光が収まる頃にはまた姉といつものように言葉を交わせるという安心感から疑問を後回しにしたのだ。


 真っ白な光の先では、ユラウリの全てを奪おうとする業火の炎が待ち構えていることを、彼女はまるで予感していなかった。





―――――― 



「あ……? ここは……」

「目を覚ましたか」


 クレスティーナは二日酔いの時のように、グラグラする頭をさする。

 規則的な振動が身体を揺さぶっていて、吐きそうなくらい気分が悪かった。


「…おはよう。クレスティーナ」

「は? お前、ユラウリか?」


 すると今度は面白くなそうな顔が横から覗き込んでくる。

 その足下を見てみれば、小さな足がペタペタと歩行中。

 クレスティーナが自分で歩いていないにも関わらず、並走するように歩いている。

 

(なるほど。大体今の状況が理解できたよ。ったく最悪だ。あたしの人生の中でもトップクラスの恥だね、こりゃ)


「……ハンニバル。下ろせ。自分で歩ける」

「逃げるのか?」

「馬鹿いってんじゃないよ。これ以上恥の上塗りをするわけないだろ」

「…クレスティーナ、負けたんだっけ」

「うるせぇぞ、チビすけ」

「…チビじゃない」


 鬱陶しいことに完璧に思い出されてしまった記憶の中、クレスティーナは大男の肩の上から飛び降りる。

 プライドを賭けた正真正銘の全力の勝負。

 そこでクレスティーナは敗北した。

 彼女の人生で二度目の敗北だった。

 悔しさに大男の背中を蹴り飛ばしたくなるが、どうせ色んな意味で無駄になりそうだと思いやめておく。


「ここは協会本部か?」

「そうだ。ネルトがお前を呼んでいた」

「…まあ、本当はマイ・ハーンを連れてくる予定だったんだけど」

「マイ・ハーン? ああ、そういやそんな奴もいるんだっけ? まだあたし会ったことないけど、言われてみればダイダロスの森海にいるとかいないとか言ってたわね」


 気絶する前のぬかるんだ地面とは違い、今クレスティーナの靴裏越しに感じるのは固い石のような感触。

 長い回廊。

 窓から見える景色は、この場所の標高をよく表している。

 国際魔術連盟本部オリュンポス島。

 前組織である魔術師協会の呼び名を使い、通称協会本部と呼ばれることの多い場所に、クレスティーナは連れてこられてしまったらしい。


「あー、あいつには謝らないとな」

「どうした?」

「いや、ちょっとダイダロスに弟子を置き去りにしちまってね。あいつ生きてっかな」

「…意外。クレスティーナが弟子をとるなんて」

「まあ、ちょっと変わり種だったのよ」


 珍しくユラウリが少し驚いた表情を見せる。

 もっとも、驚いた表情といっても、半開きの瞳が数ミリ大きく広げられただけだが。

 

(レウミカの奴、大丈夫かしら。まあでも、あたしの勘だとあいつは心配なさそう。あたしの勘はよく当たるんだ)

 


「止まれ」



 その時、何の前触れもなく、クレスティーナたち三人の前に、一人の女が姿を現す。

 高貴さと強さを感じさせる金色の髪。

 その女の灰色の瞳は、いつもとは少し違って見えた。


「…姉様」

「メイリスか」

「久し振りね、メイリス」


 廊下の先に姿を現した女の名は、メイリス・カエサル。

 

(馬鹿げた火力の魔法をぶっ放すことしか能のない、糞つまんない女がどうやらあたしたちをお出迎えらしい)


「あの化け物は連れてきたか」


 メイリスはクレスティーナの挨拶を無視して、一方的に言葉を押し付けてくる。

 

(相変わらず、嫌な女。それもいつにもまして、なんかご機嫌斜めみたいだし)


「いやあの化け物、マイ・ハーンは連れてきていない。ダイダロスの森海の奥には誰もいなかった」

「……いなかった。許容範囲外の言葉。指令無視を確認」


 メイリスは抑揚のない言葉をポツリと漏らす。

 そんなに引きこもりの八番目が大事なのか。

 クレスティーナは自分の存在をアピールしようと、軽い暴言を吐こうとするが――、



「指令無視の場合は、速やかな攻撃を。《罰の悠火イグニス・パニッシュメント》」



 ――一切の予兆なく繰り出された絶級の火焔が、クレスティーナの視界を覆い尽くした。





「ごほっ…ごほっ……! おいおい、ユラウリ。お前の姉さん、いつの間にこんな荒っぽくなったんだ? 姉妹喧嘩中か?」

「…姉様? なぜ?」

「無事か、二人とも?」


 パラパラと白煙と熱気が満ちる中で、ただでさえボロボロの身体に更にダメージが蓄積したことを実感する。

 廊下の外壁は物見事に壊れていて、曇天が頭上には広がっていた。

 

(それにしてもメイリスの野郎ふざけやがって。あの頑固頭、とうとう気でも狂ったのか? しかも予備動作なしで絶級魔法とか、こいついつの間にこれほどの力を?)


