癒えたはずの右胸
見つめ合う数秒間。
私はジャンヌと名乗った正体不明、完全無欠の謎人間の瞳に吸い込まれるようだった。
その黄金の瞳にはなんともいえない魅力がある。
おっといけない。何か言わなくちゃ。
私は緊張のあまり吐きそうだったけど、なんとか言葉を絞り出すことに成功する。
「あ、あの! と、とりあえず中にどうぞ!」
「ああ」
まるで身体全部が鉄クズになったみたいだ。
手足がどうにも自分のものではないような感覚に心底焦りながら、私は生まれて初めての客人を家に招く。
ていうかこの人、人間だよね?
「そ、その辺に適当に座ってください!」
「ああ」
ドアノブを握り、回すのにすら手間どってしまう。
テンパり過ぎて汗だくの私は家の掃除を昨日しておくべきだったと後悔していた。
私の緊張に気づいているのか気づいていないのか、ジャンヌさんは眉一つ動かさず近くにあった椅子に座る。これまでずっと一人暮らしだったけど、椅子が二つあってよかった。
「お、おおおお茶を、今出しますのでっ!」
「ああ」
呂律が全く上手く回らない。
当然だ。私至上初のお客さん。緊張しないわけがない。ぼっちなめんな。
そして慌ててティーカップを探すのだけども全然見つからない。
普段ポットから直飲みという駄目駄目ライフを送ってきたツケが、まさかこんなところで回ってくるとは。
「《インヴォケーション》! ってうわぁっ!?!?」
どう考えてもお湯を沸かすのに必要以上の炎が巻き上がる。おいこら。反抗期ですかなんですか。
焦りやなんやらで発狂しそうだ。
こういうのを何て言うんだっけ。へそで茶を沸かす?
「す、すいませんっ! 大丈夫なんでっ! ご心配なさらず!?」
「ああ」
燃え盛る炎を自慢の肺活量で大人しくさせながら、私は必至でお茶を作る。
ていうかさっきからジャンヌさん、ああ、しか言ってなくない?
これヤバいよ。絶対引かれてるよ。
お茶一つで私は一体何やってんだ。女子力足んねぇぞおい!
「できましたっ! どうぞっ!!」
「ああ」
やっとのことでティーカップ(埃被ってたので洗いました)を見つけ出し、何茶だかわからないけどいつも私が飲んでるものを差し出す。
それをジャンヌさんは圧倒的無表情で一口。
味大丈夫かな。
「ど、どうですか……?」
「何がだ?」
「え?」
「ん?」
何が、とな?
おっとこれ駄目かもわからんね。まったくコミュニケーションが成り立っていないよ。
あれ。これ私がまずいのかな。人との会話とかわかんね!
あ、そうか。味がどうですかって訊かなきゃ駄目じゃん。
言葉足らず。よし。私はまた一歩成長した。
「味……どうですか?」
「ん? 味はするぞ?」
「そ、そうですか」
「ああ」
味はするぞ、とな?
うし。これ完全駄目ですねこれ。私やっぱり会話とか向いてないわ。
いや、諦めてはいけない。
諦めたらそこで試合終了ですよ。会話はキャッチボール。続ければこそ意味があるのだ。
そうだよ。
お茶のことは一旦忘れて、自己紹介をしようじゃないか。考えてみればまだ私は名乗ってすらいないし。
カラカラに渇いた喉に唾を沁み込ませ、私はもう一度勇気を振り絞る。
「も、申し遅れましたっ! 私の名前はマイっ……マイです」
最悪。声裏返った。
絶対引かれてるよ。もう帰りたい。あ、私の家ここか。
しかし恐る恐るジャンヌさんの顔を覗いてみるが、隙のない無表情はそのまま。
なに。最近の人って表情筋失ってるの?
瞬きとか一回もしてないんですけど。超怖いんですけど。
「そうか。貴公の名はマイマイと言うのか。良い響きだな」
「え」
マイマイ?
