走る者たち
さてここで少し考え直してみよう。
本当にあの胡散臭い神が俺にくれた最強になれる
実際にはむしろ俺自身が最強の魔法を使えるようになるのよりよっぽど有益なんじゃないのか?
もし仮に俺に魔法を自由自在に扱える力があったとして、俺はマトモに盗賊やらなんやらと戦えるか? 命を張って?
答えは否だ。実際にそんな場面になったら空前絶後の小心者の俺のことだ、確実に脳の機能停止を招いて小便垂れ流して逃げ出すだろう。
そう考えると、危険そうな雰囲気になった瞬間ちょっとばかし呪文を呟けば、自動で最強になってオートで敵を殲滅してくれそうなこの能力はかなり有意義なモノなのでは?
確かに自我が薄まり、別の人格らしきものに体が支配されるのは気持ちの良いものではない。だが今思い出せばあれはあれで少し快感だったような気もするし、割りと簡単に解除も出来た。
要するにこれ、全然アリなんじゃね?
魔法のエロへの応用の難しさという問題もあるが、人生課題があった方が面白いものさ。コンピュータゲームだって俺は難易度ハードで挑むタイプだ。勿論マゾの傾向があるのは否定しない。
そんな事を、浅い眠りから覚めた俺はまず考えていた。
にしてもこの部屋、この村は居心地が良い。頬を撫でる風は優しくて、俺が人間の屑だって事を忘れさせてくれる。
「目が覚めたようじゃの。ムト・ジャンヌダルク」
「!?」
そんな風に俺が夢心地で筋の通らない思考を巡らせていると、突如人の気配がその声をもって俺にその存在を感知させる。
むくりと上体を起こし、大人っぽい声のした方へ寝起きの
「は、はい。お陰様で。介抱して下さってありがとうございました」
「私に礼はよい。ロビーノに言ってやれ」
「わ、わかりました」
ジュリアスはいつもとはまた違った神妙な面持ちでそう言う。なにやら緊張感のある感じだ。
これはひょっとするとひょっとするのか?
わかっているとは思うが今この寝室には男と女が一人ずつしかいない。
「……ムト・ジャンヌダルク、お主に聞きたい事がある」
「え? な、なんでしょう?」
そしてなにやらやけに改まってジュリアスは俺に話しかける。
経験の有り無しだろうか? 俺は記憶喪失という設定だから無垢だと言っても変じゃないよな?
「本当の事を話して欲しい。お主は一体何者で、何のためにこの村に来たのじゃ? 記憶喪失が嘘だというのはもうわかっとる」
「!? そ、それは……」
馬鹿か俺は。
いつからこんな前向きなお花畑仕様の思考回路になったんだ。
女性が俺に話かける時は九割九分俺にとって耳の痛い話だって知っているだろう?
間抜けな俺は気づかなかったが、どうやら俺はジュリアスにとって胡散臭くてしょうがない不審人物にしか見えてなかったようだ。
有無を言わせぬ黒い双眼が俺を貫いている、目を合わせられない。適当な事を言ったらどうなるかわかったもんじゃない。
「俺は、実は」
「実は、なんじゃ?」
本当の事を言っていいのか? 信じてもらえるのか?
