可憐な怪物
「マイマイは本が好きなのか?」
「え? いやべつにそんなことはありませんけど」
朝食を食べるのがなんだか遅くなってしまったため、お昼ご飯を食べるタイミングを逃してしまった私たちは現在、居間で思い思いにまどろんでいる。
いやまあ、まどろんでいると言っても、私は家の中に他の誰かがいるなんて感覚に慣れてないから、ずっと気が休まらないんだけどね。
そして昼の峠も過ぎ、私が隅っこで趣味の裁縫をしている間、ジャンヌさんは家の中を興味深そうにうろちょろしていたのだが、突然彼はそんなことを尋ねてきたのだった。
「沢山の本がある。あれは全て貴公のものだろう?」
「あ、ああ……その本はまあ、そうですね。全部一応、私のものってことになりますけど、だからといって特別本が好きってわけじゃないです。なんていうんですかね。貰ったていうか、いや、最初から私のものなんですけど、受け継いだ? なんか、まあ、そんな感じで上手く説明できないワケありブックスなわけですよ」
「そうか」
私のまるで要領を得ない説明に納得したのかしてないのか、ジャンヌさんは視線を本棚の方へ戻す。
凄いなこの人。全然食いついてこないよ。
もしかして私の本当の正体に気づいてる?
ってさすがにそれはないか。もし気づいてたらこんな風に普通に接してくれるわけないもんね。
というか正体隠して人を自分の家にかくまうとか、私、結構悪女的な? きゃー! 私超悪女なんですけど!
まあでも、よく考えたら、私の正体に気づいていないとしても、私がどういった存在なのかある程度は理解してると思うし、正体をバラしてもこの人なら受け入れてくれるかも。
いや、さすがにそれは期待のし過ぎか。
「ジャンヌさんは本が好きなんですか?」
「いや、そんなことはない」
「……好きに読んでいいですよ?」
「本当か? ならそうさせて貰おう」
動くの早っ! めちゃくちゃ本好きじゃねぇか!
これまでは我慢していたのか、無駄に効率の良い動きでジャンヌさんは本棚を物色し始める。
一応家主である私の許可を取るまで待っていたのかな。
家の中をうろうろと勝手に探索することには許可を取らなかったくせに、変なところで律儀な人だ。
「マイマイはここにある本をもうすでに読み終えているのか?」
「一応全部読み通したはずです。まあ、それも随分前にですけど」
「そうか」
私もここで生まれた最初の頃は、憑りつかれたように本を片っ端から読破していったっけ。
知識欲的なあれのせいなのか、私は寝る暇も惜しんでひたすら本に夢中になっていた記憶がある。それだけにここにある本全てを読み終えてしまったときの虚しさも凄かったな。
もうこれ以上私は何かを知ることができないんだって、手に入れた知識のほとんどが私にとっては意味がないことなんだって。
でも、なんだかんだで今ジャンヌさんとの会話に役立っているから、全部無駄ってわけじゃなかったか。
「私はこの家の中にある本しか知らないですけど、森の外にはもっと沢山本があるんですよね? べつに読みたいわけじゃないですけど、どのくらいあるんですか?」
「さあ、わからない。私は本を見るのも読むのもこれが初めてだからな」
「えぇ!? そうだったんですかっ!?!?」
前言撤回! この人全然本好きじゃねぇ!
見るのも読むのも初めてって、これまでどんな環境で過ごしてきたんだ。
それとも本なんてありふれたものだって勝手に決めつけていたけど、実は結構貴重なものなの?
改めて書物というものに好奇心が湧き始めた私は、ジャンヌさんが一体どんな本を読んでいるのか盗み見る。
“簡単! 確実に相手をぶち殺せる最強魔法図鑑 決定版!”
怖っ! ジャンヌさん超怖いよ! 人生で初めて読む本がそれってどんな感性!?
他にもっとあったでしょうが! まずは料理本とかどうです奥さん!?