誰だそれ。何か一セット多いんですけど。塩かけたら溶けそうな名前なんですけど。
だけどもちろん訂正する勇気など微塵もない私は、曖昧な表情で空笑いをしておいた。
「そ、それで、ジャンヌさんはなぜここに?」
「ムトがここに来たがっていたからだ」
「ムト? えっと、それは誰ですか?」
「私の宿主だ」
「宿主?」
「ああ」
「……」
宿主? ジャンヌさんは普段どっかの宿に泊まっている方なのかな?
それにしても宿主がここに来たがっていた? 前調べ的なあれなのだろうか。
駄目だ。全然話が見えてこない。
どう考えても能力不足。人とお喋りするのってこんなに難しいのか。
「そうなんですか。じゃ、じゃあ、直ぐにここは出てってしまうんですね」
「いつここを去るのかはわからない。ムト次第だ」
「え? それはそのムトさん、という方から連絡が来るまではここにいるってことですか?」
「連絡という言葉は正確ではないな。ムトが私に命じるか、ムトが自らの意志でここを出るかのどちらかだろう」
「自らの意志で? え、えーと、ムトさんという方もこの近くにいるんですか?」
「近く、ではなく。ここにいる。私はあくまでもムトの一部分にしか過ぎないからな」
「へ、へぇ……」
なに言ってんだこいつ。
いや、めげるな私。貴重なお客さんなんだから。ここで諦めちゃ駄目よ。
整理しましょう。ムトさんなる人が、ここにいる? つまりそれは、
そして、ジャンヌさんはムトさんの一部分でしかないと。私の灰色の脳味噌が考えるにジャンヌさんはムトさんなる人に比べれば些細な存在。要するにムトさんマジリスペクト、ってことだろう。
よし。いいぞ。調子上がってきた。
私にしては中々やるじゃない。感じるわ。ジャンヌさんと心が通じ合う感覚を!
「ジャンヌさんは、そのムトさんって人のことが大好きなんですね」
「大好き……? いや、その言葉はおそらく不適切だろう。私はたしかにムトに依存しているが、それはあくまで私の存在意義そのものであって、特別な感情の繋がりによるものではない」
「またまたっ! 照れちゃって!」
相変わらずジャンヌさんは無表情で何を考えているかさっぱりわからないが、どうやら意外にも可愛らしいところがあるらしい。
癖のない黒髪に中世的な顔立ち。
私はこの世界でいう世間一般的な美醜の判断はつかないけれど、個人的には悪くない容姿だと思う。って私は何様だ。
「ってあれ? そういえばジャンヌさんって……」
「どうした?」
「あ! いえ! なんでもありませんよぉっ!?」
この人、男……だよね?
思わず直接尋ねてしまいそうになったが、どう考えてもそれは失礼というやつだろう。
改めて私はジャンヌさんの顔と体つきをじっくりと見やる。
筋肉質というわけではないけど、胸ないしな。
まあその判断基準だと、私の性別もおかしなことになりますけどねぇ!
「私の身体に興味があるのか?」
「うぬへぇっ!? す、すいませんっ! そんなに私見てました!? そういうつもりじゃないんですっ!」
「いや、私の予想だと別に構わないと思うぞ。他者の裸体を想像するのはよくあることなのだろう?」
「裸体っ!? いやいやいやっ! 流石の私もそこまで妄想してませんよ!」
「脱ごうか?」
「いやいやいやいやっ! 脱がなくていいですからっ!!!」
突如ジャンヌさんが上着を脱ごうとするので、私は慌ててそれを押しとどめる。
何この人。ユーモアセンス超ハンパないよ。初対面の相手に裸体見せつけようとするなんてどんなボケかましてくるんだ。
しかもここまでの発言全て真顔。もうやだこの人。ナチュラルボーンボッチには刺激が強すぎるよ。もっと初心者向けのお客さんがよかった。
「……はぁ、ジャンヌさんもそういうこと言うんですね。なんか凄い意外ですよ」
「そういうこと?」
「え? 嘘ですよね? 天然とか言わないでくださいよ?」
「天然?」
「あ、もういいです」
他者とのコミュニケーションを一人で練習してみることなんてこれまで何度もあったけど、今のところ私の対人シミュレーションはまるで役に立っていない。
理想と現実はまるで違うというお話ですね。甘かったぜ、人類。
「あ、お茶のお代わりとかいります?」
「いや、私には必要ない」
「そ、そうですか」
飾りの一切ない私のお茶に対する拒否反応。
必要ないって何よ。もっと他に言い方ないんですか。私のメンタルの弱さ分かってやってるのこの人?
