No.6 モーゼ・ランチ・タイム
ここ最近よく思うのは、やはり若さとは素晴らしいということだ。
もちろんこれは俺の目の前で白く陽光を反射するクアトロの生足に影響を受けた思考だが、別段彼女に欲情しているわけではない。
俺という人間は性欲のハードルが常人の数倍は高い、女性の素肌と肉感を凝視する程度、呼吸するのと同義なのだ。
「ねぇー、ムトくん、ジャックくん。そろそろお昼ご飯にしない?」
視線の先で揺れていた濃紺のミニスカートがゆるりと止まったかと思えば、クアトロが小休憩を提案してくる。
やはり育ち盛りということなのだろうか。彼女は非常によく食べる。毎日三食は必ず摂るし、その量も男二人とは比べものにならないくらいだ。
「おー、そうだな。そうすっか。じゃあ、ムトは食材調達担当な」
「はいよ」
この数日の旅の間で、すっかり役割分担も決まった形になりつつある。
俺が食材を調達する係で、ジャックが調理をする係。そしてクアトロが食べる係だ。
一度だけ俺が料理を担当することもあり、その時我が愛しの天使は普通にバクバクと食べてくれたのだが、無駄に繊細な味覚を持つジャックが散々文句を垂れたせいで、俺が料理を担当することはなくなった。
「ムトくん。今日のお昼ご飯はもしかしてお魚さん?」
「うーん。そうだね。せっかくだし、たまには魚介類に挑戦してみよっかな」
「おー! 超楽しみ! うち、応援してるね!」
「うっ……! その言葉で俺のやる気が漏れ出るよぉ……!」
ちょうど今、俺たちはそれなりに大きな湖の畔にいるので、それを利用するべきかもしれない。
軽装で行きあたりばったりの旅ということで、食事は獣系の魔物を食べることが多かったのだが、やっと色々な意味で新鮮な食事にありつけそうだ。
クアトロも兎のようにピョンピョンと跳ねて期待をしてくれている、当然彼女を裏切ることはできない。
「でも魚かぁ。俺、釣りとかしたことないんだよな」
とりあえずジャックとクアトロから離れて、湖の水際まで近寄ってみるが、そこからどうするべきかいまいち判断がつかない。
国土の広さの割に人口が少ないのか、ここでも周囲に他の人の姿は見えず、風も穏やかなせいで水面は凪に落ち着いている。
しばらく続く晴天は今日もまた同様で、深呼吸すれば清々しい空気が肺一杯に満たされていく。
不穏な異形は影も見せず、ディアボロの篝火が昼夜問わず燃え盛っている景色にも見慣れてしまったくらいだ。
「まあものは試しだ。やってみるか。《釣り竿を》」
得意の
だが俺の釣りに関する知識が乏しいせいで、竿というよりはただの棒きれにしか見えなかった。
そして特に何も考えず、か細い針先を湖の中に放り投げてみた。
「……」
反応はない。
もう少し待ってみる。
「……」
三分経過。反応はない。
よく考えたら餌も擬餌も何もつけてない。
これでは釣れるわけがない。当たり前だ。
相変わらず俺の頭は致命的にポンコツのようだった。
「あー、どうしよう」
さて、餌をどうするべきか。
最初に思いつくのはやはり、気色悪くウネウネしたゴカイとかああいったもの。
しかし改めて言うほどでもないかもしれないが、俺はかなりの臆病者だ。
あのようにグロテスクな生き物に触れることなどもちろんできないし、しようとも思わない。
俺は釣りを諦めた。
「ジャンヌ、聞こえるか?」
【聞こえているぞ、我が宿主よ】
釣り上げることができないのなら、もう直接この手で捕まえるしかない。
せっかくこの世界には魔法なるものがあるのだ、どこかのポッターよろしく水中で呼吸する術くらいあるだろう。
俺には思いつかないが、ジャンヌならきっとなんとかしてくれる。
「この湖の中にいる魚を直接手で取りたいんだけど、お願いできるかな?」
【叶えよう】
さすがジャヌエモン。二つ返事で俺のお願いを承諾してくれる。
最高に甘やかされている自覚はある。おそらくジャンヌにはダメンズウォーカーの才能があるのだろう。
ほぼほぼあり得ないことだが、将来頭のオカシイ変なヒモ男に捕まってしまわないか不安になるくらいだ。
もし万が一そんなことが起きないように、この俺が気をつけなければ。
――意識が急激に薄まっていき、五感の支配者が変化していく。
俺は俯瞰しているかのような感覚の中、ぼんやりとジャンヌの熱を感じていた。
「《
