No.10 ディスティンクト
閉じられた瞳が闇に慣れていく。
視覚以外の五感を研ぎ澄ます。
付近に気配は感じない。
岩屑が転がり落ち、空洞にゆっくりと音が響き渡っていくだけだ。
そこでクアリラは静かに目を開き、ある程度の暗闇を見通せるようになっていることを確認すると座り込んでいた身体を持ち上げた。
「《シルバブレイド》」
正確な魔力演算によって生み出された銀製の刃を自由自在に操り、クアリラは自らを縛る烏黒色の糸を切り裂いていく。
頭上を見仰いでみるが、天井にまで視線は届かなかった。
足下の地面をそっと触れてみる。
どことなく粘土質で、指に付着した土を指で擦ってみると少し湿っぽい。
(はぁ……ダルいな)
今度は切り取った黒糸を手元で観察しながら、クアリラは自分の置かれた現状を把握していく。
地中から飛び出してきたこの糸はおそらく何かしらの魔物の攻撃によるものだろう。
その魔物の襲撃のせいか、通路となっていた地面が崩壊。
見てわかるように、洞穴の下部に広大な空間があったことも崩壊の大きな原因だと推測できた。
(ん?)
クアリラが先ほど自分を襲った魔物の正体を考えていると、ふいに後方から何かが近づいてくる気配を感じた。
しかしその気配からは殺意や敵意は感じず、むしろ高貴で優雅なものすら感じる。
身に覚えのない気配ではない。クアリラはやがて姿を露わにした小さなシルエットに適当に手を振っておいた。
「はぁ……そっちもあいつとはぐれちゃったんだ」
「無事でよかったわ、クアリラ。貴方は奇襲を唯一まともに受けていたけれど、平気だった?」
「まあ、ぼちぼち」
ほとんど明かりが差さないため瞳孔を開きながら、一匹の猫――ラーが近寄ってくる。
てっきりラーはムトと一緒にいると思っていたため、クアリラは少しだけ意外だった。
「はぁ……とりあえず一旦外に出たいな。こうなるともうクソザコの魔物捕獲とかどうでもいいし。でもどうやって出よう」
「そのことなら心配要らないわ。ムトは探知魔法と転移魔法が両方とも使えるはずだから、そのうち彼が私たちのところへ来てくれるはずよ」
「まじで? はぁ……そっか。ならここで大人しく待ってようかな」
ムトの持つ能力を聞いたところで、クアリラは再び近くの丁度いい落石に腰を下ろす。
ラーの話が本当ならば、じきに迎えがくるはずだ。むしろ視界の悪いこの場をむやみやたらに動く方が危険だと判断した。
「はぁ……でも、まさかそっちもあの人とはぐれてるとは思わなかった」
「そうね。私も落下している途中までは彼の肩にたしかに乗っていたのだけれど、なぜか気がついたら私一人になっていたのよ」
「ふーん、そうなんだ。それで、あの人の探知魔法で私たちを見つけ出すまでどれくらいかかる?」
「私の知る限り、本人が望めば一秒もかからないと思うわ」
「は? なにそれ。本当にあの人人間なの?」
「保証はできないわ」
「はぁ……まあ私を楽させてくれるなら、人間でもなんでもいいや」
ムトが行使するものが聞いたこともない次元の探知魔法ではあったが、それは特に問題とは思わなかった。
クアリラは元来、自分以外の他人にあまり興味を持たない気質の持ち主だったからだ。
「はぁ……でもそれにしては遅くない? もうとっくに私たちを見つけ出してもいい頃だと思うんだけど」
「たしかに少し不自然ね。もしかしたらムトは彼女と一緒にいて、何かしら試しているのかもしれないわ」
「彼女? ……ああ、あのクレスマ人の女か」
ピピと名乗る女の顔を思い浮かべながら、クアリラはまた溜め息を吐く。
紫紺の髪と瞳は、法国クレスマで生まれた民に顕著な特徴だ。出身に嘘偽りはないだろう。
それでもクアリラはどこかピピという女そのものに、虚構染みた違和感を抱いていた。
「というか試してるってなにを?」
「貴方は……彼女をどう思ってる?」
「はぁ……質問に質問で返さないでよ面倒くさい。……どうって、まあなんか胡散臭い女だなぁ、くらいにしか思ってないよ」
「やはり貴方もそう思うのね」
「貴方も? そっちも同じ印象ってわけ?」