恨めしそうに一睨みしてみるが、案の定無視された。
「そういえばジャンヌさんは、どうやってここまで来たんですか?」
「飛んできた」
「へ、へぇ……そうなんですか」
ここはそう簡単に来れる場所じゃない。
家からちょっと離れれば明らかに、オレサマ、ニンゲン、クウ、って感じの化け物がウヨウヨしているはずだけど、どうやらこの人にとってそれは話題に出す必要すら感じない事柄らしい。
いや、本当何者だよこの人。私大丈夫? 食べられたりしないよね?
「…………」
「…………」
そして圧倒的沈黙。私はそわそわと机の模様を目で追っていた。
いや私結構頑張った方でしょ。初めての他者との交友にしてはだいぶ頑張ったよ。
というかジャンヌさん。何で私のことガン見してくるの? 止めて欲しいな。止めてくれないかな。
「あ、あの、私朝ごはん食べようと思うんですけど、ジャンヌさんも食べます?」
「いや、必要ない」
「あ、はい」
もしかしてだけど。もしかしてだけど。この人、私のこと、馬鹿にしてるんじゃないの。
私のもてなしてやろうという歓迎の意を、見事にスルーして見せるこの鉄仮面に、とうとう微かな苛立ちが生まれる。
私はこう見えて料理には自信があるのだ。
いや、まあ、もちろん、私以外が作った料理とか食べたことないんですけど。
「じゃあ、ジャンヌさんが料理してくださいよ」
「なぜだ?」
「だってこのままの感じで行くと、何日か私の家で泊まる系のあれですよね? だったら宿代的なあれとして料理くらいしてくれてもいいんじゃないですかねぇ?」
「いや、別に私はここに泊まるつもりは――」
「い い ん じ ゃ な い ん で す か ね ぇ ! ?」
無理矢理ジャンヌさんの腕を取り立たせ台所に連れ去る。
なんだかモゴモゴと抵抗していいのか許可が取れないなどと呟いていたが、意味不明なので無視だ。
すると、これまでずっと不変を保っていたジャンヌさんの顔に変化が生まれた。
なんと、眉がへの字にまがったのだ。
「んふっ!」
「料理か……」
これ以上なくわかりやすい困り顔をしたジャンヌさんを見ると、なんだか勝ち誇った気分になる。
私のおもてなしに対して、ノーノーを決めやがった罰ですよこれは。
「ほら、ジャンヌさん。包丁はこれを使ってください。ちょうどゴリラ肉が余っているので、使ってもらって結構ですよ」
「ああ……こうか?」
「ぶっふぉっ!? ちょ、ちょ、ジャンヌさん!? なにしてるんですか!?」
やっば。この人やっば。料理下手とかいうレベルじゃないですよ。包丁は切るものですから。突くものじゃないですから。
あの鉄仮面が歪むのも納得。
やっぱり私って料理上手いんだな。なんだか自信が漲ってきた。
「凄いですね、ジャンヌさん。よくこんなんでこれまでやってこれましたね。何食べてきたんですか? 料理とか一切しないタイプですか? 生肉? 生肉なんですか?」
「いや、私たちには無限の魔力があるため、それをエネルギーに変化することができる。ゆえにそもそも食事をとる必要がな――」
「はいはい。言い訳はいいですよー。さあ、料理作りを続けてください。私は手伝いませんからねー」
「いや、これは言い訳ではなく――」
「はい! 口は動かさず! 手を動かす!」
ジャンヌさんのへの字眉毛の角度がどんどん上がっていく。なにこれ。楽しい。
それにしてもお肉が可哀想。というか台所壊さないでください。
でも、黄金の瞳は真剣なんだよね。
なんだか悪い人じゃなさそう。料理を教えて上げるくらいならしてあげてもいいかな。
「こうした後は、焼けばいいのだろう?」
「うわぁっ!? 炎強すぎっ!! 燃える! 家燃えちゃうから! ジャンヌさん!!!」