思わず裁縫の手が止まってしまうほどの衝撃を受けながら、私は生まれて初めての客人の過激な一面を垣間見る。
というかあんな本あったっけ。私の記憶もだいぶ薄まってきているらしい。
そして、これからも際限なく、どんどんと薄まっていくんだろうな。
そう、いつか、今日という日、ジャンヌさんのことだって……。
「ジャンヌさん! 私も! 本! 読んでいいですか!?」
「む? この本は全て貴公に帰属するのだろう? ならば私に許可を取る必要はあるまい。いや、違うか。今、私が手にしているこの本を読みたいという意味だったか?」
「いえ。その本はもう二度と読まないので大丈夫です」
「そうか」
気づけば私は裁縫道具から手を離して立ち上がっていた。
なぜだか無性に本を読み直したくなったのだ。
あれ嘘? もしかして私って案外読女? そんな言葉あるか知らないけど。
私より頭一つ分背の高いジャンヌさんの隣りに立ち、手頃な本を探す。
“迷える騎士と眠れる森の巫女”
よし。これにしよう。
私は綺麗な蒼色の表紙をした本を手に取る。
この本は数少ない私が何度か読み返したことのあるお気に入りの一つだ。
何度か読み返したことがあるといっても、ここ最近は全く手をつけていなかった。
ちょうどいい頃合いだろう。
「そういえば、一番最初に読んだ本もこれだったな……」
実際に手に取るまでそんなことも思い出せなかった自分に少し哀しくなりながらも、私はページを捲っていく。
迷える騎士と眠れる森の巫女の大まかな内容はまだ覚えている。
たしか、眠り続けたまま目を覚まさないとある巫女様に、森の中に偶然迷い込んだ騎士が出会い、なんやかんやで彼女を目覚めさせてハイ、よかったネ! みたいな話だったはずだ。うん? ちょっと違うかも。
詳しいところの記憶がかなり抜けているが、今から読み直すならば逆にその方が楽しめるはずだろう。
そして私は時間も忘れて物語の世界に入っていった。
「……ってはっ!? いま何時!?!?」
久し振りの読書にふけっていると、ちょうどクライマックスに差し掛かる辺りで突然現実に戻る。
完全に時間を忘れていた。
ここの辺りはいつでも真っ暗だから、確証はないんだけど、ずいぶんと長いこと物語の中に入ってた気がする。
「うっわ、最悪。やっぱりもう夜になってるよ」
本にしおりを挟んで壁の時計を確認すれば、やはりもう私にとって夜といっていい時間帯になってしまっていた。
朝ご飯でお肉を無駄にしてしまったため、夕方頃になったら食糧を調達しに行こうと思っていたのに。これじゃあ晩御飯が遅くなっちゃうな。
まああれこれ言っていても仕方がない。とりあえず行くしかないか。
せっかくお客さんが来てるんだからね。
「あの、ジャンヌさん?」
「どうした?」
「私、今からちょっと狩りに行ってくるんで、しばらく家を空けますね。それで戻ってきてから、晩御飯作るんで、少し待っていてください」
「マイマイが食糧を調達して、私が料理をつくるのか?」
「いやいや違いますよ! どっからその自信が湧いてるんですか!? 私が食糧を調達して、私が料理をつくります」
そういえば朝ご飯は結局私がつくったのに、この人味の感想言ってくれなかったな。美味しいとも不味いとも。
どう考えてもジャンヌさんに比べたら私の方が料理上手いと思うんだけど、もしかして普段はもっと美味しいもの食べてる?
うわ。もう時間も遅いし。超やる気なくなってきたんですけど。
「……いや、朝は迷惑をかけている。ムトの顔に泥を塗るわけにはいかない。食糧調達に関しては私が受け持とう。何が必要なんだ?」
「え? 本当ですか? でも、この辺りにいる魔物はそれなりに凶暴ですよ?」
「その心配は要らない。ちょうど試してみたい魔法がある。それに私は最強だからな」
うっわ。凄い自信家。最強とか自分で言ってるよこの人。どういうキャラ設定なのかいまだにサッパリですわ。
それにしても本当に大丈夫かな?
実際私は戦闘に自信あるけど、ジャンヌさんって強いの?
でもまあ、この場所まで無傷で来られてるんだから、最低限の強さはあるんだろうな。
ここはいっちょ任してみますか!