漆黒の吸い込まれるようなジュリアスの瞳は一切ブレる事なく俺を射すくめたままだ。
俺にこの状態で嘘を吐く強靭なメンタリティーは無い。真実は語るのは大抵の場合嘘を並べるのよりも簡単だ。だが今は数少ないそれの例外に値する。
どう言えばいい? 出来るだけリアリティを出しつつ真実を語らなくてはならない。何だそれは。最悪の状況だ。俺の語彙力と言葉の構成力を最大限まで加速させろ。
「……異世界から、来ました」
「異世界、か」
っておい。
下手くそか。
省略し過ぎとかそういう次元じゃないだろ。もっと長考して良かったんだよ? 何で我慢出来ないの? 普段はまともに喋れない癖にこういう時にはいとも簡単にそのとば口を開ける。つくづく笑えねぇ。
喉がカラカラに渇いていく。もしかしたら最初から渇いていたのかもしれない。俺は阿呆だから気づかなかったのだろうか。
いや、今はそんな事はどうでもいい。とにかくこの無言空間をどうにかしてくれ。
頼むジュリアス、表情を変えるか俺を一発ぶん殴るかどっちでもいいからリアクションをして下さい。
「やはり、正直に話してはくれぬのか。ならば代わり頼みがある。本当の事を話す代わりにのう」
ほらね。
もう信じるか信じないか考えるという段階にすら辿り着いてないよ。最初から信じるという選択肢が出現すらしていないってよ。
で、その頼みってなんですか。美女の頼み、ああなんて甘美な響きなのだろうか。
「この村から、今直ぐ出て行って欲しい」
「え?」
ガツンと後頭部でも殴られたかのような衝撃。
忘れてた、俺はまずそう思った。
この時の俺の顔はさぞ哀れで醜くかった事だろう。
俺は浮かれてたんだ。
確かに顔はマシになったし、体型も良くなった。他にも色々調子の良い事を考えていたさ。
でも、中身は変わってない。この事の意味を俺は知っていたのに、綺麗サッパリ忘れてた。
俺は不幸の星に生まれた人間だったらしい。神は俺に不運が舞い込むようにしたと言う。だが考えてもみて欲しい。
じゃあ俺は神の悪戯がなければ幸せになれたのか?
その問いの答えがこれだ。俺は知っていた。自分の悪い所を神のせいに出来るのを俺は本当は喜んでいただけなんだ。
目先の性欲に騙され、見た目が、境遇が、能力が変われば俺の人生は良い方に変わっていくはずだ。俺は都合の良い考えに乗っ取られ、全部忘れてただけなんだ。
「この村の村長として、正体を偽る者を匿うわけにはいかんのじゃ。お主に例えどんな深い事情があろうとこの村を守る責任のある者として、厄介事を持ち込むのは許さん」
「お、俺は本当に異世界から――」
「言い方を変えよう! これは頼みでは無い!! 命令じゃ!!!」
俺にとって居心地の良い場所が、俺の居ていい場所とは限らない。
そんな事わかっていたのに。まだこの村に来てから全然時間が経っていないのに。さっさと都会に行こうとすら思っていたのに。
どうして。
どうしてこんなに悲しいんだ?
「ロ、ロビーノは――」
「ロビーノは今用事があって出掛けている」
何ロビーノの名前なんか出してんだよ。
あいつはレウミカの頼みで嫌々俺を泊めてやってただけだろ。
優しさ。ただそれだけだったんだよ。
「さぁどうするのじゃ?」
「お、俺は……」
でもまだこの世界の事を俺はレウミカからまだまだ教わっていない。
今村を放り出されたら俺はどうやって生きて行けばいいんだ?
「この村で、まだ教わりたい事が……」
「ならば真実を話すのじゃ。道は二つだけじゃ」
違う。二択じゃあない。残念ながら片方の道は俺にしか見えない道なんだ。
「だから、記憶が……」
「おや? 異世界から来たんじゃなかったのか?やはり出てってもらうしかないかのう」
「っつ!」
言葉が、出ない。
ロビーノやレウミカは俺のことをどう思ってたんだ?
彼は知っていたのだろうか。俺が追い出される事になるのを。
彼女は知っていたのだろうか。記憶喪失と言い張る流れの者の末路を。
一つだけたしかに分かるのは、誰もこの状態になるのを止めなかったという事。
無属性魔法の特訓も実は俺をボコボコにする手はずだったんじゃないか?
いくらなんでも卑屈過ぎだろうか。考えがまとまらない。思考が泳ぐ。
「悪いの。村の掟なんじゃ」
「掟、ですか」
つまり昔からこういう俺みたいな奴は居たのか。村人に助けられた、不審な旅人。
そしてその旅人の身元がハッキリすれば居座る事を許可し、怪しければ追い出す。成る程確かに小さな村がやっていくには合理的かもしれない。
「そうなんですね……」
「うむ」
俺は幽霊のようにゆらゆらと立ち上がる。
荷物は元々無い。本当に今直ぐ出て行けるじゃないか。そう言えば今は魔法が使えるんだっけ? じゃあもう路頭に迷う事もないだろう。それに最強というくらいだ。人の気配を探す魔法くらい使えるはずだろ。街へ行こう、遠くの、遠くの街に。
拒絶されることに誰よりも慣れているはず。これまでと同じ。だから大丈夫。
そうだろう?