「メイリス、どういうつもりだ」

「《蛇焔ヴォルカニック》」


 ハンニバルの言葉にもまるで耳を貸さず、メイリスは魔法行使を続ける。

 どうも本気でクレスティーナたちを潰しに来ているらしい。


「《魔力纏繞まりょくてんじょう空間集中ゾーンプレス》」


 爆炎纏う巨蛇が四匹。

 その四匹全てをハンニバルが紫色の魔力で叩き潰す。


「ユラウリ! サポートしろ!」

「…姉様、なぜ?」

「ユラウリ!」

「…聞こえてる。《天復ソラス》。《光足ライニング》」


 瞬間移動かと錯覚するような速度で、ユラウリはメイリスの真上にクレスティーナを連れて行く。

 

「ナイスよ。チビすけ」


 気の利いた回復魔法にウインクで礼をしながら、クレスティーナも容赦なく暴走しているメイリス目がけて魔法を放つ。



「これで頭を冷やしな! 《氷の偶像アイス・イドラ》!!!」



 瞬間、絶対零度の波動が、全てを凍結させながら一人の女に襲い掛かる。

 だが、クレスティーナは確かに感じた。

 その時、メイリスから溢れ出る赤い魔力が、想像を絶する膨張を見せるのを。



「《罪の悠火イグニス・クライム》」



 どこからともなく出現した炎の鎖が、クレスティーナの氷を瞬く間に溶かしていく。

 猛火の勢いは圧倒的で、ヒリつく熱を放出しながらクレスティーナまで捉えようとしていた。

 

「これはマズイ」


 クレスティーナはユラウリに助けを求める。


「糞がっ! ユラウリ!」

「…待って、今行く――」


 しかし、新たな見知った顔がそれを邪魔した。



「これはこれは。ずいぶんと大変なことになっていますね。もうあの立派な廊下は見る影もないじゃないですか」



 黄金の柵がユラウリを刹那の間に閉じ込め、さらに枷があの子の身体を捉えて離さない。

 轟炎を避ける術を失ったクレスティーナは、痛みを覚悟し瞳を強く閉じる。


「《魔力纏繞/空間支配ゾーンドミナント》」


 満ちる、紫の重圧。

 全てを圧殺する魔力が荒ぶる焔を地面にひれ伏せさせると、クレスティーナは間一髪致命傷を避けることに成功した。

 感謝の言葉を伝えるのは後にして、彼女は一先ずガロゴラールの横へ場所を移す。


「お久し振りです、クレスティーナさん」

「ヒトラー……相変わらずニヤニヤと腹立つ顔してるな」

「ははっ、そちらも変わらず口が悪いですね」


 ユラウリを行動不能にさせたのは六番目ヒトラーの仕業。

 純白のスーツに身を包み、クレスティーナの記憶と同じ薄笑いを浮かべている。

 

「…ヒトラー、姉様がおかしくなったのはお前のせいか」

「おっと! そんな怖い声出さないでくださいよ。あれは僕のせいじゃないです。それに僕だって、好きでこんなことしてるわけじゃないんですから」

「どういうことだヒトラーっ! 説明しろっ!」

「まったくどうして僕の知り合いの女の人には、こういう怖い人しかいないんですかね」


 ふざけた態度を崩さないヒトラーを串刺しにしてやろうと一歩前に出るが、クレスティーナの前に一本の太い腕が繰り出される。

 腕の持ち主はガロゴラール。

 ガロゴラールはクレスティーナやユラウリとは違い、ヒトラーとは別の場所を見ているようだった。


「どうした、ハンニバル?」

「メイリスは心を操られている。そしておそらくヒトラーも何かしらの制限をかけられているのだろう」

「操られている? 一体誰に――」


 ――瞬間、突如蒼の光が煌めく。

 その蒼白光はちょうどユラウリがいた辺りで、光が収まる頃にはまた見知った顔が一つと、見たことのない顔が一つ増えていた。



「あの化け物はどこじゃ、ガロゴラール」



 響き渡る含蓄のある低い声。

 知らない間に白髪の老人が冷たい双眸でこっちを睨み付けていて、収まった蒼い光の残滓の中でユラウリは虚空に視線を漂わせている。

 

(ネルト・ハーン。あの糞ジジイ、ユラウリに一体何をしやがった?)