「じゃ、じゃあお願いしてもいいですか?」
「ああ」
「それじゃあ、適当に肉を」
「叶えよう」
そう言うが早いか、ジャンヌさんは颯爽と外へ出ていく。
見送る暇もなかった私は少しの間ポカンとしていたが、なんとか正気を取り戻し台所に向かった。
なんだろ。この気持ち。
「……やっぱり私が行った方がよかったかな」
できる限り料理の準備を進めながら、私はどうしてかジャンヌさんのことを心配してしまう。
よく考えればもしあの人に何かあっても、直接私に影響することなんて何一つない。
なんとなく悲しい気持ちにはなるかもしれないけど、それも腐るほどある時間の中ですぐに風化してしまうだろう。
なのに何でかな。全然料理に集中できない。
「……ジャンヌさん、か」
変な人。それが生まれて初めての客人に対する私の率直な感想だ。
まあ他に比較対象がほとんどいないから、あれが普通なのかもだけど。
「早く、肉持って戻ってこい」
まだ外に出て行ったばかりだというのに、現金な私はそんなことを思っている。
なぜかいつもより森は静かで、やたら部屋が広く感じた。
さて、それはそれとして、今日の晩御飯は何にしようかな。
「ジャンヌさんはシチューとか好きかな」
「いや、私は食べ物に対して特別な好みはない」
「へぇー、好き嫌いとかないんですか。偉いですね」
「そうか?」
「そうですよ。私なんか苦手な食べ物が結構あって……ってぬひゃひゃひゃっ!?!?!? なんでジャンヌさんここにいるんですかっ!? 肉の調達に行ってくれたんじゃないんですかぁっ!?」
油断も隙もねぇぜこいつぅっ! せっかくこの私が柄にもなく心配とかしてあげてたのに、当たり前のような顔で隣りにいやがるよ!
というかいつからこの人私の横に?
外行ったよね? 確実に扉の外に出て行ったと思ったのに。
幻覚か? 私慣れない対人コミュニケーションで疲れてる?
「ああ、行ってきたぞ」
「は? 何を言ってるんですか? 今さっき家を出たばかりじゃないですか」
「家を出たばかり? 何を言っているんだ。時間は十分に消費したぞ」
駄目だこの人。早くなんとかしないと。
どう考えても狩りをしてきたとは思えない速度だ。
というか散歩もろくにできないだろう。
「あ、そっすか。じゃあ、肉はどこですか? 肉は?」
「ここに入り切りそうになかったゆえ、外に置いてある」
「はあ。外ですか?」
とうとう知らない間に溜まっていた疲労がピークに差し掛かり始めたのか、なんだか頭痛がしてきた。
もう無理。難しいこと考えられない。
今日はもう早く寝てしまいたい。あ、でも物語の続きも読みたいな。
「じゃあ、見せてください、その我が家に入りきらない肉とやらを」
「ああ」
安定の真顔でジャンヌさんはまたあっという間に外へ向かう。
なんなんだよこの人。絶対私のことをおちょくってるよ。
もし、これで晩御飯に使えそうなまともな肉がなかったらジャンヌさん晩御飯抜きだからね。
まあ、ほぼほぼないだろうけど。
「これだけあれば足りるだろう?」
「は?」
しかし、私はジャンヌさんという人間を侮っていたことを知る。
家の周囲を満たすのはいつもとまったく同じ暗闇。
でもたしかに感じる異物感。
「これ全部ジャンヌさんが……?」
「ああ」
むせ返るような血の匂い。
生気を失った瞳が夜に紛れている。
闇を通す私の瞳に映るのは、死屍累々と積み重なる魔物の死体の山だった。
「魔猿デスゴリラが三匹に、カオスドレイクが七匹? それだけじゃない……あれはクリスタルバジリスク? 氷蛙ブリザードフロッグもいる」
どう考えてもおかしい。時間的にも能力的にも。
この数えきれないほどの魔物をあの一瞬で?