ちなみに今回の朝ごはんは結局私が作りました。
――
目が覚める。
覚醒したばかりの頭はやけにぼんやりしているが、不思議と倦怠感のようなものは感じない。
見えるのはどこにでもありそうな淡灰色の天井。
そのことから今自分が仰向けになっていることがわかる。
背部の感覚は適度な柔軟性。
顔を動かさずとも、白い毛布のようなもので私はくるまれていることも確認できた。
「お? 起きたのか、ルナ?」
「……ゼルド先輩。おはようございます。それでここはどこですか?」
「その様子だと身体に問題はなさそうだな」
目覚めたばかりにしてはクリアな思考。
ルナが上体を起こすと、窓の横で何が楽しいのかケラケラと笑うゼルドの姿が目に入る。
何で起き抜けからこの馬鹿の顔を見なくてはならないのかと、一瞬軽く気が沈んだが、気を失う寸前のことをしっかりと記憶していたルナはそれを反省し、非のない恩人に心の中で謝罪しておいた。
「ここはアルテミス国立魔法魔術学園の治療室だ。お前が気を失ってから、一日経ったところになるな」
「そうですか。その件については本当に感謝します。助かりました」
「いいってことよ。俺たちは一応同じ師団の仲間だかんな。見捨てる理由がないぜ」
いやに調子のいい体に内心驚きながらも、部屋の外部まで耳を澄ましてみるが、不思議と人の気配は全くしない。
一日経ったということは、この建物にも普段の人気が幾らか戻ってもいいはずなのに少し不可解だ。
様々な疑問が湧いて出てくる。ルナは一つずつ尋ねることにした。
「それでは、早速で悪いんですが、事の顛末を教えていただけますか?」
「ああ、もちろんだぜ。大体、俺はそのためにここでお前の意識が戻るのを待っていたんだからな」
「お願いします」
待っていたとゼルドは言う。
ずっと寝顔を見られていたことに対する忌避感は一先ず置いといて、ルナはその不格好な言葉の続きを待った。
「まず、ムト・ジャンヌダルクについてだな」
「はい。あの人はどうなりましたか? 生きていますよね?」
「まあ、そう急かすな。今話すっつうんだよ」
「すいません」
ムト・ジャンヌダルク。
その名を聞くだけで手に力が入る。
初めての感情の芽生えは突然過ぎて、ルナはそれを持て余していた。
「端的に言うぜ? ムト・ジャンヌダルクと敵対した神帝アイザック・アルブレヒト・アルトドルファーは死亡。そしてその後現れた、四人の九賢人にあいつは転移魔法で連れ去られ、現在は消息不明だ」
アイザック・アルブレヒト・アルトドルファーは死亡。
九賢人を複数相手にしたにも関わらず、その生死は明言されない。
面倒と思っていた記憶が誇りへ変わっていく。
ルナは思わず口角が吊り上がってしまうのを抑えるのに大変だ。
(自分の予想は正しかった。私がこの先選ぶであろう選択もおそらく正しい)
「……消息不明。ゼルド先輩、派遣された九賢人は三人と言っていませんでしたっけ? それと具体的には九賢人の内誰が来たんですか?」
「うぎっ! よ、よく覚えてんなぁ。でも言っとくがその情報ミスは俺のせいじゃないかんな? 現れた九賢人は四番目と五番目と六番目、そして予想外だったのは九番目だ」
「なるほど。それで、九賢人側の被害状況は?」
「全員生きてはいるな。だが見た感じ無事で済んだわけじゃないらしい。唯一目立つ外傷がないのは五番目だけで、残りは全員ボロボロ。特に九番目にいたっては右腕を失ってたぜ」
「見た感じ? 実際その目で見たんですか?」
ルナが質問を重ねると、ゼルドはニヤリと笑い言葉を一旦切る。
無駄に溜める癖は是非止めて欲しいと思ったが、一応今回は命を救われているのでそれは直接言わないでおくことにした。