「マイ・ハーンはいなかった」

「いない? ふんっ! 戯れ言を。アレが自由を得たとしたら、今頃世界は破壊に狂乱しているだろうよ」

「おいっ! 糞ジジイっ! 今度こそ説明をしてくれるんだろうなぁっ!?」


 ネルトの横に立つのは、紅い髪で黒い外套を羽織る男だ。

 片方の手に刃のない剣を持ち、もう片方の手には鋭い刃の剣を持つその男も瞳は虚ろ。

 おそらく彼もメイリスやユラウリに近い状態だろう。


(指に付けられた黒い宝玉を飾した指輪から察するに、あいつが噂の九番目か)


「説明? そんなものは必要ない。すぐに貴様らも儂の人形に成り果てるのじゃからな。ただ時が満ちただけ、じきに彼が鍵を取りに来る」

「あぁっ!? 意味わかんねぇことのたまってじゃねぇぞ糞ジジイ! ついに耄碌したのかい!?」

「彼とは誰だ? ネルト」


 普段はどこか食えない飄々とした雰囲気をもつはずだが、今のネルトは冷酷そのもので、本当にクレスティーナの知っているネルトと同一人物か不安になるほどだ。


「シャルル・マッツァーリ。WMSワールド・マジック・スタンダードの最高経営責任者にして、|強欲な拐奪者(スナッチ・スナッチ)総帥である彼のことじゃよ」

「は? 強欲な拐奪者だと? おいネルト、お前自分が何言ってるかわかってんのか?」

「……やはりそうか。なるほどな。最初から、全てそのために、か」


 強欲な拐奪者。

 それはクレスティーナたちの唯一の敵と言っていい存在だ。

 この組織のトップはおろか、構成員さえずっとわからないままだった。

 それにも関わらず、ネルトはいとも簡単にその総帥の名前を口にして、彼なんてまるで親しみを込めた呼び方さえしている。

 一体何がどうなっているのか、クレスティーナにはわからない。

 

「お喋りは仕舞いじゃ、ガロゴラール、クレスティーナ。もう時間切れなのじゃよ。貴様らにも私が育てた人形としての役目、果たしてもらうぞ」

「ちっ! まるで意味がわからないけど、やるしかないみたいだね。糞ジジイっ! 勢い余って殺しちまっても恨まないでよっ!」

「九賢人が四人に、ネルトが相手か。それにクレスティーナとの戦闘の疲れが残っている。形成は不利だな」


 ガロゴラールの弱気な発言に舌打ちがしたくなるが、それは事実だ。

 口では強がっているが、クレスティーナもこの状況で勝利を収められるとは思っていない。

 ユラウリさえもネルトの人形と化した今、逃げるにも転移魔法は使えない。

 なら、賭けるしかない。

 賭けの対象は彼女の知る限り、最強の二人。


「ハンニバル、死ぬ気で時間を稼ぐわよ。最低でも三日」

「……全力は尽くそう」


 九賢人の中に明確な実力の区切りはない。

 だけどその中でも、別格の強さを持つと暗黙の了解で皆が認めている三人がいる。

 一人は隣りにいるこの大男、ガロゴラール・ハンニバル。

 クレスティーナも実際に闘ってみて、その規格外さを思い知った。

 このガロゴラールと同格、いやそれ以上と目されるのがもう二人。

 一人は“全能ぜんのうの七番目”――エデン・クロムウェル。

 闇属性の魔法を除いて、この世界に存在する全ての魔法を扱えるといわれている修羅。性格は最悪だが、今はそんなこと考えている場合ではない。

  そしてもう一人が、クレスティーナに生まれて初めての敗北を教えた男、“雪銀せつぎんの一番目”――レイドルフ・リンカーン。

 

 

「《アイスバード》」



 クレスティーナは思念を込めた魔法の鳥を、天に飛ばす。

 呼びかけにあの二人が応じるか、そもそも間に合うのかはわからない。

 

 それにレイドルフは天災アクト・オブ・ゴッドに生涯追われ続ける呪いを背負ったはずだが、それも今はちょうどいい。

 

(今すぐにここに来な。レイドルフ)

 


「化け物引き連れて、今すぐここに来い」




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