「お主……何処へ行くのだ?」
「そうですね、街、ですかね」
「!? お主まさか荷物すらないのか!?!?」
ジュリアスが顔を蒼ざめさせて驚いている。
そういえばお金ってこの世界にはあるのかな。どんな通貨なんだろう。
「それじゃあ、さようなら。二人によろしく……はいらないか」
「お主は、まさか、本当に……?」
不思議な気分だ。あれ程さっきまでここに居たかったのに、今は一刻も早くここから逃げ出したい。
そしてぼんやりと耳の辺りを彷徨うジュリアスの声を聞き取るのを諦め、玄関へ向かった。
自然と足が駆けて行く。扉を乱暴に開け放して眩しい外へ行く。一度走り出したら止まらなかった。もうロビーノの家は小さくなり始めている。
すれ違う村人の顔は殆ど見知らない。俺は彼らにどう見られていたんだろう。
村は小さい、直ぐに堀が視界に入ってくる。でも何故か輪郭がぼやけて滲んで見えた。
何で俺は走っているんだっけ。それすらもう思い出せない。でも駆ける、駆け続ける。
俺みたいな生ゴミにロビーノやレウミカは釣り合わない。俺は今頃気づいたのさ。
そして俺はまた、一人になった。
――――――
「リエルを見なかったか?」
「見てないのう」
「リエルを知らないか?」
「いんや。今日は見てないぞい。レウミカのお嬢のとこじゃないんか?」
「リエルの姿を見かけただろ?」
「いえ。見てないわ」
(これは本格的に不味いかもしれねぇ。レウミカにリエルが突然何処かに走り去って行ったと聞かされた時は、それ程深刻な事態だとは思わなかった。実際レウミカ自身もだいぶ時間が経ってからリエルの家に姿を確認しに行ったらしいからな。
だがこいつはどうなっていやがる?
村はそんなに大きくないし、当然村の殆どが顔見知りだ。なのにこうもリエルの目撃証言が存在しないのはおかしい。
リエルがレウミカの家を飛び出したのは早朝だと言っていた。つまりリエルは村人の大体数がまだ家の中にいる時間帯に村から消えたという可能性が高い。
そうだとすると、リエルはもう村の周辺にもいない可能性すら出てきちまう)
「はぁっ……ロビーノ、そっちはどうだった?」
「ん? レウミカか。残念ながら情報はゼロだ」
「そう、じゃあやっぱり……」
「ああ、村の外にリエルは居る可能性が高い」
レウミカが汗でその可憐な顔を照り光らせながら駆け寄って来る。
レウミカとロビーノとでこの村を全力で探した。
もうこの村にリエルが隠れている可能性はほぼ無いと言っていいだろう。
「おいレウミカ。本当に探知魔法は使えないのか?」
「だからさっきも言ったでしょう? あれは対象の血がなければ使用出来ないわ。私の魔法はまだその程度の応用力なのっ……!」
「そっ、そうか」
珍しくレウミカが苛立ちを隠せないでいる。
自分の所為で誰かを傷つけてしまう事に、レウミカは慣れていなかった。
「仕方ないわ。行きましょう。外へ」
「その外って言うのは何処までを指すんだ?」
「決まっているでしょう。あの子がいる場所までよ」
レウミカのエメラルドグリーンの瞳はとうに覚悟を決めていた。
これでレウミカ自身は何故リエルが姿を眩ましたのかすら分かってないって言うのだから、不思議だった。
「そう言うと思ったぜ。んじゃま、いっちょ行きますか。レウミカとリエルがどうすれ違ったのかも気になる所だからな」
「ええ。あの子が一体何に傷ついたのかを私には知る義務がある」
そう言い終わるやいなや、レウミカは脱兎の如く走り出した。魔法を使っていないのにも関わらず凄まじい速度だ。
ロビーノもそれにすぐさま続く。
筋肉に疲労が残存しているが、そんな事を気にしている場合ではない。
(最悪ダイダロスだな)
ロビーノの嫌な予感は良く当たる。
だからここで脳裏にダイダロスという言葉が出たという事は、そういう事なのだろう。
彼は念の為に持って来ておいた鉄剣の柄を軽く撫でながら、可愛い娘達のために加速していった。
――――――
腹が減った。
よく考えたら朝からまともに食事を取っていないじゃないか。あんなに激しい運動をした後にも関わらずだ。こんな事なら村を飛び出す前に少しばかり食事を貰っておけば良かったな。
大体村を出る事になったのも、飯をちゃんと食えなかったのも全部あのババアの所為じゃないか。深く思考すればする程段々腹が立ってきた。
畜生っ! ロビーノやレウミカだって違う場所の生まれだろうが!! 何で俺だけ追い出されなきゃならないんだよっ!!!!