「驚くなよ? 実は今、この建物内にその九賢人共がいるんだぜ? へへへっ! まさか、あいつらも今同じ建物の中に俺たち
「どういうことですか?」
「言葉の通りだよ。ムト・ジャンヌダルクの情報が少しでも欲しいのか知らんが、あれこれ調べてるぜ」
ゼルドはまるで、アルテミスが自分たちの身内かのように話す。
そもそも、ゼルドたちがこの街に駆けつけた理由もまだ聞いていない。自分の回収だけが目的というわけではないだろうとルナは思う。
それにゼルドがここにいるということは、師長もいるはずだし、マリンとかいう女も来ているはずだ。
他の二人は今、一体どこにいるのだろう。
「でも危険じゃないんですか? 手負いとはいえ九賢人が四人。もし私たちの存在が勘付かれたら、間違いなく全滅ですよ。それにこの場所もクレスマ王家の直轄ですし、今更ですけどこんなに悠長にしていていいんですか?」
「その心配は要らねぇぜ。なぜならこの街アルテミス、いや、この国はすでに俺たち
「は?」
「ここは俺たちの、昔風の言葉でいえばホームグラウンドってわけだ」
言葉の使い方が合っているかどうかは置いといて、ゼルドはこれまた随分とおかしなことを言い出した。
自慢気な顔が癇に障るが、なんとか堪えて更なる説明を促す。
「どういうことですか?」
「いや、詳しいことは知らんが、どうやらこの国の次期王を俺たちの仲間に加えたらしいぜ。それだけさ」
「次期王? ……神帝が死んだということは、第一王女は行方不明なので、第二王女のレミジルー・アルブレヒト・アルトドルファーですか?」
「ああ、その通りだ。どうやって言いくるめたのかは知らねぇけどな」
レミジルー・アルブレヒト・アルトドルファー。
ルナはほんの短い間だが、一緒に旅をした如何にも頭の悪そうな少女の顔を思い出す。
紫の髪に右目の下の泣き黒子。
色々な憶測が頭に思い浮かぶが、別段興味を駆り立てられる事柄でもなかったため熟考することはなかった。
「それで、ゼルド先輩がこの街に来たのはクレスマを乗っ取るためだったんですか?」
「いや、厳密には違う。マリンちゃん曰く、総帥直々にムト・ジャンヌダルクと神帝、九賢人との戦闘を見極めろっていう命令が下されたんだとよ」
「なるほど、それでわざわざこんな危険な場所に直接踏み込んだんですね」
「クレスマ王家乗っ取り大作戦はおまけってわけさ」
鼻頭を掻きながらゼルドはそう言う。
(やはり総帥にとってもあの人はもはや無視できない存在になっていた。まあ、それもそうか。私の予想ではあの人は総帥よりも遥かに強い。現時点ではという限りがつくし、総帥の実力もあの人の実力も正確には把握していないけど。いずれ二人はぶつかることになるのだろうか。そのとき私は……)
「……それで、これからどうするんですか? 消息不明なんですよね? 私たちは監視を続けるんですか?」
「いや、これもまた総帥直々なんだが、新たな命令が俺たちにも下されている。それに生きているのかどうかもわからず、どこに行ったのかもわかんねぇのにどうやって監視続けんだよ」
少しの落胆。待っていろと言われたのに、待つことができなかった。当然の結果だろう。
不意にゼルドが窓を開ける。冷たい風がルナの頬をうつ。
新たな命令。躍らない心は、これまでもそうだっただろうか。
「ゼルド先輩は、あの人がまだ生きていると思いますか?」
「あん? そうだなぁ……これ師長とかに言うなよ? 俺は間違いなく生きてると思う。さっきこの目で九賢人を見たって言ったよな? あれは勝った奴の目じゃなかった。ありゃ敗北者の目だ。マジヤベェよな? 九賢人を四人相手にして、あいつは勝ちを譲らなかったんだ。あいつは俺たちからすれば敵だからよ。あんまり大声じゃ言えねぇが、あいつはモノホンの怪物だぜ。俺たちにも、九賢人ですら手に負えない相手だ。マジパネェよ!」