私は若干、というかかなり引きながらジャンヌさんの方を見る。
しかしそこにいるのは朝と全く変わらない表情で私を見つめ返す、綺麗な黄金の瞳を持つ青年だけだった。
「足りないか?」
こいつ本当に人間かよ。
こんな人を心配していた数分前の自分をぶん殴りたい。
本当晩御飯何つくればいいんですかこれ。
「うっぷ……気持ち悪い」
「そうか」
そうかじゃねぇよ、そうかじゃ。
そこは心配の言葉をかけなさいよ。乙女心が一切わかってないよこの人。
気の毒になるくらいの量を使った即席焼肉パーティーを終えた私たちは、テーブルに座ったまま動けないでいた。
生まれてこの方、これほどの量を食べたのは初めてだ。
お腹が破裂するのではないかと心配になるほどパンパンになっている。もう無理。動けない。
とは言ったものの、実は焼肉パーティーを終えたのは私だけで、ジャンヌさんはというとまだ一人でモグモグと機械のように食べ続けているんだけどね。
「ジャンヌさんはよくそんなに食べれますねー」
「ああ」
「ちなみに私の味付けはどうですかー。美味しいですかー」
「わからない」
「そうですかー。そうですよねー」
あまりの満腹感に相変わらず失礼なジャンヌさんへの苛立ちも湧いてこない。
というかどんだけ食べるんだこの人。昔読んだ本にソネタ・ジャイアントギャールという人間が主人公の物語があったけど、あれってもしかして実話だったのかな。
「それにしてもジャンヌさん、本当にどうやってあの数の魔物を一瞬で刈ったんですか?」
「ああ。闇属性の魔法というものを試してみたのだ。精錬魔法とはまた別種の魔法のようだったが、私にも使えるのではないかと思ってな」
「闇属性の魔法?」
「そうだ。私は精錬魔法しか使えない。精錬魔法を、確かな論理と普遍的なイメージを元に発動される魔法とすれば、原石魔法は非論理と自由で独創的なイメージを元に発動される魔法だからだ。しかし、闇属性の魔法は、非論理的だが普遍的なイメージが存在する。ゆえに私でも発動できる可能性があると判断した。無論、最強という観点からみれば、原石魔法を使えるようになる必要性はないが」
「へぇー。そうなんですかー」
闇属性の魔法。私も魔法に関する知識はそれなりにあるが、そんなものがあった記憶はない。
あ、でも待てよ?
なんか人間の歴史に関する本の中で、闇のなんちゃらみたいなものがあったような気がする。
でも今はそれもどうでもいいや。駄目だ。考えがフワフワしてる。
ジャンヌさんの話も半分くらいしか今は聞くことができなかった。
要するに眠い。とても眠い。
「食べ終わったぞ、マイマイ」
「うわ。マジですか。本当に凄いですね」
ついにあれほどあった肉を全て食べきったジャンヌさんにも、もはやそこまで驚きの感情は生まれない。
まだ知り合ってから一日も経っていないのに、早くもこの人に規格外さに慣れ始めてきたのだろう。対ジャンヌ用抗体の完成である。
さて、それでは時間も時間だ。本格的に眠る準備に入ろうかな。
でも前から思ってたけど、なんで私ってお腹空いたり眠くなったりするんだろ。
「ジャンヌさん……私、もう眠くて眠くて仕方がないので、もう寝てしまってもいいですか?」
「ああ、構わない」
喋ってから気づいたが、なんで私はジャンヌさんに許可をとってるんだ。家主、私なのに。
そして私は食器を洗うのを明日に持ち越すことを決めてから、奇妙な疲労感に包まれたからだを椅子から離す。
本当に今日は長い一日だった。
「はぁ、疲れたなぁ」
居間の奥にある寝室に引っ込むと、私はすぐにベッドの中に潜り込む。
身体全体がポカポカしている。
季節はもう冬なのになんでかな。沢山お肉食べたからかな。
私は不思議な幸福感の理由を考えてみるが、どうにも正しい理由がわからない。
まあ、いいか。それは明日考えよう。
なんだか精神的に忙しい日だったけど、最後くらいは静かに眠れそうだ。
「おやすみなさい……ジャンヌさん」
「ああ、お休み」
ここで呟いても届くわけがないのに、なぜか私はジャンヌさんに夜の挨拶をする。すると、不思議と返事が聞こえたような気がして――、
「――って本当に隣りにいるじゃないですかぁっ!?!?」
「ああ、こういう場合、一緒に寝るのだろう?」
「寝ませんよっ!? どういう場合ですかそれ!? ジャンヌさんは違うところで寝てくださいよ!!!」
「脱げばいいのだろう?」
「だからなんですぐ脱ごうとするんですかぁっ!?!?」
こうして初めての客人を迎えた日は、残念ながら最後まで私に安らぎを与えることはなかったのです。
ちなみにジャンヌさんは天井裏の部屋で寝てもらうことになりました。
金輪際二度と私の寝室に入らないことを約束させた後に。
というか一緒に寝ようとするとか、この人本当に正気なのか?
私に抵抗とかないのかな。
まさか私の正体以前に気づいてないの?
いや、そんなわけない。
一目瞭然だもん。
さすがに気づいてるよね?
私が
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