「まぁ、俺だからか」
足元に鬱蒼と生え茂っている草々がくるぶしを擦り掠ってこそばゆい。
今日も空は憎らしいくらいの晴天だ。この世界に来てからというもの、雨が降る天候を見た事がない。俺をあざ笑うかのように素晴らしい空模様ばかりが続いている。もしかしてこの世界には雨という現象が無いのだろうか。
「風が気持ちいい。本当に鬱陶しい涼風だな」
おもむろに身体を地面に寝転ばす。
俺があてなくそぞろ歩いてもどうせ行きたい場所になんて辿り着かないんだろ? だったらアイツに変わるまでの間は好きなだけ意気消沈させてくれたっていいじゃないか。
嫌われるのには慣れていた筈なのになぁ。
なぜ俺はこんなに心落ち込んでいるのだろう。
あぁ、あれかな。しばらくの期間家に引きこもってほぼ他人との接触を拒絶していた所に、いきなり大変な事態に巻き込まれ、急に美形に囲まれ養われる展開になったから頭がショートしてたのか。
要は上げて落とされたから損傷が激しいわけね。
まさかこんなにブランクが大きかったとは。人に嫌われるのが嫌で他人から距離を取ったのが、まさか長年かけて習得した嫌われ耐性を錆びつかせる事になっていたとは思わなかった。
「にしても結局俺は、ここでも変われないのか」
やはり俺は前世の様に孤独なままじゃないか。姿形は問題じゃない、大切なのは魂だったんだ。俺の腐りきった性根がここに残る限り俺は変われない。一生日陰の人生さ。
そうさ俺は、身分相応の道にいる。お似合いの境遇だ。あのインチキ神に人格ごと変えて貰えばよかった。いやもしかしたら神はそれを分かってて俺を転生させたのかもしれない。一度折れ曲がった鉄板の歪みが消える事はない。消える時は全てがリセットされた時だ。
神の俺に対する不幸実験はまだ終わっていないんじゃないか?
考え過ぎだろうか。
「さて、そろそろだな」
流石に俺の醜い内容物についてあれこれ考えるのにも飽きてきた。元々この事についてはこれまで散々検証してきたからな。今更自分の負の内面について吟味してもしょうがない。
そろそろ俺を救う唯一の方法に頼る事にしよう。
「聞こえるか、俺の中の最強」
生命の気配の少ない草原の真ん中で上体を静かに起こす。
「俺がさっき居た村以外で人が居て、なおかつ可愛い女のいる場所に俺を連れてってくれ」
ははっ、自分に対して声を出して語り掛けるなんて。本当俺にピッタリの不気味な行動だぜ。
「それじゃあ、頼んだから」
もしかしたらもう俺の体は帰って来ないかもしれない。
でも、それもいいかもしれない。
むしろ、その方がいいのかもしれない。
「《魔力纏繞》」
まるで音のしない世界で、静かに俺の瞳が閉じられていく。
そして体の奥から湧き上がる圧倒的な力の奔流、それに飲み込まれる様に意識も加速度的に薄れていく。
だけど、俺は確かに感じたんだ。
意識が消えかかる中、確かに俺の唇はこう動いていたんだよ。
「叶えよう」
――そう発せられた言葉は、確かに俺の声じゃなかったんだ。
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