飢えた銀狼③



 静かな夜になると、クレスティーナはいつも肌寒さを感じた。

 小さな街の露店で買い込んだ安酒をあおりながら、つい最近出会った銀髪の少女のことを頭に浮かべる。


(血ってやつは、怖ろしいねぇ)


 レウミカ・リンカーン。

 雪銀の一番目、レイドルフ・リンカーンの一人娘の名を知る者は、それほど多くない。

 もう何年も顔を見ていない、かつて相棒の面影はたしかに刻まれていて、クレスティーナは郷愁に頬を緩めた。


(たしかレイドルフの話からすると、まだレウミカは今年で十六とかそこらだよな? その歳で、二属性を下級まで、水属性の方はもう中級。しかも独学か。単純なセンスだけなら、あたしより……いや、下手をしたら、レイドルフ以上だな)


 夜道を一人で歩きながら、レウミカと同じくらいの年齢だった時の自分を思い返せば、レウミカの異常さがクレスティーナにはよくわかる。

 彼女の若い頃は、まだ国際魔術連盟のような魔術師を統括する組織はなく、魔物の被害を守るのは、もっぱら冒険者と呼ばれる野良の魔法使いや荒くれ者だった。

 その冒険者の中でも若くして名を馳せていたクレスティーナでさえ、中級魔法に辿り着いたのは二十代初め、上級を満足に使いこなせるようになったのは三十代に入ろうとしていた辺りだった。


(ここまで若い魔法使いは、他にはクロムウェルくらいか? さすがにあいつほどとは思わないけど、順調に育てば二十年以内には私に追いつきそうね)


 クレスティーナは、少しだけ自嘲する。

 彼女はその豪放磊落な性格に反して、現実主義者リアリストの一面も持つ。

 上には上がいる。

 魔術を極めた者の一人として、自らの能力に絶対的な自信を持つ一方、勝てない相手がいることは理解していた。

 同じ九賢人の中でも、一番目レイドルフ七番目クロムウェルにはまず勝てず、二番目ハンニバルも打ち倒すのは難しい。

 他の魔法使いに目を向けても、五帝たちとはよくて相打ち、暴帝オシリウレス神帝アイザックなどの特に武力に優れる相手には勝ち目が薄い。

 それがクレスティーナの冷静な分析による、自分の立ち位置だった。


(なんだか、あたしも歳取ったわね。昔はこんな風に、あいつには勝てない、なんて思うことまったくなかったのに。嫌な歳の取り方をしたわ。あーあ、なんかもう、九賢人、やめちゃおっかなあ)


 元々自由な気性のため、大きな責任を持つのは得意ではない。

 かつて自分を国際魔術連盟に誘ったレイドルフも、今は“天災アクト・オブ・ゴッド”の呪いを受け、組織においては半休職状態となっている。

 もはや賢人という肩書はただの重荷でしかなく、自らの人生の目標を見失いつつあったのだ。


(今呼び出されてる会長ハーンからの緊急招集もバッくれちまうか? でもこのままあのレイドルフの娘の面倒見続けるのも、若干ダルくなってきたしなー。どうしよ)


 クレスティーナは頭を悩ませる。

 これまでの人生は、基本的により面白い方へ、直観的に動いてきていた。

 だが、レウミカと一緒にいることと、今彼女に招集がかかっている賢人会議のどちらを優先するかで、彼女はまだ迷っていたのだった。


(まあ、あのレイドルフの娘も、才能はあるって言っても、もうちょい時間かかりそうだし、賢人会議行くかな)


 度数が高いだけで、まるで旨味のない酒を喉に流し込みながら、そしてクレスティーナはレウミカを置いてきた場所まで戻ってくる。

 夜はすでに更けきっていて、あと数時間で朝になろうという時間になっていた。


(やけに静かだな。さすがにあいつはもう寝たか……ってん?)


 しかし、ある程度レウミカがいるはずの場所へ近づいていくと、クレスティーナはある異変に感じる。

 足下の草を踏む時の、やや砕けるような感覚。

 口から吐く息につく、白い色。


(……寒い?)