俺の意志とは別に、俺の唇から凛としたアルトが紡がれると、奇妙な浮遊感に身体が包まれた。
見渡す限りの広大さを誇る湖が、急激に膨れ上がり始める。
強烈な魔力の波動を、肉体の所有権を受け渡している俺ですら感じてしまう。
「ウェイウェイ!? おいおいあの馬鹿いったい何してんだっ!?」
「ちょっ!? は? え? 嘘でしょ!? なにこれぇっ!?!?」
気のせいか、どこからか悲鳴に似たような声が聞こえるが、おそらくもし今俺に舌と喉を動かす権利があれば、似たような声を上げただろう。
さすがはジャンヌだ。いつも彼女は俺の想像を遥か十段飛ばしで跳んでいく。
それはまさに神の御業といっていいものだった。
巨大という言葉では言い表せない威容を誇る水の塊が、なぜか頭上に浮かんでいて、先ほどまで仄かな温もりを感じさせていた陽光を遮っている。
「ムトよ、これで構わないか?」
【も、もちろんさぁ】
プカプカと気持ちよさそうに重力から解放された水塊からは、絶えずボトボトと様々な種類の物体が落下していて、それは突如目の前に出現したぬかるんだ盆地に溜まっていっている。
かつてエジプトを脱出したモーゼは、約束の地カナンに向かうために海を割ったというが、ジャンヌはお昼ご飯の魚を調達するために湖の水全てを浮かび上がらせたのだ。
「貴公の役に立てたのなら、私は嬉しい。それこそが私の望む全てだ」
心に染みわたる甘言を残して、再びジャンヌの魂は俺の奥底へ落ちていく。
俺が彼女に頼んだのは、魚を直接手で取りたいという一言のみ。
この状態ならば、魚は好きなだけ手で取りたい放題だろう。
「ちょっと! ちょっと! ムトくん! これどうしたの!?」
「や、やあ、クーちゃん。ほらお魚さんだよ。好きなのを選ぶといい」
少しばかり想定とは違った派手な食糧調達になってしまい呆けていると、背後から慌ただしい足音が聞こえてくる。
おそるおそる振り返ってみれば、興奮しているのか顔を真っ赤に変えたクアトロが鼻息荒くしていた。
「違う! そうじゃなくて! これ! これなにしたのって聞いてるの!」
「え、えぇ? なにって、見ての通りだよ。魚欲しいなーと思ったので、湖、浮かべてみました」
「はぁっ!? 超意味わかんない!? 馬鹿じゃん!? てかどうやってるのこれ!?」
興奮冷めやらぬクアトロはさりげなく俺への罵倒を混ぜながらも、ひたすらに俺に詰め寄ってくる。
これは怒っているのだろうか。思春期の妹への対応にまるで慣れていない俺は、頭の悪そうな返答を繰り返すことしかできない。
「なんで浮いてるのこれ! 何属性の魔法!? 水属性!? それともなんか重力とかそういう力学的な概念を操ってるの!?」
「お、おおん! ちょいとクーちゃん落ち着いて!?」
ご覧の流体浮上
凄まじい勢いで迫られているが駄目だよ。俺たちは兄妹なんだから。
「ったく本当にお前はマジでぶっ飛んでんな。こんくらいの思い切りの良さが日常生活にも出せれば、もうちっとマシな人生を歩めただろうによ」
クアトロから少し遅れて、ジャックも呆れた表情でこちらまでやってくる。
そして何やら文句を言いつつも、視線は湖の底でぴちぴちやっている魚達に注がれていて、アレとアレが欲しい、などと生意気にも注文を俺につけてきた。
「ねぇ、ムトくん。この魔法はムトくんにとって、なんでもない、取るに足らないものなの?」
「え? まあ、朝飯前っちゃ、朝飯前かな。あ、どっちかっていうと昼飯前か」
「おい、クソムト。全然うまくねぇぞ」
やっと平静を取り戻し始めていたクアトロは、やけに真剣な表情で俺に問い掛ける。
その澄んだ蒼い瞳にそこまで見つめられると照れてしまう。美人は得だな。人の目を見るだけで他者をドキドキさせることができるなんて。
「そっかぁ。これが大大陸の英雄の力なんだね。……いやー、やっぱり引きこもりはよくないなぁ。思ってた以上に世界は広い」
青空に浮かぶ水塊は深海のクラゲのようで、その光景を神妙な表情で見仰ぐクアトロは最高に神秘的だった。
そして俺もいつまでもそんな彼女に見惚れていたかったが、早く魚を取って来いとジャックが急かすので仕方なく視線を逸らす。
この湖の水を戻すの、大変そうだなと少しだけ思った。
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