「いえ、どちらかといえば私というより、ムトが彼女のことを特別警戒しているというべきかしら」
自らの認識とは違うラーの言葉に、クアリラは眠そうにしていた目をやや見開く。
ピピ・シューベルト。
その女に根拠はないが厄介さを感じていたのは、自分だけと思っていたからだ。
「ムトは初めて会った時から、彼女のことをずっと注視しているわ。本人はなるべく周囲に気づかれないようにしているみたいだけど、彼は案外ああいった小細工が苦手なのよね」
「それ本当に警戒してるの? ……どうも私には色気に惑わされた頭の悪い駄犬が、デレデレよだれを垂らしてるだけにしか見えなかったけど」
「ふふっ、ムトのことをよく知らなければ、そう思ってしまうのも仕方ないかしら。たしかに彼には女性に甘い面があるけれど、それでも見た目だけで誰かに惑わされるような人ではないわ」
「ふーん……そうなんだ」
クアリラからすればムトという青年は、魔法的素質が異様に高いが聡明さが足りず人格的にも軟弱な存在に過ぎなかったが、どうもラーの言葉を聞く限りではそれは間違いで、下手をすればあえてそう見せかけている可能性すらあるようだった。
人の言葉を理解し、当たり前のように話す銀毛の猫ラー。
不可思議な生物ではあるが、ラーに関しては他者の本質を見抜く慧眼を持ち、優れた頭脳も持ち合わせているとクアリラは思っている。
そのラーが一目置く青年ムト。
めったに他所に興味を抱かないクアリラの心に、ほんの少しだけ好奇心が芽吹き始めた。
「あら。どうやらムトの寄り道が終わる前に、一仕事しなくてはいけないみたいね」
「はぁ……面倒くさい。呼吸をするだけで生きていきたい」
軽やかなステップでラーがクアリラの肩に飛び乗ったところで、世間話は強制的に打ち切られる。
闇の奥から感じるたしかな威圧感。
クアリラたちを探していたのはどうやらムトだけではなかったらしい。
「ヴ…ヴ…ヴ…ヴ」
「はぁ……なんかまたダルそうなの来た」
「たくさんいるわね」
一定間隔で重低音を響かせながら近づきいてくるのは、全身を粘土質の泥土で固めた人型の怪物だった。
瞳はなく、鼻や唇といった人間ならあるべき顔のパーツもまったく見当たらない。
ただ全身を灰鼠色に染めた大型の人形が、まったく同じ音を繰り返し体内から放ちながら進んでくるのだ。
さらにその数は一体ではなかった。
個体を識別不可能なほど同様の姿、動き。
軽く十は超えるだろう泥人形に、気づけばクアリラは包囲されていた。
「……《魔力纏繞》」
無属性魔法を唱え、身体能力を底上げする。
次いで地面を強烈に蹴りつけ、クアリラは闇宙に飛び上がった。
「《シルバブレイド》」
地属性中級魔法を発動させ、銀製の剣を顕現させる。
光明乏しい暗闇においても目標を定めることに支障はなく、尖った銀の切っ先は凄まじい速度で泥人形たちの頭部を正確に貫いていった。
「ヴ…ヴ…ヴ…ヴ」
それでも機械的ですらある音はやまない。
頭部を貫通された泥人形はボコボコと溶けて消えていくが、すぐその傍からまた新たな泥人形が生まれていく。
(ちっ……これは本当にダルい)
溜め息の代わりに舌打ちをすると、クアリラは銀の刃の数を増やし、勢い増していくばかりの泥人形たちを次々と掃滅していく。
それでやっと互いの力は拮抗し、クアリラへ泥人形は近づけなくなったが、反対に彼女が優勢になることもなかった。
「少し数が多いわね。このままではジリ貧よ」
「はぁ……わかってるって」
クアリラは疲れることが嫌いだ。
そして魔力を利用し魔法を発動させることは非常に体力を消耗する。
しかし全ては優先順位の問題だ。
自らの命を守り生き残るためにならば、彼女は疲れることを否としなかった。
「《シルバインフェルノ》」
足下の地面に亀裂が入るが、今度は予想外のものではない。
全てはクアリラの意志のままだ。
割れた裂け目から飛び出す鈍く輝く槍衾。
瞬く間に広がっていく銀槍の支配。
大量の泥人形はなすすべなくその身を貫かれ、形状を保てないただの泥と成り果てていく。
「はぁ……まったく。疲れることは死ぬことの次に嫌いなのに」