 それは季節にそぐわない、冬に似た肌寒さだった。

 また同時に、その神聖な雰囲気を含んだ独特の冷気を、クレスティーナは誰よりもよく知っていた。


(違う。これは、自然に創られた寒さじゃない。まさか、あいつ……)


 クレスティーナは驚愕の面持ちで、足を前に進める。

 やがて見えてきたのは、月明かりの下、すくっと一人立つ銀髪の少女。

 瞑想するかのように両目を閉じ、呼吸を止めているのかと錯覚するほどの静寂に身を包んだ少女の周りの、灌木や草はすべて薄らと凍り付いていた。

 

(……。なるほど、あたしは教育者失格ね。レイドルフの娘だっていう頭であいつのことを見過ぎて、本当の意味でのを勘違いしていた)


 クレスティーナは、胸の中に好奇心の騒めきが生まれるのを自覚する。

 彼女の知る、レウミカの父レイドルフの魔法使いとしての特徴は、なんといってもその器用さだった。

 火、水、風、という三つの属性を状況によって完全に使いこなし、同時使用もいとも簡単にこなす。

 さらには無属性魔法による身体能力向上にも秀でていて、剣術も得意。

 まさに魔力コントロールの天才。

 魔術の多元行使マルチタスクに、レイドルフ以上に長けた魔法使いをクレスティーナは知らない。


 それゆえの、勘違い。

 

 レウミカに魔術を教えて欲しいと頼まれた時、クレスティーナは迷わずそんなレイドルフと類似した才能があると考え、まずは得意なはずの魔力制御を行わせたつもりだった。

 だが、今目の前で全神経を研ぎ澄ませるレウミカの魔力には、相変わらず風属性と水属性の両方の波長が見られた。

 

 ただ、それは、あまり美しい、二つの波長。


 半分は風属性で、もう半分は水属性。

 その二つの属性が美しいまでに混ざり合った光景は、ある別の才覚を鮮明に示していた。


(こいつは器用なレイドルフタイプじゃない。どっちかっていうと、あたし寄り。異なった魔力を力づくでぐちゃぐちゃにかき混ぜて、新たな属性ちからを生み出せる、脳筋あたしタイプ!)


 それはきっと、無意識のことだろう。

 レウミカ本人としては、魔力を上手く制御しようとしているはず。

 だが、実際は集中すればするほど、レウミカの中の魔力は綺麗に混ざり合い、むしろ別の輝きを孕んでいく。

 それは派生属性、或いは合成属性とよばれる基本属性とは異なる魔法を扱える者のみが持つ輝きだった。


「レウミカ、いったんやめな」


 もはやもう、クレスティーナの頭の中から賢人会議のことは抜け落ちていた。

 今彼女の直感を騒がせるのは、初めてに近いを見つけたという興奮だけ。


(まだすぐに氷属性を教えるのは早い。魔力制御なんかフッ飛ばして、さっさと上級教えた方がこいつは伸びるわね。レイドルフみたいな秀才型いいこ子ちゃんじゃない。こいつはあたしと同じ天才肌パワー馬鹿だもんな)


 しかし、クレスティーナが声をかけても、集中し切っているのか、レウミカは瞳を閉じたまま何の反応も示さない。

 その事に苛立った彼女は、迷わずその横っ腹を思い切り蹴り飛ばした。


「うっ!?」


「お師匠様を無視するとは、いい度胸じゃない」


 派手に草原を転がっていくレウミカを見ながら、クレスティーナは屈伸をして、首をぽきぽきと鳴らす。


「……貴方、本当に九賢人? 殴る蹴る以外に、コミュニケーションの方法を知らないの? 賢人の賢の意味、知ってる?」


「口だけは減らないわね。その割に相変わらず属性混ざりまくってんじゃない。やる気ある?」


「うるさいわね。わかってるわよ、そんなことくらい。邪魔がしたいだけなら、さっさとまたどっか行きなさいよ」


「お前みたいな出来の悪い弟子には、これ以上魔力制御をやらせても無駄だと判断したわ。だから、あたしが直接、魔法ってもんを教えてあげる」


「直接……?」


 レウミカが怪訝な表情をするのと同時に、クレスティーナは一気に自らの魔力を解放して、先ほどとは比べものにならないほどの冷気が周囲に満ちた。

 


「さあ、歯ぁ食いしばれよ、


「……やっと名前を覚えたのね、



 “氷麗つららの三番目”クレスティーナ・アレキサンダーは、嬉しそうに嗤いながら、胸にある目標を立てるのだった。


(才能はわたし似だけど、このムカつく感じはやっぱりレイドルフ似ね。絶対こいつ泣かす)


 


 

 

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