「唾が飛んでますよ」
「わ、悪りぃ!」
なぜか突然舌が滑らかになったゼルドは、若干頬を赤らめている。
その様子になんとも言えない奇妙な感覚を受けるが、深く言及はしない。
今回ばかりは彼のおかげで命が助かったことを正確に理解しているからだ。
(驚いた。まさか私以外にもいたとはね。あの人の魔に憑りつかれた人が)
「……でも、私も同感です。神帝を倒し、九賢人を四人も相手にした人がそう簡単に死ぬとは思えません」
「だろ!? それでどうだ? 疑問は大体解けたかよ?」
「はい。まあ、一応。あ、それで結局、新たな命令ってなんなんですか?」
「ん? ああ、それか。実はまだ詳細は俺も知らねぇんだよな。マリンちゃん曰く、時は満ちた。鍵を取りに行く、とのことだ。まあ、それに関しては俺じゃなくてたぶん師長が教えてくれんじゃねぇかな」
「はあ、そうですか」
「それじゃあ、大体の説明は終わったってことで、俺はお暇するぜ」
最後に要領を得ない言葉を残し、ゼルドは部屋の扉へ向かっていく。
いまだに不穏なまでの静けさが残っているが、おそらくルナたちのために人払いのようなものをしてくれているのだろう。
胸にあったはずの傷がないことを今更ながら確認しながら、彼女は遅れた感謝を伝えることにする。
「ゼルド先輩。改めてありがとうございました。今回ばかりは本当に助かりました」
「ん? いや、いいってことよ」
「まさか、ゼルド先輩がこれほど治癒魔法に長けているとは思いませんでした。傷一つ残っていませんし」
「あ、ああ……実はそれ不思議なんだよな」
「え?」
ルナが両腕を大きくぶんぶんと回して快調アピールをすると、なぜかゼルドは困ったような顔をする。
一体何が不思議なのだろうか。
「俺は確かにお前に治癒魔法をかけたけどよ、俺の魔法はそこまで強力じゃない。実際、俺がお前に魔法をかけた時は止血程度の効果しか出なかったし、お前が目を覚ますのももっと後だと思ったんだが……なんか朝になって見に来たら、綺麗さっぱり傷が治ってたんだよな」
「え? なんですかそれ」
「さあ、わかんね。でもいいじゃねぇか。よくわからんが、後遺症もなく復活できたんだし。そんじゃな」
「え、ちょっと待って――」
――バタン、と扉を適当に閉めて、ゼルドは逃げるように部屋から去って行った。
最後の最後にまったく意味のわからない説明をされたルナは若干苛立つ。
だが、その苛立ちの対象は命の恩人なので、今回ばかりは我慢しておいた。
自分の身体に違和感がないか、改めて確かめるが不具合は感じない。
(あの頼りになるんだかならないんだかよくわからない先輩のように、あまり気にしない方がいいかな)
「あれ。これは……」
しかしその時、ベッドの横に見覚えのある物が落ちていることに気づく。
そっとそれを手に取り、ルナは静かに見つめる。
「ムトさん……?」
頬を紅潮させた髭を生やす男性の仮面。
ルナが貰ったものはすでに壊れてしまったはずだし、この火に焼かれたような焦げ目にも覚えがない。
慌てて辺りを見渡し、窓の外を覗いてみるが、望むものは見つからない。
「……私はまだ、待っていますよ」
(まだ私が待っていて構わないのか。待つ資格があるのか。それはわからない。それでもまだ、私はたしかに少し狂った黒髪の青年を待っている。いや、それだけではもう足りないのかも)
「今度は私の意志で――」
――癒えたはずの右胸には、まだぽっかりと穴が空いているようだった。
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