奇怪な音がついに鳴りやみ、静寂が戻る。
癖である大きな溜め息を一つ、クアリラは凝った肩を揉み解した。
「というかあの人いつになったら来る――」
――自ら生み出した亀裂の中に、見覚えのある黒閃が覗き、クアリラは反射的に飛び退く。
黒い糸は意識を持つかのような振る舞いで絡み追いすがり、それを力づくで振り払う。
「コホォ……ツグ…ツグナイ……」
喉が潰れているのか、枯れ細い空気が通り抜けるかの如き声。
体勢を整え直したクアリラは新手の魔物の姿を捉え、鋭い視線を送った。
「さっき貴方を襲ったのは、どうやらアレのようね」
「はぁ……この洞穴いったいどうなってんの。面倒くさすぎ」
海藻の揺らめきに似た動きで、地面から沸き立つ漆黒の糸。
その黒糸に囲まれるように立つ、真っ白な目をした足と腕を三本持つ老婆。
当然生きた人間ではない。老婆というよりはミイラに近いかもしれない。
危険な気配を十分に匂わす異形は、闇に浮いたように見える白目でクアリラを見つめていた。
「はぁ……なんか嫌な感じするなアレ」
「気をつけて、クアリラ。これまでの魔物とは違うみたいだわ」
警告を含んだラーの言葉に、クアリラはわざわざ同意を返さない。
一目見ただけでわかっていた。
これまで対峙した経験のある魔物の内でも、その異形の老婆は最も凶悪な種であることは明らかだった。
「コホォ……ツグナ…ツグ……ツグナイヲ……」
邪悪な魔力がうねる。
不規則に揺れていた黒糸が一斉にクアリラに向かって伸び、身をよじり回避しながら銀刃で応戦する。
「ツグナ…ツグ……ツグナイ…」
「ちっ……!」
何度切り刻んでも黒糸は止まらず、執拗にクアリラの身を捉えようとする。
すると死角から襲い掛かってきた糸に左足を絡み取られ、完全に体勢を崩された。
「ツグナイヲ」
「かはっ……!?」
「クアリラ!」
ぐらりと反転した視界。
首元に感じる尋常ではない力。
一瞬のうちに老婆に距離を詰められ、クアリラは首を絞められている。
ラーの叫び声の方向がどこかわからなくなる。
苦しみに喘げば、目と鼻の先に白一色の眼球が見えた。
(あーヤバいヤバい。これは死んじゃうって。《シルバインフェルノ》)
無詠唱で地属性上級魔法を発動。
しかし異形の老婆の命を刈ろうとした銀槍は、黒糸にぎりぎりと締めつけられ骨と皮の身に切っ先は届かない。
意識が半分朦朧とし始めたところで、いよいよクアリラは命に危険を感じた。
「《
凛然としたアルトの声と共に、白銀の風が吹く。
重苦しい闇は風に吹かれた傍から明るく照らされ、風に混じった細かな粒子に光が反射し幻想的に煌めく。
呼吸が止まるほどの圧迫感から突如解放され、クアリラは大きく咳き込んだ。
「ごほっ! ごほっごほっ!」
「まったく。遅かったじゃない」
どこか安堵したようなラーの声の方向も今度は定まっている。
やがて一息ついたクアリラが顔を上げると、白銀の風に外套を靡かせる青年の黄金の瞳と目が合致した。
「お二人とも無事でしたか?」
「ええ。おかげさまでね」
身を案じるような声で紫髪の女が近寄ってくるが、そんなものはクアリラの目には入らない。
青年の瞳から目が離せないままで、引き寄せられるような感覚が全身を支配する。
ふと交錯していた視線がほどけると、そこでやっと彼女の呼吸は普段の落ち着きを取り戻す。
(ああ……なるほど、もしかしたらわかったかも)
クアリラの頭の中で、バラバラだったピースがはまったような気がした。
興味がないという理由だけで思考を放棄していたが、少し考えればおのずと答えは導き出せた。
元々人格のせいで発揮されることは少ないが、クアリラの知識量、論理的思考能力は常人より遥かに高水準だ。
見ようと思えば、いつでもその英雄の姿は見ることができたのだ。
(ムト・ジャンヌダルク)
クアリラはまた瞳を半分ほど瞑ると、その名を思い出す。
今から三年前、クアリラの居場所を奪った魔法使いの名を、彼女ははっきりと思い出したのだった。
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